置換の仕方 3
ノミは遊覧飛行を終え、元の場所に戻ってきた。
「きっとノビターン様は照れていたに違いないな。まぁここはオトナな対応をするのが正解だろう」
ノビターンにひどい扱いをされはしたが、鳥力強化で鳥頭を強化し、迅速にかつ都合よく気持ちを切り替えて戻ってきた。
空がほのかに明るくなっているので、もう湖が見えてくるはずだ。ただ、夜明けが近いことを入れても夏だというのに妙に寒い。
「行くときはそんなに寒くないと思っていたが。ノビターン様は大丈夫だろうか」
何かしら不機嫌なときに、一方的にノビターンがノミを追い払うのはよくあることだ。
そして一回りすれば機嫌も直る。お迎えに行くポイントもだいたい湖岸か湖面の上空にいればわかる。一定時間後にこのあたりにくれば出会えることはわかっていた。
おかげで前回時間がずれたときはかなり焦ったものだ。
ノミは高度を下げ続けていた。
羽毛に包まれているので困りはしないが、雪でも降りそうな気温だ。
湖を離れていたのは1時間くらいだが、天候が変わったとしてもこんなに温度が下がるものなのか? 少し不安になってきた。
いた。湖岸に何かいる。
ノビターンだろうと思いながらノミは近づいていった。やはり会えたと安堵するノミ。これからは照れ屋のノビターンにひどいことをされても、オトナな対応をしよう、そう思いながら目の前に降り立った。
「お、プヨン殿。なぜここに?」
「うーん、朝まで時間があるから。さっき1時間で戻ると言っていたから念のため様子を見にきたんだよ」
寒くないですかと聞いてみようとしたが、暖かい風が吹いてくることに気づいた。そう言いながらプヨンは火球の温度をぎりぎりまで下げた温風魔法を身にまとっている。
「お、おぉぉ? 暖かい風がくっついてくるぞ。なんですかな、これは?」
その風が歩き回るノミに向かってついていく。プヨンが無意識的にやっている空調魔法についている人感機能だ。人のいるところの温度を維持するように働く。
急にノミに見つめられたプヨンは、意図を察して説明することにした。
「あ、うん、ちょっと寒いと思って。なかなか快適でしょ」
「いいですな。上空を飛ぶときにこんなことができれば最高ですが」
「そうか。そうだね。上空は寒いもんな。あまり上空は行かないけど、今度試してみよう」
ただプヨンは寒い理由には少しだけ心当たりがあった。もちろんその理由についても対策済だ。
さっき襲われたときにできたであろう氷は、すでにあらかた液体化してある。ただあの程度で湖全体、いやこの辺り一帯が冷えるはずはないと思っていた。
「ところで、なぜここに戻ってきたの?」
「実は、ここで待ち合わせ予定の方がおりまして。まだお会いできていないのです」
「えー? ここで? 学校関係者なのかな? 報告する気はないけど、見つからないでよ? 何故発見できなかったのかと問われると返答しにくいし。 急いだほうがいいんじゃないかな?」
そう言いつつプヨンは周りを探してみるが、生き物らしき体温は何も検知できなかった。ただ1時間前の歩哨中に体温を感じたあたりで、まだ磁気反応が検知できた。
「ファンヒーティング」
温風の波を全方位に打ち込み、温度の上がりにくいところを探す。空気はとても温まりやすい。また金属や地面より水の方が温度が上がりにくいからだ。
「ポーレンファインディング」
すぐ横でフィナツーも似たようなこと、ばらまき花粉の実行中だ。
対象はすぐに見つかった。温度上昇の鈍いところがある。そして小さいながらも、連続くしゃみ弾の音が静かな湖面に響き渡った。
「プ、プヨン殿の仕業か。見事な索敵能力。あそこに違いありません。参りましょう」
言うが早いかノミが飛び上がって急行する。プヨンも慌てて光学魔法で距離を測る。
「ノミ、行動が早い。700m、角度は38度だな」
射出角度と初速を決めると、『ベイルアウト』で大ジャンプを行った。しかしノミの飛行速度が速い。プヨンのジャンプは空気抵抗で速度が落ちていくにつれ、距離が開いていった。
ビューーーー、ザッシ。
無事に対岸に着地した。プヨンは飛行ではなく射出であったためひたすらバランスとりに追われていた。油断すると大地へダイブすることになる。
最近は短距離で1人ならなんとかなるがまだまだ油断はできなかった。そのせいもあって、ノミには追いつけず5秒遅れている。ノミは飛行に関しては突出していた。
