表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
最終章 対決
57/60

事件の裏側(一)

 年が明けて、病室での武智楓太の取り調べが始まった。

 武智楓太は観念したのか、思いのほか素直に、自らが犯した犯行を淡々と自供した。太田虎彦も逮捕され、まるで開放されたかのように過去の犯行も全て供述した。

 日本全国の警察本部は、彼らの供述をもとに、全ての犯行を再捜査することとなった。


 以下は、武智楓太らの供述内容の概要である。

 三十八年前、京都府北部の旭村である事件が起こった。これが全ての発端である。

 柳史郎の父・柳総太郎が、息子の柳史郎を殺したのである。

 DV癖のある柳総太郎は、その日も酒に酔って、妻の明子に暴力を加えていた。日常茶飯事のことであったが、その日の暴力は特に激しく、明子は口から血を流し、顔は赤黒く腫れあがっていた。学校から帰った柳史郎がそれを見て慌てて止めに入ったが、柳総太郎に捕まって殴り飛ばされ、柱に頭をぶつけてしまった。

 明子が急いで史郎に駆け寄ったが、史郎は動かない。後ろを振り向くと、柳総太郎が狂ったような顔で、今度は自分に向かって来る。殺されると思った明子は、なんとか部屋から抜け出して、住み込みで働いている武智楓太の両親のもとに逃げ込んだ。

 明子を追いかけて、武智一家の暮らす部屋に入ってくる柳総太郎。それを止めようとする武智楓太の父親。とうとうこの二人の間で取っ組み合いの喧嘩が始まった。

 しばらくもみ合った末、武智楓太も加勢し、なんとか柳総太郎を取り押さえたが、ほっとしたのも束の間だった。その時、取っ組み合いの喧嘩を黙って見ていた柳明子が、おとなしくなった総太郎の後頭部を大きなガラス鉢で思い切り殴りつけたのである。総太郎は頭から血を流し、床に倒れ、動かなくなった。

 柳総太郎は息をしていない。武智楓太が柳史郎を見に行くと、史郎も死んでいた。

 柳明子は血の付いたガラス鉢を持ったまま、床に座り込み、放心状態となっている。

 ここで、武智楓太の両親と武智楓太の相談が始まった。途中から気を取り直した柳明子も加わった。

 柳明子は総太郎の長年の暴力に苦しめられており、このまま警察に通報するのも忍びない。何より、自殺の恐れがある。最後は武智楓太の提案で、殺人を事故に偽装することになった。

 今後は、武智楓太が柳史郎に成りすまし、武智楓太は家出をしたことにする。柳総太郎は事故で勝手に死んだ。これで話はまとまった。

 武智楓太の両親は、柳家に借りていた借金を帳消しにしてもらうことになった。武智楓太には柳総太郎の遺産の半分が手に入る。武智楓太であれば、家出をしても誰からも怪しまれない。武智楓太の両親も彼を持て余していたし、武智楓太も旭村で一生を終える気などなかった。

 彼らは、柳総太郎の遺体を柳家の階段の下に運び、酔っぱらって転落したように偽装した。柳史郎の遺体は、柳家の土地に丁重に埋葬した。柳明子のアリバイを武智楓太の両親が証言し、柳史郎は親戚の家に泊まりに行っていることにした。

 柳明子と武智楓太は、旭村にはもう住むことは出来ない。もともと旭村の生活に馴染んでいなかった明子は、知人を頼って渡米することにした。太田虎彦には全てを話し、武智楓太も柳史郎として渡米した。

 柳総太郎の告別式は、柳明子の渡米前にひっそりと身内だけで行なわれた。


 それから八年の歳月が過ぎ、柳史郎は単身帰国した。柳明子が旧姓の和賀寺明子に名字を戻したのを機に、自分も和賀寺姓を名乗り、名前も永昌に変えた。洛西大学の大学院に進学し、勉学に励むという名目の帰国であったが、本心を言えば、武智楓太としての本性が隠せなくなってきたのだ。彼は武智楓太という戸籍を使って、裏の世界でも生きてやろうと思っていた。

 太田虎彦を誘い出し、夜な夜な街を徘徊して、恐喝、暴行、窃盗を繰り返した。太田虎彦を使って、OT興業という名前の会社を立ち上げ、本格的な詐欺行為にも乗り出した。武智楓太には、柳総太郎の残した遺産があった。OT興業を使った不動産の不正取得とその転売で、武智楓太の資産は何倍にも増えた。柳明子に頼まれて、ついでに彼女の資産も増やしてやった。

 武智楓太の場合、犯行の目的は金ではない。裏の世界で武智楓太になることだ。武智楓太に戻って本能のまま生きる。その瞬間だけ、生きている実感がしたと彼は供述している。

 武智楓太は、ある時、小矢部輸入食品株式会社の石松三郎という男と飲み屋で出会った。

 親子ほど歳の離れた若造が社長の椅子に座り、自分には社長の目がなくなったと連れの男に大きな声で話していた。小矢部輸入食品と言えば、太田虎彦の親父が勤めている会社だ。武智楓太にある考えがひらめいた。小矢部輸入食品株式会社の乗っ取りである。

