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亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
第五章 微笑みの国
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十二月十六日、北川幸江に会う(二)

 資料室にはキングファイルに閉じられた膨大な量の報告書が並んでいた。

「政府から資金援助をもらっている関係で、ここは報告書にはとてもうるさいのですよ」

 事務員が教えてくれる。

 報告書は年代毎にまとめて保管されていた。全部で三百冊はありそうだ。

 小矢部健司が『こぶし』に在籍していた期間だけでも七十冊はある。この中から小矢部健司が作成した報告書を抜き出し、その中身を丹念に読み込んでいく必要がある。

 しばらくはここに通い詰めになるだろう。そう覚悟して、早奈と隼人は報告書を古い順から読むことにした。

 日本語が話せるとはいえ、ニーナには、やはり日本語の資料を読み続けるのは苦痛だ。彼女には小矢部健司の作成した報告書に付箋を付け、頭書きだけを読んで、小矢部が訪問指導した村、講演を行った村、小矢部を訪ねて相談に乗ってもらった村に分けて、それぞれのリストを作ってもらうことにした。

 どれだけ時間が過ぎただろう、窓の外を見るともうすっかりと暗くなっている。まだ報告書の読み込みは、ほとんど終わっていない。ニーナもファイルをめくり、黙々と付箋を付け、リストに記入している。

 早奈と隼人がオフィスに行くと、事務員は全員帰宅し、北川幸江だけが残っていた。

「遅くなりましたが、何時まで調べ事をしていてもよろしいでしょうか」

 隼人が聞くと、北川幸江は、相変わらず、しゃきっとした口調で答えてくれる。

「私もまだ仕事がかなり残っていましてね。皆さんは、気の済むまでおやりなさい」

 二人は北川幸江に深々と頭を下げて資料室に戻り、また、報告書を読み続けた。


 二時間ほどが経った時、ニーナのリストがまず完成した。小矢部健司が訪問して技術指導を行った村は二十二箇所、訪問を受けて相談に乗った村は五十四箇所、説明や講演を行った村は五十八箇所あった。

「凄いわねえ、この小矢部って人。これだけ多くの村とコンタクトを取っていたのね」

 小矢部健司に感心しながら、そのリストを見ていた早奈が、あることに気がついた。

「このニーナのリストなんだけど……。何か気がつかない?」

 隼人も早奈から手渡されたリストを見るが、何も気がつかない。

「聞いたことのある名前があるじゃない。ほら、ここ」

 早奈が指さしたところには、『サボー村』と記入されていた。

「サボー村……、どこかで聞いた名前だな」

「ムアン・サボー。京都のタイレストランの名前よ。ねえニーナ、タイ語でムアンってどういう意味?」

「そうですね、国ですね。今のタイ国家のような大きな単位の国という意味でも使われるし、もっと小さな、村の集合体レベルの国という意味でも使われます」

 ニーナは、早奈の問いに期待していた答えを返してきた。

「そうか、ムアン・サボーか。あそこの店長は、自分の村の名前を店に付けていたんだな。確か、チャイも同じ村の出身だって言っていたよな」

 早奈と隼人は、サボー村に関する報告書を重点的に調べることにした。

 これだと対象がずいぶんと絞られる。早奈と隼人はサボー村に関する報告書だけを抜き出し、黙々と読み続け、やがて、全文を読み切った。


 報告書には次のことが記載されていた。

 サボー村は、タイ北部のミャンマーとの国境近くの山岳地帯にある。チェンマイから車で三時間くらいのところである。

 十四年前の一月二十日、小矢部健司は多岐川正一郎を伴って、サボー村を訪問した。目的はサボー村からの依頼を受けて、村で定期的に発生するカビの防止法を見つけることだった。

 このカビは収穫後の米や野菜にも発生するが、収穫前の田畑に生えている状態でも発生する。いったん発生すると、急速に周囲に広がってゆく。発生するとすぐに周囲の正常な田畑も含めて焼却処分にしなければならず、村の損害はおびただしい。

 多岐川正一郎は、一目見て、これが新種の菌によるものであることを明らかにした。特定の棚田や畑に発生することから、その田畑で使用している山の湧水に原因があるものと診て、水源を変え、水質を管理することでカビの発生を防止することに成功した。

 さらに多岐川正一郎は、このカビが強力なセルロース分解能を持つことを突き止めた。

 彼はサボー村に約三年間滞在し、バイオエタノール用セルロース分解菌としての可能性を探った。結果の詳細は小矢部健司にも明らかにしていないが、工業的規模でのエタノールの製造に対応出来る菌の培養に、ほぼ成功したものと思われる。

 サボー村ではチャイという少年が多岐川正一郎になつき、チャイが慕っていたスーという男と一緒に、正一郎の取り組みを精力的に手伝った。

 多岐川正一郎もチャイを小さな助手として可愛がり、スーとチャイには、菌の培養の仕方を教えた。その培養方法は『多岐川ノート』と呼ばれる研究ノートにまとめられている。

 なお多岐川正一郎は三年後の四月にサボー村での研究を終え、研究拠点をタイ自然科学大学に移している。

 以上が、小矢部健司の報告書から抜粋した、サボー村に関するまとめである。


「ああ……」

 早奈が両手を上に伸ばし、背伸びしながら、何かをやり遂げた時に出てくる、満足感に溢れた声をだした。小矢部健司という人物が、早奈と隼人の知りたいことを全て記録として残してくれていたのだ。

「これで全てわかったわぁ」

「これだ。俺たちが探していたのは……」

 早奈も隼人も体中の力が抜けてきた。

「スーさんも父の仕事を手伝っていたのね」

 サボー村にチャイと店長のスーはきっといる。彼らに会えば全てがわかり、そして、全てが終わる。やっとここまでたどり着いたと、早奈と隼人は思った。

「ニーナ、サボー村にはどうやって行けばよい?」

「そうですね。チェンマイまで飛行機で行って、そこから先は車で行くのが良いと思います」

「早速、行きたい。手配してもらえるかな」

「今日はもうチェンマイ行きの便はありません。明日の朝の出発でよろしいですか」

 早奈が目を擦りながら言った。

「手配も明日でいいよ。目がかすんじゃって……。今日はゆっくり休みたいから、昼の便にしようよ」

 早奈の目は兎のように真っ赤になっていた。


 早奈と隼人とニーナは、北川幸江に欲しかった情報が入手出来たことを報告した。

「良かったですね。探していた場所がわかったの? 早かったわね」

 北川幸江も嬉しそうに言った。

「ええ、北部の村だということがわかりました。明日にでも行こうと思います」

「気をつけてね。タイの北部は山が険しいから……。私がお役に立てることは他にないかしら?」

 北川幸江が聞いてきたので、隼人は一つだけ質問をさせてもらった。

「北川さんは、鬼塚恭介という人物をご存知ありませんか?」

「鬼塚恭介? 知らないわ。聞いたことありません」

「この人物なのですが……」

 そう言って隼人は、警察からもらった鬼塚恭介の写真を手渡した。

 しばらく、じっと写真を見ていた北川幸江は、それを隼人に返しながら、残念そうに言った。

「申し訳ないけど、知らないわ」

 早奈と隼人とニーナは、丁重に礼を言ってNPO法人『こぶし』を後にした。

 もう夜の十一時をまわっていた。


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