見回りの仕方 2
窪みの淵に立って周りを見ていたユコナが恐る恐る近づいていく。
ふと微かな刺激臭に気が付いた。この距離で感じるというと窪みの中心はどうなのか。安全確認をする必要がありそうだ。
数秒待ったが穴の底で倒れている人も、犬も、まったく動いていない。おまけに倒れている男性だが、片足がおかしな方向に曲がっている。やはり落下の衝撃はそれなりにあったようだ。
だがそうなると余計におかしい。重症であっても呼吸はするだろうし、痛みがあっても動きそうなものだ。隣の猟犬も同じだ。動かない。
なぜだか理解できた気がした。心臓が大きくドクンと脈打つ。
「もしかして、治療が間に合わない?」
プヨンの不安を感じ取ったのか、サイドカバンから様子を伺っていたフィナツーがそう呟いた。固まっていた自分に気が付き、慌てて前をいくユコナに声をかける。
「ちょっと待って。行くなら呼吸に気をつけろ」
普段から呼吸は基本だと言っているから大丈夫そうと思ったが、
ごほっごほごほっ
プヨンの制止に、ユコナは咳き込みで返事する。ちょうど倒れている男とプヨンの中間。崩れた穴を下りきったあたりにいる。
エクレアの注意も思い出した。穴の底には違う種類の空気が溜まっていることがあるのだ。
万が一の地面の崩落に備えて用意したバインドで慌てて引き戻す。このくらいの距離なら余裕だ。ユコナを自分に向かって放り投げ、もちろん投げるだけでなく、地面に激突しないようにする。
ユコナはむせながらも穴の上まで戻ってこれた。地面に手を突いて体を支えながらだが、短時間で中心部まで行っていないため、高濃度を吸い込まなかったのだろう。
念のためすぐに皮膚や肺は治療してみたが、ユコナにはほとんどダメージはなさそうだ。まずは礼を言う。
「すまない、ユコナ。小鳥にかわり、身を挺して毒検知魔法を行使してくれたんだな」
嫌味を言ったがユコナにはあまり響かない。
毒検知。無味無臭であっても大半の生き物が使える自動機能魔法だ。有毒の場合、必ず何かしらの反応、最悪は心肺停止がある。
とりあえず危険な空気が溜まっていることはわかった。穴の底に向かって風を送り込み、風下に向かって中の空気を換気していく。
ユコナは何か言いたそうだが、まだ喉がおかしいのか言葉にならない。もちろん言いたいことはわかっている。
「任せとけ。あのくらいなら余裕だ。近づかなくても救助できる」
そう言うとホッとするユコナ。マールス通信機も身につけてるんだから『符号でも伝えられるだろう』と送っておいた。
すぐに穴の底から人、狩猟補助動物のポインター、そして狩対象の獲物を数体まとめて引き上げる。
距離による減衰は1000倍程度あるが、このくらいなら手元で20、30トンも持ち上げられれば誰でも実行できる。
だが引き上げつつ詳しく観察してみると、非常にまずいことに気づいた。医者ではないプヨンでも外見が異常なのは一目でわかる。
フィナツーも気づいたようだ。プヨンには聞こえないが、植物同士でも意思疎通ができる。
「プヨン、あそこの木々からも悲鳴が聞こえるわ。ほら葉の色が抜けていっている」
「あぁ、本当だな。倒れた人の体表が緑色だ。かなりひどいサルファイド魔法だ」
エクレアが火山対応の事例を教えてくれたときのリストにあった気がする。ユコナのむせっぷりからも予測したが、かなり危険な状態で、気軽に穴の底にはいけない。
「フィナツーは解毒ってできるのか?」
聞いてみたが、フィナツーは首を横に振る。
「鎮痛や吸収を妨げるとかなら少しはできるけど、毒惰眠解毒は私には難しいわ。短時間だと、ほとんど効果がないの。発汗作用で地味に出したりはできるけど時間がかかるかな」
「そうだよな。直接解毒効果のある魔法はできないからな。さてどうするか」
フィナツーの返事はわかっていた。特定のものに対して解毒効果のある植物はあるが、全てに効くものはない。病気も同様だ。
本人が起きていれば臓器の働きを活性化できるが、意識が回復しそうな気配もない。
だがそうのんびりする時間はない。何かはわからないが、すでにずいぶんと吸収しているはずだ。
