競り合いの仕方 3
ノビターンは今月の巡察に向けた出立準備をしていた。もちろん本来の目的は必要な材料の回収だが、考えながらで決まった作業にもかかわらずなかなか進まない。
悩み事自体はいつもと変わらない。
人をどこまで利用するかの倫理観についてだ。自分が長生きするために、あるいは富を得るために他人の命を利用する。
人は他の生物の命をもらって糧を得る。富を得るために売り買いもする。他の生き物も含め、多かれ少なかれ、それが基本なのは許容できた。
ただ魚や肉を食べるような感じで人も食べられればいいが、そこはなかなか割り切れるものでもない。
戦争や強盗のような敵味方に分かれ、やらなければやられる関係ならまだいいが、相手が自分達の味方や無抵抗な者ならなおさらだ。
ここ最近は関わってしまった何人かの赤子の顔が忘れられない。直接ではないが、手を下したことにはかわりがなく、自己嫌悪の日々が続いていた。
そして気掛かりなことがもう一つ。それとなく監視されている気がする。なんとなくそんな視線を感じるだけで、誰なのかを特定したわけでもない。
身の危険というのもまだないが、色々と皆の思惑があるのだろう。
ノビターンが精神を他人の肉体に移し替える転生に否定的なのは公然の秘密。同志もいるが敵もいる。
今から行く巡礼はこの儀式に必須のアイテム、接着剤の調達に関わっていた。
反対派の者が必須アイテムを供給している。転生派の者からしたら屈辱だろう。
そのために譲歩させられ、煮湯を飲むこともあるが、この絶妙のバランスが、ノビターンの身を危険に晒し、同時に守ることにもなっていた。
ノミがやってきた。自称最速の男らしいため追跡対策も兼ねたノビターンの運搬係だ。今回も長距離移動、南方のキレイマスも含め何箇所かを回ることになる。
「ノビターン様、お悩みですな?」
挨拶もそこそこに唐突に言われギョッとした。そんなに顔に出ていたのか。思わず鏡を探したがまわりにはなかった。
認めたくない気持ちもあったが、周りにはどう見えていたのか知りたくてあえて聞いてみる。
「何を悩んでいると思いますか?」
うーむとそれとなく考えるふりをする。ノミの頭に答えはあるが、即答してはなんとなく申し訳ない気もする。大人のノミの忖度だ。
「ヒントは巡礼にも関係していることですよ」
ノビターンからの言葉で、確信に変わった。やはりそうなのだ。
前回の巡礼移動でもノビターンはプヨンに会っている。それはリフレッシュされず、ノミの鳥頭メモリに残っている。会った人物はプヨンだけ、食って美味いのはドラゴンフライ、それしか覚えていないからだ。
そしてノビターンが何を悩んでいるのかも手にとるようにわかったつもりになる。
ノミ理論では、これも誰にでも起こりえることだ。自分もそうだった。だが直球はノビターンも嫌がるだろう。ここはノミといえども大人の対応をする。
「顔だけを気にし過ぎてはダメですぞ。もっと今後も見据えた全体を見るのです」
「えっ? 顔ですって? なぜ顔のことが?」
ノビターンは驚いた。
まさか赤子の顔が忘れられないことを見抜かれているとは。ノミの透察力は予想外に鋭かった。
「ですがそれは致し方ないこと。あらゆる生き物にとって共通のことです。直感と理性と総合的に判断せねばなりませんからな。かくいう私も前は大いに悩みました」
衝撃が収まる前に、ノミの言葉はさらに心に追加攻撃を行う。
「で、顔が忘れられないと?」
ノビターンがぐっと唇をかむ。ノミ程度に見抜かれているようでは、周りの者もきっと気づいているだろう。
どんな顔で今まで歩き回っていたのかとノビターンは顔が赤くなってしまう。ふーっとため息が出た。
「顔が赤いですぞ」
「ひゃっ」
顔の赤みを見たノミが笑顔になる。勝ち誇ったように見えてしまうが、現時点では劣勢は認めざるを得ない。だが本心を話せるような、こんな機会はそうそうないかも知れない。
「そうですか。そうですよね。誰しも自分の心は偽れませんね」
たまには謙虚になり、ここは他者の意見も聞いてみよう。
裏表のないノミであれば利害関係なく聞くことができる。そして鳥頭ノミなら何か漏れたとしても、半信半疑で何とでもごまかせるし、そもそも忘れたら広まることもない。そう納得した。
