歓迎の仕方 2
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見た目は赤黒い池だが、その奥の風景はぼやけ陽炎が立ち上っている。
溶けた岩が湧き出しているのだろうか。熱気はさっきの沸騰した水風呂、熱湯とは段違い。少し離れた位置からでも、うかつに空気を吸うと喉が焼ける。この上では深呼吸は避けた方がよさそうだ。
「一応入る覚悟ができたら、かけ湯をするように。いきなりドブンと飛び込むとかはやめてくれよ。ちゃんと理解した上で入るのか確認させてもらう」
意図は何だろう。後ろから突飛ばせばいいだろうとも思うが、さすがに顔からダイブするとただではすまない。最低限の知識があるかの確認をするのだろうか。させることは鬼畜な気がするが、意外に優しいのかもしれない。
それとなく水銀温度計で温度を測ってみるが、即壊れてしまった。プヨンの光学検知でも正確な温度がわからない。何度も測ってみたが結果は同じ。測定不能の高温状態だ。言い換えると余裕で1000℃はあることになる。
プヨンも背中の棍をそっと下ろし、取っ掛かりを探すべく詳しく湯を観察する 。まずは深さだが、飛行と同じで体を浮かせれば底まで一直線はない。
「プヨン、ねぇ、どっちなの? 本気でやるの? 算段はある?」
「うーん、どうするかな。いくつか問題はあるよね」
さすが炎を司るサラリスだ。興味半分心配半分で話しかけてきてくれた。
プヨンはいつもならポンっと思いついたことを試してみるが、うろうろしているのを見て不安そうに見えたのだろう。一方でメサルやエクレアはあっちで話し込んでいる。いつものように先鋒のプヨンでまずは様子を見ようとしている。
「プヨン、確かにヴァクストが鉄を溶かしたものを『湯』というのよ。だからお湯に入るのは正しい表現だと思うわ」
「素晴らしい。なんて有意義な情報だ。じゃあ、これはお湯じゃないですって言えないんだな」
「そうね。そうなるわね。でも一緒には入らないわよ。一番風呂は譲るわ」
さすがに今度はサラリスも慎重だ。このお湯に指を入れて湯加減をみたりはしない。
「おーい。うかつに覗き込むなよ、熱気で肺を火傷するし、酸欠で意識を飛ばされると、お湯に落ちるぞ」
「わ、わかった、わかってます」
見ていた古参メンバーから声がかかり、サラリスはビクッとして返事をする。ドライアイスの白い煙を吸い込んだ時も同じだ。
お湯の中に赤く溶けた岩が見える。なぜかこの手のものを見ていると、吸い込まれそうになるのが不思議だ。もしかしたらガンオーのように、自我があって誘引効果を出しているのかもしれない。
「何か手伝えることはない?」
状況が厳しいと思ったのか、サラリスから突然ありえない提案がきた。動揺しつつどう返事をするか考える。
「注意!」
サラリスに言われなくてもわかっている。一瞬で大火傷のリスクもある。だがどこまでできるかは知っておいて損はない。
「俺は焼夷の攻撃を受けられる男なんだ」
思い返すとサラリスにも色々と世話になってきた。幾度となく火だるまにされたことを思い出すと、この灼熱の池もなんとかなりそうに思えてくる。プヨンの見る先、赤く沸き立つ熔岩を見てサラリスがつぶやく。
「ラーヴァ」
「俺にとっちゃあ、サラリスはぬるすぎるんだ。世界が違うんだろうな」
「ガーン」
「お、おぉ、すまない」
つい、意地悪を言ってしまったが、ガーンなどとわざわざ声に出して言うくらいなら大してダメージはないだろう。ぷるぷると怒っているがこれも見た目だと思われる。うまく火力上げに繋がるといいのだが。
「そう言えば大事なものがあった。これを持っておいてほしい」
内ポケットに入っている手書きのノートを思い出した。今までの出来事を記録してきたものだ。そっとサラリスに手渡す。もちろん万が一の紛失を想定しているだけだが、覚悟を決めたプヨンの気持ちが伝わったようだ。何だろうと少しドキドキしながら受け取ってくれた。
「多くはないんだけどね。立て替えのリストなんだ。燃えてしまったら大変だ、後で払いにきてくれよ」
「えぇ?」
「まとめて返金を頼むよー、サラリス。コピーはあるから捨てても無駄」
黙ってプヨンを見つめるサラリスに、よろしくともう一度手を振っておいた。
入れ替わりでユコナが走り寄ってきた。待ってと襟首を押さえられた。感触だけ。物体浮遊の応用ができるようになってきたのだろう。
