気持ちの切り替え方
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ヘリオンは室内で足踏みしながら、動揺を隠そうとしていた。理解しようとすればするほど、おかしなことがあることに気付く。
第一目標ワサビ。そういう意味では、ここがワサビが言っていた目的の街であることは間違いない。何かしらの理由で街を追われたとすると、何かがあったはずだ。ただ、人の往来は少なく見えるが、思ったほど治安は乱れてはいないし、組織同士の反抗もなさそうだ。
目の前のゲイルやその付き添いの兵士をじっくり観察した限りでは、ヘリオンの目にはこれといった問題はないように見えた。砂漠特有の白い服に身を包んでいるが、彼らにはこの服装は普通だ。
「私は聖職者と名乗る集団に追いかけられたわ。片手にエプロンを持ちながら、聖なる囚人服を着せろと叫んでいたの」
「エプロンだと生食? 生殖? もしや、性色?」
「あまりの恐怖に自動発動の心身強化がかかり、走るスピードが1.3倍ほどに強化されたわ」
「なぜエプロン?」
「理由はわからなかったけど、このあたりの囚人服がそう決まってるみたい」
明らかに不審な目で見てしまう。地道に調査したいと別行動していたユコナがうまく街を一回りしてきたはずだが、得られた貴重なはずの情報には疑問も多い。
「他には、隅にいる補佐の女性は踊り子風だ。露出の多い服は暑いからわからなくはない。で、案内してくれた初老の男は、どうして外郎の着ぐるみなんだ? こんな格好をしているのは、どういう仕組みなんだ?」
真っ白な直方体に開いた穴から顔だけ出ているが、とても歩きにくそうだ。これが標準服だとしたら背景が読めない。
「さ、さあ? 防御力が高いとか? あ、浮いてるから浮遊力アピールかも?」
「ふんっ。違うだろ」
ユコナのコメントはヘリオンに一蹴された。
相手は占領地特有のどんよりした覇気のない人々で、笑顔や雑談も見られなかった。それなりに時間が経っていることを考えると、残った人々はこれを受け入れ、当て付けで周りにキツく当たっているようにも思えた。
そうユコナが思っていると、突然、グラっと大きく揺れた。地震だ。一瞬だったが、建物ごと揺れた。
「お前たちには地面の裂け目におちる、避けられない定めが待っている。確実な死だ」
同時にガバッと起き上がったリスターがよくわからない宣言をしている。さっきまで酔い潰れて、床に座り込んでいたはずだ。その後も喚く喚く。
「むぅ、リスターさんの酒癖が悪い」
「どうするの? 目が血走っている気がする。退室する?」
「ユコナ、時すでに遅いよ。タイミングずれの退室行動になんの意味があるのか。こうなると、ちょっと迂闊に動けない。と言って置いていくのはもっと無理だ。吐かれでもしたら大変だし」
「あ、ここで超大技ラッパ飲みを出すとは、あれは死ぬ覚悟があると思われる」
ヘリオンもそれなりに立場があり、人と会う機会は相応にこなしてきたが、今回のリスターの敏捷性強化は恐るべきものだった。時間にして1分以下。気付いた時には応接室の高級酒棚から取り出した一本が空になっていた。いつの間に栓を開けて飲み切ったのか、まったく動きが見えなかった。
周りが注目する中、リスターが大きく息を吸い準備行動に入った。そして服の裾を摘み上げた。
「いやーーん」
リスターの呪文に衝撃が走った。全員が完全に動きを封じられている。初見のゲイルはもちろん、何度か経験済みのヘリオンですら視線が釘付けだ。
「ちょっとだけよ? じゃあもう一回見せてあげようかなー私の自信のほどを。きえぇぇー」
かろうじて動けたゲイルが引き攣った笑みを浮かべ、それに気づいたリスターは声を張り上げ一喝する。リスターの考えが読めないヘリオンがハラハラしながら見守っていると、足元のふらついていたリスターが派手に転倒し顔から着地した。
グラッ
「えっ? 今のは違う?」
建物が再び大きく揺れ、誰かがの裏返った声が聞こえた。リスターは即座に跳ね起きると自信に満ち溢れ、満足げに笑う。ヘリオンはリスターを凝視、続けてユコナとゲイルを見比べる。
「あっと、私は未来と回路が繋がっているの」
「……頭の回路は切れているようだが」
