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亡霊のたくらみ  作者: 長栄堂
第二章 晩秋の夕暮れ(現在)
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不思議な男

「おい、事情がわかったぞ」

 翌日の昼過ぎ、京都府警の浅井和宏刑事が隼人を連れて早奈の家にやって来た。

 隼人が昨日の矢沢宏之とのやり取りを浅井和宏に伝え、彼から京都府警三条署の刑事に事情を聞いてもらったのだ。

 浅井和宏は、当初の印象とは違って、慣れてくると、とてもフランクで親しみやすい刑事だった。早奈と隼人に容疑をかけることには否定的で、二人の言う亡霊の仕業というのも信じてくれている。京都府警の中では、少し浮いているという噂を聞いたこともあるが、本人はお構いなしのようだ。

「そのチャイというタイの青年は、ムアン・サボーから火が出た後、三条署を訪れて保護を求めている。ムアン・サボーから焼け出されたと言ってな……。しかし、彼の挙動がおかしいんだ」

「挙動がおかしいって、チャイはどうしたの?」

 早奈が浅井和宏に詰め寄った。

「そいつは非常に怯えていて、保護を求めているくせに、自分の名前も住所もいっさい言わず、パスポートの提示も拒否したそうだ。何かを警戒しているのか、とにかく誰にもわからないように、自分をこっそりとタイに帰してくれって、そればかり言っていたそうだ」

 ムアン・サボーから火が出る前の、矢沢宏之から聞いたチャイの印象とは、ずいぶんと異なる。

「三条署の刑事が事情を聞いても何も言わない。仕方がないので、その刑事はムアン・サボーの元従業員を探し出して、事情を聞き出そうとした。それが、君たちが聞いた矢沢宏之への刑事の訪問ってやつだ。その刑事は複数の元従業員から、火事の前日に、チャイは綺麗な女性に会っていたという証言を取った。しかし、それが殺された多岐川美奈さんだったとは想像も出来なかったと言っている。当然、俺たちにも報告を上げていない」

「チャイは、店長と一緒じゃなかったの?」

「店長が行方不明になっていることも知らなかったようだ。彼は店から飛び出した後、一日中、何かから逃げ回って、翌日に三条署を訪ねている。三条署の刑事が、店長が行方不明になっていることを伝えると、驚いていたそうだ」

「それで、チャイは、今、どこに?」 

「それがな、早奈さん。三条署の刑事は仕方がないので、秘密裡にチャイをタイに帰したんだ。警護も付けてな。バンコクでタイ警察に引き渡したんだが、これもおかしな話なんだが、そこでチャイは雲隠れだ」

「いなくなったの?」

「チャイは何かに怯えていたから、誰かに拉致された可能性もあるとタイ警察は考えたが、それは違っていた。しばらくして、チャイからタイ警察と三条署に礼状が届いたそうだ。無事に着いたと書いてあったらしい。ふざけた野郎だ、まったく」

 その手紙が届いたことで、タイ警察も事件性はなしと判断して、それ以上の追及はしなかったらしい。

「で、結局、名前はわからず仕舞い?」

「いや、早奈さん。さすがに出入国審査はニックネームでは駄目だ」

 空港でチャイが提示したパスポートに記載された彼の本名は、カラバディカ・タンウィーリ。現住所はタイ北部の中心都市チェンマイだが、今現在、そこには住んでいないようだ。

「それから早奈さん。チャイは三条署で、もう一つおかしなことを言っていたらしい」

「おかしなことって……、何?」

「それが……、自分の身元がばれると、自分の村が世界中から狙われると……」

「はあぁ……?」

「ずいぶんと大袈裟な言い方だが、三条署の刑事は、チャイは本当にそれだけ怖がっていたと言っている」

「それだけ怖がっているのに、チャイは無邪気に美奈を誘い出して、店で普通に会ったの?」

「その時は、自分の行動が、まさか殺人事件にまで発展するとは思ってもいなかったんだろう」


 チャイとは不思議な男だ。

 日本にやって来て、ムアン・サボーで寝泊まりしている時のチャイは、いたって無邪気で無警戒だ。従業員の矢沢宏之にもノートを返しに来たと平気で話しているし、びくびくした様子は全く感じられない。

 その時点では、ノートを返すということが、それほど危険なことだという認識はなかったのだろう、ムアン・サボーの店長に協力を要請し、美奈とも普通に店で会って、ノートを返している。

 しかし、ムアン・サボーから火が出て、表に飛び出してからのチャイの警戒心は尋常ではない。自分が狙われていると思い込み、一日中、逃げ回った末に警察に飛び込んでいるが、その警察すら信用していない。本名も住所も言わず、パスポートの提示も嫌がっている。それにしても、自分の身元がわかれば、世界中から自分の村が狙われるとまで言うのは、ただ事ではない。

 チャイの態度が、急に変化した理由は何だろう? 

 店を飛び出した時に、何かを見たのだろうか? 

「早奈さん。この家にある多岐川正一郎さんのノートなんだが、あれをしばらく預からせてくれないか? あのノートに付いている指紋と、ムアン・サボーでチャイが寝泊まりしていた部屋から検出した指紋を、念のために照合してみる。美奈さんがチャイから受け取ったもので間違いないと思うんだが……」

 浅井和宏は、そのノートを徹底的に調べると言って、本棚のノートと美奈が取り外したハードディスクを持って帰っていった。

 ノートとハードディスクは、専門家の鑑定に回すとも言った。そのノートは何かの研究記録のようだが、細かい字でびっしりと記載されており、素人が見てもその内容も価値もさっぱりとわからないのだ。

「ねえ、隼人。タイに行く前に、伊崎先生の部屋への侵入事件を調べない? 何も盗まれたものがないっていうのが、どうも気になるんだ」

 浅井和宏が帰った後、早奈が隼人に言った。一見、盗まれたものがないという美奈の事件との共通点が気になるのだ。

「伊崎先生は問題ないって言ってたけど、ちゃんと調べて言っているような気がしないんだ。明日、大学のシステム係に行ってパソコンの中身を調べてもらうことにする。一緒に行ってくれるよね」

「もちろんだ、早奈」

 隼人は大きく頷いた。


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