「む、むむむ。プヨン殿、今どうやってついてこられた? それも智将の御業で?」
ノミは背後した着地音で、ついてこられたことに気づき驚愕している。
もちろんプヨンはそれはどうでもいいことと目の前を注視していた。
少し前方で人が一人うずくまって震えている。ノミもその視線に気付き、人の姿に戻ると慌てて駆け寄っていった。
「さ、さむい。寒い」
「ノ、ノビターン様、ご無事で何よりですがこんなところで何を? 震えておられる?」
「ノ、ノミ。た、助かりました。魔力も尽きて、寒さで体が動かず途方にくれておりました。して、そちらは?」
まだ周りは暗い。顔はなんとなくわかるが明かりをつけるのは躊躇われた。
どことなく聞いた声に思えたが、プヨンは名前だけ型どおり名乗る。それを受けたノミが勝手に智将だとひとしきり持ち上げてくれるが放っておいた。
無言で立ち尽くすノビターン。多分寒さに気を取られ、まともに聞いてなさそうに見える。そんなノビターンを温めるため、プヨンは周りの空気の温度調節をそっと広げてあげた。
「まぁ、そうですか。あなたがノミの言っていたプヨン殿ですか。一度お会いしたいと思っておりました。このような状態でお会いしたくはなかったですが、ご縁は大切にしたいと思います」
体温が上がったからか動けるようになったようだ。
頬に血の気が戻りつつあるノビターンは立ち上がり、何やら印のようなものを切って一礼した。これはメサルとかがやるネタノ聖教の礼の仕方に似ている。
「して、ノビターン様はなぜこのようなところで震えておられたので? 今回は究極の魔力を用意した、何があっても問題ないとおっしゃっていたではないですか?たしか、3Tとかなんとか」
「いいところに気づきました。それが私にも何と言ったらいいのかわかりませんが、湖に潜ろうとしたところで湖水全体に異変が起こったのです」
プヨンはノビターンの言う意味を何通りか考えたが、寒さで震えているのなら湖が凍りつくくらいしか思いつかなかった。
ノビターンの説明が途切れたタイミングで聞いてみた。
「なぜ湖が突然凍ったのでしょう。かなりのエネルギー量ですが、凍らせてしまったのですか?」
「な、なぜそのことを? 凍ったとは一言も言っていませんが? その通りです。恐らく入口のある底の方まで氷で覆われているでしょう。進むことも戻ることもできなくなくなってしまいました」
しまった。異変が起こったと言われただけだ。さっきちょっと冷気魔法を発動させた可能性についてうっかり口走ってしまった。
サイドカバンでごそごそと音がするのを抑えこんでいると、邪悪な思念が感じられた。
「すいません。犯人はこいつです」
バシッ、「ぶふっ」
サイドカバンを手で叩きつけた。不明瞭な思念を飛ばすフィナツーを黙らせる。もちろん音も封じる。誰にも聞こえてないはずだ。
「それで、どうされたのですか?」
「進むのは危険と思って戻ることにしました。なんとか地上までの氷を融かせましたが、おかげで魔力電池の残量が空になるまで出し切ってしまいました。こんなに魔力を吸い取られるとは。危なかった。もう少し残量が少なければ、氷の中で凍え死んでいたかもしれません」
ノビターンの言うことを素早く計算してみる。一体何が湖を凍らせたのだろうか。自然の力はなかなか人の力では太刀打ちできないが、突然凍るのも不自然だ。一方でそれを融かして脱出させた魔力電池も驚くべきエネルギー量だ。自分のことだと気付かないプヨンはいろいろな条件を考えてみた。
この湖水は円形だが、広くはないといっても直径は1㎞はある。深さも深いところで200m。水1㎏を凍らせることと火薬1㎏の爆発や小型の爆炎魔法エネルギーがおおよそ同じくらいだ。
これを全部凍らせたとなるとかなりのエネルギー量だ。さっき氷魔法を使いはしたが、こんな大規模にはしていないはずだ。魔力電池とやらはエネルギーを漏らしてしまうのかもしれないと思うことにした。
「どこかでこのマリブラに魔力を補充しないと、もう一度潜ることも帰ることもできません」
そう言うとノビターンは背中に手を回した。背中に斜めに背負っていた小さなタンク、酒などを入れるスキットルを大きくしたようなものを取りはずす。
