ABT4. ハロウィンの屋上の決闘 (6)
フランツはシャロンにベンチに座るように促し、水のボトルの蓋を軽く捻ってから差し出すと、自分も隣に座った。彼女は勢いよくミネラルウォーターを飲んだ。それから俯いた。
「好きだったの……ずっと」
「はい」
「叔父でも、他の誰かを好きだって分かってても、好きなの」
「……はい」
「こんな理由で故郷を取り戻したかったって聞いたら、軽蔑するよね」
「いえ」
フランツは即答した。
「どうして?」
「そんなものですよ。人が何かをする理由なんて。それに、街というのは人がいるから街なのであって、好きな人がいるから帰る場所になるんです」
「あなたにもそういう人がいる?」
フランツは星の見えない空を見上げた。シャロンも釣られたように顔を上げる。
「……いたこともあるかもしれませんね」
それからフランツは、隣で夜空を見上げる、涙で澄んだ翠の瞳を見つめた。たった一週間前に出会ったばかりで、話すのも二度目の人だ。が、薄々分かっていた。彼女の瞳に宿った光の強さと脆さは危うさを孕んでいる。その熱は、重く冷たい故郷の雪ですら容易に溶かしてしまいそうで怖かった。フランツは目を逸らした。
「まだあなたには時間があります。だから、よく考えて、本当にそれがいいと思った行き先を選んでください」
月並みなことを言って、フランツは立ち上がる。
「フランツさん、いいバーテンダーさんになりそうだね」
「そうですか? ありがとうございます」
「ねえ、こないだ約束したでしょ。今度手合わせするって」
彼女は立ち上がると、目を腫らしたまま不敵な笑みを浮かべた。
「え、ええ」
「その辺りの商店で買った模造品だけど、相手してくれる?」
彼女は腰に提げていた飾りの剣を抜いた。
「今? ここでですか? 何言ってるんです、危ないですよ」
屋上はさして広くないが、それはあまり問題ではない。幅は鉄道の車両くらいで、縦に長く奥行きがあるので、フェンシングの試合場よりはかなり広い。しかし、ここは屋上だ。柵はあるものの、低い上に決して頑丈とは言えなさそうだ。うっかり落ちたら大変なことになる。
「大丈夫、大丈夫」
「うーん……」
彼女はレイピアの模造刀を二本持っていた。どちらかを選べと言われ、フランツは刀身がやや短く軽そうなほうを取った。
「ほんとにそっちでいいの? ヒール、慣れないでしょ」
「そうですね。いや……そうでもないかもしれません」
素材はよく分からないが、実物よりもずっと軽いレイピアは手にぴったりと収まる。刀身はメッキのようだ。指で軽く弾いてみたが、強度はあまりなさそうだし、切ることは当然できない。が、本気で突けば怪我は免れないだろう。
「何だろう、メイドさんなのに、様になってるよ」
「あなたの方こそ」
二人は笑った。そして次の瞬間、二人の間の空気が張り詰める。懐かしい感覚だ。
「いつでもどうぞ」
「遠慮は要らないよ」
「それはこちらの台詞です」
静まり返った屋上で一歩を踏み出す。吐く息が白く流れる。寒い。ここには彼女と自分しかいない。
静かに礼をする。
「構え」
フランツの言葉に応えて剣を構えたシャロンの翠の瞳が、刃のように鋭く輝く。
「準備はいい?」
「ええ」
シャロンは唇を微かに歪めて笑った。
「フランツ、今ふと思ったんだけど、本名はフランソワなんじゃない? ちょっとアルビオン語に癖があるよね」
「そうですか?」
「ま、そんなことは今はどうでもいいか……始め!」




