隔離の仕方
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ノミの治療自体はすぐに終わった。こういうぐしゃっと潰れた体は、いっそ取り払ってゼロから再生する方が早い。曲がった針金を真っ直ぐにしようとしても、逆に曲げるだけでは簡単に戻らず強度も下がるのと同じだ。
「アシキリ」
ポケットから取り出した極細高硬度炭素繊維を上下に振動させ、ワイヤカッターでノミの潰れた部分の足を切る。極細繊維でゴシゴシしただけだから、断面は荒れているが問題ない。後はノミの万能細胞にエネルギーを注いで細胞再生を促すだけ。丁寧にするため5分ほど時間をかけたが、必要な待機時間を取ったため、治療自体は順調に進んでいった。
生えてくる生足を見ていると、プヨンの背後に赤外線の放出を感知した。何かの体温なのか、生き物が近づいてくる。
「さっきから見ていたのはヴァクストだったか? やっぱり気づかれたか」
相手に声をかけられる前に先手を打つ。
「む。見つかったか。当たり前だが、早朝に叫んだら、いやでも目が覚める。もっともそれでも寝ボス系のランカは起きないが」
「ちょうど呼ぼうと思っていたんだ。極秘接着魔法を頼みたいな」
「なるほど。俺の鋭敏な嗅覚が金の匂いを検知したようだ。深夜休日手当適用。さらに短納期超特急リニア。料金で50割増しだ」
ヴァクストは感覚が鋭い。特に金銭の気配探知はプヨンの人感センサーより高ランクだ。プヨン達が来ていることに気付き、様子を見にきたようだ。工具製作が得意なこともあり、ノミの半壊陶器人形を見せると、すぐに何をすべきか用件を理解してくれた。
「この手に持つ人型はなんだろう? 一部が粉々になっているが石化か? これはひどい割れ方だが、喧嘩でもしたのかな」
ふと石化魔法は考えなかったと気付かされた。意識して長期で加圧して硬化させれば、化石のように石化できる気がするが、一度化石化したら元に戻せないだろう。プヨンが使うお肌の炭素硬化も不可逆反応で使い捨てだ。
「石化ではない。もともと無生物だ。ただ、知識不足で理解が不十分だが、命の次に大事な嫁らしい」
「へ? ふーん、まあわからなくはないが」
「わからなくはないのか? そうなのか?」
「あぁ。だいたいわかる。女性を守れないやつには罰金がいいかな。実は先日開発したばかりの無生物新型高速高硬度接着魔法があるが、こうも早く開発費を回収する機会が訪れるとは。ランカのご利益もあってお布施が求められるが」
「え? 無生物治療があるの? それは初耳。物価高騰のおり、優良顧客紹介料も上乗せで料金請求しても問題ないかな」
「いいぞ。保証人がつくとなお良い。取り立てに手間取りそうなら、それも割り増しに」
慣れた手つきでヴァクストが簡易の見積もり金額を弾き出す。ノミが話せないのをいいことに、価格交渉が盛り上がり、ヴァクストは陶器の修復を強く勧めてくる。ノミの血印を採取したあとは、支払い記載のない小切手が完成した。
会話が聞こえていたのか内容を把握しているようで、無言で小さな瓶を取り出す。中の液体が揺れているのが見える。これがヴァクストが少し前に考案していた接着魔法の触媒だろう。そして、ノミが持っていた陶器人形は、幸い主要な破片が残っている。
「これは合成魔法、『ツカンα』。こいつは強力だ。どんなものでもくっつける改良型だ」
薄茶色の液体、ハチミツのようにどろっとして粘り気がありそうだ。
「生き物もくっつくのか?」
「なんでもつくぞ。先日も通りすがりの悪霊がくっついて大変だった。それからは抽出後の清めをランカに手伝ってもらっている」
「え? どうなってるんだろう」
「さぁ? 原理がわからないまま使っているものは多いだろ。メッキや薬草なんか、理由がわからなくても経験で効果があるのを知っているのがいい例だ。問題ない」
そう言いながら手早く液体を取り出すと、刷毛も使わず薄くかつ均一に塗り広げていく。そしてそこにヴァクストが本体と破片を強く押し付けると同時に、周囲の空気が変わり、むわっとした高温高湿度に包まれる。
