明かりの灯る家(二)
刑事から解放されると、早奈は庭に出てガーデンチェアに腰を掛けた。時計を見ると午前四時を少し回っている。十二月の夜明けは遅く、外はまだ真っ暗だ。鑑識作業が終わったのか、鑑識官たちが荷物をまとめて引き上げて行く。部屋の照明は一部を残して消されていた。
「何かがおかしい」
早奈は、ずっと奇妙な違和感にとらわれていた。
「何だろう?」
昨夜の午後十一時五十分、窓ガラスの異常を知らせる警報が京都警備保障に入った。その五分後にスタッフがこの家に駆け付けている。そのスタッフは、確かに一階の窓ガラスが割れ、その窓が開いていることを確認し、この時点で事件性が高いと判断して警察に通報している。
美奈の遺体を発見したのは、通報を受けてやって来た近くの駐在所の警察官だ。家の中に入り、二階の部屋で倒れている美奈を発見した。十二月八日の午前零時五分のことである。その時、美奈はすでに息が途絶えていたようだ。警察官はすぐに所轄の衣笠署に連絡を入れている。
衣笠署から刑事と鑑識官がやって来たのは、午前零時十五分。家中の照明を点け、鑑識がいっせいに作業に入った。
なお、美奈の死亡推定時刻は発見される十五分ほど前、すなわち京都警備保障に警報が入った午後十一時五十分頃である。
浅井和宏から聞いたこれらの話に矛盾はない。
しかし……、何かがおかしい。
早奈が浅井和宏に頼まれて家の中を見て回ったのは、午前一時三十分から午前二時の間。そう、その時に何かを見たのかも知れない。そこにあるはずのものがないと言うか……、あってはいけないものが紛れ込んでいると言うか……。しかし、周囲の風景に惑わされて、それがなんだかわからない。そんなじれったい感覚……。私は、いったい何を見たのだろう?
早奈は頭を振って考えた。
ちょっと待てよ。犯人は、本当にリビングの窓から侵入したのか?
犯人は、本当に何も盗み出していないのか?
いくら考えても疑問が湧き出るだけで、いっこうに答えは出て来ない。早奈はただ夜空をぼうっと眺めるしかなかった。
「美奈は、どうして殺されたんだろう?」
ふと、美奈の顔が頭に浮かんできた。懐かしい子供の頃の顔だ。
あの頃は、楽しかった。茜ばあさんがいて、美奈がいて、しょっちゅう隼人が遊びに来て、いつも賑やかだった。
早奈は、両親というものをほとんど知らない。両親が亡くなったのは十年前の九月だが、早奈が五歳の時に父親は勤め先の洛西大学を辞めて、世界中を一人で転々とし始めた。母親も、早奈たちと一緒にいるより父の後を追い掛けることの方が多く、早奈と美奈の世話は、母方の祖母の茜ばあさんに任せきりだった。
早奈が小学校に入ると、近所に住む隼人がこの家によく遊びに来るようになった。彼もまた、母親が作り置いた夕食を一人で食べ、一人で風呂に入り、母親が帰ってくる明け方まで一人で夜を過ごすという生活を送っていた。
そんな隼人を放っておけなかったのか、同級生の美奈が隼人に家に来るように声を掛け、いつの間にか、茜ばあさんが隼人の面倒も見るようになったのだ。
隼人は美奈とは仲が良く、大人になった今でも、美奈にはその時の恩義のようなものを持ち続けてくれている。早奈もそんな隼人が好きだった。隼人は姉妹にとって気心の知れた仲間であり、茜ばあさんに人生に立ち向かう勇気を持つことを教えられた戦友でもあった。
その茜ばあさんはもういない。三年前に病気であの世に旅立った。
両親は十年前の九月、早奈が十五歳の時に異国の地で亡くなった。
この家で美奈と二人だけの生活を続けてきたが、その美奈も殺されてしまった。とうとう身内と呼べる者は、誰もいなくなってしまった。
早奈はふと周りを見渡した。隼人の姿はどこにも見えない。
「どこに行ったのだろう?」
星がにじんで見えた。
「昨夜、もう少し早く家に帰っていれば……」
そう思うと悔しい気持ちでいっぱいになる。
「それより、遊びになんか行かなきゃ良かった」
冷たい北風が、早奈の心も身体も凍らせる。早奈は家の中に入り、リビングのソファに腰を掛け、毛布を被ってそっと目を閉じた。
少し寝たかもしれない。しばらくすると、部屋の外で誰かが呼ぶ声が聞こえた。
「早奈。大丈夫か?」
割れた窓の隙間から顔を出したのは、桐島隼人だった。彼も早奈とは別に警察の聴取を受けていたようだ。アリバイも無く、現段階では最重要参考人だと本人はおどけて言う。
「早奈。腹が減ったぞ。飯でも行かないか?」
隼人は手を振って表に出て来いという仕草をしている。
いつの間にか、すっかりと夜が明けていた。