複製の仕方 1
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夜1時、同部屋のメサルはよく寝ている。一眠りして、深夜に気付かれないように起きて着替え、こっそり出かけるのがすっかり上手くなった。
もちろん不寝番に見つかると面倒だが、巡回ルートがわかっていれば、かわすのも簡単だ。
窓から出て外からそっと閉じる。地面に足跡をつけず、ふわふわと浮かんで移動する。石を投げるように、落ちる自分を投げ続けるのが浮遊の基本だ。
プヨンが見知った限りでは、この世界には秒以下を正確に刻める携帯時計はない。機械式の時計は高額ながらも存在しているが、学校にある大時計など持ち運びには不便だ。よくて鞄サイズ。ズレも大きい。
校舎の壁にある時計は、校長指定の連絡時間まで30分程度あることを示している。余裕のあるうちに早めに行動する。
ノビターンはノミといつも一緒にきていることは知っているし、その目的や行動内容も理解できている。
自我の移し替えと維持のための材料を取りにきているはずだ。倫理面の問題はひとまず忘れて、大いに興味がそそられる材料採取だが、本人が直接くるあたり、誰にでもできるものでもなさそうだ。
秘密の行動、例えば諜報や暗殺というような重大な作戦でも、実際の行動中は他人に任せられない地味な作業が続くのかもしれない。
プヨンが星あかりが届かない暗い林道を歩くと、ふと背後に人がいることに気付いた。不寝番の歩哨時間は外したが、誰だろうと振り返る。
夜間でお互い外見対策はしていなかったが、赤外線ライトの『アイアール』で見ればはっきりわかる。ユコナだ。
「そこのユコナ、お前は完全に包囲されている。大人しく捕虜になれ」
指向性音声でユコナに話しかける。
ガスッ、「いたっ」
突然の声にパニックになったのか、慌てて周りを確認しなかったからか、勢いよく木に激突する音が聞こえた。
「何か用事?」
「腰につけたお団子、1つ私にくださいな」
お供したいということだろうが、どこから付けられたのだろう。
「殺鼠団子でよい?」
もちろんユコナの同伴はやんわりと断る。
「お供についてこないなら、まともなお団子もあるよ。こっそりついてくるのはいいけど、何するかわかってるの?」
「なんか面白いことやるんでしょ。とりあえず、お団子はもらう」
「毒入りだぞ?」
「当たらなければどうということはないわ」
そう言うが早いか、食える方のお団子袋を迷いなく選ぶ。『なぜわかるんだ?』とのプヨンの問いかけは、ふっと鼻で笑われた。そしてユコナは少し距離をとった。
2人で歩くと目立つと思ったからではなく、単に独り占めするためと思われたが、そのまま距離をとりつつ進む。後方にいることはわかっている。撒いてもよかったが、そのままにしておいた。
やがて、湖岸の三つ岩、林道の出口付近に到着した。指定の待ち合わせ場所の前に立つ。プヨンの腹時計ではだいたい1:15、予定時間の15分前だ。
空を見上げて周囲を警戒していると、ユコナからマールス通信が届いた。かろうじて拾える程度の小信号だ。
「ねぇ聞こえる? 聞こえるなら返事して。ここで何があるの?」
マールス通信は指向性のない全方位通信だから、プヨンにだけ聞こえるように出力を絞っているらしい。もちろん聞こえないことにしたので返事はしない。
何度か催促があり、徐々に通信出力が上がっていく。
怒鳴り声に近い大きさになった頃、夜空に赤い点が見えた。そのまま夜空を横切り、真っ直ぐこちらに向かってくる。
「あれなに? なんか危なくない? もしかして攻撃とか?」
「さぁな、とりあえずそこにいて」
期待と違う物の可能性もあり、安全を確認するまでユコナは待機させたが、生き物かどうかも確かめないうちに、ぶれることなく砲弾のようにまっすぐ突っ込んできた。
ガツン、ガリガリ
そして湖岸に立っていた木にぶつかる大きな音がした。
直前で急減速したのはわかったが、そのまま地面を転がっていき、10m以上進んでようやく止まった。
様子を見に行くか躊躇う。
