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ABT7. 鬼教官 (3)

 先生のグラスが、あっという間に空になるのを見たルピナスが何か追加するかと聞いた。先生は安いビールでいいと答えたので、フランツは冷蔵庫からケストリッツァーの黒ビールを出し、ジョッキに注いで出した。

「そういえば先生、姉さんから手紙を貰いました。子どもがやっと生まれたそうです。もし先生にあの街に立ち寄る機会があれば、祝いの言葉を伝えていただけませんか」

「ふむ。ちょうど試験の翌週、ジョルジュからマリーの二十周忌に呼ばれておる」

 母マリーは病弱で、フランツが五歳のときに亡くなった。フランツは勘当に近い扱いを受けているので、消息を断ったと知らなくても父は連絡を寄越さないだろう。

「父上には、ここにいることは黙っていてください。上からも口止めされています」

「ふん……親不孝者だな」

 意外にも、責めるような口調ではなかった。

「あの人には、親としての必要最低限の教育を施してくれた以上に返す恩はありません」


 冷たい言い方をしたせいか、シャロンが何か問いたそうに口を開きかけた。が、躊躇したのか黙り込んだ。先生は彼女のほうに、ちらりと目を遣った。

「フラクス、聞きたいことがあれば聞いてやれ。馬鹿は言われんと分からん」

「あ、いえ、フランツは馬鹿ではありませんよ。そうですね……フランツは嫌いなの? お父さんのこと」

 彼女は残り少なくなったグラスを掴みながら、なぜか、やや自信なさげに言った。フランツは即答した。

「ええ」

「いろいろあるんだろうけど、生きてるうちしか話せないことがあるよ」

「話せば理解し合えるというのは幻想です。ご両親をなくしたあなたに、こういう話をしたくはないですが」

「あなたの剣、誰かへの憎しみをぶつけてるよね。お父さんなの?」

 フランツはシャロンの瞳を見つめ返した。相変わらず、焦点がぶれない真っ直ぐな瞳だ。

「図星なんだね。あなたは私じゃなくて別の誰かと戦ってた。謝らせたいから、認められたいから、本当は愛されたいから。渇望しているあなたは強い。なんで、それを本人にぶつけないの?」

 フランツは何も答えなかった。代わりに、彼女が最近気に入ったという、スノーランドという名のアイスブルー色のカクテルを差し出した。


 先生が沈黙を破って笑った。

「返す言葉もないか。言い当てられてしまったな、シャルル。フラクス、父と息子というのはな、母と娘以上に上手くいかんもんだよ」

 先生は一人息子を亡くしている。些細なことが原因で口論して家を出ていった息子は、王国辺境の小競り合いに出兵して帰らぬひととなった。だからだろうか、先生はずっと自分を息子代わりのように扱ってくれているような気がする。厳しい人だが、そのぶん愛情深い人でもある。厳しいだけで愛情の欠片もない父とは、まるで逆だ。

「だがな、シャルル。死ぬまでには父に顔を見せてやれ。打ち負かしてやるがいい。あいつはそれをずっと待っておる」

 フランツは瞬きして、先生の瞳を見つめ返した。その鳶色の瞳は切っ先を突きつけながら死を宣告する時のように鋭く、同時に、初めて互角に持ち込んだ時のように温かくもあった。

「……どのみち帰れませんよ。そんな嘘はつかなくていいです」

「それは分からんぞ。ワシが嘘をついたことがあるか?」

「いつも冗談ばかり(おっしゃ)ってるくせに」

「冗談と嘘は別物だぞ」


 先生は終始、大真面目な顔で言う。酔っていても素面(しらふ)でも、この調子だ。フランツは大袈裟にため息をついた。

「師匠、俺は口答えしてばかりだと仰いましたね。それは、この人のせいです」

「あら……」

 彼女は疑わしそうな顔をしつつも半笑いだ。先生はビールジョッキを空にしてカウンターに叩きつけた。

「人のせいにしおって! お前のそれは元々だ。ガキの頃から口は悪い、偉そうで捻くれとったわ! ちっとも成長しておらん。クソガキめが!」

 フランツは、手にしていたアイスピックを手元にあったレモンに突き刺した。

「何ですって?」

「おーおー、やるんなら受けて立つ! 屋上で勝負だ」

「腰痛持ちの酔っぱらいクソジジイに負ける気はしません!」

今回のBGMはシューマン/幻想小曲集Op.73 チェロ版よりI. Zart und mit Ausdruckです。

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