手合わせの仕方 3
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ノミの無意識強制能力『おうちに帰りたい』で強制的に連れ戻され気付いた時には自宅側だったもう1人のノビターンは、大幅にパワーアップした怒りの矛先を当然のごとくノミに向けた。
精神的複合攻撃を繰り出したノビターンだが、ノミの圧倒的防御能力によりことごとく無効化され、やむを得ず繰り出した物理攻撃がわずかばかりに効果があっただけだ。
まったく足りない。一部は発散できたが、残パワーの大半は不本意ながら仕事にぶつけるしかなかった。
「ノミ、あのバカちんめ! なぜ、私でなくあっちを連れて戻らなかったのか!」
この数日間、ノミの狂いを補正すべく、超狂化教育を施している。狂ったものをさらに狂わせるともとに戻るはずという恐るべき理屈だが、ここでもノミの特有の鳥頭能力が発動し、翌日にはまた一から対応せねばならなかった。
ノミの繰り出す数々の能力、ドレンの腕押し、サビ東風、気力を吸い取りダメージは通り過ぎる。周りは過小評価しているが、ノミの熟練の精神攻撃回避能力は匠の域に達していた。 どこにでもいそうな外見からはわからないが、ノビターンの複雑に組み合わせた多重口撃もことごとく無効化され、おまけにまだまだ未知数の潜在能力までありそうだ。
おまけに共振作用でこちらも精神的にダメージを受けて、気がついたときには無気力になっているという恐ろしい能力だ。
今日もノビターンの一日が無事終ろうとしていた。もちろん、無理やり自領に戻らされたあとのつまらない一日だ。まだ気分は完全に回復していない。ノミを今後どうしてやろうかと考えていると、後から追いついてきたアサーネが話しかけてきた。
「ノビターン様、今日は見事な論調でした。ゲイル司令がタジタジでしたよ」
「そ、そうですか? ごく当たり前の要求かと」
ついさっきまで2時間催された報告会のことだ。取り組まれている開発、征服、信仰の各方面の成果についてゲイルが報告していた。ベッガースの顔色を見ながらの手前味噌汁を振る舞う姿に、『美味しい味噌汁ね』と3回は呟いた。おかげでノビターンのお変わりスイッチが入った可能性が高い。
「グズを回しましたね。3連勝ね!」
アサーネの言葉に幾分気がまぎれたノビターンも少し気分が楽になった。アサーネが続ける。
「はい。すでに理性を回復すべく、脳内記憶より消去したところです」
「それがいい。そうです。なるべく精神健全で。服で占領する政策とは。外見上の装いにあからさまに反対する訳にはいかないのです。現地での装いが不道徳であったとしても。ニードネン達も調子に乗ってますし、あのくらいは最低限です。」
「そうです。いつものノビターン様です。もっときつく言うべきと常々思っていました」」
ただ、そこでアサーネの表情が曇る。
「言い方はまったく問題ありません。方向性は何とも言えませんが」
「方向性?」
何かおかしいことを言ったかしらとノビターンは振り返る。
先ほどの報告会も、最後は信仰拡大を侵攻で進めたいベッガース将軍を筆頭に、ゲイル、ハゲット達信仰組が成果の自画自賛を繰り広げていた。おまけに最近は信仰強化をせず、征服統治に注力していたらしいが、経済活動に結びつけ地元有力者との効果的な統治に成功したらしい。
半信半疑だがまったくの虚偽ではなく実績も示された。そうなるとムキになって否定することは得策ではない。
アサーネだってノビターン以上に面白くなさそうに聞いていただけだが、その内容でふと思ったことがあった。
「衣服組合の支援で制服による征服政策により経済発展を実現しております。この黄金の組み合わせは完璧です。厳選した征服案としては、家事用服、医療服、教育に適した服などです。もちろん、エプロンは単体ではなく、中に着る女中服とセットですな。以上ですが、ご質問はありますか?」
「ちゃんと町の人々の賛同を得られるような無理のないものなんだろうな?」
「ご安心を。考慮しております。すべて、膝上10㎝以上をキープしており、その結果過半数の賛同を得られることが確認されています」
調査結果では確かに男性全員と女性の一部は賛成らしい。その後もいくつかの質疑が行われ、そこで最後にノビターンが提案をした。
「それでは、片手落ちというものです。図案をお見せください」
それまで好意的な質問が続き、即座に答えていた。まさかノビターンから指摘がくるとは思わず、反射的に手持ちの資料を差し出してしまったゲイル。慌てて止めに入ったハゲットも間に合わず、ノビターンは受け取った極秘書類の三面図を確認した。
「ほら見なさい。これからは男女対等に物事を進めるべきです。対等なものがないではありませんか?」
能面で淡々と話すノビターンの発言に、たじろくゲイル。かろうじて、『どうすればよいのか』と続けるのが精いっぱいだった。