間違いなく生き物だったと思うが動く気配がない。あのスピードで激突したなら動けなくて当たり前だが、心配もあって凝視してしまう。なんとなくユコナを見ようとしたら、同じ状態のユコナと目が合った。
「ねえ、あれ大丈夫なの? 動かないけど」
「さあ? 大丈夫ではないと思うが」
「助けに行った方がいい? プヨンちょっと見てきてよ」
ユコナは動揺しているのか、聞こえてくる通信音が震え、使えるようには思えなかった。仕方なくプヨンは返事しつつゆっくりと近づいた。
さっきは動かないように見えたが、よく見るとゆっくりとだが動いている。断末魔のもがきにも見えるが、もしそうならかなり凄惨な状態になっていそうだ。
目立たないよう明かりをつけずに、『クロリーン』を用いて暗視能力を上げて目を凝らす。
徐々に見えてきた。
高高度からの落下時の衝撃は知っており、浮遊訓練の初期に教えられる。上空50mからの水一杯の樽落下試験で体験するように、たいてい非常にひどいことになる。
受け身ゼロの無意識での墜落は致命的で、制御不能は死に直結する。負傷した状態では自己意識が弱く、落下時の加速に耐えるのはなかなか難しい。
ようやく全体が見えてきた。見たところ人型だが、妙にカラダが濡れている。
不意に気配を感じた。背後からの突然の声に,びくっと反応する。
「うわっ。これひどいね。生きてるのが不思議じゃない?」
固まっていたプヨンが気になったからか、いつのまにか出てきたフィナツーだ。
確かに顔も壊れかけで、手も根本から取れている。しかし時折動いている。
「ねぇ。これってなおりかけてない?」
目が離せず見ていたプヨンに、フィナツーが指摘する。本当だ。たしかにほぼ回復は無理と思っていたが、少しずつ形が整っていく。
「これ、治っていってる気がする。自力で回復してるのか? こんなぐちゃぐちゃで?」
「なんか顔が見覚えがある気がする」
そう言われてよく見ると確かに見覚えがある。まだ輪郭しかないがこれはノミだ。ここで校長から待ち合わせしろと言われたが、こんな方法でくるとは。それとも校長はこれを見ろと言っていたのだろうか?
「これはたぶんノミだ。そうするとノビターンもきているのかな? 自然治療していくがどうなっているんだ? これは手伝わない方がいいのか」
ノミは生きている。そして目に見える速さで回復していく。
どうやっているのかわからないが、ノミは無意識でも徐々に自己再生している。治療しようと思ったが下手に手を出すのもまずい気がした。
千切れた腕か羽根が元の形になった。一方でさっきまでちぎれ飛んでいた羽は崩れていく。さっきまで濡れていた体も、いつのまにか乾いていた。
だがそのあたりから治療の進みが遅くなり、ほぼ止まってしまった。
「なんだこれ? ノミさん、ノミ! 力尽きたのか?」
声をかけるとわずかに呻く声が聞こえた。生きている。大怪我中ではあるが、ただの憔悴のようだ。
あらためてノミを見るが、あきらかに死にかけ、から軽傷+α程度まで回復している。それにしても不思議だ。
プヨン達も負傷時の応急処置ように回復用のエネルギーを溜め込んだパンツァー服を着ているが、これは組織レベルの再生で、骨や欠損部はすぐには治らないと思っていた。無意識ではほとんど効果はない。
なぜ無意識で治せるのかと思い始めた時、ふと背後に何か気配がした。続いて足音。緊迫感はない。
ジャリ、ジャリ
もし害意があるのなら普通は足音をたてない。
危機意識のないど素人だろう。プヨン達新兵以下でもそのくらいは気をつかう。もしかしたら、素人を装う超プロの可能性もあるが、プヨンはそんな重要人物でもない。ベテランほど見えないものにも警戒し、万全を尽くす気がする。
後ろにいるのがわかる。10m、だんだん近づいてくる。
怪しい雰囲気が溢れるが相手の意志がわからない。敵意もあるが友好的でもある。
ドキドキする。
うっかり振り向いたら取り憑かれそうだが、このままではまずい。万が一野生の獣だと食いつかれるかもしれない。
といって派手に威嚇して追い払うとかは静かな闇夜で目立ちすぎる。
「そこの方、プヨンさん」
