無理強いの仕方
(412)
撃ち落とされたノミが自由型遊泳を始めたと思われる頃、プヨンはノビターンの様子を遠目に観察していた。
「うまく撒けたっぽいな。しばらく投影してからの軌跡消滅で、上手に姿を隠せて突然視界から消えたはずだ。もう見つかりませーん」
ノビターンがノミの心配をして慌てているが、プヨンがリットマン超心気で集音していたノビターンの心音はずっと安静時相当で、ノミ捜索は心配するふりだけだと示している。
「さすがに放置はマズイわね。ノミは耐久性に優れているけど、位置が不明だし、溺れきったが吉日。安否確認はしておこうかしら」
「ノミさん、取り憑かれたな。これが噂の口だけ女。そういえば俺もこの間校長命令とやらで無理難題を押し付けられた。やられっぱなしはよくない。一矢を報いておこう」
消息不明のノミのためノミの安全確保を優先しつつ
プヨンも仕返しをするチャンスと考える。
とりあえずノビターンは探し者を始めた。しかし水面に浮かんでいる場合は水濡れなどもあって体温検知は難航している。
「石外旋!」
ノビターンの唐突な声が響くと着水音が聞こえ出した。波間に浮かぶ葉っぱの把握は難易度最高に属し、水面上の捜索は本人からの発信がない限り、プヨンは基本的に放置という結論に達している。
「死骸詮! ノミが死に滅裂を使うと、なかなか死なない。泳ぎは今一つのはずですが、その辺に浮かんでいないか探しておきましょうか」
チャポチャポチャポチャポ
一定の範囲で多数の小石の着水音が響き始めた。ちょっと強引な方法だが仕組みは簡単。高精度の石投げ管理で着水点を少しずつ移動させ、音の方向と距離を把握する。ノビターンの解析力もなかなかのものだ。
コツン……ゴツゴツゴッ、ゴスッ
不意に水以外の衝突音が続いた。一瞬静かになったと思った直後、その場に連続激突音、そして最後に特大の音がした。ノビターンの容赦のなさはいつも通りだが、同時にプヨンもノミの位置を完全に把握する。詳細スキャンをしようと思ったところで、唐突にノビターンの声がした。
「電池が省エネモードってどういうこと? いつの間に?」
聞いたような文句だが、かなり焦っているようだ。
「どうやってノミを引き上げるの? いつから残量5%? 一昨日在庫満タンまで補充できたばっかりなのに! まさかノミ達にやられたというの?」
『達』が誰まで含んでいるのか気になったが、身を潜めるプヨンに反論する機会はない。
プヨン先ほどのゴツン音の位置から特定した湖水の浮遊物、おそらくノミを捕捉していたが、目立たないように、水面スレスレでゆっくりと引き寄せている。
湖岸についてからは、ノビターンの視界を迂回しつつそっと持ち上げ空中浮遊で運び、地面に穴を開けて用意したジャリ風呂に格納する。ノミの呼吸を確保しつつ身体上を砂利で覆うと、見た目はただの地面。体表面はすでに恒温処理で地表と同じ温度となっており、プヨンでも知らなければ発見は難しい。
ボチャ、ドン、ドン
ノビターンにあえて気付かせる位置偽装。かなり離れたところの地面や水面に向かって、手頃な石を順番に落とし、遠ざかる方向への移動追加で迷走させた。これで混乱したノビターンが、砂利風呂の底のノミを見つけ出せる可能性はほぼゼロだ。
「え? 移動? 移動してる? 返事しなさい。どこに行ったの? え? もしかして誰もいない?」
「なんで? これ、もしかして空っぽとか? え? いやだ!」
その後、すべてを見失ったノビターンの慌てる声が聞こえ、3度目の叫びで、プヨンは安全確保ができたと判断した。
「よし、今のうちに。そのまま静かにお湯に入れて3分。ほとぼりが冷めるまでじっと待とうか」
それでも念のため、しばらく動かないためにも待機しついでに補給活動を準備する。できる時にする、基本的なことだが重要だ。
そっと小型低気圧を発生させる。上昇気流にコリオリカの法則を組み合わせる風魔法により、ノビターンの位置が常に風上になるように保つ。臭い対策魔法を適用することで、食事タイムの安全確保をした後、急いで補給する。
「直接ストレージから胃袋への食糧展開は、消化不良になるんだよな。食事はよく噛まないとな」
そう呟きながら、ビッグ版方式で作った水素を燃やして作ったお湯を入れれば、あとは時間を測るだけでお腹を満たすことができる。この太るとカレー型携帯食は画期的だ。