 武智楓太が描いたストーリーは隼人の考えた通りだ。

 まず、石松三郎が社長の小矢部健司に無断で銀行から金を借り、計画以上の新店舗建設用の土地を購入する。売るのはOT興業だ。OT興業は安値で買った土地を法外な金額で小矢部輸入食品に売却する。

 小矢部千恵子と清美への恐喝と、株の買取りもOT興業が引き受ける。株を買取るための資金は、小矢部輸入食品への土地売却で得た利益とOT興業の内部留保で賄う。

 その株を石松三郎に安く売る代わりに、新たに石松フーズとOT興業の間で業務請負契約を結び、業務実体以上の入金をOT興業が受けて、それで株購入資金の回収を図る。

 業務請負会社としての体裁は、太田虎之助をOT興業に移して対応させる。太田虎之助を社長にしてもかまわない。

 これで石松三郎との合意が成立した。回収期間は十年である。

 OT興業は、これでまた莫大な利益を得た。


 今から二十一年前、武智楓太と太田虎彦は、困った事態に直面した。洛西大学の多岐川正一郎という人物が、柳史郎を埋葬した土地で新種の菌を見つけたと言うのだ。

 当時、その土地の名義は太田虎彦としていた。武智楓太が演じる柳史郎は、旭村に顔を出すことが出来ない。武智楓太はその土地でもめ事が生じても顔を出したくない、というのがその理由である。

 そのため武智楓太が多岐川正一郎と顔を合わすことはなかったが、多岐川正一郎は太田虎彦のもとに足繁く通い、土地を買い取りたいと申し出たらしい。

 あの土地で新種の菌など見つけられては困ったことになる。ましてや売り渡すなど、とんでもない話だった。太田虎彦は灯油を撒いて、菌を焼いてしまった。多岐川正一郎が大学に菌の一部を持ち帰っていることを知った武智楓太は、公開実験の前にその菌を別のものにすり替えた。

 太田虎彦が菌を焼却したことを知った多岐川正一郎は、太田虎彦に詰め寄り、その理由を問い質したが、しかし、そこは、所詮は他人の土地である。やがて、あきらめて帰って行ったと太田虎彦は供述している。


 二十年前、武智楓太はある男と出会った。バークリック・ファジョングである。彼は日本で小さなバーの店長をやっていた。カウンター五席だけの小さな場末の店で、店長といっても従業員はいない。客筋も悪いがお構いなしに武智楓太はその店に出入りしていた。

 ある日、店に行くと客は誰もおらず、奥でバークリックが青ざめた顔で、呆然と立ち尽くしていた。すぐ横には男の死体が横たわっている。店で男と喧嘩になり、思わず持っていたナイフで刺し殺してしまったと言うのだ。殺された男は、武智楓太も時々店で見かける男だった。

 バークリックに聞くと、その男の名前は鬼塚恭介と言い、闇金の取り立て屋のような仕事をしている男とのことだった。武智楓太はバークリックにすぐに店を閉めさせ、表の照明も消させた。そして「見逃してやる代わりに俺の仕事を手伝え」と持ちかけた。バークリックには他に選択肢はなかった。

 武智楓太は、殺害の痕跡を全て消してやり、鬼塚恭介の遺体は奥多摩の山中に放り投げた。鬼塚恭介の住んでいたアパートを洗い出し、家財道具を全て処分し、そして鬼塚恭介の住所を転々と移し替えた。

 一か月が過ぎたが、バークリックの犯した殺人は、表沙汰にはならなかった。鬼塚恭介の捜索願いも出されなかった。それを見て武智楓太は、バークリックに鬼塚恭介の名前で運転免許証を取らせた。パスポートも取得させた。どちらも簡単に手に入った。

 バークリック・ファジョングの別人・鬼塚恭介の誕生である。

 武智楓太は、バークリック・ファジョングを鬼塚恭介に仕立てたことから、あるヒントを得た。自分には捜査の手が及ばない二重IDを用いた犯行である。すでに自分には二つの戸籍がある。あとは太田虎彦だ。

 武智楓太はしばらくして、ある筋からある人物の戸籍を入手した。

 名前を宇城完太郎と言う。武智楓太はこの男の素性は知らない。ある組織に人知れず葬られた人物らしく、身寄りもなく、いなくなっても誰も探すことはないと聞かされた。運転免許証もパスポートも持っていなかった。武智楓太がそういう条件で戸籍の買取りを依頼したのだ。

 武智楓太は、太田虎彦に宇城完太郎の名前で運転免許証を取得させ、パスポートも手に入れさせた。太田虎彦の別人・宇城完太郎の出来上がりである。

 それから悪事を働く時は、和賀寺永昌は武智楓太となり、太田虎彦は宇城完太郎となり、バークリック・ファジョングは鬼塚恭介となって、これまで以上の恐喝や暴行を繰り返した。次第に武智楓太は犯行の計画を担い、鬼塚恭介がその実行を担うようになった。太田虎彦の役割は、OT興業を使った金儲けである。