「なんか肌が緑っぽくない? 気持ち悪い」
「そうだな。肌の赤みがなく、変色から酸欠は間違いないんだろうな」
フィナツーに返事しつつ、大急ぎで酸素を口に向かって押し込んだ。水と電気で簡単に酸素は作れる。まずは人、次に他の動物にも同じ処置を施していく。
ユコナは短時間だったからか、すぐに効果が出てきた。
「何したの? それで回復してくれるかしら?」
ようやく落ち着いてきたユコナが話しかけてきた。
喉がぜーぜーとなっているが、無言でプヨンが手の回っていなかった男性の足を治していく。
「やれることはやるが、ユコナはもう大丈夫なのか? 無理はしなくていいと思うが」
『うん』とだけ呟くだけで、無言で骨折治療を続ける。プヨンも呼吸器の組織治療と酸素吸入で様子を見るが、そのまま数分経っても男性がよくなる気配はない。
「まずいわ。プヨン、あのポインター、動かなくなったわ。これ以上の治療はプヨンでも無理なの?」
いつの間にか狩猟補助動物、ポインターは動かなくなっている。
一緒に穴から助け出した動物のうち1番小さく、人の半分もないため耐性がなさそうだ。たしかにさっきから痙攣すらなくなり、完全に動かなくなっていた。
「まずくない? 何か打つ手はないの?」
「毒虫に噛まれたら、その周囲を切り取るのはよくある。だが全身に回るとこの方法では厳しい」
方法がないわけではないが、本人の意識がないと厳しい方法だ。
「どう厳しいの?」
「俺が治療すると、体の持つ情報に従って自然に身体は再生されるが、治療していないところはもちろん毒に汚染されたままになる」
「へえ?……で、プヨンはどうするの?」
「手を噛まれたら手首から落として再生すればいいんだ。これはやったことあるんだ。じゃあ頭を噛まれたらユコナならどうする?」
ユコナの顔がぱあっと輝く。何か妙案を思いついたようだ。
「そうか! じゃあ頭に毒が回ったら頭を切り落とせばいいんだ」
「お、おう! 素晴らしい、さっきユコナで試せばよかったな」
確かに一理ありだが難しい。
プヨンは人体治療は得意ではあったが、頭部損傷は成功したことがなかった。採れたての野菜や釣りたての魚でそれなりに練習してきたから、傷の治療だけはなんとかなる。だが人体のフルボディ再生では20分を切るのが精一杯。そういう事態に直面して対処したことはあるが、結局意識は戻らなかった。
「ユコナの頭で練習していいか?」
「ま、待って。そんなことできるの? 確実に?」
プヨンの不安を理解したようだ。
「今度こそできそうな気がする」
「ま、待って待って」
20分、心臓と頭が止まってしまったら、今のプヨンでは復活は難しい。事故でそうなったらやらざるを得ないが、毒治療でそこに踏み込むとトドメを刺すことになりかねなかった。
「プヨンでもできないのかぁ。やっぱりダメ? ほんとに?」
「あぁ、まぁな。だがこのままでもまずい。いちかばちかで試してもいいが、完全復活の可能性はゼロに近いと思う」
病気でも似ている。下手に治療すると全身に広めてしまう場合もある。ユコナが黙っている。プヨンもどうするか決められない。
「ま、待って。私は練習台無理」
「わかってる。アイ・ピー・エスなら、良組織だけを自己増殖できるが、再生して、毒を薄めて、再生して……薄まるかもしれないがやはり無理があるか」
プヨンも試していないがアイデアはあるし、実際に強力な再生魔法を使う生物もいる。
「血抜きいくか?」
「何それ?」
「血の入れ替えだ。出血させながら、再生する。毒は薄まるはずだが、間に合うか」
藁にも縋るつもりで試したが、数分後体が冷え始めるのを感じた。吸い込んだ量が多いのか、やはり間に合わなかったようだ。
「ふぅ」
ユコナのため息で我に返った。
骨折治療をしていたユコナの手が止まっている。足の形は元通りに戻っていた。
「どうしたら、よかったんだろうな」
「どうしたら、よかったんだろうね」
こんな程度の火山性ガスや毒のある生き物とのアクシデントはこれからもあるはずだ。
もっと早く治療できたら?