ゲイルの声だが、言葉に力強さがない。がっしりとした体格の男だが、この手の不気味さには免疫がないのか、それともリスターを信じる心が芽生えているのか。
これはチャンスなのかとヘリオンは悩む。ゲイルが統治者なら、ゲイルをなんとかすれば、統治者を入れ替えることができるかもしれない。少し煽ってみる。
「リスターさん、真に死に値する罪があるものにはアルコルの裁きがあると聞きます。どうですか?」
アルコルとは裁きの矢の別名だ。死を運ぶ矢とも言われ、悪性を働く者に当たる言われると砂漠地帯では有名なものだ。これを模して、即席で裁く時は、被害者が罪を犯したものを矢で撃ったりもする。
リスターがうまく乗れば、さらにゲイル達の精神を削れそうだ。ヘリオンはなんとかしたいとの気持ちはあったもののきっかけがなかなか掴めず、最初は穏便にいこうと思っていたが、言い訳はあとで考えるとして、一旦のってみることにした。精神的なものだけなら、最悪酔っ払いのせいにできそうだ。
リスターの手のひらが赤い。相当血流がいいのだろう。
「え? アルコル? それなんだっけ??」
「え! 言い伝えにあるでしょ。忘れたんですか? ほら、天の意志。天網恢々、きっちり漏らしませんよ」
「私はいい子よーほんと。悪い子だけ、バツバツ」
リスターが上手に流すが、ゲイルにも効きそうないい返しだ。さすがに親善と言っているのだから露骨な敵対行為はまずいが、まだいける。統治者を威嚇するネタを仕込みつつ、あくまで偶然を装わねばならない。どう結末に持っていくかヘリオンは考えていた。
「天の意志が落ちるー」
そろそろ最後のように思える。リスター窓の外を指差し、ヘリオンも釣られて窓の外を見た。その横でくるくると回転しながら地面に倒れ込んだ。
空から落ちる赤い光が見えた。光が当たった雲が輝やき、稲妻が走ったときのように雲に反射した光も見えるが、一瞬で消えず動いているように見える。
「こっちに突っ込んでくるのか?」
ヘリオンが身構える間にも窓が一際明るくなり、空に光の筋が見えた。時間にしては一瞬の気もするが、窓近くにいたせいかしっかり見ていたヘリオンにはすごく長く感じた。
「な?」
ゲイルを入れて数人も気づいた。それぞれから声が漏れ出たが、窓に飛び込んでくるように見えた光は、そのままゆっくりと建物の上に行ったのか、窓から見えなくなった。
再び静かになる。
何だったんだと思い、ヘリオンの気が一瞬抜けた瞬間、ババンと激しい音がし、窓が粉々になり内側に飛び込んでくる。
反応できたのはユコナとゲイル、そしてリスターが床に倒れ込んで回避行動を取れていた。
「ギリギリ間に合った」
「おぉ、す、すごいユコナ。あの一瞬で」
「く、訓練の成果が出た! プヨンの不意打ち反撃の訓練が!」
ユコナが辛うじて出した薄い氷板が飛び散る窓ガラスの直撃を防ぐ。
「見たでしょ。サラ、緊急時は集中力が上がるの。脊髄反射を利用して霊媒変換すると、普段の数倍の効率で氷板ができるの。奪った熱は即座に火球で排熱するの」
そこまで言って、周りが静かなことに気づいた。動けているのはユコナとサラリスだけ。少し様子見して不安になった頃、ようやくゲイルが立ち上がり口を開いた。
「ふ、ふん。何が天の意志だ。これがご利益なのか? 親善という割には、まったくメリットがない」
たしかに不吉なこと伝えたが、今のところガラスが割れただけ。あの信書もどきも以前に手に入れておいた当たり障りのないもののはずで、挨拶程度の内容だ。と言って、ここで退出の挨拶は唐突すぎる。
ゲイルがリスターを睨みつけた。
「この預言者もどき、酔っているのか? それとも気が触れたか?」
「こ、これは、不幸を回避するため、霊力を使い果たしたようで」
「災いはコイツでは? むぅ、我が部下にしてやりたいところだ」
「え? 彼女を部下に? 不自然ですが?」
少し唐突で、ヘリオンが確認する。
「部下なら大懲罰にできるからな!」
ゲイルの怒りももっともだ。ヘリオンが次の手を大急ぎで探す。頭フル回転で360度を3周くらい回したいところだ。
その時、窓が再び明るくなった。窓から赤い光が見え、地面と空の境に向かっていく。すぐに数km離れた砂丘に落ちるのが見え、『おおっ』とどよめきがした。ゲイルだとすぐにわかったが、声がうわずっている。
何かあるのか、それともリスターがいうように本当に呪いなのか?