そのまま余った水素を小型水槽に入れたメーザー原子時計から、そこそこ正確な時間経過2分58秒を確認。
「ふ。俺がパックから口に運ぶまでの時間が2±1us。時はきた。今だ! ジャスト食べ頃!」
ノビターンの探知範囲外を確認しつつ、伸びすぎないうちに口に頬張る。何とも言えない緊張する時間だが焦りは禁物。
「最適状態で喫食するため、キャットタン魔法展開! 口内火傷防止ヨシ!」
もちろん肺活量を利用したバキューム型喫食方式に箸などいらない。
「お口開け!コンベアパイプ、ご飯とのドッキング急がせ!」
全量を一気に口に入れると同時に混ざっていく具材。プヨンは口中でカレーを生み、育て、そして飲み込んでいった。
ゲフッ
胃中排気0079、満腹から最も強い味蕾細胞さんは空腹戦争を仕掛けてきていたが、即時停戦した。
「うむ。なかなかの美味。予は満足だ」
ハンガーノックにならないよう栄養補給も重要だ。プヨンは観察力が多少落ちても食事を続けていた。
「ふー。腹八分目。このくらいにしとくか。風上検出用風見鶏収容。食後の一息が終わるまで、風上キープ率100%。位置偽装の効果はばっちりで、自己採点95点だ」
軽口が出る程度にはうまくいった。ノビターンはしつこく周囲を調査し続けているが、距離もあり一定の範囲をぐるぐると徘徊する。何か新しい行動を起こす気配はない。
そろそろ潮時で、このまま距離を取って終了と思ったところで鳥肌がたった。皮膚の生毛が逆立ち、緊急センサーが気配が変わったと告げている。
「な、なんだ? まっすぐこちらにくるのか? この威圧は! 目がパスカルの圧力を受けている!」
ノビターンがこちらに向かってくる。まだ完全にプヨンの位置を把握していないようだが、視線を向けた瞬間その迫力にビクッと体が反応し硬直する。無防備で被弾すると数秒間動けなくなったが、こんなものをいつ身につけたのか。これを使うノビターンを初めて見る。
「なぜ気付かれた? それとも気が緩んでたか? どんなきっかけが?」
頭の中だけフル回転。慌てるプヨンだが、蛇に睨まれた蛙は動かないことで生存確率を上げる。動揺して、反射的に動いてはいけない。呼吸も止め内気循環に切り替えると、落ち着いて周囲を確認する。温度も香りも処理していたつもりが、先ほどいた場所の上にモヤがかかり、よく見ると頭の上に集まる虫だとわかった。
「これは蚊柱?」
誘因蚊のごとし。自分の呼吸や食べ物に含まれていた何かの影響だろう。ノビターンの行動のみを気にしたため、後始末に気が抜けていた。
思わず追い払おうとして、反射的に風を起こしてしまった。強風ではないが空気の流れが変わる。即座に気付いて止めたが、二度連続のミス。汗が噴き出るが、ここは耐えた。
ノビターンがわざとゆっくりと移動する。行き先を把握されないランダム歩行術『血取足』。さまよう酔っぱらいの技術を改良した応用魔法だ。
「足音は反響させながらランダム移動で迷わせて、真っ直ぐ一方向に進まない。移動速度も緩急をつけてと。これは腹黒ではない。繰り返す、これは腹黒ではない」
ノビターンは気配には気付いたが、頻繁にロストし、完全に捕捉できてないとわかっている。
「フェイスファック。超高速お顔チェック。一度会ったら忘れません。美形もそうでない方も」
瞬き一回、1認証。ノミの仲間だろうがそれ以外だろうが、ここは確実に身元を確認しておかないといけない。隠れているのはわかっているが、怪しい変化がない。さらに監視魔法を上乗せする。
「私の自慢の超美指で手探り捜索を使いましょう。皮脂の分泌を止める特殊攻撃オイルカーット。これで集中力を下げ、そしてうっかり行動を誘発できるはず」
千鳥足を装い、時々キョロキョロしつつ、ノビターンは後方を警戒する。遠ざかるものがいないか全神経の70%を回した結果、完全に見失った。
「うっ。完全に裏目とは。このまま通り過ぎたら、ただの深読みおバカになってしまう。これ以上前に進むとあっちの方は監視範囲から外れるし、うかつに動けないわ」
このタイミングで飛び上がるなら確実に捕捉できるが、あっと思って振り返ってもただ風が起きただけ。見つかることを祈りながらじっと耐えた。
「ふぅ。恥ずかしがり屋さん、さっさと出てくればいいのに。見つめられるのがイヤなら、『ちょこっとミラーレル』」