自分達のためにも、危機対応力は高めておく必要がある。行き倒れならまだしもレスルの野良パーティでもかなりこたえる。
これからは同じ行動班のメンバーでも、救えないことが出てくるはずだ。事前によく考えておかないと耐えられないかもしれない。
ユコナの目には無力感が溢れ、涙が光っているのが見えた。
どのくらい見ていただろう。そう長くはないはずだ。15分か20分。
「ユコナ、どうする? ランカのところか、それともここに埋めるか。学校まで運んでもいいが?」
「あぁ、うん」
別にユコナだけでなくメサルやサラリスも何度も死者を見てきている。普通に解体訓練もこなしたし、レスルでの活動でも戦闘はある。戦闘時には味方が生きて帰るのと引き換えに、相手に致命傷を与えていることになる。
「ヴァクタウンに戻って、ランカに共同墓地に入れてもらおうか」
そうプヨンが促す。陽も落ちてきて、いつまでもここにいられない。
「狩猟の動物の飼い主なんだろ。一緒に連れて行けるよ。他の動物はそのままかな」
そう言うとユコナはノソノソと動き出した。
コマナやアリナラプのような強力な自己治療能力がある生物もいる。これらの尖晶石、スピネルを練り込めば。
アイデアはいくつか出てくるが、成功する保証がない限り、実際に適用させられない。自信があっても想定外が起こることがあるくらいだ。
プヨンとユコナはお互い無言で見つめあっていたが、それもそう長くなく、ほぼ同時に気持ちが固まったようだ。
「やっぱりいくら考えても納得はできないわね。もっと高みを目指さないと」
「確かにそうだけど、自分のせいだと思い詰めるのもよくないよ。頑張らないとという気持ちはみんなもつことではあるけど」
「プヨンは何も感じないの? もし倒れているのが私だったらどうした? あらゆる可能性をためした?」
「難しいなぁ。自分が手を出して失敗した時と、何もできずに見届けた場合とどっちが堪えるだろう。ただ、もしそこに倒れているのが俺で、見つけたユコナが治せなかったとしても、ユコナを恨んだり嘆いたりはしないと思うなぁ」
なんでもできるわけではないのはわかるが、対処できないとその都度反省と次の課題が出てくる。治療が不十分だった点に対する申し訳なさもある。
「いつ突然の危険に晒されるかわからない不安感がなくなることはないよな」
「わたしはどうかな。割り切れるのかな。もし助けてくれなかったら、毎晩プヨンの枕元に立とうかしら。あの人はどういう気持ちなんだろう。医療系や治癒系の仕事の人はどんな気持ちで向き合うんだろうね」
「助かる、助からないは運もでかいからな。あんまり悩んでも仕方ない」
プヨンの意図を理解したのか、かなりユコナは落ち着いてきたようだ。
「少し元気が出てきたか? もう一つやるべきことが残ってる。どうする?」
「どうするって?」
「埋葬だよ。まあ病気とかではなさそうだから、すぐしなくてもいいかもしれないが」
「こんな誰もいないところでしちゃうの? 家族とかに連絡は?」
「身元がわかればいいが。今の気持ちを整理したいなら、街に連れて帰って埋葬しようか? 教官やランカ、メサルに治療魔法をかけてもらえるかもな」
聖職者などの治療はメンタル面の回復効果もある。プヨンにはできない方法だ。
ユコナはいろいろ考えていたようだが、
「問題ないならランカのところで埋葬しましょう。やはり身元不明はかわいそうだわ。明日は我が身かぁ」
「そうだな。じゃあ交代で運んでいくか」
プヨンとユコナは、荷物をまとめると歩き出した。
幸い、あれから他のトラブルや負傷者に出くわすことはなく、無事にヴァクタウンに着いた。
ふわふわと浮かべて運んだ遺体を一度置く。ユコナは一度も地面につけることなく、頑張って運んだようだ。
ランカはオロナ民を連れてきた。
「事情は聞きました。 こちらへどうぞ」
「手際がいいな。よくあるのか?」
「そうですね。1日に1人くらいですかね。多いか少ないかはわかりませんが」
プヨンもユコナも回収した遺体をランカに埋葬してもらうのは初めてではない。
今となっては淡々とこなすだけ。悲しみは感じるが悲壮感や思い詰めたような強い感じはしない。いちいち感情を込めないようにしているともいえる
ボコン
気化爆発を利用して程よい穴を開け、簡易の火葬炉を作る。このまま遺体を残すと食べられたりしていいことはない。
浄化も兼ねて火葬にしていく。
「最後までやり切るのか?」
頷きつつ、汗をぬぐうユコナ。
「プヨンなら躊躇わないのに、なぜか辛い」
「わからなくはない。無抵抗だからなのかな」
「これが終わったらもう一度ランカのところに戻って、身元不明者の手続きをしよう」
全身を1000℃で1時間、火球10万発相当が必要になる。最近はあまり人前で見せないようにしているらしいが、相当な持久力を身につけている気がする。
疲れと集中がいい意味でユコナの精神を癒しているのかもしれない。
遺品らしきものは武器くらいしかない。ユコナには少し重い仕事にも思えたが、プヨンは見守りつつ墓標になりそうな石を探していた。
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