歩哨の仕方
季節的にはずいぶん暑くなっているが、防御性重視のため服装はほとんど変わらない。暑い分は己の冷気魔法の実力に応じて対応するのが常識だ。
せいぜい室内時にスカート派が増えるくらいが限度で、一番やっかいなのは睡眠時だった。エアコンなどというものはなく、自己意識が維持できないため冷気が止まってしまうからだ。
もちろん夏場になっても女の子の下着が透けたりもない。突然危険な目にあうことを想定して、最低限の防御力、回復力が必要だからだ。一方で隠密が得意なユコナなどの一部の生徒は、完全に透けて向こう側まで見えるようになっていた。
そんなある日、プヨンは深夜の歩哨をしていた。午前1時くらいとなると熱気もほぼなく、歩き回るには快適だった。
「プヨン、今日も平穏無事ねー。もうちょっと二酸化炭素があればいいのに」
「まぁな。寝なくていいのは楽そうだけど、それはそれで1日が長そうだ」
月光浴をしているフィナツーを見ていた。夜間は弱い光で成長部分が異なる。フィナツーいわく、昼間の光はフィナツーには強すぎるらしく、夜の光でないと美肌が損なわれるそうだ。樹皮は相当ごつい気がするが、ほんとか? 検証が必要だ。
フィナツーとの会話が一段落する。ペアとなる二年生の女生徒は室内練兵場の方を回っていて今日はほとんど顔を合わしていなかった。
危険時を想定される場合は原則2人行動だが、最近は慣れてきたためか効率化も兼ねて分担し、よほどのことがない限りは単独見回りが慣例化していた。
歩哨も最奥まで回って後半に入る。旧校舎の側の湖周辺を回ったらあとは戻るだけだ。ここはたまに何かに出くわすことがある。夜行の蜘蛛や蛇などが襲い掛かってきたりもするため油断はできない。以前、湖内の建物に赴いてノビターンにあったり、湖岸でノミに会った場所でもあった
「プヨン、炭酸薄いよ。何やってるの? しっかり深呼吸して」
呼気の二酸化炭素不足にフィナツーが文句を言う中、プヨンはとある魔法の練習をしていた。
眠気対策『ホドホドホルドブレ』。今も試していた。
空気の流れをコントロールする魔法の効果で一時的に呼吸を抑制する。ぎゅーっと気合を入れて息をとめ、眠気と呼吸の制御をする魔法だ。
頭の酸素濃度が低下することを察知した脳が一時的に覚醒する。タイミングが難しいがうまくやると5分かあるいはそれ以上の眠気退散効果があった。
もちろんやり過ぎると寝落ちするリスクも兼ね備えた生活魔法だが、これを身に着けなかった学生、新人は何かにつけて苦労することになっていた。
そんな退屈な散歩も異常が発生すると一気に目が覚める。それは動物だったり、天候だったりといろいろだが、今日は少し違っていた。
バサッ
非常に遠くだが風切り音が聞こえた。静寂のためわずかな音でも感じ取りやすい。プヨンはさっきから、湖の端あたりの上空に動く熱源も感知していた。意識して動向を見守っている。
「フィナツーはあれ見えるか?」
「どれ? わかんないよ。暗いし」
空は暗く月明り程度ではプヨンもしっかりと見えているわけではない。思ったより遠く、肉眼ではなくゆっくり動く熱源をとらえているだけだ。
何の対策もしていないからもしかしたら野生生物かと思ったが、見通しがいいから温度分布が良く見える。動きが鳥と比べて遅く、シルエットも鳥には見えなかった。
「距離はどのくらいだろう。ここからだとなぁ。仕方ないなぁ。あれ、試すか」
プヨンは光子魔法の応用で、キョリ測魔法を試してみる。
プヨンが作る二酸化炭素からの光子砲は波長が決まっている。1060nmだ。行ってかえってくる光の波長がズレた分が手の甲の目盛りにプリズムのように映っていた。
前に測ったときは、手の甲でのズレ1㎝が10mだ。ついでに距離の変化と時間でおおよその移動方向と速度も出せた。
「『レンジファインダー』、あー、535mかぁ。こっちに近づいてくるな。533、532……。なんか、遅いな。2秒3mくらいだから、時速6㎞くらいか。空飛んでないで、気球とかかな? 蝶や蛾みたいな虫にしたら大きすぎるしなぁ?」
フィナツーはプヨンの呟きにまたかという顔をしながら聞いている。コメントのしようがないというのもあるが、プヨンも自分自身で確認するために言っているようなものだ。
