身の隠し方
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ユコナが徒歩での街の散策調査を再開してすぐ、2周目に突入して3分と経っていない。魔力の通りをよくしているため、通信距離はかなりあるはずだが、時間からしてせいぜい数百mしか離れていないだろう。
「まずい。隠れて!」
「え? どこに?」
反射的に返事したが、誰もいない。ユコナが送ってきたのは短いマールス信号、その内容は緊急事態を示している。つい先程までは平和だったはずだ。そんな短時間で何があったか考える。
「出ちゃダメ。隠れて!」
プヨンはすぐに木の影に隠れてあたりを見渡したが、目の届く範囲には誰もいない。どこにいるのか。そもそも、なぜすぐここに戻ってくるのか。
「こっちじゃなく、違う方向に行こう。撹乱するんだ」
くるなというわけではなく、よく考えてほしいということ。当然の作戦だ。もしピンチだったとしても、まっすぐ仲間の元に逃げるのは悪手だ。
「おい。説明は? どこに行ってるんだ?」
しかし、ユコナからの返事は『ブツっ』と大きな通信切断音がしただけだった。
まずは何があったか想像する。たいてい予測のつかない動きをするユコナだが、バレるのが早すぎる。どこかに侵入者と書かない限りありえない早さ、わざわざ兵士の待機所で窃盗したのかと思うくらいだ。どこに行ったか気になるが、ユコナの連絡もあり、とりあえず言われたように身を隠す。
どこに移動するか周りを見ると、ふと隠れ試験のことが頭をよぎった。ノビターンや校長に言われたことだ。ユコナの動きはもしかしたらそれが絡んでいるかもしれない。
いかにユコナが少し抜けているところがあるとしても不自然だ。ひいき目に見て、そこまで抜けていない可能性がゼロではないとすると、各自1つずつ誰かを試せと言われている不意打ち課題が気になりだした。
バスン
突然、くぐもった音がした。ユコナだろうか。何かトラブルなのか、それとも別の目的があるのかわからないが、仮に意図的だとしたら、一般の人に見つかるリスクが大きい。
「もしかして、こんなところで試す? うーん、ユコナめ」
一瞬自分の考えに迷ったが、ユコナなりの陽動作戦かもしれない。あと先考えない場合も想定して、それならと心を引き締めた。
今ならまだいろいろと対応できるから大丈夫だ。大急ぎで隠れ場所を探す。
ここあたりの水中は意外に透明度が高く見えやすい。先ほどの蛇で試したように下手に水中爆発や毒で攻撃されると、小さな爆発物であっても回避が厳しい。
姿を隠蔽したとしてもいなくなるわけではない。上空は隠れる場所がないため、気流や砂埃で見えてしまうかもしれない。木や草むらは安易すぎる。周りは採水池の土手で大小たくさんの岩が転がっているが草木もない。
急ぎユコナが行った反対方向、池まで走る。堤防の上を乗り越えると水面まで高さ3m。思ったより高さがあった。水面までは切り立った土壁になっている。
ここなら身を隠せると急ぎ飛び降りる。水面付近に自分がギリギリ隠れられるだけ土を削ると、磨崖像のようにその中に体を隠した。これで崖上からは見えないはずだ。念の為、ユコナに位置情報は送らない。
ザザッと砂を蹴る音が近づいてくる。まだ遠いがこの足音と繰り返される間隔から、聞きなれたユコナの足音であることはわかる。うまく隠れたか、失敗したか、ドキドキしながら待つ。
「プヨン、まずいわ。見つかった。ここはよそ者を排除しているわ。潜入方法を考えないと」
「どこにいるの? 動かないでと言ったけど、声は拾ってるでしょ? すぐ出てきて!」
最初は集音で拾うしかなかった足音だったが、声が普通に聞き取れる距離になった。この時間から割り出した接近速度から、ユコナが全速力で走ってきたことがわかる。
不思議と聞こえる足音は1人だけだ。まさか1人でジョギングなのか。それとも足音をさせない何かに追いかけられているのかもしれない。
そういえばなぜユコナは空中に避難しないのか。それ以上にユコナの言う『動かないで』も引っかかった。これはお願いなのか指示なのか。後になってからあいつは好き勝手してました、などとトラップを仕掛けるやつもいる。