目から放たれる視線は感付かれやすく、水分を利用したハーフミラーを作成し、間接的観察で対応する。高難易度のミラーボールを発動させてで全方位を照らす方法もあるが、それはどうしようもないときの最終手段だ。
「じっとして動かないものには、重い腰を軽くさせるへビーカエル効果で120%相殺! 動かずに危険を回避するなど軟弱者のすること。全力で逃げる方が潔い」
生きとしいけるものに静電気を利用した高等技術で、空気中を帯電させるため、残りわずかなエネルギーを急速に吸い取られていくが、ノビターンは出し惜しみしない。溜まった段階で放電し、ほどよい低刺激を加える。
同時に視線で気取られないよう直視しない。大半を透過させる鏡を利用した全方位監視。視線は固定のまま、わずかな反射光を利用して覗き見る。気付かれないよう、透過率は95%以上を維持する。
「直接見ないようにしつつ、あれとこれとそれ。あと500m先のあの林が怪しいから、あれをチェック」
とりわけ大きめの木陰が怪しく、じっくり様子を伺っていると、微かな異音が聞こえてきた。距離はあるが、急速に湧き上がる気持ちがさらに効果を高める。
「恨み出力パワーアンプ全開。この恨みが臨界点を超えれば、ふふふ、考えただけでも鳥肌が立つわね」
気温は暖かいが、これを聞くものは背筋が寒くなる。ノビターンが急に放ち出したいつもと違う声色は、ガラスを引っ掻く音を参考に、同じ周波数成分を含んでいる。鳥肌が立ち、足がすくみ、一気に冷たい汗が出る技術で、ようやく使う機会が訪れた。
「よし、臨界点超え達成。恨みは晴れではなく大雨、そして洪水で沈めてやりましょうか。2ヶ月〜2ヶ月〜。我慢に我慢し、お湯のところを冷水シャワーでお肌を鍛えたわ。孤独な溜めは長く、使うのは一瞬。エネルギー残量ゼロ。一瞬でゼロ。電池ゼロ。さぁ碇をあげよ。今こそ」
無意識自動発動で言葉が出てしまうノビターンは、どうやら呪文を唱えていたようだ。耳を澄ますとよほど威力のあるものなのか、長い詠唱を織り交ぜた遅効性の呪文が続く。
「この理不尽な減り。憎まれっ子世に憚ると言いますが、ノミは殺しても死なないはず。不死の彼は見つけ出して死よりも恐ろしい刑罰を。求刑は宮刑」
このコメントは95点などと呟くノビターンから紫のモヤが溢れ出した。スギ花粉の1000倍の効果で周囲に不具合を発生させるのは、広範囲拡散性フケルスキー粒子だ。
常時大気中にも微量が存在しているこの粒子は、吸い込んだ者を無気力に変える。それを濃縮し危険域をはるかに越える高濃度で放つ。無防備に触れると逃げる気力も失う威力で、この粒子がこの濃度で飛散すると回避すら面倒で逃げられず、トイレや食事、最後には呼吸すら面倒になって死亡に至る恐るべき魔法だ。
「この魔法の唯一の欠点は自爆魔法のところね。でも仕方ない。若返り魔法でもあるし、老いた脳内戦士が戦死し、平均年齢を下げる効果があるから」
無気力な老年期症候群を抑え、意識が飛んでいかないように全身の身震いを抑える。ゆっくりと足を浮かせた超低空歩行で無音で怪しいポイントを順に探して行った。
ノビターンの視線がふと止まった。なんの根拠も責任もないが、ノビターンの啓示の感が、ノミの隠し場所がここだと告げている。きっと見つかる、なせばなる。ノビターンの脳内で当たりマークが点灯していた。
「ブリフィッシュ作戦発動します。火魔法の一部は取り扱いが難しいけれど、照り焼き鰤の精度で」
そうと決まればすることは単純だ。自然にノミがいるイメージが湧き出る。
ブッヒュヒューー
よく注意して観察していると呼吸音がし始めた。幻聴ではない。一度気付くと、増幅して元気よく響かせることができる。この音はノミの呼吸音に極めて近い。一方でなぜ今気づいたのか疑問もある。もちろんノミが見つかった時に備え、ノビターンは腕に力を込める。ノミ発見の場合は、最大パワーで手のひらが超高速で何度か往復させる必要がある。電池を温めつつ、出力アップの準備をする。そこで閃いた。
「もしかして、ノミがあっちにいると言うことは、逃げる者はあっちが安全方向と思うかしら?」
そう思うと、わざわざ脱出路を作ってやっているように思えてきた。ノミは一旦おくと、別の何かに気づいた。風景に溶け込んでいるが、微かにぶれる。そして速やかに遠ざかろうとしている。
