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Adrian Blue Tear ―バー・エスメラルダの日常と非日常―  作者: すえもり
Ⅱ自由都市の光と闇 January

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【番外編3】年越しの夜 前編

挿絵(By みてみん)


 自由都市ティタンの中心を東西に貫くアルベリー川は、街を北の新市街と南の旧市街に二分している。

 ネオン輝く新市街と、東西欧州の文化が入り混じった歴史を持つ旧市街に。

 新しい年の訪れを祝う夜には、どちらの川辺にも大勢の人が詰めかけ、夜空に咲き乱れる巨大な金の光の花を眺めていた。

 鼓膜と地を揺らす音。人々の大きな歓声と拍手。


 川に架かる石橋の中央で花火を見ていたルピナスは、ほっと白い息を吐き出した。

 無事に一年を終えることができた。また新しい年の始まりだ。

 隣には男性型のアンドロイドであるエルンストが立っていて、目を細めて夜空を見上げている。

「綺麗だねえ。生まれて初めて見るよ」

「そうでしたか」

「記憶領域にないだけで、実は見たことあるのかもしれないけどね」

「この街で見るのは初めて、それでいいと思いませんか?」

「いいね。そう思っておくよ」

 今年はスポンサーの羽振りがいいようだ。手の込んだ変わり種の花火が次々と夜空を彩っていく。

 派手な打ち上げ花火がこれでもかと炸裂し、フィナーレを迎えた。


 エルンストはルピナスが身体を震わせたことに気付き、黒の分厚い生地のトレンチコートを脱いで肩に掛けてくれた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。さて、戻ろっか」

「ええ」

 ルピナスが新市街に背を向け、南へ歩き出すと、エルンストは「ねえ」と声を掛けた。

「ほんとは僕じゃない誰かと見たかったんじゃないの?」

 鋼鉄の身体を持つ青年は、ズボンのポケットに両手を突っ込んで微笑んでいる。

 ルピナスは表情を抑えたまま、長いため息を吐き出した。

「エルンストさんまで、そんなことを仰るんですね」

「きみは分かりやすく落胆してるよ。出会って間もない、しかも無機物で出来た存在にもわかるくらいね」


『彼じゃない誰か』は、季節のイベントには全く無頓着だ。人が集まって盛り上がるイベント全般を忌み嫌っている節さえある。

 彼はこの夜、仕事を終えると「よいお年を」と言って、返事も待たずに旧市街の路地の闇にするりと姿を溶け込ませてしまった。

 明日から三日間は休業だ。彼とは顔を合わさない。

「あいつにしては礼儀を欠いてると思わない?」

「そうかもしれませんね」


 エルンストは少女の前に回り込み、急に悪戯小僧の顔になる。

「今からあいつの家に乗り込むぞ。きみも一緒に来るだろ?」

「……はっ?」

 彼は顔の前に指を揃えた手を持ってきた。謝罪のようだ。

「あいつが逃げたのには、僕にも責任がある。先に言っておくよ。ごめんね」

「責任とは? なぜ貴方が謝るのですか」

 それがね、と青年は肩をすくめた。

「年末年始は一人だと危険だから、ついててやるって言ったんだ。僕も、ひとりきりで三日も無人の店に居たくないしね。そしたらあいつ、師匠についててやってくれって言った。でもきみには今のところ護衛は必要ないだろ。僕は、危険なのはフランツのほうだって言った。そしたら、すごい形相と剣幕で、絶対に大丈夫だから部屋には来るなって言うんだ。きっと僕が来るのが嫌で、さっさと帰ったんだよ。なんか怪しくない? 部屋に誰かいるのか、それとも見られたくないものがあるのかな。どっちに賭ける?」

