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亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
第三章 全ての始まり
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和賀寺永昌に会う(一)

 和賀寺永昌は神妙な顔で話を聞いている。大学への侵入者が和賀寺の資料を盗み出していることがわかり、美奈の事件との関係を調べるために、その資料を見たいと思っていることを改めて早奈の口から説明したのだ。

 美奈が、タイの青年から、多岐川正一郎のノートを受け取っていたことも正直に話した。

 話しを聞き終えると、和賀寺永昌は穏やかな口調で言った。

「そうですか、結論から言えば、多岐川正一郎さんが残したというノートと、私の資料とは関係はないと思う。しかし、多岐川早奈さんは、そんな答えでは納得しないような顔をしているね。わかりました。資料をお見せしましょう。ただし条件がある。資料の中身を絶対に口外しないこと。警察にも、です。いいですか?」

 早奈も隼人も秘密を守ることを約束した。

 和賀寺が言うには、助成金はまだ内定の段階で、今、内容が外部に漏れたら助成対象から外される可能性があるとのことだった。

 和賀寺は、マリアに言って研究助成金の申請書を二部コピーさせ、後で回収させて欲しいという条件で二人に渡してくれた。


「僕たちは長年、バイオエタノール抽出用の新種米の開発を進めている。これまでの米より、糖分が比較にならないほど多い米だ。すでに日本での実証試験は終わって、今度、タイ政府と日本政府が協力して、タイ国内で大規模な実証試験をやることになったのだよ」

 和賀寺が、資料の説明を始めた。

「助成金は、この日本・タイ合同プロジェクトに関するものだ。一般の農業用地を用いた本格的な新種米の栽培と、それを使ったバイオエタノール製造のための実証プラントの設計と建設、操業条件の検討が内容に含まれている」

「バイオエタノールですか?」

 それが美奈の事件とどのような関係があるのか、早奈も隼人も理解しかねていた。

「桐島さんも多岐川さんも知っての通り、石油や石炭、天然ガスといった化石燃料は、安価で安定的に使えるので、使い勝手の良いエネルギーだが、燃焼に伴って、大量の炭酸ガスを発生するので地球温暖化の問題がある」

 これはよく理解出来る。

「一方で、原子力は、万一の場合の安全性と、使用済み核燃料の保管や処理の問題が、いつまでもついてまわる。だから、これらに変わる再生可能エネルギーの開発が、地球規模での大きな課題になっているのです」

 これも良く理解が出来る。確かに、大量かつ安定して、必要量を確保出来る再生可能エネルギーの開発は大きな課題だ。和賀寺たちは、その中で、バイオエタノールの研究を進めていると言う。

「早奈さん、バイオエタノールの課題はわかりますか?」

 突然、和賀寺が早奈に質問を振ってきた。早奈は、まるで学生時代に戻ったような気になった。

「食料との競合の問題ですか?」

「そうです。バイオエタノールというのは、砂糖キビやトウモロコシといったデンプン質を多く含む植物をアルコール発酵させて、精製した燃料のことを言う。しかし、高カロリーの植物を原料とするために、食物との競合が起こり易いのです」

 確かに、バイオエタノールを推進することで、人為的な食料難や森林破壊による環境問題を誘発することがあると、早奈は聞いたことがある。

「それを避けるためには、食物としての利用価値のない植物質からアルコールが出来れば良い。例えば、稲のもみ殻やわら、雑草、間伐材、廃棄食物といった有機物からです」

 ここで、和賀寺は春山多恵子が出してくれたお茶を手に取り、早奈と隼人にも勧めてくれた。

「ただ、これには、技術的な大きな壁がある。それらの不要有機物に大量に含まれるセルロースと呼ばれる食物繊維を効率良く分解し、その分解生成物から、アルコールを作り出す技術の確立だ。非常に難しいが、これが出来れば世界が変わる。多岐川さん、話は変わるが、あなたのお父さんはこの分野のパイオニアで、まさに天才だったよ」

