定期報告の仕方 1
(384)
やれやれと思ったが、上空が急に暗くなった。影だ。さっきまでもっと上空にいた鳥が急降下してきた。鳥の頭は防具も兼ねたような尖った風防で覆われている。
「誰だ、私の後ろをコソコソと付いてくるのは? 食ってやろうか」
鳥が喋っているところを見ると鳥頭ではない。知性のあるものは、鳥以外でも何でも厄介だ。だがリスターはお構いなしで挑発する。
「黙れ、密入国者め。逃げられると思ったか」
「ふん。天空の覇者たるノミ様が、お前たちが勝手に引いた線に従うと思ったか!」
プヨンにはどこか知ったような声だが、のみさまとは名前なのか。だがあちらも引くつもりはないようで何か仕掛けてくる。ゆっくり考える時間はない。
「見ろ、お前はここで撃ち落されるのだ。これがお前の分のマークだ」
叫ぶリスターから、続けて指示がくる。
「ふふん、上空で私に敵うものか。返り討ちにしてくれる! 戦いでは高地を取ったものが有利なのだ。ど素人め。ぺぺぺぺぺ、ぺっ」
何やら口当たりから飛びちる液体が見え、空中で煌めいている。成分が何かはわからないが、プヨンの直感はそれが危険なものだと告げている。これは浴びてはいけないやつだ。
リスターは何発か食らった。防具が濡れたのかシミができているが、本人は気づいていない。
先ほどノミ様と聞こえたが、心当たりがあることに気付いた。あれは例のノミなのか。確認するため近寄りたいが、動きが早い上に怪しげな液体攻撃が続き捕まえられない。
「うりゃー、食らうときついぞー。汚物で攻撃だー」
声が聞こえる。また何かやるつもりか。リスターは呼吸が荒く、効果的な反論ができない。えいえいと何か打ち出したようだが、空振りのようだ。
「なんでだー。氷、十分な氷が出せないぞ。見ろ、この快晴のせいだ。今日は雲ひとつないからから気候だ」
おそらくリスターはユコナと同系列の水系が得意なのだろう。だが上空は寒く、森林地帯上空にもかかわらず湿度0%、原料が手に入らず嘆き悲しんでいる。
「ここは、女の涙を使用するべきでは?」
「バカにするなー。足りるか!」
プヨンのアドバイスは当然無視される。リスターの掛け声とは反対に、ノミと思しき鳥は、あの手この手で上空でマウントを取り、密かに何か準備している。風防で顔はわからないが声も間違いなく聞き覚えがあった。
と思ったら先ほどとは違い、上空からけっこうな量の水滴が降ってきた。雨ではない。プヨンはすべて気化させたが、続けてなんとも言えない臭いがする。よく見ると、上空の鳥の腹に樽のようなものを抱いている。リスターは無事よけきれただろうか。
「な、なんだこの液体は? 毒か?」
リスターも危険を察知したのか、大きく回避し始めた。
「ほう。一瞬でこのゴールデンウォーターの危険性を察するとは、なかなかやるな」
「な、なんだと? それはなんだ?」
リスターが叫ぶが、立ち込める不穏な空気のせいか会話したくない。
「これは花を濃縮したもの、インドールなのだ! 一度体に染みつくとそう簡単に取れないぞ!」
「え? 鼻? 鼻水か?」
一気に緊張するリスターとプヨン。この臭いの元は花なのか、鼻なのか? 腐臭のする花もあるし、悪臭も薄めると香水になると聞く。すると濃縮されたものなのだろうか。
「この霧の中で攻撃を避けられるかな?」
再び言葉と同時に何かばらまいた。黄色い液体だ。気化させても臭い成分は残りシミになる。異なるがこれも毒ならば回避しなければならない。微量でも長時間皮膚につくと危険な気がする。
「この匂い、何か不吉な記憶がある。うっ。ゴホゴホ」
嫌そうな顔をしたリスターだが、不思議と逃げようとはしない。
「お前は大丈夫なのか?」
プヨンの問いに即座に返事するノミ。プヨンの顔が防具で十分に見えないため、ノミはプヨンだと気づいていないようだ。
「ふふん。これは私の体内で熟成されたある物質に近い成分になっている。この輝きこそ、私の生技の極みである。あえて言おう、クソであると。吸い込んだが最後、いかほどの余力が残っていようと、お前たちの軟弱な肺活量で吐くことはできないと私は断言する! 永遠に被爆し続けるのだ!」
「な、なんですって! それはほんとなの?」
「そうだ。今更逃げても遅いぞ。しっかりと吸い込め」
「そ、そんな。吸い込んでしまった!」
おまけに臭いものには不思議な中毒性がある。この臭いはヤバいと思いつつ、もう一度確かめたくなったりするものだ。それを理解したのか、リスターの発言に伴う悲壮感が一気に増える。この方法にはその場だけでなく持続的な攻撃力が伴う。さっきの臭いが相手の人体由来なら、時間あたりのダメージは少ないが、長期の後遺症が残る懸念がある。
カクッ
突然リスターが失速した。ふらふらと漂うような飛び方だ。ショックのあまり意識が飛んだのか。
「え? リスターさんが落ちた?」
