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Adrian Blue Tear ―バー・エスメラルダの日常と非日常―  作者: すえもり
Ⅰバー・エスメラルダの日常と非日常 December

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ABT14. forget it at least now (9)

 鳥打帽の男を詰めたトランクは、セーヌの流れから分かれた用水路に放り込んでおいた。


 ポン・ヌフの橋桁の下には、地下水路に降りられる階段に繋がる扉がある。この水路はクリステヴァ王国が建国されてから作られたものだというが、それでも数百年は経っているだろう。

 王都には、ここ以外にも地下水路に降りる扉が数カ所あり、機密局員になった者は鍵を渡されている。


 内部は壁に取り付けられた魔法石の青白い光で照らされており、足元は十分に明るい。滑らないように気をつけつつ、長い長い階段を下りながら、フランツは前を歩くシャロンの背を見つめていた。


 ここから機密局に繋がる道と扉を探り当てるのは、位置を知っている者以外には不可能に近い。彼女をここに入れたのは、人目につかない場所に行く必要があったからだ。


 シャロンが何者かを見極められなかったのは、自分の不手際だ。

 本当は、ガリウスが知らないだけで、局長から呼ばれたのであって欲しいと思っていた。


 だが、彼女が初めから自分を追ってきたのだとしたら、綺麗に辻褄が合ってしまうのだ。玉璽の封蝋が施された手紙を見せられ、それらしい話題を振られただけで信用してしまったのは、番人の跡継ぎだと聞かされていたからだった。


 ドートリッシュ公夫人の手先か、それとも……何にせよ穏便に話をして済むはずがない。迎えの局員が来た時点で捕らえるのが一番簡単だろうが、その前に彼女のほうの助っ人が来ないとは言い切れない。


 やはり、ここで聞かなければならない。

 騙されていたことで少しも傷付いていないと言えば嘘になる。けれどそれよりも、自分の心を救ってくれた彼女の笑顔が、すべて嘘だったのかもしれないこと、彼女が抱いているものを何も知らないこと、そして場合によっては彼女を殺さなければならないかもしれないこと。

 そのことが、一段一段を降りるたびに冷たく鋭い刃となって胸を刺し貫く。永遠に終わりが来なければと願ってしまうのだった。



 水路にたどり着くと、先に降りていたシャロンが振り返った。

「長かったね。地上に出るときは、また同じだけ登らないといけないのか。あー、大変」


 フランツはベルトの裏に仕込んだナイフの位置を確認してから、ひとつ深呼吸した。

「そうですね。……シャロン、先へ行く前に聞いておきます。俺が所属している組織の名と、そのトップの名前を」

 彼女は目を瞬かせた。

機密局スクレ・ド・レーヌ。宰相のギュスターヴ・ゴドフロアでしょ?」

「俺は七年ほど所属していますが、他の局員は数えられるほどしか知りませんし、名前もわからない。ガリウスはあなたのことを聞いていないそうです。誰から俺のことを聞きました?」