「待って。やりたいことがあるの!」
「やりたいこと?」
もちろん心配してきたというわけではなさそうだ。
「とりゃ!」
「あ、おい。気をつけろよ」
ユコナが投げ入れた大きな氷がジュワーと音を立て、あちこち滑り回り、壁に向かって激突した。
「これこれ。これが見たかったの」
「これはライデンフロスト効果だな。熱したフライパンで水が走り回るやつと同じだ」
気化した水が壁になり、一瞬で全部蒸発しないやつだ。
「そうなの? 肉焼く時にするでしょ。いつもはちっさいけど、この規模だと面白いかなって」
人がするからと安心しているせいか緊張感がないのはサラリスと一緒だ。毎度どうでもいいことをよく考える。
「あーすっきりした。もういいわよ。どうぞ」
「何しにきたんだか。もっと心配してよ」
「ごゆっくりどうぞ」
みんなそんなに余裕があるのだろうか。けっこう大変だと思う。この湯に入れれば、火系の攻撃はほぼ無効化できそうなくらいは大変だと思うが、誰一人心配はしてくれなかった。
あらためて考えると、入ったときの懸念がいくつかある。それとなく再確認する。熱気と呼吸、服、他にもいくつかある。
よし決めた。
ピョンと湯舟の中央部に移動してみた。まだ湯面から高さがあるが、水の気化と上向きの空気の流れが激しい。少々放熱しても足裏に熱を感じる。もちろん真空を用いた断熱は効果が薄く、太陽から地球に熱が届くように完全遮断は難しい。
「お、おい。ちょっと待て! 事前に言えと言っただろう」
さっきまで笑っていたバグナーとリスターが大慌てで寄ってきた。プヨンの葛藤や準備を見てみたかったのか。何を今更とも思うが、もう少し辛そうにした方がよかったかもしれない。
だが思ったよりここは過酷だ。呼吸条件も制限され、ゆっくり会話できる環境ではない。
「フローズンアイス」
口の中で氷雪の荒らしを起こし吸った息を瞬時に体温まで下げるのはなかなか大変だ。
「肩まで5秒で」
「ちょっと待て。湯の温度はわかってるのか。大丈夫なのか」
何か言っていることはわかるが、そちらに意識を向けたくない。
「おふろ、いきまーす」
手短にそう宣言する。無意味な入浴な気もするが、どこまでいけるか試すいい機会だ。指示は肩まで入るだけで、入り方の制約はない。
ドスッ
持っていた木槍を試しに少し突き刺してみた。水分をたっぷり含ませてあるが即座にこげ、そして燃えた。無防備ではダメだ。よく使う空気分子を圧縮して原子レベルで固定化したパイオン、防御壁を作り、それを応用し二重構造にする。これで一種の断熱壁ができた。
やはり熱そうだが、木剣は意外に保っている。なんとかいけそうな気がしてきた。そうとわかれば成功率は高い。自分自身を水分をたっぷり含んだ空気で包む。
「よし、一気にやってしまいます」
そう言うと同時に地面に足をつけた。ちょっと待てと言う声が聞こえたような気がしたが、これは時間との勝負。一瞬も気が抜けない。
続けて聞こえた声、これはユコナだ。
「プヨン、わかってるわよね。一緒に考えた烏の行水作戦よ。ジャボッと浸かってすぐに出る。これでいけるわ」
そうだ。すぐにやってすぐに戻れば何とかなるだろう。頭にあるのは、肩まで5秒、それだけだ。
呪文のようにぶつぶつと唱えつつ、真っ赤に溶けた岩の上に降りた。
すぐに気づいた。沈まない。比重だ。水と違って岩や鉄は密度が高い。そして断熱はしたがやっぱり熱い。
うかつに飛ぶんじゃないぞと声が聞こえた。かなり真剣さが伝わってくる。誰か確認する余裕はないが、意識が飛ばないようにしろとの気遣いがありがたい。
「さ、作戦が失敗しました!」
「作戦があったのか? 引き返せ」
「まだ、いけます」
意識は問題ないが、熱湯風呂の常套手段、ジャボッと浸かってすぐ出るという烏の行水作戦は、早くも失敗確定だ。
ゆっくり押し込むようにしないと沈まない。少しずつ進み膝、腰まできた。根性試しに近いがなんとかできている。
「なぜだー。服が燃えないぞ」
「おかしい。今日はぬるいのか?」
こんなこともあろうかと、服もちゃんと準備してきた。グラスウール系は体に悪いため、ヴァクストに作らせた金属系素材の耐熱繊維。細くした糸状の金属で編み込んだ服で、500℃程度まではなんとか耐えられるはずだ。
「おい、お前、本気なのかー」
