お手紙の渡し方 2
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金属柵を抜けると、そこは溜池だった。高さ1mくらいの高さから流れ込んでいる。即席の潜望鏡を取り出し、水路に潜ったまま周りを見渡すが、まだ薄暗い東雲で人影も見えない。それでも事前に聞いている街の人口の割に街明かりもなく、行き交う人もいない。
「プヨーン、さぁまずは周りの安全を見て行こ。喉乾いてるけど、こっちが先」
周りを観察していると、ふいにフィナツーの声が聞こえた。サイドカバンから頭だけ出している。
「言われずとも見て回るが慎重さも大事だ」
「高い建物はないわねー。こんなものかしら?」
この声が聞こえたわけでもないだろうが、ユコナもやってきた。
「さぁ、プヨン、どうしましょうか。まずはぶらぶらして情報収集かなぁ?」
「そうだな。上空からは見てはいるが、次は地上から。うまく居住者のふりをして、まずは一回りして地形を把握しよう」
ヘリオン達の目先の目的は単なる手紙配達だが、今日明日でハイと渡して終わりではないだろう。何かしら返事ももらうだろうから、2、3日の滞在は織り込み済みだ。
ぶらっと溜池から離れ、周辺の住宅街を探索した。地域柄かがっしりとした石造りではなく、砂地や土を固めたような建物が複雑に入り組んで迷路のようだ。
軽く盗賊なども気にしつつ、偵察訓練も兼ねて警戒しながら進む。結局、街外れの上に朝早いこともあって、ほぼ誰にも会わず元の場所に戻ってきた。しばし休憩といきたいプヨンに対して、ユコナは元気が残っているようだ。
「よし、じゃあ疲れた顔のプヨンは、ここで次の行動の準備をしていて。明るくなってきたから人も出てきているはず」
「そうか。じゃぁ俺はここで何をしてればいいんだ?」
「朝ごはんでも用意しててー」
「あまり怪しい行動して、よそ者とバレるなよ!」
「2時間で戻るわ。たぶん!」
見送っていたが、すぐに姿は見えなくなった。まあ街の散策での様子見。普通に歩くだけなら、そうそう不審なことはないだろうし、いきなり襲われることもないだろう。ただ、ユコナのたぶんの言い方だと、気分次第でしばらく戻らないかもしれない。
その間にプヨンもやっておきたいこともあった。しばし頭の中を整理した。
ブーブーブーッ
突然、耳元でパルス音がした。これは魔法波動のマールス通信だ。だが連絡が早すぎる。ユコナが2周目に突入して3分と経っていない。ユコナの魔力の通りをよくしているからかなりの遠方からでも届きはするが、時間からしてもせいぜい数百mしか離れていないだろう。
「まずい。隠れて!」
ユコナの信号は緊急事態を示している。ろくな説明もないことがそれを示している。何かあったに違いない。もちろん冗談でしたの場合は報いを受けさせるが、まずは信じて行動に移す。
「何があっても出てきちゃダメ。絶対見つからないように!」
少し長い文章になったが、ユコナの口調が強い。よほど切羽詰まっているのか。プヨンはあたりを見渡したが、目の届く範囲には誰もいない。だがユコナがヘマをしたのは確実だろう。
なるほど。どうやら違う方向に逃げるということだろう。時折予測のつかない動きをするユコナといえど、そのくらいは機転がきいたようだ。一方で、バレるのが早すぎる。どこかに侵入者と書かない限りありえない早さに思えた。
「もしかして、こんなところで俺を試そうと言うのかな?」
つい独り言が出てしまったが、ふとノビターンに言われた隠れ試験が頭をよぎった。これは日頃の行いが良いため、天からの啓示かもしれない。一瞬自分を信じていいか迷ったが、仕組まれた試練なら十分ありえる。
何という恐ろしいことだろう、それならと気持ちとお腹を引き締める。30秒あれば、まだ色々と対応できる。大丈夫だ。大急ぎで身を隠せる場所を探した。
どこに避難するか?