声をかけられた。声がやけに甲高い。名前を呼ばれたからには知り合いか。おそるおそる振り返った。ユコナは気付いているのだろうか。返事がない。
「うわっったっ」
助けてと声が出そうになったが知り合いの可能性が辛うじて声を出すのを止まらせた。闇夜に赤い口と白目だけが見える。白目の中心部分に吸い込まれそうだ。
動けない。声も出ない。ユコナも近寄ってこない。
「プヨンさん、助かりました。 そこにいるのはノミですか。よかった」
「ひゃっ。何があったんだ?」
風貌にびっくりしていたが、声をなんとなく思い出し、冷静になることができた。
ノビターンだ。周囲に目立たないようにそっと可視外光の明かりを灯し薄明かりで見てみたが、ボサボサの黒い髪に黒い顔、その上黒い服も着ている。
「何があったんだ?」
ノビターンの容貌について聞くプヨンだが、プヨンの問いには答えず、ノビターンはノミを観察している。
「これはひどい怪我ですが、プヨンさんが?」
「いや、最初はもっとひどかった。それどうなってるの? 致命傷を受けてたのに、そこまで回復しちゃったんだ。俺は何もしてない」
プヨンはざっと目の前で起こった経緯を説明する。ひどい状態に壊れたた生き物が勝手に治って、ノミになったということだ。
ノビターンが理由を知っている可能性もある。事情を知らないかと、説明するようにそれとなく眼で催促した。
「では、聞いていた薬効は本当だったのですね。いつもの大言壮語だとばかりですが、久しぶりにまともな効果があったのですね」
「心当たりがあるんだ。しかし無意識でこんなに回復するとはすごいな。弊害はないんだろうか。あなたのその縮れた髪や黒い顔とも関係が?」
そばで話すとノビターンもひどい状態だ。服もまともだし怪我はないようだが、火災から逃げてきたり、爆発系魔法が命中した人のようだ。
それはとりあえず置いておいて、ノビターンの説明を聞く。再生する方法がまるで自己再生生物と同じようだ。プヨンも究極の治療系として何度も考えてきたことだ。
他人を治すだけならできそうな気がするが、どうしても気になること、特に自信の意識喪失時にそんなことができるのか確認したことがなかった。
「でもそれって大丈夫なの? 怖くない? 副作用とかありそう」
「……副作用? 副作用ってなんですか?」
「いや、効果はあるんだけど、ダメージもあるみたいな」
「それは知っています! たいへんな魔力を必要とするんです。 だから大量の魔力を一気に奪い取られます」
なるほどと思う。それはそうだ。体力再生、しかも治療を加速するのは重作業だ。
そう思うとノビターンが何やら空き缶を振り回している。
「これです。これを見てください」
中身は知らないが濃縮栄養剤だろうか。
「これは魔力をためておく液体なんです。かなり高濃度にできるんですが、何度か突然空になったこともあるんですが、これのせいでしょう」
治療系のミメモム草の濃縮液のようなイメージを持つ。かなり性能がいいのだろうか。前もそうだったが、ノビターンの持ち物は興味がそそられる。
「そうなんだ。 どのくらい入るんだろう?」
軽くそう返すと、何故か一瞬ノビターンから笑顔が消えた気がした。何か問題でもあったんだろうか。プヨンは気にしないように笑顔で返した。
そう思うと、ノビターンがノミに薬らしき液体を振りかけていく。一部残っていた重傷部分が再びゆっくりだが治っていく。それを見て思い出した。
「あっ。これは。やはり。大丈夫そうだ」
『はいっ?』とノビターンが声を出す。プヨンの意図がよくわからないようだ。そうする間にも、跳ね飛んだノミの腕が既に肩くらいまで再生している。
「無意識再生する時、全部が一斉に再生する可能性が1番怖かったんだ。流石にこの薬は細切れはそのままっぽいね。ホッとした」
「え? え? じゃあこのままいくとどうなるんですか?」
「おそらく俺の知る限りではだけど、主要なカラダの数だけ完全に回復て、その後は……きっと……」
プヨンの不安そうな顔とは裏腹に、ノビターンはこうなることを予測でもしていたのか、何か期待があるように見えた。