ここで手をこまねいていて、あれこれ考える時間はない。これが事実で即座にオゾン脱臭とプラズマ分解をするとしても、プヨンもダメージを負う可能性がある。次の手を考える。だが、リスターの首カックンを見てノミが強気に出る。
「どうする? 今なら大目に見てやるが? 謝罪すれば穏便にすませてやるぞ?」
ノミの提案ではあるが、リスターが混濁した状況では会話にならない。タイミングがはずれた和平工作など、なんの意味があるのか。
「いなすことはしませんとね、相殺!」
プヨンも対抗するべく『どりゃっ』との声にあわせて火球を放ったが、狙いがそれて羽毛の一部を燃やしただけ。思ったより動きが速い。プヨンもかろうじて動きを牽制したが、かろうじてインメルを満タンにして、有利な上空を取った。
「むぅ。上段はよせ」
一度下降したノミが、再びマウントを取るため上空を取ろうとする。行動が読みやすいのか、どこに行くかの予測がことごとくあたる。ノミが目眩のためか、大量の羽毛を散布させたが、大して手間取ることはない。
「意外と先読みが甘いようで」
バチュン
相手の風防を目掛けて照射していたレーザーを対象にあわせて低密度広範囲に変化させ、羽毛をまとめて燃やしていく。
「あああ」
空気が薄いと励起させる元の物質が減るため、十分な光が取り出せず威力は出なかったが、身に付けていた風防を弾き飛ばすことができた。高度を下げていくノミの顔が見える。こちらが誰かを示すために、プヨンも顔の防具を取った。
「あぁ? プヨンさんではないのか?」
「やはり、知った顔だと思った」
「おぉ」
ノミと目が合い、ギョッとしたように動きが固まる。プヨンのことを知っているということは、予測通りノミ本人に間違いなかった。
「うぉー、ここで会ったのは天の導き、日ごろの行い」
ノミが驚いたのかと思ったがどうやら違うようだ。いきなりすごい勢いで抱きつかれ、かろうじてかわした。危うく牽引していたリスターを落としそうになった。
「品行方正のノミは、たとえどん底であっても見捨てられることはありえない!」
まるで今までのやり取りがなかったように、プヨンに対して友好的だ。唐突にこれまでの経緯を一気に捲し立てるノミ。また、ノビターンにつらい目にあっているのか、延々と愚痴が続く。
「あの時、ノビターン様の半身が、わずかな『薄謝礼』だけ残してどこかに消えました」
「そ、そうか。大変だな」
「捜索を押し付けられたのに見つからず、とうとうこんな辺境まで探すことになったんです。ですが、これぞ天の助け。ですがこの再会こそ、私の日頃の行いの証です! 神のご配慮がこんなところに。これも私の日頃の良き行いのおかげなんです」
常識的に考えてこんなところを連日うろうろすることはないはずだ。いくら偶然とはいえ、困った状況で今日たまたまここで会ったとするなら、確かに天の導きと言えなくはない。
明らかに助けてオーラが出ているが、この程度なら冷たくあしらえる防御力はプヨンも備えている。ノミは憎めない一方で、多少冷たくしてもストレスは感じない。
「……行方不明になったノビターン様、あえて言おうノビターンと! あれほど狡猾な逃亡者を見つけ出せるはずがないと私は断言する。これ以上探し続けては、メンタルそのものの危機なのです。好き勝手遊びまわるノビターン様を運ぶようでは、ストレスも体重も『重い』と知ってもらわねばなりません!」
「おぉ……、一応まだ探すんだな」
「時給、アップ! 時給アップ、時給アップ!」
声に反応したわけではないだろうが、リスターの身体が動いた。寝がえりだろうか。だが、こんなところでのんびりしているのも誤解を生む。ノミを拘束しようとは思わないが、協力もしない方がいい気がした。
「なるほど、いい演説だった。感動的だ。だが俺には手伝えないかなぁ。自分たちの受け持つ介護もいるので」
「ま、待って。お待ちください。ち、知恵を。智将と呼ばれていたではありませんか?」
「知らないのか? そう呼んでいたのはこの世で一人かせいぜい二人しかいないということを。すなわち、ノミさんだけ」
「ほぉ。では、それを見抜けたのは私だけ……」
確かにノミには智将と呼ばれていたが、あんなものはノミが勝手に呼んでいるだけ。一般に気付かれるようなことはしていない。なぜノミにだけそう呼ばれるのか、プヨンにはまったく心あたりがない。ここでふと思い出した、何も考えていない時ほどいい考えが浮かぶという法則がある。例に漏れず、ふと思いついてしまった。
「何か思いつきましたな?」
顔に出たようだ。そういうところに気付くところがノミは観察力が鋭い。前回は中途半端だったが、今回は手順をもっときっちりと確認する。
「確かに、策がないわけじゃない。それには材料がいるけど?」
「なんでも言ってください。私に出せるものなら!」