カチリ、扉にラッチがかかる音がした。
誰もこないようノビターンが扉の上部に付けた小さな閂は、外からは開けられない。そっと扉に鍵をかけ音漏れ対策もする。
長生きしたい、権力を手に入れたいという本質的な欲求と、人として正しく生きたい、誇れる生き方をしたいという倫理的な心の葛藤は誰しもが持っている。
宗教関係者として生きているならなおさらだ。奉仕や慈愛を説く身が、自己利益のために奪っているようでは本末転倒だ。
「それでノミ、あなたならどうするのです? 閃きと打算、どちらを取りますか?」
「ははは。ノビターン様。簡単ですぞ。両方です。どちらも叶うタイミングが必ずやくるはずです」
「本当ですか?」
「そうです。私は、長い視点で判断し、先まで見越します。出会うべくして出会う、そういうタイミングがあるのです」
即反論できず考えてしまう。軽い頭のはずなのに今日のノミの言葉は重い。
確かにノミの言う通りだ。
長生きする術を手に入れる。それも理性に影響がない、すなわち赤子を犠牲にしなくてもできればまったく問題がない。
それがいつかわからないから悩んでいるのだ。無理に反対すると自分の身も危ないかもしれない。このタイミングも重要だ。
「時期を待てというのですか? ですがそんな時が本当にきますか? 時間が過ぎるばかりかと思いますが」
「何をおっしゃるのですか。そういう手助けになる者は案外すぐそばにいるものですよ。ノビターン様が気づいていないだけです」
ノミはノビターンが思っていることが手に取るようにわかったつもりになっていた。さっさとプヨンに会いたいと言えばいいものをとじれったい気持ちになる。
だがノビターンも意外と奥手なのかもしれない。ここは年長者として適格なアドバイスをしてやろうと思う。
「おりますぞ。それは、わたしです」
ボゴッ
「ぶふっ」
頭上から巨大な力が加わり、ノミの口が閉じた。危うく舌を噛み切るところだ。
「どうかしましたか? 時がきたら頼ります。では」
立ち去ろうとしたノビターンをノミが引き留める。
「お、お待ちください。最後まで聞いてください。私をご利用くださいという意味です」
「どういうことですか? 実はここだけの話ですが、私が悩んでいることは事実です。心が張り裂けそうなくらいに。そしてそれを懸念するあまり、私の身も危ないかも知れないのですが、それでも協力すると?」
「おぉ、そこまで思い詰めておられるとは。これも罪なヤツということか」
罪の言葉に一瞬ビクッとしてしまうノビターンだが、ノミはうんうんと笑みを浮かべてうなずいている。
ノミも恋愛の悩みは心が張り裂けそうになるということは聞いたことがある。それは仕方のないことだ。ここは是非とも成就させてあげたいと思う。
「わかっております。ずばりノビターン様の悩みは『近距離型』ですな。おススメは『遠距離支援タイプ』! 恋術の常道ですな」
「な、なんですって? それはどういう?」
ノビターンには戦術と聞こえた。ノミが戦術を語るとは。何か考えがあるのか? 興味が引かれる。
「ノビターン様の近くには、ノビターン様の気の許せる相手がいない。いや、いないわけではないが近場では目立つし、しがらみもおありでしょう? 近過ぎては依存しすぎてしまう。そうなってはいけないのです」
うっとうなるノビターン。そうなのだ。アサーネなども含め味方はいる。だが同時に敵も近くにいる。お互いの動きを牽制しあっている状態では、大胆な行動には出られない。ノミにしてはするどい指摘だ。
「では、どうすればよいと」
「ノビターン様は自立心が強いお方ですからな。べったりされるのは好まれない。近郊ではなく遠湖ですな」
ノミは今から行く遠い湖を思い浮かべる。
ノビターンはハッと気づき、目を見開いた。ノミが言いたいのは近攻遠交に違いない。
まさかノミの口からそのような専門用語が出てくるとは。まさにノミの言うとおりだ。ここから離れたどこかに味方、何かあった時の援軍があれば選択肢が広まるのだ。
「しかし、そのような者がいるでしょうか?」
「おりますぞ。ノビターン様。ノビターン様も何度かあった、キレイマスの智将、プヨン殿ですぞ!」
