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亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
第五章 微笑みの国
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十二月十五日、伊崎睦夫に会う(二)

「ところで、先生」

 ここからは、隼人が質問をすることにした。

「多岐川正一郎さんは何かを書き記したノートを残しているのですが、伊崎先生はそのノートのことはご存じありませんか?」

「多岐川さんのノート? タイ警察が鑑定を頼みにきたやつだな。日本の警察から要請を受けたと言ってコピーを持ってきた」

 隼人はしまったと思った。浅井和宏に伊崎睦夫と多岐川正一郎の関係を伝えておくべきだったが、今となっては後の祭りだ。

「あれは多岐川ノートと言ってね、多岐川さんが見つけたという、新種の菌の培養方法を詳しく書き残したものだ。彼が亡くなった時、遺品の中に見当たらないので、どこにいったのだろうと思っていた。美奈君に聞いても知らないと言うし……」

 やはり、あのノートはセルロースを分解する菌の培養方法を記載したものだったのだ。美奈はチャイに貸したことを伊崎睦夫には黙っていたようだ。

「それをなぜ、日本の警察が持っているのか? まあ、そんなことはどうでも良い。大切なのは中身だ」

「それで、結果はどうだったのですか?」

「確かに、きめ細やかに、新種の菌の培養方法が記載してあった。しかし、そこに書かれていることは、その菌が本当に存在して初めて成立するんだ。その菌の存在が証明されていない以上、あのノートには何の価値もない。記載内容も嘘だと断定せざるを得ない」

 思った通りだ。これでまた、捜査が間違った方向に行かなければ良いのだが……。 

「先生はチャイというタイの青年をご存知ないですか?」

 隼人は質問を変えた。

「チャイ? 確か、一年ほど前に僕を訪ねて来たことがあった。どういうわけか、彼が多岐川ノートを持っていてね、それを美奈君と早奈君に返したいので、今の住所を教えてくれと聞いてきた。個人情報なので、教えることは出来ないと断ったら、帰って行ったよ」

「先生、彼が訪ねて来た正確な日付は、わかりませんか?」

「えっ? ちょっと待ってくれ。手帳を見たらわかるかも知れないから……」

 そう言って、伊崎は昨年の手帳を探し出し、ペラペラとページをめくりながら日付をチェックした。

「去年の十一月十二日だな」

 予想通りである。

「先生はチャイが訪ねてきたことを誰かに話されましたか?」

「いや、話していないよ。でも、この大学の事務局なら知っているんじゃないかな。彼は初め、事務局を訪ねて、対応した職員が僕を紹介したんだ。この大学で、美奈君の今の住所を知っているのは僕だけだったからね」

「チャイは、セルロース分解菌を持っているようなことを言ってませんでしたか?」

「言ってたよ。言っていたが、僕がそれを見せてくれと言ったら、困ったような顔をしていた。あれも怪しいな」

「チャイも嘘をついていると、お考えですか?」

「そこまでは言ってないよ。ただ、自分で見ていないものをあると言うわけにはいかないからね」

「そうですか……」

「ところでもういいかな。僕も忙しくてね」

「先生。最後に一つだけ教えてもらえませんか?」

「何かな?」

「多岐川正一郎さんがセルロース分解菌を見つけた京都の村の名前をご存知ないですか?」

「村の名前ねえ。京都府北部の福井県との県境にある小さな村だと言っていたよ。名前も聞いたが、よく覚えてないな。何て言ってたっけなあ」

 どうやら多岐川正一郎は、伊崎睦夫にはその村の名前を教えていたようだ。彼はしばらく右手をあごに当てて考えていたが、少しするとジロリと隼人を見た。どうやら思い出したようだ。

「そうそう、旭村。確か、旭村って言ってたよ。その村の大きな家の庭先で見つけたって、嬉しそうに言っていたなあ。僕は行ったことないがね」

「そうですか。旭村ですか。それと……、タイの方の村の名前はわかりませんか?」

「タイの方は知らないなあ。多岐川さんは、村に迷惑を掛けるから、誰にも言わないようにしているって言ってたよ」

「そうですか。ありがとうございました」

 聞くべきことは聞き終えた。早奈と隼人は礼を言って、伊崎睦夫の部屋を後にした。


 二人は、ぶらぶら駐車場まで戻ってきたが、ニーナの姿が見えない。木陰に入って、ニーナを待つことにした。

「なあ、早奈。早奈は伊崎先生をどう思う? 事件と関係あると思うか?」

「なんかねぇ、ウソとホントが入り混じっているように思えて、よくわからないんだ」

 隼人も早奈と同じである。

 しばらくしてニーナが戻ってきた。

「車にいなくてごめんなさい。お待ちになりましたか?」

「いいや、そうでもないよ。どこに行っていたの?」

「この研究所で多岐川さんのお父さんのことを知っている人がいないか、聞いていたのです」

「そうなんだ。それで……」

「一人、見つけましたよ。菌の評価を何十年もやっている人なのですって。お昼からだったら、時間が取れるようなのですが、お会いになりませんか?」

 ニーナも彼女なりに調べてくれていたのだ。

 二人が会いたいと言うと、ニーナはまた建物の中に入り、しばらくして戻ってきた。

「午後一時に彼女の部屋でお話しすることになりました。伊崎先生に知られたくないので、裏口から入ってくれって、言われていました」

「ありがとう、ニーナ」

 早奈たちは少し早い昼食をとって、昼からその人物に会うことにした。


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