そんな声が聞こえたが、もう胸近くまできている。返事はしない。気を抜くと一気に酷い目に合いそうだ。全身をサラリスの火炎に晒された時より数段上、ジリジリと肌が焼ける感じがする。不慣れで十分な放熱ができず、肌の治療を開始し照り焼き部分の再生を図った。
ボッ
と思ったら靴が燃え出した。油断していた。革靴はダメだ。治療できない上耐熱はもって100℃くらい、おまけに熱が加わると硬化する。
「あつーあっつ」
靴に水をかけても別の劣化があり、多分意味がない。そう思ったら下着も気になる。綿だ。これも厳しい。上着は耐熱素材だが、下は何も考えていなかった。綿も220度ほど、まだ燃えてはいないが焦げてそうで、繊維はぼろぼろかもしれない。
着崩れはまずい。見た目は涼しい顔をしているが、内心はかなり焦る。このままでは局所的な燃焼が発生してしまう。インナーが燃えて服がなくなっても見た目は変わらないが、現地に予備服はそんなに持ってきていない。
「あちっちっち」
肌は治療で治していたがダメだ。火傷の痛みもあって集中が弱まる。『あちっちじゃないわよ』という声はプヨン脳内のパターンマッチングから、99.9%の確率でサラリスと判断したが、ここでお湯から出るわけにはいかない。
よし、肩まで浸かった。今だ。周りにもよく聞こえるように大きな声で元気よくゆっくりとカウントする。ジリジリと焼かれるが、ここは笑顔だ。下着の繊維が熱でボロボロになっていくのもわかる。
「いーち、にー、さーん」
だが焦ってはいけない。しっかり浸かりだすとそこまで苦しくはなくなった。防御壁の間に挟んだアルミ箔がいい感じに効いている。ストーブの反射板と同じだ。
「あ、熱かったら言えよ。の、のぼせるなよ」
「あ、えぇ大丈夫です。浮かばないようにしっかり沈んでないといけないのが難しいね」
リスターが儀式ではあるが気遣いもしてくれる。風呂なら放熱さえできればなんとかなる。これが潜れと言われたら大変だったろう。潜っても目が開けられる気がしない。もちろん赤いものが見えるだけ。水と違って透明度はゼロ、まったく周りは見えず気配も何もない。うかつに爆発でも起こしてかき混ぜたら致命傷は必至だ。
「29、30。よし、熱いけどいい風呂だった」
「な、なんだとぅ? 入りやがったよ。ほんとに。無事なのか?」
「え? 順番に入らないんですか? 2番目はどなたで?」
「え? あ、あぁ、この風呂は1日1人が習わしだ」
「え? 習わしなのですか? せっかくのいい風呂なので皆さんにも是非と思いましたが」
リスターの意味不明な説明に、真正面から当たってもあまりメリットはない。それにユコナやサラリスが無難に入るには少し課題がありそうだ。
火葬に必要な1200℃、サラリスの火球などもそのあたりだが、そこから逆算して小さな火球に対して全身だから100倍、プラス保険も兼ねてた1秒あたりの放熱量100kwを想定した。あらかじめ身構えていれば、プヨンの放熱能力でなんとかなるレベルだ。
それでもかなり苦労した。古参メンバーは問題ないのだろうかと思っていると色々と声が聞こえてきた。
「うぉー、入れるに賭けた奴はいるのか? 100倍の報酬だ!」
「お、おい。火入の儀式はどうなるんだ? ここは新入りが火傷覚悟で片足入れの儀式をするんじゃないのか」
「そうよ。何分で怖気付いて逃げるか漏らすかをかける大事なイベントなのよ。 あーあ、賞味期限間近の薬液を持ってきたのに使わなかったのか」
なるほど、新人の根性試しを兼ねて、ギブアップするまでを賭けあうイベントか。
「当たったやついないだろ。なんで靴が燃えるだけですむんだ?」
「当選がいないと隊長の総取りになるんでしたっけ?」
聞き耳を立てて集音していると、付き添いの古参メンバーからもそんな声が聞こえる。まぁ、そんなことだろうと予測はしていた。
なんとなく周りからのお前のせいだ的な視線を感じる。
これはダメだ。初めから印象値低下はよろしくない。ここは友好度を最大限に改善するべく、達成感、満足感をにこやかな笑顔で伝える。
ニコニコと笑顔で見つめ返した結果、なぜか予想外の冷気魔法効果が発動され、みんなが冷たくなったように感じた。
「おい、他のやつはどうなんだ?」
「わかってる。後で試してみましょう」
そういう言葉も聞こえてきた。頑張った割に歓迎されるものでもないようだ。
しばし休憩との宣言のあと自由行動になったが、ユコナ達を含め、誰も近づいてこなかった。