「こっちと見せかけて、反転。そこ」
力を加えると確かな感触。やはりそこに何かいる。遠隔押し下げ、距離は180m。思ったより近い。そしてこの感触は人の肩だ。後ろからさらに力を加え、しっかりと捕まえた。この方には覚えがある。
「背後から支援するものがいるのはわかっていました。報告もなく立ち去るですか? ねぇ、プヨンさん」
思ったより強い力で逃げようとするが、もちろん足元も凍らせている。そしてダッシュで距離を詰める。
「ふっふっふふふーん、お久しぶりですね。なぜ近くにいたのに声をかけてくださらないの?」
「えっと、いや、お忙しいかと」
姿がハッキリ見えるようになった。やはりこれはプヨンだ。そして常々渡せるように準備していたものがあった。プヨンはまさかという顔をしている。見つかると思っていなかったのだろう。
「ふふふ。機会があれば渡そうと準備しておりました」
そう言いつつノビターンは一枚の紙を取り出す。しばらく持っていたため、随分と皺が入った紙だ。
「これは、前線で活躍したあなたに、後方からささやかなお礼です」
「どういうことでしょう? まさか、これが噂の背後礼!?」
「素晴らしい推察力です。もちろん監査状も贈呈!」
肩に力が加わるが、プヨンの抵抗が遅かったこともあり、完全に押さえ込めている。ノビターンが最後の力を振り絞って、周りの空気を重くし、さらにプヨンの足を引っ張る。
「これは圧縮空気ですか? 空気の密度が変わったのか、空気が明らかに重い」
「そう。この重い空気からは逃れられません。さぁ、この監査状を!」
「監査状? 感謝状ではなくて? ところでなぜこちらから移動するとわかったのですか?」
「意図的に作った逃げ道で待ち伏せる。教科書の基本問題にありそうなくらい初歩です。ふふーん、見つかって当然。予想通り、ノミを背後で操る者がプヨンで、ここにいるのだとわかっていました」
「わかりますか?」
「匂いがね」
「え? ほんと?」
「ノミの獣臭は独特ですから」
驚いて臭いを確認してみたプヨンだが、自分の臭いは自分では難しい。諦めたのか、プヨンが目の前の紙に目を落とす。歳をとったら水魔法で拡大する老眼対策くらいしか思いつかず、魔力による消臭や嗅覚強化はあるが、魔力による速読は聞いたことがない。面倒なのか最後の結論だけ見ている。
「監査状、頑張ったから監査旅行にペアでご招待。旅行先は北方エリアから選んでくださいって北方ってどこですか?」
「北方の街、ハーン……の跡地」
「え? 跡地? 跡地って今はない廃墟ということ?癒されるような何かがあるのですか?」
「豊かな自然、美味しい空気、素材を活かした創作料理。そして奇妙な噂が。このミステリーツアーの監査が主目的。もっと知りたくなりませんか? ユコナさんがお詳しいでしょうから、ペアチケットをお使いください。豪華宿泊テントキットが漏れなくついてきます」
「へー、つまり調べてこいと?」
どうやら調べて欲しいことがあるようだ。ノビターン単独でなく、学校も了承済みな気がする。
「事前にお伝えしましたが、旅行ですので旅費は出ますが業務ではありません。ただ、旅行時は毎日旅行記録を送ってください」
「これは偵察任務では?」
「違います。監査旅行とは仮の姿、本当は慰安旅行です。しかもペア。食事と宿泊先は現地調達ですが、特別に無期限、交通費諸経費も出しましょう。行ってくれますね?」
ここで先ほど蓄えたエネルギーを放出し、プヨンの頭上から振り下ろす。
「ありがとう、快く頷いてくれて」
だがプヨンは意外にも、嫌そうな顔はしていない。何か意図がありそうにも思える。
「承知しました。これは調査してこいということですね。詳細な必要経費も通常の3倍でお願いします」
「いいでしょう。私の予算ではないので。次回報告は2週間です。ペア行動原則ですが、報告書はちゃんと出すように。あ、チケットの有効期限は、来週ですよ。急ぎ出発の準備を」
こんな形で依頼できるとは思っていなかったがあの地は以前から、あの場所は元は有効な接着剤源泉だったが、汚染された地となってからは未調査となっている。プヨンには目的地や奇妙な噂とは何かを伝えていないが、行けばわかる。
「私も後から手伝いに行きますからよろしく」
そういうとプヨンはすごく嫌そうな顔をしていた。