 フランツが言わんとしていることを理解したのか、シャロンは口元に笑みを浮かべた。いつもの明るい笑顔とは真逆の冷たい笑みだ。全身の血が冷えていく。


「あなたって、この仕事には向いてないね」

 銀色の軌跡が舞う。抜いたナイフで弾き飛ばすと、火花が散った。

「中途半端に頭と勘がいい。小説や映画だと、うっかり秘密に気付いて真っ先に殺されるタイプだよ」

「それ、艦長さんからも言われましたね」

「気付かれちゃったんなら仕方ないね。今はお互い事情があるから、交渉といこう」

 フランツは無言で続きを促した。


「私の上司は、あなたを捕らえても宰相の尻尾は掴めないと考えた。だから、あなたに二重スパイになってもらいたいの」

「……俺には向いてないんですが?」

「そこは上司の使い方次第だよ。お父さんは病気じゃない。上司のところにいるから、頷いてくれたら連れて行くし、そうでないなら……」

「殺すとおっしゃるんですね?」

 つまり、姉からの電話のほうが嘘か。それなら姉も巻き込まれているのだろう。

「父と姉は無事なんですか」

「大丈夫。私の上司は話が通じる人だよ。……私とは違ってね」


 不意を突かれた。飛んできたナイフへの反応が遅れたせいで、右手の甲に鋭い痛みが走った。

「シャルル・フランソワ・ロラン。私はあなたを殺す」

 翠色の両目に宿る炎が見えた。

「アーサー・フラクス。あなたが七年前に暗殺した、私の父の名前だよ」


 フランツは手から血が流れるのにも構わず、彼女の燃える瞳を見つめ返した。殺すと告げられても美しい炎に惹かれてしまうのは、火が守護元素だからなのかもしれない。たとえ嘘でも演技でも、彼女の内にある光炎はずっと本物だった。それが復讐の炎であっても、まばゆく少しもけがれていない。


「父さんは番人じゃなかった。だからあなたが記憶を継ぐことはなかった。安心して、私はあなたと同じ殺人鬼にはなりたくないから、命は奪わない。代わりに、その手を使えなくしてやる」

「時間が経てばあなたのほうが不利になりますよ」

「よく、そんな涼しい顔してられるね。もっと痛めつけないと効かないの? 私のこと本当に好きだったの?」

「好きですよ。裏切られたと分かっても。あなたを好きでいる資格がないとしても」

 恥ずかしげもなく口にしてしまったのは、言えるうちに言ったほうがいいと思ったからだ。


 シャロンは顔を歪めた。

「……馬鹿じゃないの?」

「復讐で殺すとおっしゃるなら、構いません。俺は別に生きたくて生きてるわけじゃない。死ねないし、死ぬのが面倒だから生きてるようなものです」

「そういうところ……どうにかしたほうがいいよ。あなたが死んで悲しむ人がいるって分からないの? だから私は命を奪わないって言ってるのに」

「それなら聞きますが、あなたは目的のためなら好きでもない男に抱かれても平気だったんですか? 自分を殺しても?」


 彼女の殺気が不意に消えた。口元には自嘲めいた笑み。

「もしあなたが、父さんを殺していなかったらって思ったけど……否定してくれないんだね。私も普通の女として生きてたら、こんなふうに楽しい恋をしていられたかなって……思った」


 その言葉は、裏切られたと分かった時よりも遥かに鋭く強く胸を押し潰した。もしかすると、そこまで含めた全てが彼女の計略だったのかもしれない。けれども、彼女は嘘をついているようには見えなかった。だから一層、痛い。


「あなたには確かに歪んだところがある。でも心のない殺戮者じゃなくて、ただの人間だった。父さんを殺したのも、上司の命令だからだよね。だったら私は、父さんを殺させた奴を殺さないといけないんだ」

「それを手伝うのが俺の償いだということですか?」

「償うことなんかできないし、許さないけど」

 彼女の手の中には新たなナイフが現れている。

「はは……確かにあなたのほうが、この仕事には向いてるな」


 説得されそうになったが、二重スパイになることはできない。おそらく彼女の上司よりも局長のほうが残酷な人だからだ。

「できることなら贖罪をしたいですが、俺はあなたの要求を呑めない。局長はあなたの上司と違って、憐憫も同情も持ち合わせていらっしゃらないので、俺が裏切ったと知ればば、無関係な父も姉の家族も兄たちも殺されてしまうでしょう」


 彼女を殺さずに捕らえる。負けそうなら自害。互角の相手にハードルが高いが、時間を稼げたら勝ちだ。


 青白い魔法灯の影、触れただけで割れそうなガラスのように張り詰めた空気、流れる水の音。


 フランツはナイフを左手に持ち替えた。もともとは左利きなので、こちらの方がしっくりくる。

「どうぞ。レディファーストです」

「……そんな気遣いは要らない」

ABT14(9)(10)のBGMは ブラームス/ヴィオラソナタ第二番変ホ長調 作品120-2 第二楽章です。

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