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亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
第二章 晩秋の夕暮れ(現在)
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Xの行方

 晩秋の夕暮れは陽が落ちるのが速い。つい先ほどまで、街中のあらゆるものを赤く染めていた夕陽は、今はもう山の遥か彼方に沈み込み、まだ、夕方の五時だというのに、まるで全てを黒いベールで覆うかのような暗闇が支配する時間が訪れようとしていた。

 昼間は観光客で賑わうこの京都・衣笠界隈も、陽が落ちるとピタッと人通りが絶え、家路を急ぐ多岐川早奈のヒールの音だけがコツコツと響いている。

「もうすぐ美奈の一周忌だ」

 早奈は歩きながら、まるで時間が止まったかのような、この一年を振り返った。

 その後、捜査に目立った進展はなかった。

 警察は、美奈殺害事件の被疑者として鬼塚恭介という人物をいち早く特定した。ただ鬼塚恭介はこれまでに何度も傷害事件の重要参考人として全国に指名手配されているが、未だ、その姿を見た者はいないと言う。今回も、いったいどこをどう逃げ回っているのか、全く消息が掴めなかった。また、鬼塚恭介の背後関係も、動機もよくわからなかった。

 美奈は事件のあった日の昼前に家を出た後、三条河原町のホテルの駐車場に車を停めたことが、防犯カメラの映像からわかった。時間は午前十一時五十分である。また、その日の午後五時に自宅の庭の掃除をしているところを近所の住人に見られている。しかし、肝心の、美奈が「今から会う」と言っていた人物は、探し出せていない。

 警察は怨恨または痴情のもつれが動機の事件として捜査を続けた。しかし、美奈を殺害する動機を持った者は、誰一人として浮かんでこなかった。

 捜査は手詰まりとなり、今は、誰かが鬼塚恭介を見つけてくれるのを待つだけの状態となっている。

 早奈は事件の後、しばらくホテル住まいをしていたが、一ヶ月ほどで美奈と一緒に住んでいた衣笠の家に戻った。

 勤めていた会社は辞めた。理由は、あろうことか美奈殺害の容疑を掛けられたのだ。刑事が会社にもやって来て、上司や同僚にあることないことを聞いて回った。美奈、早奈、隼人の三角関係というか、いわゆる痴情のもつれというやつである。早奈と隼人の「美奈の殺害は、亡霊の仕業のように思う」というふざけた供述が、刑事の心証を悪くしたのかも知れない。早奈自身も連日のように厳しい取り調べを受けた。

 隼人も勤めていた会社を辞め、今は町家を改装したカフェなどやっている。と言っても美奈の事件のことを調べるのが忙しく、店は他人に任せることが多いのだが……。


 家に入ると、カレーの芳ばしい香りが漂ってきた。

「今日はカレーだ」

 キッチンから隼人の声が聞こえた。

 あれから隼人は、用事もないのに早奈の家によくやって来る。鍵を渡すと、時々、勝手に上がり込んで、こうして夕食を作ってくれたりもする。今日もチキンカレーに挑戦しているようだ。

「へええ、インド料理じゃない」

 隼人は何種類ものスパイスで独自のルーを作っていた。横には車海老の焼き物と白身魚のビリヤーニ、それにチャパティもある。店で昼頃から仕込みをしていたらしい。上手に出来れば、店のメニューに加えるつもりのようだ。

「この包丁、抜群の切れ味だな」

 新しく買い求めた包丁を並べている。早奈もつき合わされて、さんざん迷いながら買った名品だ。隼人は格好つけて、早奈の家に来ても自分の包丁しか使わない。

「もうすぐ出来るから、テーブルの用意をして……」

 隼人の言葉に早奈も身体を動かすことになった。

 テーブルをセットして、ワインとグラスを用意した。

 出来上がった料理を並べ、ワインを開けて、軽くグラスを合わせた。

 隼人が作ったのは南インドの料理だった。香辛料をうまく組み合わせて日本人向きに辛さを抑え、米もタイ米で微妙な食感を出している。スパイスの効いたその料理は、素人の作ったものとは思えないほど、味も見栄えもよく出来ていた。


「今日、大学で不思議なことがあったんだ」

 食事もそろそろ終わろうかという頃、早奈が、今朝、大学で目にしたことを話し始めた。

「どうした?」

「朝、大学に行ったら、伊崎先生の部屋の窓ガラスが割れていてね。昨夜、どうも誰かがそこから部屋に忍び込んだみたいなのよ」

 伊崎先生というのは早奈の亡き父親の後輩で、洛西大学エネルギー科学研究センターの教授を務めている伊崎睦夫のことである。

 早奈は、少し前からその伊崎睦夫の秘書の仕事をやっている。勤めていた食品メーカーを辞め、ぶらぶらしていた早奈を見かねたのか、伊崎睦夫が仕事を世話してくれたのだ。

 秘書といっても伊崎睦夫はタイ自然科学大学の特任教授も兼任しており、一年のうちの半分はタイに行っているので、早奈は、伊崎睦夫が日本にいる時だけの非常勤秘書である。

「伊崎先生の部屋って、確か、研究棟の二階だったよな」

 隼人が食いついてきた。

「二階だけど外の非常階段を使うと、ベランダを通って、誰でも窓の前までは行けるよ」

「何か盗まれたのか?」

「伊崎先生は、特に何も盗まれたものはないから被害届も出さなくて良いって……」

「パソコンの中はどうなんだ? 何か見られてはいないか?」

「伊崎先生が確認したんだけど、それもないって……」

「気のせいか」

 結局、よくわからないまま、この話はこれまでとなった。


「早奈。Xのことだけど……」

 今度は隼人がXについて触れてきた。Xというのは、美奈が亡くなる前に会った人物のことで、二人の間ではこう呼んでいる。

「Xがどうしたの?」

「俺たち、美奈が誰と会ったのか、徹底的に調べたよな」

「調べたよ。美奈が来たという店も家もわからなかったけど……」

「俺、思うんだけど……、美奈が会った人物も会った場所も、もうあの界隈から消えてしまってるんじゃないかって、そう思えて仕方がないんだ」

「消えてる? Xも消されたって意味?」

「それはどうだろ? でも店ごとなくなっていたら、見つからないのも当然だと思わないか?」

 隼人の言うことは合理的だった。

 警察がどういう調べ方をしたのかはわからないが、早奈と隼人は美奈の写真を持って、徹底的に三条河原町周辺の店や家を一軒一軒、丁寧に聞き込んだ。

 三条大橋のふもとに立って、道行く人に美奈の顔写真のついたチラシを配り、目撃者を探した。京都随一の人通りの多い繁華街である。ほぼ一年かかったが、美奈の足取りは掴めなかった。

 三条河原町のホテルは車を駐車しただけで、遠く離れた別の場所で会ったのか、あるいは美奈が訪ねた店がもうなくなっているのか、そのどちらかでしかない。

 美奈の行動パターンから言って、考えられるのは後者だが、この一年、聞き込みに必死でその発想はなかった。

「一応、Xが殺されている可能性も考えて、何かそれらしい事件が起こっていないか、それも調べてみようと思うんだ。早奈も手伝ってくれるよな」

 早奈にそれを断る理由は何もない。また、しばらくは忙しくなりそうだ。


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