はしのかけ方
格差社会。
それは仕方のない部分もある。持たざる者は持つべき者と同じ扱いにはならないのだが、今日のプヨンはそれを思い知った。
レスル事務所から徒歩3分、町の少しはずれにある宿泊所はあらゆる階層が泊まれる施設だ。町や人の往来の規模によって大きさと多少の質が変わるが基本的にどこにでもある。
「あーあ、こんなおんぼろ宿じゃ、疲れがとれないんじゃないの? まぁ、二酸化炭素いっぱいの空気はいいけど、明かりも暗いし明かり用のアルコールランプの臭いがきついよ」
「まぁ、おかげで無料になったんだから仕方ない。俺が寝がえりうっても潰れないように避けろよ」
「押しつぶされるって私の硬度は7って、うっきゃー、毒ガスおならだー。フィナツー脱出します」
フィナツーは最速で部屋から出ていく。もちろん巨木を小型化した高密度生命体のフィナツーであれば、寝がえりでプヨンがのっかった程度では潰れない。植物にも嗅覚があるのか、プヨンはフィナツーが帰ってきたら聞いてみたいと思った。
昨晩、プヨンはその身にふさわしく、馬がいないが『馬小屋』と呼ばれるレスルの中でも最下層の宿に泊まった。もちろん予定通りだ。レスルの仕事中なら無料、一般なら1晩10グラン。庭に淀んだため池が用意されているので、魔力に応じて蒸留し放題で水が手に入る。もちろん風呂桶もある。魔力に応じて……。
安さと引き換えなのは労働(魔力)と環境。大勢の汗臭い体臭を吹き飛ばし防御する風魔法、密集寝台による大勢の体温を利用した保温設備(夏場は冷気魔法の鍛錬設備)、トイレの順番待ちなどを体験する。最新式の水洗だが、おかげで流す水は自分で水場から組むか魔法で出すかだ。
しっかりと眠れる性格であれば、なんとか精神的な疲れだけは癒すことができる、それが馬小屋だった。
同じ頃、ミハイルはVIPルーム1500グランの最上級部屋の主だった。
チリンチリン
呼び鈴を鳴らすとやってくるフロアー専用メイドさんつき。とてもかわいらしく、用もないのに何度も呼んだ。もちろん満面の笑みだ。
「ミハイル様、朝食をお持ちしました」
「うむ。くるしゅうない」
人は変わるもの。ミハイルは髪サラサラ、お肌つやつや、飲料水は魔力回復充填剤入り、おまけにリトにもらった夜のお供ベッドフルまで使った成果で、別人のようだ。
ここでは安全のため地中にある専用フロアーに専用執事、そして1番大事なことだがフロアー全体がレッド鉱に覆われ魔力が遮断されている。盗み聞きや外敵の魔法も遮断する安全重視の部屋だが、そのぶん何かにつけて人力になる。
ミハイルはたった一晩でアデルの見習いから、人をあごで使えている。すっかり場慣れしていた。
「ミハイル様、見違えるようになられましたよ。またのお越しをお待ちしております」
「へー、惚れてしまいそう?」
「はい。一目ぼれしそうですが、わたくしの身分が……。残念です」
残念そうにしつつ営業スマイルで見送ってもらった。『また、きてもいいかな?』そう思ってしまったミハイルは、至れり尽くせりのサービスに満足していた。
プヨンはようやく身支度を整え、宿屋を出る。朝っぱらからサラリスが呼び出しに来ていた。
一方でユコナはあれっきり戻ってこない。ワサビの件は片付いたはずだから一緒にいるのだろうか? それともあのあと何か追加のトラブルがあったのか。ちょっと気にはなっていた。
「ちゃんと風呂入ったの?」
「え? ダメ? 臭うかな?」
開口一番そう言われる。昨日はサラリスを誘わないで今まで何度も学校を出て、こっそり遊び歩いていたのがばれた。そのため昨日は怒り狂っていた、あやうくひどい目にあうところだったが、その件は気がすんだらしい。口調が優しくなっていた。
「入ったけど、ひどい風呂だった。この手の風呂は湯加減が難しいな」
「え? どういうこと?」
「いや、ちょっと水をお湯にするときに加減を……」
「あぁ、魔力足りないと水のままだったり、上だけ熱かったりとかね。あるある」