「接着は湿り気と見つけたり。アンカー効果全開」
「湿り気って水系? 接着は水魔法なのか?」
「そうだ。だが凍らせて形だけくっつけたとかじゃないぞ。一度付いたらほとんどはずれがない。この特殊液と俺の水魔法を使えば、一度くっついたらはずれない」
ヴァクストは入れ違いに一枚の板を渡してきた。紙ではなく金属板だ。
「ふぅ。俺は一仕事終えたが、こいつは特殊な接着剤。2液混合の死外線効果タイプだ。命の危機にさらされると放出される『シネナイン』が、太陽光と反応してしっかり固まる」
「わかるようなわからないような説明だが、じゃあ死に際しか使えないのか?」
「大丈夫だ。死にそうな目に遭えばいいから」
ヴァクストの目は本気のようにも見える。確かに死にかけの方が治療効果は高い時がある。
「もちろん安静が必要だ。療養所に連れて行くから、この預かり証を彼に渡しておいてほしい。もちろん、退院時には高い治療費清算してもらうが、死よりはましだ」
「請求書、身代金として、1万グラン。すでに確定してるんだ? 集金できるの?」
「もちろんできるさ。人質、いや患者は特別窓際病棟『デスプレイケース』に入院いただく。面会自由、寄附金希望。俺は次に行かねばならないところがある」
ヴァクストは修理した人形の破片を指で押さえ、圧着しながら立ち去った。
「ぬぉー、我が嫁がいない。どこに行ったのかなぁ? また、ゲーム『すれ違いふーふー』がしたいのかな? 前回は私の溢れる愛センサーのおかげで、ほんの4日で見つけて、だんなさん勝利だったはずだが」
目覚めから『嫁さん』を連呼したかと思えば、ぶつぶつと呪文を唱えながらノミは探しものを始めた。
「どうも記憶が欠落している。食い物を探してたんだっけか……何を食べようか?」
置いた場所を忘れる以上に怖いことは、忘れたことを忘れることだろう。何を探しているのか、ふらふらとさまようノミを黙って見守るプヨン。常時発動混乱吊り下げられた鉄板にたどり着いた。
「恥ずかしがらずに出ておいで。あれ? 何ですか、これは?」
「それは、治療費請求板だそうだ。破られないように特殊な金属板になっている」
「請求書? 1000グラン! 身代金にしては安すぎる。こんなもの、こうしてくれるわ!」
一枚の見慣れない金属板に気づいたノミは、プヨンの説明が終わる前からいきなり手にすると折り曲げる。一度曲がると気付くとそのまま屈曲試験を始めるたが、根性が少し曲がっているヴァクスト製のオリジナルの特殊製法金属板はよくできている。硬さがあるのに薄く、曲がりにもめっぽう強く、くにゃくにゃとしつこく何度も曲げるが結局破断することはなかった。
「この! この! なぜ曲がるのに折れない? 貧弱そうに見えて折れ目もつかないとは生意気な」
「そう簡単には傷つかず、折れないらしいよ。しかも複写も保存してある優れもの」
「ふぬぉぉぉー、柔らかい金属板にあるこの文字は? なんだこれはー」
「奥さんの治療費だそうだ。ご本人はあの透明な板で仕切られた集中治療室だ。面会謝絶だそうだ」
「ぬぅ。砂漠で日干しにするとは! 陽の光に当たるとお肌が剥げてしまう」
「アクリルガラスは紫外線をカットしている。さらに日陰側に保管してあると聞いた。金が払えるまで退院はないそうだけど、どうする?」
わざと目につくように透明ガラスの奥の棚に丁寧に座っている、いや監禁されている人形がある。ケースの隅には効果的にピンクの照明が当たり、プヨンが以前伝授した光学魔法も確認できた。
「おぉーー、よく見るとなかなかに魅力的な演出。おまけに我が嫁が見た目はすっかり元の姿に戻っている。だが、なぜこんなところにいるのだろう?」
「治療中だそうだ。治療費を払うまで、退院? できないと言っていた」
「むぅ。このわずかな時間で人質に取られるとは。なんだこの呪文は? UV99とは呪いの類か? 俺が助けてやるぞ、どりゃー」
