綿毛状の物体
ユーラシア大陸の南東部、インドシナ半島のほぼ中央に位置するタイ王国は、豊かな水源と肥沃な大地に恵まれた世界でも有数の農業大国である。
首都バンコクを経てタイ湾に流れ込むチャオプラヤー川や、ラオスとの国境を通過するメコン川の支流が、まるで葉脈のように国土全域を張り巡り、その流域では多くの穀物類や野菜類、果物類が生産されている。今でも米の輸出量は、世界でもトップクラスである。
そのタイ北部の山岳地帯を、男二人を乗せた一台のジープが駆け抜けて行った。
首都バンコクを出て、今日で五日目である。途中、いくつかの村に立ち寄って来たので、到着がずいぶんと遅くなってしまった。二人は疲れているのか、この辺りの山景色も見慣れてさして興味も湧かないのか、口数は少ない。
国道を離れ、山道に入って一時間ほどが経った頃、
「もうミャンマーとの国境近くだ。ショーさん、もうすぐ着くぞ」
ケンジと呼ばれる男が、ショーと呼ばれる男に声を掛けた。ショーは黙って頷いている。
やがてジープは、より狭く険しい側道に入った。道のすぐ両側には樹林が迫り、重なり合った枝葉によって陽射しは遮られている。
暗い坂道を一気に駆け降りると、視界が急に広がった。広い台地となっており、そこに目的とする集落があった。
平らな土地は耕されて農地となり、それは山の斜面にも棚田となって広がっている。大半が米作で、一部、野菜と茶の栽培を行っているようだ。収穫期を迎えているのだろう、田は黄金色に光り輝いている。
ケンジとショーはジープから降りた。五日間に亘る長旅で、二人とも埃まみれだ。
「ちょっと待っていてくれ。誰か、呼んでくる」
しばらくして、ケンジは一人の村の男を連れてきた。まだ三十歳くらいだろう、男の子を連れている。男の子の名前はチャイ、八歳になったばかりだと言う。
「遠くまで、よく来たな。とりあえず中に入って、少し休め」
男が家屋の方に手を向けながら、二人に休息を促した。
「いや、すぐに行きたい。案内してくれ」
ショーがすかさず答えると、男はニヤッと笑い、ついて来いという仕草をして前を歩き出した。
チャイはよそから来た男が珍しいのか、後ろを振り返りながら、手を引かれて前を歩いて行く。二年前に両親が行方不明となり、村のみんなで面倒を見ているらしい。
十五分ほど歩くと、村はずれの棚田にやってきた。二十枚ほどの田が緩やかな斜面に広がり、黄金色の稲が収穫を待たんばかりになっている。
男が一枚の棚田を指差した。
「これは……」
そこには不思議な光景が広がっていた。
その棚田の半分が、真っ白な物体に侵されている。
比較的手前の稲はまだ原型を留めており、たわわに実った稲穂のようなものが見える。ただ、全身が白い綿毛状の物体で覆われ、まるで白い稲だ。
少し先に行くと、それが元は何だったのか、もうよくわからない。自ら立つことが出来ず、胃の中で消化されたかのように液状化が始まっていた。
村の男が言うには、これは最近になって、時々、発生するようになったらしい。発生すると、白くなった部分だけを取り除いても伝搬が止まらず、正常に見える周囲の棚田もかなりの枚数を焼却しないといけないと言う。
「ひどいな。まるで田んぼの癌だ」
ケンジがショウに声を掛けた。
「ああ、癌だ。とてつもなくたちの悪い癌だよ、ケンジ君」
しばらくして、ショウが唸るように言った。




