火焔木の家
多岐川早奈と桐島隼人がバンコクに向けて飛び立とうとしていた十二月十四日の朝、東京では、いつものように小矢部鉄平と山森飛馬が、盗聴器から流れる音声を聞いていた。太田虎彦がタケチと電話で話しているのだ。
『ハヤトとサナが、いよいよ、タイに飛び立つのか』
『わかった、タケチ。俺も今日の午前中の便でタイに行くことにする』
『俺はむこうで待機だな。了解だ』
「おい鉄平。太田虎彦がタイに飛び立つぞ」
飛馬の言葉につられて鉄平も言う。
「今日の便でハヤトとサナがタイに行くみたいだ。俺たちも行こう」
鉄平と飛馬は、太田虎彦とタケチに殺された『ムスメ』というのは、京都の絞殺事件の被害者『多岐川美奈』だということを夏ごろにやっと知った。
彼らの会話によく登場する『ハヤト』と『サナ』が多岐川美奈の幼なじみと妹で、二人で事件の真相を調べていることも最近になってやっと知ったのだ。
太田虎彦とタケチは、まだ、タイに帰ったチャイの居所も菌の在りかも見つけていない。チャイの居所を探すにも、彼らでは警戒されて情報が取れないのだ。そこで、ハヤトとサナにチャイを探させて、菌を横取りしようと企んでいるようだ。
「鉄平、俺はいつでも出発出来るように準備万端だ。空港は成田か羽田か」
「羽田のようだな。今日の午前中の便だ。後をつけて同じ便に乗るぞ」
太田虎彦はタケチとの簡単な会話の後、秘書に航空券と宿の手配を頼んでいる。鉄平たちはそれを聞き出して、自分たちも同じ便とホテルを予約した。そして、急いで麹町のOT興業本社に行き、太田虎彦を念のため尾行することにした。
羽田に着くと、太田虎彦は搭乗手続きをしている。すぐ横で様子を見ていた飛馬が、便の変更はないことを確認し、二人とも予定通りの便で行くことにした。
約七時間のフライトの後、二人は無事バンコク・スワンナプーム国際空港に着いた。
太田虎彦は彼らのすぐ前を歩いている。
「飛馬、ずいぶんと人が多いな」
「見失わないようにしないと……」
なんとか、太田虎彦に続いて二人はタイに入国し、やはり太田虎彦に続いてタクシーに乗り込んだ。
「おい、マナカンホテルじゃないぞ。別のホテルだ。日本から後をつけて来て正解だ」
飛馬がしてやったりとした顔で、はしゃいだように言う。
マナカンホテルというのは、太田虎彦がバンコク滞在中の宿として、予約を入れたホテルだ。しかし、太田虎彦が向かったのは別のホテルだった。
太田虎彦は、まさか尾行されているとは思ってもいないのだろう。タクシーを降りて周囲を見渡すこともなく、ホテルの中に入って行った。
「ここで誰かと待ち合わせをしているようだな」
ホテルのロビーには二人の男がいた。一人は、黒い帽子をかぶり、黒いズボンに黒いシャツ、靴まで黒だ。もう一人は、茶色の膝までの短パンに白のTシャツ、その上に紺色のシャツを羽織っている。鉄平たちには背中を向けているので、二人とも顔は見えない。
太田虎彦を待っていたようで、三人は連れ立ってラウンジに入って行った。
鉄平と飛馬もラウンジに入り、少し離れたテーブルに席を取った。
「鉄平、このホテルで待っていた二人だが、あいつら、尾行慣れしているぞ」
飛馬が鉄平に声を落として、そっと囁いた。
太田虎彦を待っていた二人は、誰かが自分を尾行したり、監視したりする場合、その人物が、どこに潜むのかを知っていて、絶対にそちらには、顔を向けないと飛馬は言っているのだ。
現に、鉄平たちがホテルに入って来た時も、彼らは背中を向けていたし、ラウンジに入ってからも顔は見えない。このラウンジのどこに座っても、顔が見えない位置に二人は席を取っていると飛馬は言う。見えるのは、太田虎彦の顔だけだ。
「俺たちの尾行がばれているのか?」
鉄平が不安そうに飛馬に聞く。
「そうではない。習性だ。鉄平、あいつらを見るな。隠しカメラを持っている」
黒シャツと青シャツの二人は、隠しカメラで自分の後方を写し、それをスマホに映してチェックしているとも飛馬は言う。
「鉄平、あの二人はプロだ。気をつけろ」
飛馬はやはり声を殺して、鉄平に言った。
「おい、出るぞ」
急いで鉄平と飛馬も席を立ち上がった。
三人は、ホテルを出ると、まず、太田虎彦がタクシーに乗り込み、次いで、黒シャツと青シャツが同じタクシーに乗った。ホテルで待っていた二人組は、太田虎彦とは行き先が違うようだ。
鉄平が太田虎彦の後をつけ、そして、飛馬が二人組の後をつけることにした。
太田虎彦は、その後、マナカンホテルに入り、チェックインをした。ホテル敷地内のコテージに部屋を取っているようだ。
鉄平は、太田虎彦が部屋に入るのを確認して、自分もチェックインした。鉄平の部屋は本館の六階で、ベランダからは太田虎彦のコテージが良く見通せる。
しばらくすると、飛馬から電話が掛かってきた。二人組のうち、黒シャツは途中でタクシーを降り、アパートに入って行くのが見えたと言う。
青シャツは、そこから十分ほど走った市内の一軒家に入ったらしい。大きな家で男がウロウロしているようだ。
鉄平と飛馬は悩んだ。これから昼夜関係なく、動きを見張らなければいけない。二人で三か所を同時に見張るのは無理だ。太田虎彦はしばらく待機だと言っていたからまあ良いが、問題はアパートに入った黒シャツと、一軒家に入った青シャツのどちらを見張るかだ。
最後は飛馬の勘で、一軒家を見張ることにした。ハヤトとサナに何かを仕掛けるとすれば、男がウロウロしている一軒家の方だろう。黒シャツは太田虎彦と同じで、待機か指示を出すだけだ。それが飛馬の読みだった。
一軒家の向かいに小さなホテルがある。二人は一軒家を見下ろせる三階に部屋を取り、交替でその家を見張ることにした。移動手段としてレンタカーを借りたが、これも飛馬の好みで白のアウディを選んだ。
鉄平と飛馬は、交替で、昼夜を問わず一軒家を見張った。広い庭があり、そこには大きな木が三本ほど植えられている。
鉄平が言うには、南の国で街路樹としてよく使われる火焔木という木らしい。世界三大花木の一つで、常緑の密集した葉の間に、真っ赤な花を多数つけている。彼らのいる三階の部屋から見ると、まるで木が燃えているようだ。
美しい花木ではあるが、今は家の中を見辛くする単に枝葉が邪魔なだけの木だった。鉄平たちは残された隙間から、わずかな出来事も見逃さないように、見張りを続けた。
その日の夜と翌日、そして翌々日は、人の出入りが時々あるだけで、特に何もなかった。
動きがあったのは十二月十七日、早奈と隼人がサボー村のチャイを訪問しようとしていた日の午前三時頃である。
「おい、飛馬、起きろ」
火焔木の家を見張っていた鉄平が飛馬を起こし、駐車場で待機するように言った。急に火焔木の家の灯りが点いたのだ。
黒服の男が五人ほど出てきて、庭で何かゴソゴソしているが、火焔木が邪魔でよく見えない。少しすると、車のエンジンの音が聞こえて、家から大きなワゴンが出て来た。