ガンガンと叩くが、仕切りの分厚いアクリルガラスは、厚さ1cmもあると防御力は耐荷重100kg近くまで耐えられる。ノミの力で砕くことは厳しそうだ。幸い、見た限りではこれといった警報装置はついていない。防音対策もあるのか、ほとんど音もせず、債務者兼院長のヴァクストも、まれに活躍するトキドキ聖女様のランカも出てくる気配はない。もちろんこっそり様子見している可能性は高い。
「ふぅおー、最強ノミ様のテノミ攻撃! がぁー!」
ゴキンといい音が響いた。ヴァクストに技術提供したプヨン監修アクリルガラスが、ノミの拳に大打撃を加える。明らかに折れすぎた右腕から、今まさに出血しようとしていた。
「男には勝てぬとわかっても挑まねばならない時があると聞くけど、ノミさんどうする?」
「むぅ、知将の言葉は心に刺さる。しかし、男はいかなる時も涙を見せてはならぬ。たとえドライアイ攻撃や失恋攻撃を受けてもです」
目を瞬かせ、乾き対策に対抗するノミ。いろいろ考えているようだ。急に目が見開かれた。
「おっと、忘れていた。そうだ。昼寝の時間だった」
「え? さっきまで寝てたのでは? それは嫁の救出より大事な用事なのか?」
「時は金なり。アイシャルリターン、嫁は生命力が高く、戦わなくても常勝腐敗。腐ることはありません」
ノミは痛みをこらえながら立ち上がる。すでに負け確定にも見えるが、プヨンの手を引いて強引に飛び上がった。
ノミ任せで少し飛ぶとそのまま少し飛ぶと、すぐにヴァクタウンの東の湖畔が見えてきた。プヨンを連れて行く理由はわからないが、ここは確かノミとよく会う湖だ。その底には例の接着剤の洞窟があり、その前に立つ女性に気付いた。もしかしたら、ここには何かを引き寄せる特異点かもしれない。
「む。あそこから邪気を感じる。この脂肪フラグをはためかせているのは見覚がある。警戒体制レベル23にシフト。お前はもう見えている! あの姿はノビターン様に酷似」
「え? ノビターン? 見えているの?」
まだ距離があるがノミははっきりと何かが見えている。プヨンの氷距離望遠レンズ『アイスコンタクト』より有効範囲の長い遠視ノミは、ノビターンを前提とした回避行動を開始した。
「なぜ? おかしい。あれは邪霊復活か? 俺はあのとき確かに崩れ去るノビターン様を見た。特に強力補正服が弾け、ウェストが総崩れを起こすところを。するとあれは化けて出てきたリッチ、いやあれは貧乏神だ。殺人音波を出される前に成仏させねば。滅死咆哮、聖上破邪攻撃『ゴー、ルデンドロップ』」
ノミが高度を下げ、緩降下爆撃体制に入る。それを見上げる女性の姿が確認できた。プヨンが集音方向をそちらに向け、人物の確認に入ると聞きなれた声がした。
「え? ノミ? あれはノミなの?」
集音中のプヨンは2人の呟きを拾い、脳内記憶との声紋自動判定結果でもう1人はノビターンと確定したが、2人の距離が通常会話を難しくしている。ノミが高度50mで旋回し、攻撃態勢に入った。
「圧力上昇、シッコパニック爆弾内加圧開始、パワー200%アップ。格納庫解放パンツーダウン。この聖水を浴びろ」
状況が予測できない。ノミは何するつもりなのか。
「なに? 何するつもり?」
ノビターンも不思議そうに見つめている。立っていた場所から湖畔から湖水に入ろうとしていたに違いないが、それを中断し口を開けて叫びながら見上げている。
「逃げられないぞ、除霊、除霊」
「ちょっとこっちにきなさい。少し話したいことがあります」
「ぬぅー、悪霊め、俺を死の世界に呼ぶつもりか。悪霊には聖水、そう、聖水だ。我が聖水で除霊してくれる」
プヨンが拾えている声は、2人にはお互い聞こえていないようで、会話になっていない。
「え? ちょっと待ちなさい! 何を考えているのです!」
「目標! 開いた口! 二度と目の前に崩れかけが現れないようにしてくれる!」
まさかと思ったが、聖水の言葉にプヨンはハッと気づいた。ノミの顔が放つやる気から、もう今から止められないとわかる。たしかに聖水は邪悪なものへ効果がある。ノミなりの理に適った攻撃だ。もし命中すれば、物理面だけでなく精神面に対しても甚大なダメージをもたらす、2度と思い出したくないが決して忘れられない永続効果がある悪夢のような攻撃方法だ。
