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ABT5. クイーン・オブ・ホワイト (2)

「あなた、まだあの仕事をしてるの?」

 アメリーはフランツの手の指にある剣ダコを指先でなぞった。

「辞めたいって言ってたくせに。おおかた、仲間を殺すように言われて、出来なくてこの街に来たんでしょ」

「違いますよ」

「ふうん」

 彼女は興味なさそうに言うと、赤い唇をグラスに近づけ、一口だけ飲んだ。


「帰れないの?」

「ええ。ガリウスから聞いていないんですか?」

「今は関係ないもの。会うこともないわ。でもあなた、どのみちあの街には何年も帰ってないでしょ? 恋しいとしたら、王都くらいかしら。何も変わってないわよ、あの片田舎の街は。お姉さんに子供が生まれたのは知ってる?」

「聞きました」

「会いたがってたわよ」

 唯一、家族の中で心を開いていた姉だが、嫁いでからはどうも疎遠になってしまった。自分が仕事で忙しくなったというのもあるが。

「シャルルがここにいること、お姉さんに教えておきましょうか?」

「いえ。いずれ自分で連絡します」

「お父様、ずいぶん気にかけておられたわよ」

「そんな嘘はつかなくてもいいです」


「ねえ、なにかと扱いにくいでしょ? この人」

 アメリーはルピナスに笑いかけた。マスターは苦笑してみせる。

「そうですねえ……まあ、いじり甲斐があるだけ、まだマシですよ」

「行き倒れを拾ったの?」

「そんな感じです」

 アメリーは指を組んで、その上に顎を乗せた。

「この人、大貴族の三男坊なの。代々将軍を輩出してる家なのに、親の言うことを聞かずに聖務省の大学に入った。でも結局、うちの組織のトップに目をつけられちゃったのよね」

 ルピナスは、だいたい予想通りだと言って微笑んだ。

「さすが、情報網が広いわね」

「フランツ・クロイツァーというのは偽名ですよね。おそらくガリア出身であろうということは、アクセントから推測していました」

 フランツは渋面を作る。

「でも、フランツさんは明らかに幼少時代から暗殺術を叩き込まれていますよね? そうアーノルドが言っていましたが、どうして貴族の方がそんなものを?」


 黙ったままのフランツの代わりにアメリーが口を開く。

「上のお兄様二人は、お父様似だったんだけど、シャルルは絶世の美女だったお母様に似てしまったの。小さい頃は体が丈夫じゃない上に華奢(きゃしゃ)だったから、剣は振り回せなかったのよ。それで、せめて護身術をってことで身につけさせられたのよね?」

 その護身術の教師が問題だった。いや、あれは父が確信犯だ。先生は、いかにして人の命を奪うかを知れば、(おの)ずと人を守る方法も分かると言い、年端もいかない少年相手にひたすら厳しい訓練を(ほどこ)した。逃げようとしたり手抜きしたりすれば、その分だけ厳しくなった。

「ま、そんな感じで精神的に参ってる少年の逃げ場が小さな教会で、遊び相手が私だったわけ」



 アメリーは領地内の富豪の娘だ。政略結婚のために生まれた時から許嫁(いいなずけ)が決められていて、地位を上げようと躍起になっている父親から箱入り娘に育てられていた。奔放な性格の彼女は、それに耐えられず、唯一の逃げ場である教会によく隠れていた。

「そういうご関係でしたか」

 ルピナスは手をぽんと叩いた。

「不良同士よ。色々と悪いことをしてたわよね」

 彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。フランツは目を逸らす。

「それで、アメリーは今、どうしてるんですか。家庭に入ったんですか?」

「ええ。毎日つまらないわよ。とっても退屈」


 彼女の夫は王国総務省の上級役人だ。その関係で、結婚するまでは彼女も裏で仕事を手伝っていた。その間、頭の良さを買われて女王の私設組織に属していた時期があった。

「君には退屈でしょうね」

「夫が退屈な人だから仕方ないわ」


 フランツは、彼女の杯が空になったので、何か飲むかと尋ねた。

「じゃ、あれにしようかしら」

 彼女は挑発するような目でフランツを見上げた。嫌な予感がする。

「ここ、チェスボードがあったわよね」

「ええ、ありますよ」

 ルピナスはカウンター内の壁掛け戸棚から木箱を取り出した。

「シャルルと二人で、よく教会で遊んでたの。不良だから賭けをしてたのよ」

「ほほう。どんな賭けですか?」

 ルピナスは手際よく折りたたみ式のチェスボードを広げ、その上に駒を並べる。

「駒を取られたら一杯飲むの」

「それは危険ですね……未成年でやるなんて」

 どの口が言うのか。フランツは喉元まで出かかった言葉を、かろうじて飲み込んだ。

「あの地域は寒いから、子どもでも普通に飲んでいたわ」

「まあ」

「シャルル、私が勝ったら入管まで送って。あなたが勝ったら、どうしたい?」

「特に何も……」

「本当にいいの? 何でも言うことを聞いてあげるわよ」

「考えておきます」

 アメリーは唇を歪めるようにして笑うと、コインを取り出した。

「マスターが投げて。表ならシャルルから、裏なら私からよ」


 ルピナスは受け取ったコインを右手の親指の爪で弾いた。涼やかな音がして、銅貨が回転しつつ真上に跳ね上がる。落ちてきたそれを、彼女は危なげなくキャッチする。被せていた右手を離すと、左手の甲の上には、この街の英雄の横顔が現れた。

「裏ね。私が先手(ホワイト)

 エナメルでワインレッドにカラーリングされた爪先が、白い駒を掴んだ。

「どうぞ」

 フランツは木彫りの黒い駒を掴んだ。傷や剥げがある。そこそこ使われた形跡のある駒だ。

「マスターはチェスをする?」

「いえ。ですが、王国の方が好んでされるので、置いているんです」

「そう。こういうゲームは人の性格が良く出て面白いわよ」



 序盤の出方は互いに分かっている。ルピナスは二人が迷いなく早指しするのを興味深そうに見つめた。フランツが先にアメリーのポーンを取り、小さめのグラスにワインを注いで差し出した。

「手加減は不要よ」

「もちろん手加減しないので、少なくとも五、六杯は飲んでいただくことになります」

「たとえ(なま)っていても、あなたが愚者の手(フールズ・メイト)を指すはずないものね。でも勝率を覚えてる? 五分五分よ」

「ええ」

 彼女は軽く飲み干すと、次の一手を指した。フランツは間を置かずに再びポーンを取ると、再度彼女のグラスにワインを注いだ。

「今夜は攻めるわね」

「違うお酒が良ければ言ってください」

「私はこれでいいわ。あなたはウオッカにでもすれば? 水みたいなものでしょ」

 アメリーは人差し指でフランツの駒を軽く弾くと、そのマスに自分の駒を置いた。

「仕事中ですので、それはやめておきますね」

「いえ、今日は火曜日でお客様が少ないし、いいですよ。酔い潰れるフランツさんを見てみたい気もしますし」

 ルピナスは無慈悲にも、レギュラーサイズのグラスに申し訳程度の氷を放り込むと、ウオッカをなみなみと注いだ。

「もちろん天引きしておきますけど」

「……ありがとうございます」

 グラスを(あお)ると、焼けるような熱さが臓腑に落ちていく。

「ここからが本番ね」

 アメリーは、あの頃と同じように、舌先で唇を軽く舐めた。

今夜のBGMはふたたびヴィオラ・ソナタ。グリンカ/ヴィオラソナタニ短調 I.Allegro moderato

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