水中は意外に透明度が高くみつかりやすい。おまけに先ほど蛇を仕留めたように、下手に水中爆発や毒で攻撃されると回避が厳しい。
姿を隠蔽するのもありだが、これはいなくなるわけではない。特に上空では隠れる場所がなく、気流や砂埃の流れで気付かれてしまう。
周りの池の土手には大小たくさんの岩が転がっていて草木はない。急ぎ池まで走り堤防の上を乗り越えると水面まで高さ3m、思ったより高さがある。
ここだ。急ぎ切り立った土手を降り、水面付近の壁を探すと、自分がギリギリ隠れられる窪みを見つけ、その中に体を埋める。磨崖像のようなものだが、これで崖上からは見えないはずだ。
ザザッと砂を蹴る音がした。
「プヨン、まずいわ。見つかった。ここはよそ者を排除しているわ。潜入方法を考えないと」
「どこにいるの? 動かないでって言ったでしょ。すぐ出てきて!」
最初は集音で拾った遠くの声だったが、足音が近づき普通に聞き取れる距離になった。この接近速度はユコナの全速力に近い。
だが、ユコナの言う『動かないで』が引っかかる。以前じっとしてと言われたのにうっかり返事して、言いがかりをつけられて奢らされたことがあった。通称アイスたかり事件。
ユコナの呼びかけが続く。いつもよりしつこいが、プヨンはまだまだ様子を見る。そろそろユコナの『動かないでと言ったのに動いたらから減点1』スキルの効果が出ている頃だ。
そのうち違う足音が聞こえた。これは悩む。足音は5つ。なんということだ、5人に追われる演出まで用意されている。
「マズイ、プヨン、いないの? これが最後よ、いるなら早く。すぐにサポートして!」
「あそこだ!」「追え!」
「くっ。大事な時にいないとは。許せないわ」
同時に違う男女の声も聞こえた。いつのまに複数の足音、声色を同時に操れるようになったのか。まさか、ここまでお膳立てをするとは。だがここまでの能力はないはずで迷う。両方に対応できる良策が必要だ。
20mほど向こうでユコナらしき足音が止まった。
「見つかったのは不可抗力として、とりあえず対岸に行くしかないわ。プヨンめ勝手に動かず、なんかあったらサポートしてと言っていたのに!」
長い独り言の余裕があるようだ。ユコナの言う内容を最大限解析すると、じっと動かず、サポートはしてほしいということになる。
どうやら設定は、ユコナが侵入者だと即バレした。だから対岸まで撤退し、態勢を立て直すため時間稼ぎをしたいと理解した。
「おっ」
プヨンの頭上で土を蹴る音がした。崖上から飛び降りてきた者がいる。そして目の前で停止した。至近で目が合う。
確かめた瞬間、冷や汗がドッと出た。目の前にいるのはユコナ、さっきの足音はもっと離れていたはずだ。ということは、プヨンがここにいると気づいていたということになる。
偶然だったと思うほど甘い考えでは生き残れない。何か気づかれるようなことをしたか。慌てて考えるがミスはなかったはずだ。温度か呼吸音か、それとも他の何かか。
「いた!」
ユコナと目が合った。ユコナもプヨンに気づいた。一瞬見つめ合うが、ハッと我に返った。そうだ、ユコナのサポートだ。
「プヨン、ここにいたのね。さすが私。するどい勘!」
「わかった。任せろ! 対岸だな?」
「え? 何のこと?」
まずはカバンに手を入れ、掴んだものを投げる。フィナツーだ。突然引っ張り出されたフィナツーは驚いているが、プヨンのサポートは成功。ユコナに貼り付けた。これで多少離れても位置管理ができる。
「フィナツーを持っていけば役に立つはずだ!」
「え? 話が! ちょっと待って!いらな、いーー」
ユコナの動きに気づいた。まさかと思ったが、こちらに火球を撃とうとしている。理由はわからないが、
危険を感じて、広範囲に水飛沫をあげる。さらに水壁のため即座に水中で気化爆裂を起こし、ユコナの声を掻き消すことに成功、ユコナの声はバレていないはずだ。
同時にユコナの足元で水を凍らせて即橋をかける。対岸までざっと見たところ1kmほどか。1mの氷の橋を作るエネルギーは、小規模の爆裂を起こす魔法や、ちょっとした火薬の爆発に相当する。そして1km先なら、同じ1mの氷橋でも目の前で作る場合の100万倍消耗する。
「お、これはまずい。氷はきつかったか。1mの氷20億個分だ。ちょっとした地震並みのエネルギーがいる」
ざっと計算すると1000m分の氷、ユコナに氷の橋の上を対岸まで走らせようと思ったがかなり消耗した。
さらに氷は走りにくいだろう。念のため、フィナツーごとユコナを対岸まで弾き飛ばすことにした。
ユコナが大きな声を出し遠ざかるのを確認したが、橋はともかく、目眩しの水飛沫は半分失敗だった。同時に崖上から声がする。おまけに池を横断する即席の橋もある。
「なんだ、あの水柱は? あの威力があるのになぜ逃げる?」
「あんな橋まで用意するとは!」
「待て! 迂闊に行くとマズイ。あんなものを作れるとは、罠かもしれない!」
「まずかったな。うかつに追い込んだら反撃されるか?」
ザザザっと水柱の落ちる音、氷の橋も早くも崩れ始めているが、どうやらユコナが追われていたのは本当のようだ。
「おい、消えたぞ? どこにいった?」
「上空ではない。対岸だ。おい、対岸に回れ!」
「追いつけないぞ。無理だ。もう向こう岸だ!」
誰に向かって打ったのか、崖上からユコナの消えた方向に向かう数発の火球。明らかに遅すぎる炎群が目の前を通過していく。大した威力ではないが、ユコナを逃したタイミングは絶妙だった。ユコナに応じていたら、今頃火球は命中していただろうし、プヨンも見つかったかもしれない。
飛び去ったユコナに手を振りつつそれとなく崖上の様子を探るが、追跡者達が下りてくる気配はなさそうだ。これでユコナもなんとか自力で逃げ切れるはずだ。フィナツーとユコナがくっついれば、すぐに合流できる。
ユコナは誰に追われていたのだろうか、なぜそんなにすぐに見つかったのか。それは後ほど確認するとして、ユコナに合流すべく崖沿いに対岸まで移動することにした。




