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亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
第九章 隼人の見落とし
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逆転の一手

「さて、これから、どうするか……。日本に帰るか……」

 飛馬がさばさばとした表情で言った。

 鉄平とニーナは黙って下を向いている。

 失望感とやるせなさが部屋全体に蔓延している。全員が、もう駄目だとあきらめかけた時、隼人が落ち着いた声でゆっくりと言った。

「ちょっと待てよ。まだ、あきらめるのは早いぞ」

 隼人はまだ最後の一手を残していた。形勢を一気にひっくり返す逆転の一手である。

 鉄平と飛馬が意外な顔をして隼人を見た。ニーナも顔を上げる。

「多岐川正一郎さんは亡くなる前、T737の特許を出そうとして、京都の特許事務所に相談をかけていた。早奈が早急にこの手続きを再開する」

 みんなはキョトンとしている。隼人の言っていることがわからないのだ。

「特許……?」

 特許制度とは、新規性と進歩性に優れた発明を公開する代わりに、独占的実施権を国家から保証される制度だ。この制度には、特許を受ける権利というものが法で定められている。これは、発明に対して特許を請求する権利であり、特許の出願もその中に含まれる。

 この特許を受ける権利は、発明者にのみ与えられるが、これは特許出願前であっても財産権として認められており、もし発明者が死亡した場合には、その権利を第三者に譲渡していない限り、法で定めた承継人に権利が移る。

 T737の場合、発明者は多岐川正一郎であり、多岐川正一郎に自動的に特許を受ける権利が生じる。しかし、彼が死亡した時点で、その権利は彼の相続人である美奈と早奈に移り、今現在は、早奈がその権利を保有しているのである。

 ここで問題になるのは、T737の発明者が、確かに多岐川正一郎であるということの証明である。そのためには、多岐川正一郎の自筆による研究ノートの原本と、保存日時が記録された実験データが必要だ。それらは今、早奈の手にある。

 隼人は考えたのだ。なぜ、チャイが多岐川ノートを持って、わざわざ美奈と早奈に会いに来たのかを……。

 彼はT737を復活させ、多岐川ノートに記載された培養方法の正しさを証明した。そこで、美奈と早奈を出願人として特許を出そうとしたのではないか? チャイはそのことを美奈に説明し、多岐川ノートの原本と、実験データの入ったハードディスクを大切に保管するように、アドバイスしたのではないか? 多岐川正一郎のパソコンは部品が古くなっていて、いつ壊れてもおかしくない。そこで美奈はハードディスクを取り外し、多岐川ノートとともに銀行の貸金庫にでも預けようとしたのではないか? 

 隼人はそのことに気がついたのだ。

 隼人がタイ警察のナットに頼んだのは、一つは、チャイにそのことを確認することだ。

 答えは隼人の考えた通りだった。

 もう一つは、早奈は特許を受ける権利を無償でチャイに譲るので、急いで特許をチャイの名前で出願してもらえないか、というものだった。早奈には特許出願に必要な明細書を書けない。弁理士に頼むにしろ、技術的な内容が説明出来ないのだ。

 すると、チャイは嬉しい返事を返してきた。

 多岐川正一郎は亡くなる前、特許を出そうとして、京都の特許事務所に相談を持ちかけていたと言うのだ。さらに都合の良いことに、T737に関する特許出願資料は、今もその特許事務所に保管されていると言う。早奈が戸籍謄本を持ってその事務所に行けば、すぐにでも特許が出願出来る状態になっているのだ。

 T737の現物は燃やされてしまったが、培養方法の正しさはチャイが証明してくれている。出願国は日本だけだが、とりあえずはそれで良い。隼人は早奈を連れて、明日にでも日本に帰り、急いで出願手続きを再開しようと思っていた。

「特許の効果は、成立すれば出願日に遡る。俺たちが特許を出すと、あいつらはT737をどこにも売れない。仮に買う奴がいるとしても、そいつはT737を使えない。宝の持ち腐れだ。特許を出願したことがわかれば、あいつらは必ず、また俺たちの前に姿を現すぞ」

「そういう戦い方がまだ残されているのか? 隼人さん、面白い。すぐにやろう」

 先ほどまで意気消沈していた鉄平が、弾んだ声で言った。

 急がなければならない。太田虎彦とタケチが、自分たちの発明として先に特許を出願すれば、その時点で隼人たちの完敗だ。特許を出されても、それが彼らの発明ではないと、誰も証明出来ない。


 隼人には一つの不安があった。その不安の原因はわかっている。タケチだ。

 タケチは、まだ一度も隼人の前に姿を現していない。鉄平の盗聴器の中にだけ存在する奇怪な人物だ。

 しかし、隼人はいつも彼に見られているような気がする。今もどこかから、タケチが隼人たちを見ているのではないか? 話を聞いているのではないか? そんな不安が隼人から消えない。

 ふとムアン・サボーの元従業員・矢沢宏之の言葉が頭をよぎった。

「あの火事の前の日ね。昼頃だったかな、この女性が来たよ。あの日は客が少なくてね。他には後から店に入ってきた二人連れの若い女性客が一組いただけだったから、この写真の女性のことは、はっきりと覚えているよ。綺麗な人だったな」

 この時に後から店に入って来た若い女は、間違いなくタケチの仲間だ。一人は恐らくジュリアだろう。もう一人は……? そいつは誰で、いったいどこに隠れているのだ? 

 隼人の中の不安は、次第に怪しげな黒い雲となり、それに全身が取り囲まれるような嫌な感覚が襲ってきた。

 タケチは、どのようにして偽装サボー村訪問計画を完全に見破ったのか?

 タケチは、どのようにしてT737がサボー村にあると知ったのか? 

 誰も情報など流してはいない。ここにいる連中が情報を流すはずがない。

「盗聴器だ」

 隼人の大きな声が部屋中に鳴り響いた。

 この部屋にも盗聴器が仕掛けられているのでは……?

 そう言えば、先ほどから早奈の姿が見えない。

「ニーナ、早奈はどこに行った?」

 隼人の言葉に驚き、ニーナもすかさず答えた。

「トイレに行かれましたが……」

「ニーナ、一緒に来てくれ。早奈が危ない」

 隼人は自分たちが盗聴されていることに、やっと気がついた。

 特許の話もタケチに筒抜けだったのだ。


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