中からチャプチャプと液体の音がする。その水筒から出たチューブは、ノビターンの手首の赤いリストバンドにつながっていた。
「プヨン殿、このあたりに回復薬を作れる場所、例えば礼拝所などはあるでしょうか?」
「あ? あぁ、まぁ、キレイマスまでいくか、ここから西にいったところにある町なら礼拝所があるがなぁ。あとはレスルで依頼するとか」
「仕方ありません。この氷をどうにかしないと入れません。かといって、そんな大量の魔力がすぐに手に入るとも思いません。Tですよ、T。ネタノ聖教の熟練魔僧のライセンスを持っているもの100人でフル充電して1年かかるのです。それでも氷を部分的に溶かすことしかできませんでした」
1Tというのがどのくらいの魔力エネルギーをさすのかはよくわからないが、大変な労苦を伴うようだ。
「これは簡単に魔力が貯められるものなのですか?」
「そうですね。一般的な回復薬と同じ。礼拝の時のように、手をかざしてここに向かって意識を飛ばすだけです」
なるほど、魔力の回復薬を作る要領と同じようだ。
プヨンとしては自分がやったという自覚はないことにしたが、少し申し訳ない気がした。しかも予想外に大きな氷を作ったようだ。放置したことはよくない。波打ち際はずいぶん溶けているようだが、中はまだまだ凍っているのだろう。
「フィナツー、まさか湖が凍っているとは思わなかったな」
「後始末はしとくべきでは?」
フィナツーにもそう言われ、『リフレッシュメント』で氷を瑞々しくしておいた。急激に氷が水に戻り、増えた体積が減ったため湖面の位置が引いていくのが見えた。
そしてお詫びにプヨンは自己の魔力を注いでおくことにした。
気付かれないうちにそっと手をかざす。回復薬を作る要領で礼拝のように感謝の意志を注いでみた。色は深い紫に変わっていく。これでどのくらい貯まったのかわからないが帰路の足しにはなるだろう。
「プヨン殿、我々はこれで一度移動します。今度はぜひゆっくりと」
「プヨン殿、無礼をお許しください。今日はこれでお暇します。無礼ついででお願いがあります。3、いえ、4日後、ここでもう一度お時間をいただけないでしょうか? ノミいいですね?」
4日後なら休養日で学校はない。ヘリオンがワサビの件で何かしようといってくるかもしれないが、今のところ予定は入っていなかった。
「かまいませんけど、時間は? 」
「ノミが伝えに参ります。 では」
ノビターンはふらふらしながら立ち上がり、先ほどのマリブラ、魔力補充用のスキットルを持ち、ノミに近寄っていく。
「ノビターン様、佃煮ならここにございますが」
スパァン
甲高いいい音がして、「いらない!」というノビターンの声が聞こえた。
彼らが去ったあとプヨンは一人たたずんでいた。朝の点呼まではあと2時間くらいだろうか。
湖沿いに飛んでいると、朝から女神像と訓練している生徒が見える。下面ブルーで迷彩をかけつつ飛んでいると、
ドカーーン
爆発音がする。サラリスだろうか。と思ったらこっちにも光線が飛んできた。湖上に出過ぎたようだで、鏡面ミラー効果で反射させたが慌てて高度を上げた。
ランカのところまでは湖上を直線で飛行すると5kmもない。プヨンがのんびり行っても10分ほどだ。
ランカはいつものように、朝は水汲みで前の井戸と中を行ったり来たりしているはずだ。そのあとはだいたい癒し効果をと言われて、意識回路のお掃除をしたあと回復薬の作成になるのが定番だった。
すぐに見つけた。ランカが井戸の前に立っている。しかも手を振っている。プヨンのほうが先に発見されていたようだ。
「な、なぜ、くるのがわかった?」
「え? なんとなく、プヨンさんの波を感じまして。脳内ベルがなりました」
「波? ベル? 波ってなんだ? 飛んできたからか?」
さぁと首を傾げられてしまったが、魔法発動中は見つかりやすいのか。勘も含めてランカの感度が上がっているのかもしれない。
今までは熱や物質的な反応に気を付けていたが、飛行などの魔法発動中はエネルギーのやり取りがある。見つかっても不思議ではない。単なる光学的な隠蔽以外にも様々な検知方法があるようだ。
そんなプヨンの悩みには無視され、ランカは続けて言った。
「プヨンさん、ちょっと最近悩み事があるのです。プヨンさんに関することです」
ランカの悩みはなんだろう。そう思いながら、ランカに導かれ礼拝室に入っていった。