(光る空中? もしかしてプヨンか? 何か意図があるのか?)
ゲイル達だけでなくヘリオンもかなり不安だ。
「ゲ、ゲイル様、これは? お身体は平気なのですか?」
「ふ、ふん。結局、光るだけか。自然現象の雷光の一種だろう」
チラッとリスターを見るゲイルだが、返事の気配はない。どうやらただの泥酔のようだ。しかしリスターは起きていた。声質が変わり、地の底から響くような太い声が聞こえた。
「三度目の正直」
リスターが言い切ると、空がさらに明るくなり、光の筋が何本も見える。雷ではなく、赤い一直線の光だ。続けて破裂音とこれまでで最大の地面の揺れを感じた。それが一本ずつ増え、櫛のように並ぶ。合計9本が建物に迫ってきた。そして最後の一本は街のすぐ近くで、窓の向こうに大量の砂が舞い上がるのが見えた。
チャンスだ。全員窓を見ている。今だ!
ヘリオンはゲイルの頸動脈付近に強い圧力をかける。今なら気が抜けていて一撃で決まるはずだ。
ドスン
「ゲ、ゲイル様、いかがなされました」
「す、すぐに医務室へ」
ゲイルが倒れた音で皆が騒ぎ始めたが誰も見ていない。もしダメージに過不足があるとどうしようと思っていたヘリオンだったが、少しホッとした顔をして、この後の展開を急いで考え始めた。
夜遅くになり周りは真っ暗だ。プヨンは建物から離れて町外れに移動していた。ヘリオン達の歓迎とやらは主催者急病により中止となっている。特定の予定がなくなり、今はフィナの吸水中だ。もちろん単純に重量級のフィナ本体の運び屋として使われただけだ。
「あの燃え尽きていく鉄球の赤い光はきれいだったけど、結局何回やったんだっけ? これは成功なの?」
フィナが足を水に浸し、植物モードの根で水を吸い上げている。この小さな池は昼間にプヨンが天の御石作戦を実行した際、できたクレーターに水が溜まり副産物としてできたものだ。
「もちろん成功だ。世の中のライフは3。2回まではやり直せる」
「結局何をやったの? よくわからない」
「簡単だよ。ヘリオンと決めた作戦通り、天から石を落とせと言うので落としただけ。そうしたら地面がへこんで、地下水が湧いてきたみたい」
フィナに答えながら、プヨンは手に持っている鉄球を見つめる。屋根から落ちた時に見つけた鉄球だが、おそらく防衛用の砲弾だろう。大した数は用意されてなかった上、燃え尽きてしまった分も入れて、最後の一個だ。
「プヨンが何をしたのかよくわからない」
「鉄球をレイノレカいンで超高速で撃ち込んだだけだ。電気を流せる鉄でないとできないんだよな」
「最初は音だけだったようだけど」
「あー音速超えた時のソニックブームね。加減がわからず、最初の方の鉄球は、速すぎて燃え尽きたっぽい」
「窓は? ガラス代は黙ってるの?」
一瞬言葉につまったが、ここは突っ込まれる可能性は予測していた。平然と装う能力は、顔の表情を固定化することで対応する。
「あれは副作用だ。ガラスは鉄球が音速を超えた時の衝撃波のせいで、基本はガラスが犯人だ。カラスの音速超えでも割れるから無罪」
「割らせはせぬぞ、あれこそは価値高きガラスだ。割らせはせぬぞ」
「な、なんだそれは?」
「今頃そう言われているかも。あれもプヨンのせいなのは知ってる」
「だ、大丈夫なはず。砂漠はガラスの原料も取り放題だし。なんなら直そうかな?」
フィナの曲解、無理解はユコナと同様いつものことだが、高速で撃ち込むと空気との断熱圧縮で鉄球はあっという間に高温になり、すぐに燃え尽きていた。最初は冷却のことなど忘れて瞬間蒸発、2回目も似たようなもの、3回目で速度(加熱)と冷却を調整し、ようやく鉄球を超高速で地面に激突させることができた。
うまく演出できたのか。ヘリオンがどう動いたのか急ぎ確かめようと思った。