 彼は硬貨を取り出して、歩きながら指で弾いた。綺麗な弧を描いて手元に戻ってくる。


「僕はコスプレドレスがたくさんあるから見られたくないに一票」

 冗談めかした口調だ。二人とも、その可能性はないことくらいはわかっている。変装用の服装ならあり得るだろうか。

 では、もし彼が誰かと暮らしているとしたら? シェアしている可能性も無いではない。しかし、隠すほどのことでもないだろう。

 自分は、彼の趣味嗜好や人付き合いについて、本当に何も知らないのだと思い知らされる。

「それで、いま向かっている先はフランツさんの下宿ですか?」

「ああ、そうとも」

「突然押しかけるのは、やっぱりよくないですよ。やめましょう」

「でもきみだって、あいつがどんな部屋で寝起きしてるのか見てみたいだろ?」

 彼はニヤニヤ笑いを浮かべる。

「ええ、まあ……うん。でも事前に言っておかないと、もう寝ているか、居ない可能性もあります」

 ルピナスは苦笑した。

「それならそれでいいよ。仕事を上がってから一時間も経ってないし、起きてるだろ。こういう日じゃないと押し掛ける理由が作れない。ハッピニューイヤーって言いながらシャンパンを掛けてやるチャンスだ」


 彼はどこに隠し持っていたのか、ハーフボトルを取り出した。

「準備がよろしいのですね」

「まあね。で、部屋に何を隠してると思う?」

 ルピナスは肩をすくめた。

「真面目に考えると上司からの手紙や書類ですが、とっても乱雑なお部屋だったりするのでしょうか」

 しかし衣服の洗濯はきちんとされており、身だしなみも常に整っている。考えづらい。

 隠密行動をしてきた人間だ。部屋に誰かが侵入して機密物を探し回った形跡がないか、すぐ気付けるように細工しているだろう。乱雑な部屋ではいけない。

「或いは、変わったものの収集癖があるか」

「なんだろうね。昆虫標本? ありとあらゆる暗器? それとも人骨とか?」


 それから、車通りのある道を曲がり、狭い路地に入った。

「ここ」

 コンクリートが剥き出しの無機質な外壁の、五階建てアパートだ。

 近代的ではあるが、新しくはない。そして無個性に徹している。

 華美な容貌の持ち主である彼は、目立つことを嫌っているのか、服装も持ち物も機能美を重視しているようだ。住居にも当てはまるのかもしれない。

 とはいえ、住むところを彼が自由に選べたのか、上司に手配されたのかは、ルピナスには分からない。

 旧市街の古いアパートの多くがそうであるように、オートロックは無く、簡単に部屋の扉の前まで入ることができた。

 ドアホンの代わりに、金属扉にはライオンの顔を模した真鍮のノッカーがついている。古い建物の一部だけをリノベーションした物件なのかもしれない。


 エルンストがノッカーをモールス信号のように叩いて鳴らすと、チェーンが掛かったままの扉が静かに内側に開いた。

「なんです、こんな時間に。来るなと言ったでしょう」

 鋭い囁き声が聞こえる。

「でも。寒いから入れてよ」

「きみに寒さは関係あるのか」

「あるよ。循環剤の速度が鈍って動きづらくなる」

「申し訳ありませんが、お引き取りを」

 エルンストは被せるように「理由は? 彼女でも中にいるの?」と言い、扉の隙間に靴の爪先をしっかりと挟んだ。

「違う。とにかく……」


 するとエルンストは、何の前触れもなく素手でチェーンを握った。バラバラと音がして、金属片がコンクリートに落ちる。

「最新の改良が施されたRNシリーズにとって、このチェーンは意味ないの。最新のに交換しよっか。ほかにも設備の点検が必要だね」

 ニッコリと微笑むエルンストに、部屋の主は舌打ちを返し、そこでようやくルピナスの存在に気付いた。

「なぜ師匠がここに?」

 青ざめた顔が見えた。

「夜分にお邪魔してすみません」

 深々と頭を下げると、彼は慌てて「まさか部屋の鍵を忘れた? こんなに寒いのに。入ってください」とまくし立て、あっさりと扉を開けた。

 エルンストは「僕と扱いが違いすぎない?」とボヤきながら、あとに続いた。


 結論から言えば、フランツの部屋は綺麗だった。余計なものは何ひとつなく、寒々しい。無味乾燥な打ちっぱなしコンクリートの部屋に、小ぶりなテーブルがひとつ、背もたれつきの椅子がひとつ、書棚がひとつ、ベッドがひとつ。いずれも量産品だ。暖房器具は古そうなオイルヒーターと、テーブルの下の地味な灰色のホットカーペット。生活感の欠片といえば、ベッドに脱ぎ捨てられたシャツくらいのものだ。