ユコナが何度か呼びかけるが、プヨンはもちろん様子見。ユコナのスキル封じのためにもこれはやむを得ないところだ。
そのうち急に違う足音が聞こえた。足音は数えると5人分あるが、妙に似ている気がした。ユコナの自演ならなんという周到さ。これは5人に追われる演出か。
「マズイ、プヨン、いないの? これが最後よ、いるなら早く。すぐにサポートして!」
「うわー!」
同時におかしな叫び声も聞こえた。ちょっと獣の叫び声に近い。追いかけているとしても、人はこんな声を出すだろうか。
一方で、もし試す機会を伺っていたなら、追われるふりをしてプヨンを試そうとしているのかもしれない。迷う。いや、ユコナならきっとそうする。両方に対応できる良作が必要だ。
姿、気配はユコナに気付かれないように可能なかぎり対策しつつ、プヨンはひたすらじっとしている。10mほど向こうでユコナらしき足音が止まった。
「見つかったのは不可抗力として、とりあえず対岸に行くわ。プヨンめ、なんかあったらサポートしてと言っていたのに!」
ユコナの言う内容を最大限解析すると、侵入者だと即バレしたが、追手はすべて私が引き受ける。だから対岸に行けるようサポートをしてくれたら十分と理解した。
「おっ」
プヨンの頭上で土を蹴る音がして、反射的に声が出てしまった。見つかっていないと思っていたが、ユコナが躊躇いなくまっすぐ近づいてくる。近いのは知っていたが、あまりにも真上過ぎる。
崖上から飛び降りてきた者を認識した瞬間、冷や汗がドッと出た。飛び降りたのがユコナなのは声からわかっていた。だが、これだけ真正面にいるということは、プヨンの居場所に完全に気づいていたということだ。偶然だったと思うほど甘い考えでは生き残れない。
けっこう気配断ちには自信があったつもりだが、何か気づかれるようなことをしたか。慌てて考えるがミスはなかったはずだ。体温、磁気、呼吸音か、それとも他の何かだろうか。
ユコナもこちらを見て、プヨンに気づいたことがわかる。見つめ合う瞬間、蛇の前の蛙のように動けなくなった。見ただけで動きを封じる、強い生き物ににらまれると似たような状態になるが、さして恐怖を感じないはずのユコナが、これを使いこなせるとは予想外だ。
ダメだ。動かないといけない。だが、頭は理解しているが動けない。
身体は動かないが意識の発動はできる。硬直状態を解除するため、口の中で小火球を破裂させた。一つ間違うと顔がふっとんでしまうが、気付け魔法の一種。身体的に動きを封じられた時でも、精神が恐慌にならなければ動きは回復できる。
口の中が火傷するピリッとした痛みでハッと我に返った。そうだ、ユコナのサポートだ。
「プヨン、ここにいたのね。さすが私。するどい勘!」
むっと唸る。勘とか言っているが信じられない。だがユコナの作戦にのってやる。どうやって見抜いたのかはいずれ聞き出すとして、やるべきことをやる。即座にカバンに手を入れ、掴んだものを投げた。フィナツーだ。
「わかった。任せろ!」
ぎゃっという声とともに起動したフィナツー。突然引っ張り出され驚いているが、プヨンのサポートは成功。無事にユコナに貼り付けた。
「俺を残して先に行け! こいつも持っていけ!」
「え? 話が! ちょっと待って!いらな、いーー」
まさかと思ったが、ユコナが火球を撃つ準備行動に気付いた。もしもを考え、なぜか理由は一旦置いて、こちらに向かって撃つ可能性と対応を考える。火に対するは水壁、即座に水中で気化爆裂を起こし、発生させた大量のバブルパルスを使って広範囲に水飛沫をあげた。これで威力は減殺できる。
対岸までざっと見たところ1kmほどだが、同時にユコナの足元の水を凍らせて橋をかける。今までも何度もやった水面橋が思いついた。ざっくり必要なエネルギー量の計算をする。
目の前に1mの氷の橋を作るのと、爆裂を起こす魔法に必要なエネルギーがだいたい同じくらいだ。距離の二乗で消耗するから1mの氷橋でも1㎞先ならさらに100万倍消耗する。
作り出してすぐ気づいたが、ざっと計算すると1から1000m分の氷を作ることになる。
「お、これはまずい。氷橋はきつかったか。1mの氷がざっくりと3.4億個分だ。ちょっとした地震並みのエネルギーがいる」