「わかった。鳥の胸肉450gだ。それが編み出された秘伝の量なんだ」
「え? 胸肉?」
驚くノミだが返事は待たない。言う前から取り出しておいた蒼玉の剣はアルミナ素材、唯一研磨できる物質のダイヤで研ぎ、切れ味もバッチリだ。
スパッ
チクッとした痛みがしたが、注射された程度のはず。即座に肉を取り治療する。エクレアと採餌の肉採りで慣らしたプヨンになら、この程度はさして難しくはない。痛みや恐怖を与えるようでは二流だ。
「え? え? いつのまに?」
「明日、同時刻にここへ。詳細はその時に」
育成には少し時間がかかる。最低限ならもっと少量でもいいが、余分にもらって、いくつか実験にも使用し、ベストな結果を得たい。それだけ言うと把握できずに混乱しているノミを残し、プヨンは気絶したリスターを速やかに回収して撤収することにした。
静かな誰もこない野戦の診療台でリスターは横になっていた。
空のノミは意外に強く、診療台の上のリスターは髪の毛ぐちゃぐちゃ、服もぐちゃぐちゃになっている。残念ながら体は治療できても、衣服防具も心の傷も修復できない。もっとも初見のノミの攻撃はリスターの身体への致命度は高くなく、可憐なリスターが名誉の戦死を遂げただけで、五体は満足で静観していた。。
ガバッ
「私はどうしたんだっけ? なぜここにいるんだったか。確か移動中は縦列トレイルの先頭にいたはずだが?」
「高高度で意識がなくなったようです。前後を挟まれたときに、与圧を忘れて呼吸がうまくできなかったんじゃないですかね?」
ノミの鬼臭攻撃がきまり完全に範囲下に入ってしまっていたが、思い出したくはないだろうと気配りし、説明は省く。
「ほ、本当か? ならば私だけが剪刀攻撃を受けたと言うのか。そんな! それでお前はなぜ無事なのだ?」
「幸にして、先祖伝来の秘術で切り抜けました」
リスターはそこでまたしばし気を失う。ショックだったようだが、記憶は残っているらしく、すぐに目が覚めたて飛び起きると、滅菌消毒してくると言って浴場にむかって駆け出して行ってしまった。
それを見送り、プヨンはもう1つの課題を継続する。切り取ったノミ肉の治療培養を続けていた。自我が無い分扱いやすく、「アイピーエス」で作り出した万能細胞は大抵の傷を埋めてくれる。あとは大量に必要となるエネルギーをなんとか注ぎ続けさえすればいい。
これまでも生まれた時点から成長するまでに見合う摂取カロリーとある程度の成長する時間があれば、ほぼ元通りに再生できることはわかっていた。理屈では理解できていたが、本気でやる機会がなかっただけ、期待通りにうまくできていた。もちろん、ものができているだけで自我はなく、鮮度を維持するためには、すべての代謝も肩代わりしないといけない。
翌日、非番日は基本自由行動、既定の点呼さえ遅れなければ制約はない。もっとも町もなく遊戯施設もないため、やることといったら寝るか鍛錬か特殊な野生の食糧探しくらい。邪魔するやつはフィナツーくらいだ。
「自分だけ何か美味しいものを食べるつもりでしょ」
「うっとうしい木を間伐しようと思っている」
「うそ? フィナ、フィナに知らせないと?」
一人で行動しているとフィナツーが活動的になる。いつものやり取りだ。
「フィナは丘向こうの陽当たりのいいところに秘密基地を作るそうだ。ここは土地が痩せているから、しばらく動かず英気を養うと言っていた」
「なるほど。フィナは図体でかいから大食いなのよね」
「フィナに余計な枝葉は剪定するようにいっておこう。うるさいのがここにいるからな。ほら、火山地帯でボケっとしてると燃えるぞ」
フィナツーはノミから預かった肉を何か貴重な食材と思っているようだ。あれから興味深々でまとわりついてくる。幸い切り取った肉は自我がないため、食用肉と同じでストレージに収納できる。こっそり取り出しては、治療育成を続け、なんとか完成させることができた。
「約束の時間、ピッタリですな。結局ノビターン様は行方知れずのまま」
プヨンはノミに引き渡すものを持って、約束の場所で待っていた。
「なるほど。では、これでノミさんも行方知れずに」
「こ、これは? 私にそっくり?」
「先日のいただきものを治療しました。前から試そうと思っていたけど、ここまで作り込んだのは初めてです。さあ、どう使いましょうか。生物ですので、あまり持ちません」
「おぉ。これは新鮮で食えそうですな、これをどうしろと」
「使い方は任せるけど、どう使ったかは教えてね」
「はぁ? プヨン殿に匹敵すると言われるこの私ノミの知能で、最高レベルの有効活用をしましょう」
プヨンはノミに、ノミボディを渡した。治療で完全に回復してはいるが、もちろん意識はない。鮮度は高いが、肉屋の肉の塊といった感覚だ。ノミのやる気が無駄に高い気がしたが、あまり先のことは深く考えず引き渡すことにした。




