ABT1. エメラルド・グリーン (4)
シャロンは七年前に失踪したという叔父を探している。彼女の唯一の親族らしい。
八年前、この街からもそう遠くない王国領で先住民との紛争が起きた。彼女はその領土を治めていた家の一人娘だ。彼女の母親は先住民の血を引いており、領主である父親は争いを好まない性格で、平和に治めていたはずだった。
だが、その平和は脆かった。些細な行き違いから紛争が起こり、彼女は両親を失った。叔父があとを継いでくれたものの、彼も一年ほどで失踪。領土は一旦国領となり、今は隣接する州が吸収する形となっている。子どもで、女で、さらに先住民の血を引く彼女に家の継承権は認められなかった。
彼女は自分の力で故郷を取り戻すことを誓い、公職に就いた。そして、週末になるとこのバーにやってきて、叔父に関する手掛かりがないかとルピナスに尋ねに来るのだった。
フランツと名乗った青年は、その話を聞いて、顔を曇らせた。
「あれは酷い紛争でした」
ルピナスは彼に三杯目を差し出した。
「レッドバッジ・オブ・カレッジです」
彼は赤いカクテルに浮かぶチェリーを摘み、口に含んだ。
「そう。私にとって民族の皆は家族だった。領地は平和そのものだった。発端になった事件は、外部が起こしたものに違いない」
つまり、紛争を望む勢力、紛争から利益を得る勢力だ。
「私はその謎を解き明かしてやるんだ」
シャロンはグラスを握りしめた。氷が溶けて、中味は薄いグリーン色になっている。
「分かっていらっしゃるとは思いますが、こういった、きな臭い事件にはあまり深入りしないほうが良いですよ」
フランツは声のトーンを落とした。
「分かってるんだけどね……」
シャロンはとろんとした瞳で頬杖をついた。セカンドネームのベリルというのは、その緑の瞳が由来だという。頰は紅潮していて、酔い始めているらしい。ルピナスは水を差し出した。
「ありがと。フランツ、あなたは何でここに来たの? そんなボロボロの服で歩くと目立つよ。職質しそうになるなあ」
彼女は意地悪そうに笑う。フランツは、すいと目線を逸らした。
「ここは、知人が教えてくれたので……宿が取れなくて」
「ああ、まあ初対面の人に根掘り葉掘り聞かれたくないよね」
「今後の行くあてに困っておられるのですが、当店以外におすすめの働き口はありますか?」
ルピナスが言うと、シャロンは唸った。
「うちは、さっき言った日払いの試験監督しかないよ」
「そういえば、もうそんな時期だったんですね」
フランツは懐かしそうに言う。
「当座しのぎに試験監督はダメなの?」
「あちらには戻れない事情がありますので」
「まあ、聞かないけど犯罪者じゃなさそうよね。どこぞの政争にでも巻き込まれた?」
「なかなかのご明察ですが、これ以上はお答えできません」
「とりあえずここで働けばいいじゃない。ルピナスは親切だし、お客さんはいい人ばかりだし。カウンターに立つのもありだよね。ね?」
ルピナスは頷いた。
「きっと女性のファンが増えると思うんです、うふふ」
「ええ? どういう……」
「いいですねえ、自覚のない美青年」
ルピナスはくすくすと笑った。
「そうそう、ここにいてくれればいつでも手合わせを頼めるし」
フランツは目を瞬かせる彼女を見つめ返した。
「そ、そんなにお好きなんですか。俺はあまり……」
「逃げるの? やだよー相手してー」
シャロンは彼の肩を掴んでグラグラと揺さぶった。
「は、離してください。近いって」
酒ではまったく変わらなかった彼の顔色は真っ赤になっている。シャロンは、ごめんごめんと言うとカウンターに頭を乗せた。
「うんー酔ってきた」
ルピナスはフランツに耳打ちした。
(シャロンさんは毎週金曜日に来られます)
(へ?)
(ちなみに、婚約者を振ったのでフリーですよ)
フランツは目を泳がせた。
「な、なんの話です?」
ルピナスはにっこりと笑った。人が恋に落ちそうな瞬間は見逃せない。シャロンは気持ち良さそうに暫く目を瞑っていたが、日付が変わる前に席を立った。
「じゃあまたね、来週もここに来るから」
勘定を済ませて、フランツの肩に手を置いてウインクすると、酔っている割に危なげない足取りで階段を上っていった。