マナカンホテル(一)
早奈と隼人はマナカンホテルにいた。
バンコク市街から、車で三十分ほど東に行ったところにあるリゾートホテルである。
二人の部屋は本館六階の六一七号室。窓の外にはベランダがあり、そこからは太田虎彦が宿泊しているデラックスコテージ十八号室がよく見える。
隼人は下からはわからないように、超小型の望遠カメラを取り付けた。
高感度のCCDセンサーがついており、そのままテレビのディスプレーに繋げば、夜でもコテージに出入りする人物の顔まではっきりと見える。もちろん、録画も出来るし、ホテル館内の無線LANを使えば、インターネット経由でスマホやタブレット端末でも監視が出来る。鉄平が気を利かせて、持たせてくれたものだ。
鉄平と飛馬はタイに着いた時、この部屋から太田虎彦の動きを見張るか、アパートに入った黒シャツの男を見張るか、火焔木の家の動きを見張るかで悩み、最終的に飛馬の判断で火焔木の家を見張ることにした。
あの時、遠隔監視用の望遠カメラがあれば、全てを見ることが出来たのだ。結果的に火焔木の家を見張って事なきを得たが、その時の反省もあり、監視グッズを充実させることにしたのだ。
太田虎彦の部屋には、灯りが点いている。
「ねえ、太田虎彦が出掛けるよ」
監視カメラを見ていた早奈が隼人に言った。
「後をつけよう」
早奈と隼人も部屋を飛び出した。
一階までエレベーターで降りてきたが、どこにも太田虎彦の姿は見えない。館内は広い。一度見失うと、探すのはほぼ不可能だ。
「彼が部屋を出てから、すぐに私たちが一階に降りても、間に合わないんだね」
早奈の言う通りだ。だからと言って、隼人がロビーで見張るから、早奈は部屋に帰れと言っても早奈は嫌がって帰らない。
それはさておき、今は太田虎彦の行き先だ。ホテルのドアマンに聞いても、それらしい人物は見ていないという。
「そうだ。確か、最上階にバーがあったな。そこだ、多分」
早奈と隼人は十二階の最上階のラウンジに行き、通路から中を覗いたが、太田虎彦はいない。諦めて帰ろうとした時、早奈が代わりにある人物を見つけた。
「ねえ、あの隅っこに座っている人、見たことあるよ」
早奈は石松フーズの常務取締役・石松大吾だと言う。早奈が勤めていた会社の役員で、創業者の石松三郎の次男だ。石松フーズは、落合真由美が就職すると言っていた会社でもある。
石松大吾の向かいには、若い女性が座っている。顔は見えない。
「私たちも入る? 顔を見られたらまずいかな……?」
ラウンジの入り口で中を覗き込んでいる方が、かえって怪しまれる。隼人がウェイターに、あの隅に座っている客とは顔を合わせたくないので、離れた席を用意してくれと頼むと、「オーケー」と言って、反対側の隅の席に案内してくれた。
隼人はスコッチの水割り、早奈はカクテルをオーダーして、しばらく様子を見た。
石松大吾は同席の若い女性と、楽しそうに話している。
「あいつは何をしにタイに来たんだろう?」
隼人は鉄平の話を思い返した。
太田虎彦が専務取締役を務めるOT興業は、石松フーズから分かれて出来た会社だ。今も石松フーズの請負業務を行っている。当然、石松大吾と太田虎彦は顔なじみのはずである。また石松大吾は落合真由美とも繋がっている。
「早奈。あいつも太田虎彦たちの仲間じゃないか?」
「仲間というより、大ボスかもね」
「大ボスか……。タケチといい、石松大吾といい、どうも奴らの人間関係が良くわからん」
その時、石松大吾の向かいに座る女性が髪の毛をかき分け、チラッと早奈と隼人に顔を見せた。
「早苗。あれは……」
見たことのある顔である。
「そう。ジュリアだね」
ジュリア・ルイビル。タイ自然科学大学微生物研究所の職員で、伊崎睦夫の通訳を担当している女性である。
「どうして、彼女が石松大吾といっしょにいるんだろう?」
「わからん」
それから三十分くらい話していただろうか、石松大吾とジュリアが席を立った。
「出て行くぞ」
早奈と隼人も席を立ち、エレベーターでロビーまで降りると、腕を組んで歩く二人の姿が見えた。隼人たちが後をつけると、二人はコテージに入って行く。最上級のロイヤルスイートコテージだ。どうやら朝まで一緒に過ごすようである。
「太田虎彦の部屋はどうだ?」
「戻ってないよ」
「太田は街にでも繰り出して、憂さ晴らしか……」
これ以上、ロビーにいても仕方がないので、二人は六階の部屋に戻ることにした。