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Adrian Blue Tear ―バー・エスメラルダの日常と非日常―  作者: すえもり
Ⅰバー・エスメラルダの日常と非日常 December

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ABT16. Neige des Alpes (8)-Epilogue

「ただいまです。すみません、こんな時間に」

「閉店まで、まだあと三十分ありますよ。今日はティスも急用でお休みなんです。私を独り占めできるなんてラッキーですね、ふふ」

「何言ってるんです。エルンストもいますよ。一人で営業なんて危ないじゃないですか」

「貴方が来るまでは、そんな日もありましたよ」


 外套を脱ぐと、ルピナスはカウンターから出てきてハンガーに掛けてくれた。

 顔を見てなぜかホッとして抱きしめると、彼女は目を少しだけ見開いて、微かに唇を動かしかけて、結局何も口にせず俯いた。

「アメリーとエルンストには助けられました。ありがとうございました。お陰で父も姉も無事でした」

「いいえ、あれくらいしかできませんでした。ご無事で本当に良かったです」


 こんなに小さくて薄っぺらい身体だったのかと、今更ながら驚いた。力を込めたら簡単に壊れてしまいそうな小さな肩が、ぶるぶると震えていた。

「私が行かせたせいでフランツさんに何かあったらどうしようかと、ずっと後悔していました」

 あまりにも弱々しい声だったので、面食らった。

「い、いやいや、師匠のせいなんかじゃありません。だから泣かないでください。師匠が泣いたら俺まで悲しくなりますよ。それに、ここに来れば嫌なことも忘れられるって、きっとみんな思ってますから。いつもみたいに笑うか怒るかしてくれなきゃ調子が狂う」


 彼女は顔を上げ、きっと睨みつけた。

「私は貴方が居ても居なくても調子が狂います」

「ええと、それはつまり、出会ったこと自体が迷惑ってことですか?」

「そんなこと言ってないでしょ! 馬鹿デジレ!」

 彼女は俯いてフランツの腹を拳でポカポカ叩き始めた。全く痛くないが、泣き声を上げながら叩かれるので逃げるに逃げられない。


「あの〜〜、気は済みましたか?」

「でも、でも、ティタンでは王国の方々みたいに挨拶でハグしないんです。ティタン以外出身の女の子の友達ならみんなしますけど、男の方にされるのは抵抗がありますから、き、き、気をつけてください」

 珍しく、ルピナスは耳まで赤くなっている。

「すみません。あっちに戻るとつい……俺のこと、いちおう男だと思ってたんですね? ただのマネキンかペットの類だと思われてるんだろうなって常々」

「ま、まあ、そうですけど! 生物学上は男でしょ」

 やっぱり、そういう扱いだったか。



 疲れているだろうから帰るようにとルピナスには言われたが、一杯だけ飲ませてほしいと頼んだ。

 出してくれたのは、新作だというカクテルだった。

 底に溜まった万年雪。吹雪のように舞うアイスブルー。

 混じり気の感じられない、純粋で怜悧な、妥協を許さない味……アルコールが身体に回りはじめ、指先が温まってくる。吹雪の中で暖かさを忘れてしまわないように、火を灯すために飲むようなカクテル。

 彼女が好む甘く華やかな味とは対極だった。

 何が彼女にこのカクテルを作らせたのだろう。


「貴方の冷徹な上司がネバー・レット・ミー・ゴーと名付けてくださいましたよ」

「俺を放っておいて酒を飲みに来ているとは……いや、あの人が酒だけのために来るはずないのは知っていますけど。困るんですよね、ときどき()()に戻られると」

 ルピナスの手が、包帯を巻いた右手と、父の左手に触れた。

「大丈夫ですよ。カクテル作りには響かないはず」

「貴方は、そんな顔をする人じゃありませんでした」

「どんな顔です?」

「私でも一瞬騙されそうになる、嘘の笑顔です」

「接客業には必要でしょう? 俺はここに居たいと思って戻ってきました。番人を継いだって、何も変わってませんよ」


 彼女は何でもお見通しだから、何があったかも、もう全部分かっているだろう。笑って誤魔化さないで話してほしいと言いたいのだろうか?

「師匠、男ってのは基本的に弱さをさらけ出したがらない生き物なんですよ。ご存知でしょ」

 カクテルを飲み干す。身体がふわりと軽くなる。

「美味しかったです。最後の砦はアルコールですか。少しだけ分かりました」


 分かっている。いっときの気休めだ。酔いが覚めたら飲む前より寒くなる。だからその前に身体を温めてほしい。人肌恋しくなるわけだ。一度抱きしめたなら、寒さに耐えられなくなるから、二度と離さないでほしい。

 一人で生きていけると強がっていた頃のほうが良かった。自分は強いと思っていられた。

「一つわかったことがあるんです。師匠は笑うかもしれませんが……俺は家族や周りの人々から愛されているってことです。鬱陶しくてお節介でイライラする、ちっとも美しくない、あれが愛だって。俺がとんでもないゴミ人間だろうが、醜かろうが、関係なく与えられるものなんだって」


 てっきり、そうですよ知らなかったんですかと胸を張って言ってくるかと思ったが、彼女は微かに口元に微笑みを浮かべつつ、「王国に帰りたくなりましたか?」と問うた。

「いや、ここに戻ってきたのは自分の意志ですよ」

「だったらもう、どこにも行かないでください」

 小さな口から溢れた言葉が甘い囁きのように思えてしまい、澄んだ青と緑の深淵を覗いてみたが、そこにはいつも通り不思議な光が揺らめいているだけだった。


 つい最近も同じように瞳を覗き込んでいたような気がしたが、夢の中だったのだろうか、思い出せない。

 なんとなくいつもと雰囲気が違うと思っていたら、それは前髪を編み込んでいたせいだった。それから、淡いアイシャドウが乗せられた瞼と、綺麗に上を向いた睫毛と、桜色の唇。

 カクテルのせいで頭の芯が緩んで、ほんの少し人肌恋しくなっているだけだ。もしも勘違いしそうになったことが彼女に知られたら、永遠に揶揄われ続けることになる。


「行きませんよ、しばらくの間は。やるべきことがあるし、この街も、この居場所も、ここにいる人々のことも、なんだかんだ気に入ってしまいましたから」

 彼女は瞬きして、目線を少し逸らした。

「先程のカクテルは、貴方のお誕生日祝いに作った新作です。今日ですよね。おめでとうございます」

 飲んだ感想をそのまま口に出さなくて良かった。言っていたら、恥ずかしさのあまり、逃げ出したくなるところだった。

 外に面した細い窓から、うっすらと光が差しこみはじめた。

「おかえりなさい。ティタンヘ。そして、バー・エスメラルダへ」

ABT16(8)のEDテーマはAvril Lavigne『Let go』より、 I'm with youです。


ここまで20万字強、3年以上もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

第一部はこれで区切りとなります。第二部も、またお待たせすることになるかと思いますが、気長にお付き合いいただけることを願いつつ……。とりあえず、暫くは本編の白桜第一部を纏める作業に入ります。

かなり長くなってきたので、第二部を新作品として立てるか、このまま続けて更新していくか、検討中です。

新規にする場合は次エピソードと活動報告の両方にてお知らせします。

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