ABT1. エメラルド・グリーン (3)
艦長は帝国の軍人だ。見た目は二十代くらいにしか見えないが、実際は三十代前半で、それでも既に軍上層部に近いポジションにいる。ここの客のほとんどは彼の部下といってよく、彼らからは艦長と呼ばれている。場を乱すような破滅的な飲み方はしないし下戸でもないのだが、強い酒ばかり飲むので、毎度寝るか突っ伏すかして、閉店時間になると部下に引きずられるようにして帰って行く。
「話す気になったらいつでもどうぞ」
ルピナスは氷を大量に入れ、少し溶けるのを待ってから出した。
「うん、今日は放っておいてくれ」
彼は琥珀色の液体に浮かぶ氷山を見つめ、微笑んだ。これは相当来ているらしい。十年以上片思いの兄嫁、今は未亡人となった人に振られ続けているのだが、相手が厄介なもので、飴と鞭なのだ。いわゆる悪女というやつか。
「あんな感じなので、ご安心ください」
ルピナスは青年に笑いかけた。
「お仕事が大変なんでしょうね」
「いえ、プライベートの方ですよ」
艦長は数口飲んだだけで机に突っ伏している。
「あら。こっそり薄めたんだけど」
「く……そうなんじゃないかと思ったよ」
消え入りそうな声で彼は返事した。
「ああ、死にたい」
「死にたいなんて冗談でも言わないで。はい、寝るなら寝る、もしくは動けるうちに帰る」
返事がない。今度こそ寝たらしい。ルピナスはカウンター越しにブランケットをかけてやった。
「プライベートって……いや、聞かない方がいいですね」
「悪女に十年間惚れていらっしゃるのです」
「ああ……」
青年は何となく察したらしい。
「いちおうフォローしておくと、たいへん頭の切れる人なんです。でも、ここで知ったことは誰にも話さないでくださいね。約束です」
青年は頷く。グラスが空になっている。
「何かご注文なさいますか?」
「そうですね……じゃあ、あの方が飲んでらしたのを」
「ミドルマーチですね。かなりきついですよ」
「大丈夫です。あまり酒に酔ったことがなくて」
「お強いんですね」
「まあ……」
入口の扉のチャイムが涼しい音を立てる。
「ルメリ……あ、シャロンさん!」
亜麻色の長い髪の若い女性はルピナスに軽く手を挙げると、どこに座ろうかと目線を泳がせた。ルピナスは彼女から見て左端の席を勧め、いつもの果実酒を用意した。
「今日はお仕事終わり、早かったんですね」
彼女の仕事は日付を回ることが多いので、今日は珍しい。
「運が良かったよ」
彼女は先客の二人をちらりと見た。
「今日はお疲れのお客さんたちだね」
「そうですね」
シャロンは出された果実酒を軽く空けた。
「それ、何ですか?」
彼女は青年が飲んでいるグラスを指した。
「ミドルマーチというそうです」
彼はシャロンの勢いの良さに驚きつつ答えた。
「たくさん飲まれるつもりなら、きついですよ」
彼女は軽い酒をたくさん飲む方が好きだ。
「うーん……それは駄目だろうな。ラストリーフで」
「承知しました」
シャロンは隣の青年の顔をまじまじと見つめた。
「すみません、綺麗だから一瞬女の人かと思った」
「い、いや、汚いのに」
彼は慌てて髪を抑えた。
「たしかに髪も顔も洗った方がいいですけど、そっちの意味じゃないですよ」
シャロンは快活に笑った。
「そうなんです、それでリクルートしてみました」
「え、裏方? それともカウンター?」
「カウンターという手もありますね! でも裏方のほうが急ぎです」
「ふーん、金土ならちょっとは手伝えるけど……」
「いえいえ無理しないで下さい」
青年はシャロンの手元を見つめた。
「裏方って、用心棒のことですよね?」
「そうです。シャロンさんは剣の名手ですよ」
「言わなくていいよ。というか、さっき裏方にリクルートしたって言ったよね」
「ええ。推定・剣の達人さんです」
シャロンの目がキラリと光った。
「あなた、アルビオン語だから王国の人ですよね」
「まあ……何でそんなに嬉しそうなんですか」
「うちも人手が足りないんだけどなあ、入省試験の実技監督」
シャロンはこう見えて、王国警務省に首席で入省した実力者だ。現在は国境支部で下積みしているが、女性ながら将来が期待できる人材だという。
「シャロンさんは警務省の方です」
青年は申し訳なさそうに断った。
「すみません、そういう仕事は出来ませんので」
「じゃあせめてちょっと手合わせとか」
「シャロンさん、本当はそっちがメインですよね?」
「ちっ、ばれたか」
「お願いですから、こんな狭い店内ではやらないでくださいね」
「今度どこかでね」
「いや、そんな、会ったばかりの人間に何を」
「ここで会ったのも何かの縁。私はシャロン・ベリル・フラクス。あなたは?」
青年は少し躊躇ったが、彼女に詰め寄られ、観念したように答えた。
「フランツです。あの……ちょっと近い」
「あ、つい。失礼」
戸惑う青年の手をぶんぶん振って握手すると、シャロンは満足そうに杯を空けた。
「今日はいいこと続きだな……ってことで、シークレットをもらおうかな。フランツも飲もうよ。美味しいよ」
「じゃあ、俺の分もお願いします」
「承知しました。スメラルダ・ヴェルドですね」