「決まっています。対等なものを用意するべきです。メイド服には細身のテイルコート、医療部門にはナースコートに対する白衣、ホワイトコート。女学生服に対してはパイロットスーツ。これを取り入れると、さらに効果が高まるでしょう」
「パ、パイロットスーツ。それはどのようなもので?」
当然その質問は予測していたノビターン。事前に用意しておいた資料を渡し、要点を伝える。高高度飛行兵向けの専用服だ。女性の憧れ、征服政策を語っておきながら、そんなものも知らないのかと呆れてしまう。
「わかりましたか? こちらについても十分に検討を!」
「は、はい。すぐに検討させていただきます」
「終了!」
こんなやり取りがあっただけだ。
あらためてアサーネを見た。この対応のどこが問題だというのか。そう聞くと、『うっ』と言葉に詰まるアサーネ。先ほどまでの『ノビターン様の想いは素晴らしい、共感できます』などと言っていたのは嘘か。態度で示してくれないと不安になってしまう。
「それは褒めているのか、けなしているのか、どちらですか?」
ノビターンの問いが終わる前に、急用を忘れていましたとアサーネは駆け出して行ってしまった。
同時刻、学校側。もう一人のノビターンがいた。
先日のノビターンの教官就任には驚いたプヨンだが、とりあえず適度な距離を保ち当たり障りなく対応していた。結局、姿を偽るのはやめたようだ。名は広まりやすいが外見情報が正確に遠くまで伝わることはないと考えたのかもしれない。キレイな女性教官ということですぐに人気が出ていた。
そして直近は遠征組の指導にあたるそうだ。顔バレのリスクを冒してまで指導者として出てきたのは意図がありそうだが、さすがに名前は『チヂムーン』を徹底していた。
特にプヨンは見知っているからか、厳しく監視されている気配を感じる。名前の間違いには特に厳しく、プヨンの言葉の端に『ノ』が現れるだけで『チ』と返ってくる。事情は詳しく知らないが面倒そうだ。
早く言うことがあれば言えばいいのにと思いつつ、プヨンは自分からは動きにくく黙って様子を見るしかなかった。
数日、無難に日が過ぎていく。今日は交代出発前の特殊訓練の1つ、ハーネス訓練とバルーンパラシュート訓練だ。高い棒の上に立ち、2班に別れる。自由落下の恐怖に耐える落下組と、落ちていく相方を受け止める補足組だが、通常行動時のパートナーでもある。プヨンはほぼメサルが相手だ。
上空での意識喪失時や空中戦当時の前からやる基礎訓練だが、低酸素高度での激しい運動はかなり危険で、この訓練はかなり重要だ。プヨンは100mほど上空に見えた相方のメサルに視認したとの合図を送る。
プヨンは今立っている棒の先端、20mだが、最も恐怖を感じるのは12mくらい。逆に50mを超えると恐怖心は薄らいでいくのが不思議だ。
メサルがそのままの勢いで突っ込んでくるのは予定通りだが、わかったとの反応がない。
「おーい、聞こえるか?」
指向性の音声魔法で呼びかける。周りの人には聞こえないが本人にはかなりの音量のはずだ。それでも返事がないがあっという間に姿が大きくなる。落下速度がこんなに速いとは。ずいぶん高高度まであがったのかもしれないが、すでに秒速50mといったところか。空気抵抗により落下飽和に達しこれ以上速くならない。
意図的な自由落下中といえど地面が近づくにつれ恐怖心が増加して、無意識にブレーキがかかる。
「き、気を失っているのか?」
どちらにしろ受け止めるのは予定通り、受け損ねたときの保険がないだけだ。もちろん瞬間停止させると地面に激突するのと同じ衝撃があるため、減速させる速度にも限度がある。
人体に損傷のない衝撃加重限界は重力の6倍程度、座学でもここは何度も言われた。頭の中身が壊れないようにするため、水に入れた桶に豆腐や卵を入れて壊れないように受け止める練習をした。注意するが感覚でしかわからないのが難しい。おまけに重心がずれるとふっとんでしまう。
20m手前。人それぞれで違うが、プヨンはここが最大落下速度から受け止められる限界ライン。もちろん地面にぶつからなければ、方法はなんでもいい。ユコナは水を利用したりしているし、サラリスは爆風で原則させる。
「『アレスティングワイヤー』発動だ。ストーーップ! とまれ」
メサルが地面に近づき、ぶわーっと砂埃があがる。緊張の瞬間、特に正面から受け止められず体が回転しても急すぎてもたいてい骨折する。
グググッ--
少しずつ角度を変えていく。メサルの身体を地面に垂直から地面に並行にして距離を稼ぎ、無事停止させた。
地面におろしたメサルに近づいたが、やはり様子はおかしい。
「おい、メサル。なぜ、ぼーっとしてたんだ?」
メサルは意識はあったが、落下停止後もなんだか上の空だ。プヨンの問いかけも理解しているのか怪しいと思ったが、メサルの目は意外にしっかり前を見ていた。