その名はノビターンも覚えていた。あいつが絡むとなぜかトラブルが起こる。
初めてのときは亡き者にしたはずだがなぜか生きていた。
その後も出会うと氷に閉じ込められたり、何やらよくわからないうちにひどい目にあった記憶しかない。
信用してもいいのか、実力はあるのか、見極めが必要だ。
「あの者ですか。あの者は信用できるとは思えませんが。しかも初対面では一方的に危害を加えようとした身、突然過ぎて相手も困惑するでしょう」
しらじらしい。
ノミはそう思いながらも聞き返してやる。気がないふりをしつつ、ノミがフォローするのを待っているに違いない。そうやってノビターンの意中の相手をそれと持ち上げてやる。仕方なく会ってみよう、そういう雰囲気になることを望んでいるのだろう。
ちょっときっかけを与えてやれば、きっと満面の笑みで飛びついてくるはずだ。
だがノビターンは完全に表情をコントロールしている。なかなかの策士だ。さすがノビターン様だ。さも気がないようにふるまっているに違いない。
「なんの。智将殿ですぞ。実力も申し分ないのではないですかな? ノビターン様にお似合いですぞ。かの地であれば、私がお連れできますし、ごく自然に行くことができます。きっとノビターン様のよき協力者になってくれることでしょう」
実力か。
ノビターンは考える。実力が何を意味するかは人それぞれだが自身が生き残る能力ととる。
もし本当に実力ある協力者なら歓迎するが、ただ下手に関わって敵対されると困るのだ。間違っても敵同士が手を結ぶということは避けたい。
「どうされましたか? あまり深く考えず直感も大切ですぞ。思い切ってぶつかって見られては?」
「どうしたものかと」
「安心いただきたい。ノビターン様なら器量不足などと言うことはないはず。自信をお持ちください。そして考えすぎてはいけませんな。本能で進むのです。もちろん相手を受け入れる広さも大切ですぞ」
「なるほど、器量なら自信はあります。いつも状況把握とお手入れは万全です」
「うぉぉ、さすが自信がおありで」
もちろんノミのいう器量は容姿だ。こうも自身で器量良しを宣言するとは、なかなか豪胆だ。
「私の器を量らせ、まずは相手の様子を探りつつ、味方を増やせと言うのですね」
ノミにしては的を射て、いちいちもっともなことを言う。足を引っ張られたらまずいが、遠隔地の味方となると万が一の時、きっと役に立つ。
そんなノミの言葉を、そうかもしれないと思っている自分にノビターンは一番衝撃を受けていた。
チラチラとノミの顔を伺う。ノミの言う通りにしても課題がある。ただOKと言えばうまく動いてくれるとも思えない。なぜならノミだからだ。
そう思っていると、ノミから話を振ってきた。
「お任せください。きっと神様は見ておられます。出会うべき者は拒んでも必ず会ってしまうもの。そうなるべくしてなるのです。ノビターン様のことは私がよくわかっておりますから」
まぁ、そうか。焦っても仕方がない。ノミの言う通り、機会をうかがいつつ手を尽くせば良い
「そうね。今日も旅の無事をお祈りしておきましょう」
出立前の礼拝を済ませるべく立ち上がる。そう言えば一つ疑問があった。
「どうして私が悩んでいることがわかったのですか? 顔に出ていましたか?」
疲れが出ているのなら、もう少し表情を作り込まねばならない。目のクマ落ちを引き上げる吸引魔法がある。
見た目も大切だ。身だしなみを整えながらノミに尋ねた。
「はい。ふと目に入ってしまいましたな。それでわかりました。私、特に目がいいもので」
燕人遺伝子を持つノミは、極めて視力が良い。ノミの指差す先を見る。自分の目を指している。
「やはり目元に疲れが出ていましたか」
「いや違いますな。その横ですな」
「え?」
目端を指で触って見た。白く短い毛だ。
「まつ毛の白髪ですな。いや、珍しい。ノビターン様でもあるのですなー。ほら私も白いものが。なかまー、仲間ですな」
「ふぉっ」
白髪、それもまつ毛。疲れが髪に出たのか。じゃあ髪の毛には一体何本あるのか。
慌てるノビターンの頭の中はノミの笑い声に満たされる。
なかまーなかまーなかまー
その日の礼拝は神様への旅の無事を祈ることから髪の無事に変更になった。