「あれは鳥には見えないが鳥人間なのか。こっちが気づいてることに気づいてるかなぁ」
「どうするの? また鳥肉にするの?」
「うーん、大きいけど、鳥じゃないっぽいしなぁ。かといって直接の被害があるわけでもないし、様子見かな?」
ノミと以前会った時もこんな感じだった。明らかな敵意でもあれば対応もするが、ただの野生生物をいちいち落とすのも心が痛むし、きりがない。
プヨンがそう思っている間も、風に流されながらこちらにゆっくりと近づいてきた。
「学校に侵入してくるものはまずいないって聞いたけど侵入者の可能性もあるから、対応マニュアルに沿って一応警戒しないとなぁ。念のためそろそろ誰何(すいか:問いただし)してみるか。あの岩場過ぎたから、ここまで500mを切ったしな」
「おぉぉぉ、プヨンがやる気になっている。もしかしてやっちゃうの?」
「そうだな。鳥肉でも侵入者でも的には違いない。普段できないことを最大限にいろいろと試してみよう。鶏肉だったら焼き鳥だ」
何を期待しているのか、フィナツーが実験見物モードになっていた。
久しぶりにやるか。プヨンは試したい手順を再確認した。
これは学校で決まっている方針だ。不審なものを見つけたときは『連絡を最優先とする。可能であれば生死を問わず捕獲せよ』そうなっていた。
まずは生き残って侵入者がいたことを皆に伝えたほうが安全だからだ。万が一発見者がやられた場合、侵入者への気付が遅れ被害が拡大する。もちろん歩哨が定時に生きて戻らないことも報告にはなるのだが。
「どうするの? プヨンから仕掛けるの?」
「そうだな。味方攻撃は最悪だし、まだ距離もある。とりあえず3度誰何する時間はある。相手は1体っぽいし、万が一反撃されたとしても退ける時間はあるはずだ」
フィナツーが仕掛けるタイミングを聞いてくる。
侵入者と判断して仕掛ける場合には、その前に厳格なルールがあった。それは一見不審に見えても敷地内では身内である場合が多い。こっそりさぼっていたり、特別な任務だったり。そんな味方への攻撃を確実に防ぐためだ。
もちろん呼びかける以上は当然相手に気づかれてしまうわけだが、このあたりは問答無用で仕掛けて身内殺しになった時のほうがよりダメージが大きい。それがいやなら大人しく報告しろ。そういうことだ。
プヨンは熱源に向かって確認するため『パラメトリックスピーク』で大声で呼びかけた。特定方向に限定して音を伝える方法だ。声も声量を増幅し、幅3mくらいの限定範囲だけに音が伝えられた。
「誰か!」
そして相手の反応を待つことにした。
一方マリーは全力で水面上を飛行していた。すでに30分弱経過し、距離にして7㎞ほど飛んでいる。
これだけ飛行できるものはそうそういない。飛行速度は遅いが、航続距離は自信があった。
そんな優雅な飛行も終盤。体力的にもそろそろ限界が近づいていた。エネルギー消費を抑えるために滑空モードに入っており、高度が下がっていく。このままのペースを維持していけば、なんとか対岸にたどり着ける。問題なさそうに思えた。
「ふふふ。メサルもその護衛とやらも、きっと驚くに違いない。突然目の前に現れ、『さぁ、今から試してやろう』と声をかけるあの瞬間の顔。あー見るのが楽しみじゃ。それとも身元を明かさず、不審者の方が本気を見れてよいかのぉ」
マリーは相手、メサルが慌てふためくところを想像し、ニヤニヤとしている。
灯火管制がないため横目に校舎の明かりが見えている。あれが灯台のように目印になっている。学校を迂回するような形で、侵攻方向に問題ないことが確認できる。
このまままっすぐ進めば、予定通り旧校舎などのある裏山につくはずだ。あと、数分。
ふと手のひらに熱を感じた。数瞬、まばたき数回分の時間後、突然声がした。
「誰か!」
「うん? な、なんじゃ。誰かいったか?」
マリーは突然耳元で声がしたが、すぐには理解できなかった。まわりは真っ暗で姿が見えない。もちろん話しかけてくるものがいるはずもない。
声の方向は学校旧校舎からだとわかったが、対岸まではまだ500m以上ある。普通なら声が届くはずがない。そもそも自分宛かどうかもわからない。