氷の橋の上を対岸まで走らせようと思ったが、念のため、フィナツーごとユコナを対岸まで弾き飛ばすことにした。まだ目眩しの水飛沫は残っている。プヨンの行動はユコナには見えていない。
ザザザっと水柱の落ちる音の中、他の足音や人の声が聞こえなくなった。どうやらユコナが追われていたのは事実ではないようだ。そうなったら、対応は簡単だ。さらに加速させ、ユコナ達を対岸まで投げ飛ばす。
「待って、情報が、情……」
「上空ではない。ユコナの行先は対岸だ!」
誰に向かって打ったのか、ユコナから数発の火球が放たれたが、飛び去るユコナが放つ火球は慣性が働くのか大幅に速度が落ちている。明らかに遅すぎる炎群が目の前を通過していく。ユコナを逃したタイミングは絶妙だった。大した威力ではないが、ユコナとの会話に応じていたら今頃火球は命中していただろう。最悪、ユコナやサラリスが練習中と噂の氷雨や火雨をくらっていたかもしれない。
飛び去ったユコナに手を振り、手旗信号でまた会おうとのメッセージを送る。同時に崖上の様子を探るが、上から誰かが下りてくる気配はなさそうだ。
フィナツーとユコナがくっついれば、ある程度の位置把握もできるだろう。そのうち合流するつもりだが、プヨンも崖沿いを調査しながら、ゆるゆると対岸まで移動することにした。
ノビターンは廊下の窓から地面を眺めていた。先ほど立ち上がった拍子に、不意にめまいがしたからだ。どうも最近やたらと疲れている。すぐ隣にいたアサーネが歩みを止めて振り返っている。
「ノビターン様、最近お疲れですか? 心ここに在らずという感じですが。おまけになんとなく薄くないですか?」
「え? 薄いですか? 確かに心が疲れてる……」
「??? だ、大丈夫ですか?」
「あ、頭が押さえつけられるように重いのです」
「中身がからっぽでなく、詰まっているということですか?」
まるでノミのようなアサーネの言葉に反応し、ノビターンは思わず頭に手をやってしまったが、そのまま意識が途切れてしまった。目が覚めると、先ほどいた廊下の隅に寝そべっている。アサーネが心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫ですか? 最近心ここに在らずに見えますが?」
「私はどのくらい寝入っていましたか?」
「5分と経っていませんが、今日だけでも3度目。寝不足とも思えませんが、コマ送りのように、ゆっくりと倒れていきました。重いので転がして隅に運びましたが」
そうなのだ。ノビターンも気づいていたが、時々意識が途切れる。髪の毛の抜けや爪の割れも気になっていた。
「聞いておられますか? 先日ニードネンの取り巻きのゴスイも、治癒が効かず、カラダが崩壊したそうです」
「それは聞きました。ニードネンに言われて画策していましたが、何かで酷い目にあったとか」
「きっと薬か実験の副作用でしょう。カラダが崩れると。彼はカラダを入れ替えることになると言っています」
そうですかと呟くノビターン。言い換えると、若い人間の肉体に、自分の精神を押し込み、入れ替わることを意味する。元を剥がし空になったところに押し入れば、死者の生きる欲求次第で定着できる。治療は若返れないが、これならなんとかなる。転生の方法だが、乗っ取られる方、大抵は寿命が長く自我のない幼い子供を思うと胸が痛い。
「大丈夫です。すぐに元に戻りま……」
「ほら、また。薄れているのは、影でも髪でもなくて意識ですよ!」
ノビターンは意識を保とうとするが力が抜ける。ずっと誰にも言えないことではあるが、2つに意識を分けたあと、元に吸い取られるような感覚がある。力の強い方に吸い取られるような、ヴァニシングツインのような、少しずつ力負け、弱っていくような感覚がある。
この先は……、考えたくないが、自分のほうが弱かったのか、それとももう1人の分裂相手も同じなのか。知っているとしたら1人しかいない。
「ノミを呼んできてください。頼み事があります」
アサーネにはこの状態を言っても、心配されるだけだ。なんとなく元の1つに戻ろうとしている気がする。死ぬわけではないのだろうが、雰囲気からはこちらが分が悪そうだ。
次の接着剤回収に行けるか怪しいが、あっちの様子を探る必要があるように思えた。