切り離しが成功したパンツが空にはためいていく。広範囲に広がり万が一の攻撃範囲に入らないよう、プヨンも上空に回避行動を取る。ノビターンもさすがにノミの異常行動に気付いたようだ。
「ちょっと待ちなさいって。狂ったの?」
「ゲートオープン! シモの腫物、ところかまわず。ブリーフ!」
プヨンの経験値をベースにナンテカルロ法で導き出された危険判定値が警戒推域を超え、この攻撃が敵味方を区別しない広範囲リスク攻撃と告げている。おそらく投下後は空域汚染が避けられず、一定時間の飛行禁止空域になるはずだ。
小水をまき散らそうとするノミの前では、下層にいるノビターンに優雅に眺める猶予はない。どうなるのか、少しの不安と大いなる興味がプヨンの心拍数を上昇させた。あと50m。
「くっ。局所攻撃、マジ闘風! 突風! 突風よ!」
突如ノビターンの声が聞こえた。急激に気圧が変化し、ノミの攻撃開始に合わせるように森から湖水に向かって強い風が吹き出した。これだけの大規模な強風、しかも広域にわたる気圧変化は、至近距離での旋風魔法の数千倍はエネルギーが必要のはず。ノビターンの攻撃流しは全力に近い。
「投下!」
「手加減はしませんよ。この! 全力回避! 突風で飛ばしきる!」
「ぐぉーあー、ぬぁー、最後の一滴まで投下だ!」
「ふん。全て己で受け止めるがいい」
「むぅぅ。投下した聖水が! 下方から戻ってくるぞ! うわー避けられない」
ノミは一度出したものが突風で吹き戻り、ノミの腹に向かってくるのを見た。細かい水滴が混じった風が吹き付ける。恐ろしい状態だ。これは避け切れない。相殺はよくあるが、このような攻撃反射を思いつくとはノビターンは相当さえている。
反射効果をノミは避け切れずに聖水を含んだ突風を大量に浴び、全身を押さえて苦しそうに悶える。そのまま風は湖上の方に吹き続けた。同時にプヨンはノビターンの反射効果の副作用に気付いた。
「ノビターンは、時々採取に湖水に入っていたよな。今日も入るのかな」
例の湖水に潜り、素材採取に向かうノビターンのことが気になったが、ノビターンなりに考えているだろう。だが、まだ効果発動中で深く考える時間はない。
自身生成のものとはいえ、毒霧効果かノミの精神に限界がきた。
「ぬぅぅ、ショックだー。思考が停止する。ぼふぅ」
飛行中のノミはショックのせいか意識が飛び、そのまま湖水に向かって落下していく。ノミは慣れているだろうから無意識に近くても上手に着水するだろう。ただ、おそらく風下の湖水や大気は濃度は薄いが広範囲に汚染されているのは間違いない。
バシャシャシャー
この音は垂直落下ではない。ノミの着水音からプヨンは安心した。それを見てプヨンは、一段落して呼吸を整えているノビターンにそれとなく助言する。
「見事な魔法反射ですね。毒霧を完全に相手に反射するとは恐ろしい」
呼吸を整えるノビターンの顔に安堵の表情が出る。
「と、当然です。しかし、ノミ。あのような恐るべき毒魔法を使うとは!」
そのまま無言で呼吸を整えるノビターンに、プヨンはまだノミの魔法効果が続いていることを指摘した。
「で、今から湖底に素材採取に向かわれるのですか?」
「そ、そうです。本題は忘れておりません。大丈夫です」
ノビターンの表情は余裕がある。迷いはないようだ。
「まあ、そうですね。全く躊躇いなく、あれだけ広範囲の湖上の空気や湖水に吹き付けてましたもんね。相当聖水で汚染されたようですが、逆に低濃度ですし気持ちの問題ですよね」
「え? 汚染? どういうこと?」
「聖水の混じった水に突入されるのでしょ。あれだけ振り撒いたら危険生物が寄ってこないかも」
「え? 聖水を振り撒く? たしかに湖にまいたわね……」
今頃気付いたのだろうか。ノミらしからぬ二重三重の複合効果に気付き、ノビターンは呆然とした顔をする。
「あれに潜る……、今日は、無理でしょ」
「僕はそろそろ戻りますね。今日だけですかね。どのくらいで納得できますかね」
「え? え、えぇ、そうね」
そのままいつまでも上空待機するノビターンだった。