教官を見ている。チヂムーンと名乗っているが、プヨンは中身がノビターンだと知っている。下手に反応せず、メサルの続きの言葉を待つ。
「実はどこかで見たような気がするんだ。どこだったか知ってるか?」
「落下中にそんなこと考えていたのか? 俺が失敗したらどうするつもりだ」
そんなもの知るはずもないが、メサルにはプヨンの反応は重要ではないようだ。
「俺は昨日くらいからなぜかあの教官のために頑張ろうという気がしてくる。それも時間とともに強くなる。共通の何かを感じるんだ。なぜか助けないといけない気がする」
「そうなのか? よくわからないが、何かしらの効果なのかな?」
メサルがそんなことを言うなんて珍しいが、音叉の共鳴現象のように何か宗教絡みの近い心の波長がメサルを動かしているのだろうか。
そう言えばメサルとノビターンは同宗らしいから、主要人物リストで顔くらいは知っていても不思議はない。映像転写などを利用した緻密な肖像画もある。富裕層や権力者のような重要人物は、たいていそうしたもので見慣れていたりする。
メサルと違い時々あることではあるが、綺麗な女性だからとヘリオンも相当興味を示している。
「プヨン、頼みを聞いてくれ! 俺はワサビさんのためだけに頑張るつもりだったが、教官のためにも頑張ってみようと思う」
「なるほど。二正面作戦なのか。だが戦力の分散は危険ではないか?」
「そうなんだ。どうしたらいい? 何かアイデアをくれ」
「俺は偵察に止まらない。敵陣にも斬り込む男。教官にはそう言って最前線を希望する。そしてワサビさんのいた拠点を偵察するのはどうか?」
ヘリオンは一瞬キョトンとする。
「2つの任務があるなら、目的地を同じにすれば両方に顔が立つのでは?」
「おぉ……。それだ! お前は天才か。それでプヨンは一緒にきてくれるのか?」
「ずっと一緒にではないだろうけど、しばらくは同じ道でもいいよ」
「そんなこと言うなよぉ。ワサビさんからも、町にはかわいい子がいっぱいいたって聞いているんだ。どうだ? 行きたくならないか?」
迷う。新しいものを見たいという気持ちはあるが、ヘリオンの世俗的な提案に乗るのも癪に触る。ヘリオンは何かを察したのか、すぐに方向性を転換し、プヨンに聞こえるようにぼそっと独り言を呟いた。
「そう言えばワサビさんが言っていた。元の拠点には素晴らしいな歌学技術や貴重な好物があるらしいが、いったいどんなものなのかなぁ」
わざとらしい、そんな誘惑に乗るものかと思ったが、念のためヘリオンの目を確認にいく。本当かでまかせか目を見ればわかる。確認とした限りでは、ヘリオンはプヨンというか現実を見ていないとわかる。今回の偵察行動でワサビへの貢献ができることが現実味を帯び、期待が溢れ出ただけなのか、焦点があっていない。本当か嘘かはよくわからなかった。
プヨンは少し悩んだ。貴重な鉱物や化学技術も興味が沸くが、いったいどんなものだろうか。そうなるとヘリオンは動機は不純だが一途でいいやつだと思えてくる。たぶん。そこまでしてワサビに貢献したいなら、ここはあえてのってやってもいい。ヘリオンの進む結末を見てみたい気もする。そうなったら返答は1つだ。
「当然だよ。ヘリオンのためなら、協力してもいいよ」
「よっしゃ。男に二言はないぞ。もう決まりだ。約束だからな」
プヨンがヘリオンの好意を汲んで承諾の返事をすると、ヘリオンは闇が晴れたとばかりに嬉しそうにする。それを見てプヨンも満足し、ヘリオンの出した条件を確認することにした。
「ところで、化学技術ってあるんだな。どんな技術なんだ?」
「あぁ、伝統の歌があるらしい。洗練された歌学技術だ」
「は? ちょっと待て、じゃぁ、ワサビさんの言う鉱物ってなんなんだ?」
「あぁ、煮物だよ。根野菜のおでんさ。特に、出汁の染み込んだ野菜は絶品だそうだ」
ヘリオンの目がきらきらとしている。食ったことでもあるのだろうか、自信に満ち溢れている。きっとうまいのだろう。
「さらに待ってくれ、話が違うぞ。何か貴重な鉱物資源があるんじゃないのか?」
ヘリオンも勘違いに気付く。だが、この質問に一瞬曇ったヘリオンの目は、すぐに輝きを取り戻した。
「そうだ。あるある。スラッジがあるぞ。汚泥さ。高度な下水設備のある街だそうだ。特殊な生物由来の素材だとエクレアが言っていた!」
「『汚泥さ』だと?」
「や、約束は約束だ。よし、プヨン、ともに進もうではないか。きっと新しい発見が」
ヘリオンは目を合わさず、さらに笑ってごまかそうとする。とても人の上に立とうとするタイプには見えないが、これもきっかけなのかもしれない。プヨンも前向きに受け入れることにした。
「よっし、俺はこれから教官と派遣についての最終面談だ」
そう言うとヘリオンはそそくさと立ち去ってしまった。