 鬼塚恭介は、武智楓太とはバークリック・ファジョングとして連絡を取り合い、犯行は、鬼塚恭介がその都度集めた半ぐれを使って実行する。時には、鬼塚恭介の代わりに宇城完太郎が実行リーダーをやることもある。和賀寺永昌、武智楓太、太田虎彦、バークリック・ファジョングは、半ぐれの前から姿を消した。そして、いつしか鬼塚恭介率いる半ぐれ集団はコブラと呼ばれるようになり、廃村や僻村の再開発に手を染め始めたOT興業の裏の仕事を一手に引き受けた。

 コブラはメンバーを固定しない。鬼塚恭介が悪事を働く時に、その都度、見知った者の中から必要な数の人間を集める。鬼塚恭介自身も彼らの前ではオニと称し、それ以上の情報は与えなかった。

 今から十八年前、太田虎彦が武智楓太を訪れ、OT興業の廃村開発の仕事をタイにも拡げたいと言ってきた。バークリック・ファジョングを仲間に引き入れて、タイに土地勘が出来たことが、その理由の一つである。

 武智楓太は、タイにOT興業の現地法人を設立することを了解した。またバークリック・ファジョングをタイに帰国させ、タイコブラを作ってそのリーダーをやらせることにした。日本のコブラは、武智楓太がまた指揮を取れば良い。その時、武智楓太に一つの悪知恵が働いた。

 バークリック・ファジョングに鬼塚恭介として傷害事件を起こさせたのだ。彼は逮捕され、日本の警察に鬼塚恭介として指紋を取られた。

 武智楓太はそれ以降、コブラを率いて大きな犯罪を行う時、鬼塚恭介の指紋の付いた遺留品を残すか、鬼塚恭介をタイから呼び寄せて彼の指紋を犯行現場に付けるかして、その犯行を鬼塚恭介の仕業に見せ掛けた。

 鬼塚恭介は日本には居住しない幻の人物である。武智楓太の犯行が警察に見破られることはなかった。

 十一年前、多岐川正一郎が小矢部健司を連れて、再び、旭村にやって来た。彼は二十一年前に旭村で見つけた菌と同種のものをタイの村でも見つけ、その菌が育つ環境を明らかにするために、二つの村の共通点を調べようとしたのである。

 武智楓太と太田虎彦にとってはとんでもないことである。多岐川正一郎は太田虎彦に無断で庭を掘り返し、土を採取した。このままでは柳史郎の遺体が見つかるのは時間の問題だ。そう思った武智楓太は多岐川正一郎と小矢部健司を交通事故に見せかけて殺害することにした。

 方法は武智楓太が早奈と隼人に語った通りである。

 和賀寺永昌として多岐川正一郎に近づいた武智楓太は、多岐川正一郎が九月十八日に小矢部健司に連れられて小矢部家を訪問することを聞き出した。

 チェンマイ近郊で、事故に見せかけて殺害するのにうってつけの小高い丘も見つけた。

 武智楓太は、バークリック・ファジョングを鬼塚恭介としてOT興業のタイ現地法人で雇い、大型のトレーラーを買い与えた。

 この犯罪で顔を出すのは鬼塚恭介だけだが、彼には動機がない。太田虎彦は雇い主として事情聴取を一応受けるが、彼にも動機がなく、また完全なアリバイを用意した。武智楓太はいっさい姿が見えない。結局、タイ警察は交通事故として処理してしまった。

 なお、この事件の直後に伊崎睦夫がT737の評価を行っているが、それは彼が勝手にやったことである。伊崎睦夫は多岐川正一郎の業績を自分のものにしようと何度も研究室から菌を盗み出し、培養を試みたが全て失敗し、約二週間で多岐川正一郎の研究室にあった菌は全て死滅した。

 サボー村にいたチャイは、多岐川正一郎の訃報を聞き、スーに連れられてチェンマイの病院に駆けつけた。多岐川正一郎の遺体に対面し、いつか自分がT737を再び創り出し、多岐川正一郎の業績として世に出すことを子供心に誓ったと言う。

 多岐川正一郎が初めてサボー村を訪問した時、村を案内したのはスーである。多岐川正一郎のサボー村での研究を手伝ったのもスーであり、チャイのために多岐川ノートを貸してやってくれと美奈に頼んだのもスーである。

 スーはその後、サボー村を離れ、チェンマイで飲食店を開き、さらに日本に渡って、京都でムアン・サボーを開店した。

 スーは、チャイのために翻訳会社に頼んで多岐川ノートをタイ語に直してやっている。チャイがそれを受け取ったのは、チェンマイの大学に進学してからで、以降、休みの度にサボー村に帰り、T737のもとになる二種類の菌の採取から始め、約二年かけてT737の復活に成功したと言う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