きょろきょろと辺りを見回してみたが、当然周りには誰もいなかった。
「誰か?」
再び声がする。2回目だ。学校からこの距離でどんな大声なのだ。こんな夜にこんな大声で叫ぶあほうがいるとは。マリーは呆れるが、一方で声が届くことに驚いていた。もしかしたら学校側に気付かれたのかと心配になる。
「ヌ、ヌーン……っておらんのか。むぅ。わしは、マリーじゃ。学校に用があるのじゃ。そういえば、なんとなく手の甲が暖かいが、うーむなんじゃこれは」
マリーは真っ暗な湖上で大声を張りあげ返事する。
水面からは100m以上あるはずだ。こんな場所で一人大声をあげる自分自身が恥ずかしかった。さっきから、手の甲などがほのかに熱さを感じているのも不思議だ。
そして3回目が来た。
「誰か!!」
少し音圧を感じた。マリーも学校ルールの誰何は知っている。歩哨ならば3回目のあとはなんらかの行動に出るはずだ。その警告に違いないことはわかる。
思わずふっと笑みがこぼれた。
「ほー、面白い。どんなやつか知らんが、このマリー様に仕掛けるとはな」
マリーはほくそえんでいた。正面から自分に仕掛けるものなどめったにいない。立場がわからないものだからこそ仕掛けてくるのだろう。こういう自由行動の時に身の程知らずに出会うのは密かな楽しみの一つだ。
かなり上から目線でそう思った瞬間、
「あつっ、あつつつっ。な、なんじゃ。か、火事か」
自分の背中に熱を感じた。背中というよりは空気が熱くなっているようだ。先ほどの声のこともあり一瞬背中が火事になったかと思ったが、マリーの背中燃えていない。無事でほっとする。
「び、びっくりさせおって。まぁ、この距離じゃさすがに攻撃はないか。ふふふ」
前に進むと熱気は薄れていく。マリーはそのまま進み続けた。
「プヨン、何してるの?」
「うん? うん。背後を熱気で覆って、退路を断とうと思ったんだけど、こっちに近づいてくるね。だんだん熱くしていって、こっちにこさせるかな」
「こさせてどうするの? 捕まえるの?」
「まずは人か確認して、それからだな。まぁ、逃がしちゃダメだから一応捕まえるか。こっちにスピードあげたね。あと400mちょっと」
「あっ。湖上に大きな花火が……」
ボボッン
フィナツーが指す方向を見ると、エアーバルーン並みの巨大な火の玉が打ち出されていた。このサイズにはると世間一般には火球を超えて爆炎に近い。
プヨンが使う火災旋風を球体したようなものが散発的に数発向かってくる。徐々に小さくなり水面に落ちていった。
こんな闇夜で火球を打ち上げたらここを狙えと言っているようなものだ。目立って仕方がない。
「あんな目に見えるような反撃をするようじゃなぁ、素人か? せめて見えないように攻撃すればいいのに」
あからさまな反撃で敵意を見せるなどプヨンには何がしたいか理解できないが、ルールにのっとって、相手を確認することにした。
「ふむ。あれっきり何もしてこんな。背中の熱気はなくなったし、私の『火溜まり』のでかさに怖気づいたか。わたしのような優雅な火溜まりの似合う女はおらんからな。見よ。この炎の渦巻き。我ながら見入ってしまいそうじゃ。ふふ。だがさすがに見つかった可能性が高そうじゃ。高度を下げてさっさと身を隠そうぞ」
マリーはそう思うと高度を一気に下げようとしたが再び強力な熱気に包まれる。先ほどの自分で打ち出した火球が自分に戻ってきたのかと思っていたがどうも違うようだ。
「え? わたしのと違う? こっちのほうが熱いぞ。なんでじゃー。き、緊急消火」
身じろぎしながら避けようとしたが、熱気は追尾してくる。
「ぐっ。これは使いたくないが仕方ない」
一瞬ためらったが、熱気を防ぐためにマリーは慌てて水幕をはる。
「『年寄りの冷や水』をなめるな!」
プヨンが繰り出した熱気魔法は、マリーの水壁で相殺された。大半の熱が奪われ、冷え性な手足を温めるため与熱として使用される。敵の攻撃を自分の温熱療法に利用する一石二鳥魔法だ。
「ふふふ。いいぞ。ちょうどいい塩梅じゃ。ちょっと関節が楽になってきた」
暗いながらも対岸戦が見えてきた。マリーは今のうちにと着地場所を探し始めた。