「一体なんで、あんなに入室を拒んだのさ」

「突然深夜にやってくるほうがおかしい」

 フランツは目線を合わせない。シャワーを浴びた直後だったらしい彼は、白いタオルを頭に被り、踝まである長いベージュのローブにくるまって、部屋にある唯一の背もたれ椅子に逆向きに座っている。

「とりあえずベッドに座ってください、どうぞ」

 二人はコートを脱いで壁のフックに掛け、病院にありそうな無味乾燥のベッドに座った。

「僕らは、きみの部屋に、偏執的なこだわりで収集された奇怪なコレクションがあることを想定していたんだよ」

「はぁ」

 気のない返事をかえし、部屋の主は「コップは一つしかなく。おもてなしする事ができません」と頭を下げた。


 陰気な表情をしているが、湯上がりとあって頬に朱が差しており、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感に駆られる。そのへんに放っておいたら女性が我先にと群がって世話を焼きたがり、たいへんなことになりそうだ。

 彼は立ち上がると「寒いでしょう」とオイルヒーターのダイヤルを捻って強めた。

「あのね、君と年越しをしたかったって話になったんだ。きみは僕が部屋に泊まることを拒否しただけで、年越しを祝うくらいはいいかなって思ってさ」

「なるほど」

 フランツは椅子に戻ると相変わらず愛想のない顔で気怠げに頷いた。

「ベッドはそれしかありませんから、泊めることはできません。そういう意味でした」

「床でもどこでも僕は寝られるけど」

「そうですか。まあ、きみのことだから、押しかけてくる可能性は少し考えていました。チェーンを銃ではなく素手で破壊できるようになっているとは、貴重な情報ですね。ほかの侵入可能な経路もチェックしていたただけますか」

 彼は極限まで感情の失せた声で言いながら、タオルで髪を拭いた。


「で、師匠は部屋から閉め出されたわけではないと」

「だから、きみと年越ししたかったんだよ」

 エルンストが言うと、フランツは眉間を指先で揉んだ。

「ありがとうございます。お気持ちはとても嬉しい。とても」

 意外なことに、彼は柔らかい微笑みを浮かべていた。

 てっきり「迷惑だ」などと語彙を尽くして愚痴るものだと思っていた二人は、とても珍しい生物を目にしたような顔で彼を凝視してしまった。

「なんですか、その顔は。俺は、その……」

 フランツは言い淀んだ。

「いや、とりあえず、まあ、すこしゆっくりしていってください。冷えるので髪を乾かしてきます。キッチンに、バゲットの残りならあります」


 ルピナスは、フランツが隠したかったのは私生活の中の彼自身なのではないかと思った。

 普段の彼と比べると、どこか所在なさそうで余所余所しい。まるで防壁に隠れるかのように、椅子の背もたれにしがみついていた。自分ひとりだけの安心できる空間内に他人が存在する事実を、苦痛だと感じるのかもしれない。人に弱い部分を見せたくないのかもしれない。


 残された二人はキッチンに入った。狭く、コンロは一口しかない。やけに綺麗で、頻繁に使われている様子はない。

「さっきのあいつ、誰かに似てると思ったら、すっごく根暗な引きこもりのアンドロイド研究者と雰囲気が近い」

「外では気を張って人格を作っているのかもしれません」

「休みの日は何をしてるんだろうね。引きこもりかな。ご飯はどうなってると思う?」

「あまり料理が得意ではないそうですから、外食かお惣菜でしょう」

 ルピナスは冷蔵庫の上にあった、半分残ったバゲットを手に取った。勝手に冷蔵庫を開ける。整頓された庫内には、卵と牛乳、それからマーガリンや各種調味料が一応は揃っていた。

「フレンチトーストかガーリックトーストなら作れそうです」

「僕は食べないから、好きなのを作って」

「そうでした」

 すると、風呂のほうから「フレンチトーストとオムレツ」と声が返ってきた。二人は目を合わせて笑った。

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