 早奈は突然、父親の話が出てきたことに、「えっ」という驚いた表情を見せた。

「あなたのお父さんは、生涯で二度、セルロースを高速でブドウ糖に分解する新種の菌を見つけている。一度はこの京都北部の山村で見つけ、もう一度は、タイの山岳地方で見つけたと聞いている。私は一度、見せてもらったよ。恐ろしい勢いで、セルロースがブドウ糖に分解される様子を……」

 和賀寺はここまで話してから、昔を懐かしむように目を閉じ、そして、時間をかけてゆっくりとお茶を飲んだ。


 早奈は和賀寺がくれた時間を使ってじっくりと考えた。

 ここで言う菌とは、細菌のことではない。キノコ、カビ、酵母など真菌のことだ。バイオエタノールは、デンプンなどの炭水化物をブドウ糖などの単糖に糖化し、それを酵母で発酵させて作られる。

 従って、バイオエタノールを作るには、出発原料として何を使おうが、その中に含まれる炭水化物をいったん分解して、糖化しなければいけない。日本酒作りでは、そのために麹菌という菌を使う。

 しかし、デンプンなど比較的分解しやすい炭水化物であれば、麹菌で分解出来るが、化学的に安定なセルロースは麹菌では分解出来ない。

 全ての植物質の三分の一を占めるセルロースから、バイオエタノールが抽出出来れば、世界のエネルギー事情は大きく変わるだろう。

 早奈の父親の多岐川正一郎は、世界でも珍しいそのセルロース分解菌を見つけた人物だと和賀寺は言うのだ。


「先生がご覧になったのは、京都の北部で見つけた菌の方ですね」

「ああ、多岐川さんは、京都北部の山の中を歩いていると、山間のある村で綿毛状の白い物体に侵された雑草群を見つけたと言っていたよ。それを持ち帰って詳しく調べると、セルロース分解菌だったことがわかった。僕らが見たのはその菌だ。彼はその菌の実証実験を僕らの前でやってくれたのだよ。もう二十一年も前の話だ」

「その村の名前はわかりますか?」

「いや、それは教えてくれなかった。多分、誰にも言っていないんじゃあないかな。京都の北の方の村と言うだけだった」

「そうですか。父が見つけた菌は、その後、どうなったのでしょう?」

「僕たちの前で見事にセルロースの分解を実証してみせたが、それはあくまで身内での実証だ。多岐川さんは、その後、大学で公開実験をやったのだよ。学長や学部長、多くの教授が出席する中で、見つけた菌の能力を見せつけようとしたのだ」

 和賀寺は、再び、過ぎ去った過去を振り返るように、目を閉じて天を仰いだ。

 まだ洛西大学にエネルギー科学研究センターが出来る前の話だ。

「公開実験は、失敗したのですね」

 早奈は、父親が大学を離れた当時の状況が、少しわかってきた。

「あれは八月の暑い日だった。実験は見事に失敗に終わったよ。多岐川さんが実験で使った菌は、セルロースにも何も全く反応しなかった。多岐川さんは大恥をかいたのだよ」

「それで、父は大学にいられなくなったのですね」

「多岐川さんはそれほど軟な人間じゃないし、それだけで評価を落とすような人物でもない。彼が大学の宝であることに、何も変わりはなかった」

「では、なぜ、父は大学を……」

「公開実験の後、その村の菌を見に行くと、灯油が撒かれて燃やされていたと言っていた。それを見て、多岐川さんは、公開実験の菌も誰かにすり替えられたと思ったようだ。誰かが自分を陥れようとしている、そう思ったのだな。そんな大学が嫌になって、自分から辞めていったのだ。辞めて、自分の力だけで、研究を続けようとしたのだ」

 早奈がまだ五歳の時の話である。当然、何も覚えていないが、早奈は、何か長い間、探し求めていたものを見つけたような気がした。


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