ABT13. after thirty years (1)
「それで? 昨日のデートはどうだったんですか?」
木曜日。出勤するなり、ルピナスは目を輝かせながらフランツに詰め寄った。予想通りだ。フランツは背を向けたままロッカーに鞄を詰め込んだ。
「俺にも黙秘権がありますので」
「別に残念な結果に終わった訳じゃないんでしょう? だって、ちっとも人生クソ食らえって顔してないじゃないですか」
「だからといって人生賛歌を歌う気分でもありませんよ。普通です」
ルピナスはフランツの背後から忍び寄ると、膝カックンを仕掛けた。気配を察知できなかったフランツは、まんまと引っかかってしまう。
「やめてください! 危ないな!」
「反応が鈍っておる。お前さん、さては色恋沙汰で頭が鈍っとるな?」
「先生の真似は、やめてください。この年齢で全く興味がないなら、どうかしています」
「ふう、つまらん奴だな。ちょっとは娯楽を提供せんか」
ルピナスは舞台女優のように大げさに首を振った。
「パワハラ老害予備軍が……あっやめてください、刺さないで、嘘です言い過ぎました。そ、そんなことより」
一体どこから出したのか、逆手で包丁を握りしめたルピナスから逃げようと部屋の隅に後ずさったフランツだったが、彼女宛の郵便物が来ていたことを思い出し、机の端を指差した。
「師匠宛に手紙が届いていました」
「そういうことは先に言うものです。まったく余計な言葉ばかり覚えて……」
ルピナスは包丁を置くと、淡い緑色の封筒を手に取った。
差出人名はない。宛名は『バー・エスメラルダ店主』と書かれている。配達日は今日に指定されているが、日付印は掠れて滲んでいた。
「それ、俺が見る限りでは三十年前に出されたもののようなんですが」
ルピナスは封筒を電灯にかざした。フランツも先に同じことを試してみたのだが、はっきりとは判読できなかった。
「うーん、そうでしょうね」
「とりあえず開けてみてくださいよ」
ルピナスはどこからかペーパーナイフを出し、中身を取り出した。白いカードだ。その中を見た彼女は一瞬目を丸くし、困ったように眉をひそめ、それから怒ったように口をきゅっと結ぶと、最後になぜか笑い、カードを封筒に仕舞った。
「誰からでしたか? ご家族とか?」
「いいえ」
「何が書いてあったんですか?」
「誕生日祝いです」
フランツは彼女の横顔を窺ってみたが、いつも通りの澄まし顔だった。
「三十年前に書かれたのに? というか、誕生日は今日じゃないですよね」
「私にも黙秘権がありますので」
彼女は意地悪な顔で言うと、裏のロッカーに封筒を仕舞い、いつも通りのルーティンにかかった。
「三十年後の自分へのバースデーカードだったんですか?」
「ふう。お前さん、懲りないな?」
彼女が再度包丁に手を伸ばすのを見て、フランツは慌ててカウンターに逃げ込んだ。
今日はティスが再び有給休暇をとっていて、客として店にいる。普段はなかなかとれなくて溜め込んでいるから、今の変則シフト期間中に取らせてほしいとのことだった。
「ねえ、ルピナス」
ティスはフランツには聞こえないような小声でルピナスに問うた。
「彼、どうかしたの?」
「ええ、まあ色々とあったみたいですね。教えてくれませんが」
ルピナスはカクテルを作りながら、目だけでフランツの方を見遣る。氷を砕いているのだが、急所を仕留めるかのような手つきだ。全くの無表情で同じ動作を繰り返している。
「聞いてもいい話?」
「ふふ、私の代わりに聞き出してみてください。お待たせしました、テル・ホワットです」
乳白色の液体で満たされたグラスを受け取ると、ティスはフランツに声をかけた。
「これから暗殺にでも行くみたいな顔ね」
フランツは手を止め、ティスに顔を向けた。
「……どういうことですか?」
「自分の顔、鏡で見てみて?」
カウンターの後ろには年季の入った金縁の額入りの鏡が掛かっている。今夜はティスの希望で普段よりも照明を落としているため、鏡の向こう側もまた暗く、顔はよく見えない。
「そんな顔じゃ接客業失格よ。プライベートの問題?」
「すみません、顔に出ていましたか?」
「そうね、わかりやすいわ」
「まったく、女性絡みでしょっちゅう浮き沈みされてちゃ困りますよ」
言いつつ、ルピナスはフランツの手からアイスピックを奪い取った。珍しく何も言い返されなかったせいか、彼女の首の傾きが大きくなっていく。
「ねえ、一杯ぐらい飲ませてもいいかしら?」
ティスは笑いながらグラスを掲げた。ルピナスは腰に手を当ててため息をついた。
「みんなこぞってフランツさんに飲ませたがりますね。ま、ティスもいることですし、役立たずに立たれていても仕方ありません。給料は減らしますけど、いいですね」
ルピナスは反応の薄い弟子をカウンターから追い出した。暗い面持ちのまま、フランツはティスの隣に座った。
「ご注文は?」
「……お任せで」
「ほーう? じゃ、一杯程度で酔えないというのは嘘だったと思い知っていただきましょう」
少女は凶悪な笑みを浮かべると、冷蔵庫から小さなボトルを数本取り出し、氷の入ったグラスに中身をあけていった。涼しい音を立てて氷にヒビが入る。
「パラダイス・ロスト?」
ティスが顔を引きつらせた。
「惜しいですね。パラダイス・リゲインド。二日酔いを治すための荒療治という名目で再度酔い潰れるための、チャンポン酒です。初代マスターの裏メニューですよ」
「うっ……美味しいんですか?」
「大丈夫ですよ、うふふ」
ルピナスは最後にアップルビールを勢いよく注いで軽く混ぜ、グラスに薄くカットしたリンゴを差した。悪魔の杯に見える。フランツはグラスを受け取ると、セピア色の危険な液体を見つめた。アルコールの香りしかしない。
「これを頼む方って、いらっしゃるんですか?」
「そうですね、今は一人だけ。たぶん、その暗い顔の原因になった方でしょう」
ABT13のBGMは『BACCANO!』サントラより、吉森信/記憶の手紙 です。