そう。泥水を蒸留して湯桶に張ったあと、プヨンは計算を間違え、うっかり熱湯風呂に入るところだった。
「ほら、昨日のやつ手伝いに来たわよ。それで、リトの依頼内容は結局なんだったの?」
「なんか知らんけど、配達だそうな」
昨日は流れで半ば強引にリトの依頼を受けたことになった。内容は一言でいえば街はずれの古城跡を利用した孤児院への食料の配達だ。
「ふーん、リトも原因がわからないからついてくるんだっけ? 量が多いとか?」
「さぁなぁ。小山の上にあるらしく上るのが大変なのか? 依頼自体はたいした内容には思えなかったけどな」
馬引き1人と馬車1台で歩いて30分程度。近いことと積み荷が食料で護衛もなかったのもあって、2度ほど失敗し誰も戻ってきていないらしい。
リトもよくわからず、なぜ誰もうまくいかないのか理解に苦しんでいた。
半日もあればできる仕事、孤児院というならボランティアでもいいかと思える内容だ。
昨日はサラリスもレオン絡みで頼みたいことがあったようだが、今日明日のことではないらしい。そっちを手伝う約束すると、借りを作りたくないからとこの配達も手伝ってくれることになった。
リトとの待ち合わせもあり、レスルの受け付けに戻る。その間、サラリスは新風防を自慢していた。
「このガラス筐体はふつうのガラスと違うのよ。どうやって作るか知っている?」
「さぁ? 冷気魔法で冷やすとか?」
「え? な、なんで知ってるの? 最近売り出されたものよ」
テンパード(強化)ガラスはガラスの瞬間冷却で作るのはプヨンには常識だがうっかり口をすべらせてしまった。ここは知らないふりをするのがルールだったはずだ。
最近空を飛ぶことが増えたかららしく、ガラス工房で作ってもらったらしい。通常のガラスを冷気魔法で強化した強化ガラスタイプだ。
ノミと会った時もそんなものを持っていた。大きめの透明な盾で、飛行時に両手に持つと風防があわりになるものだ。
ある程度なら鳥や石がぶつかっても防げるうえに、持っていると飛べますよアピールになる。さりげなくアピールするサラリスには都合のよい道具だった。サラリスが受け取った時には、『誰に頼まれたんだい。え? あんたが使うのかい?』などとみんなに聞かれたそうだ。
この風防を知る人達がちらちらとサラリスを見ている。そのことにサラリスは優越感を感じているらしい。サラリスの飛行時間は10分ともたないが、ストレージに入れないで飛行できますアピールのため持ち歩いている。
レスルの受付のあと荷運びの依頼のため少し離れた広場でリトと待ち合わせている。近づくとそのリトが広場で揉めているのに気付いた。相手は2人。いや、ちょっと離れているが姿を隠しているのがもう1人見えた。3人だ。
ピンチのようなら加勢しようかと思ったが、表情を見る限り焦りはない。様子を見る。
「リト、俺たちにもサービスしてくれよ。昨日あんだけアピールしてたんだからなー」
「おーそうだそうだ」
「もっとこう、雰囲気を出してください。せめてVIPルームを予約してとか。馬車の待機場所とかじゃ、ちょっとこんな荷積場なんて……ないわぁ」
「あんなぼったくり部屋になんか泊まれるかよ」
威嚇のためなのか、手前の2人が意味もなく小さな氷塊や火球を作って、プヨンの『アキラクン』に近いが空中でくるくると回している。それも10個。お手玉のように回転させる。氷塊は10グラムもあれば、火球に1発に相当する。なかなかの威力だ。
これも商売のせいか、場慣れしていて気後れはない。さすがにこんなところで戦闘にならないと安心もあるのだろう。相手の人数をどこまで把握しているかわからないが平然としている。
その後もしばらく揉めているようだったが、リトはプヨンに気付いた。
「話は終了です。ほーら、『デスペリング』」
リトは右手を横に払うと、瞬時に浮かんでいた氷と炎が打ち消される。10個以上浮かんでいたものが一瞬だ。それぞれに適切な大きさの逆魔法をかけただけだが、きれいに消滅していた。
それを見て2人の男たちは目が殺気だつ。あきらかに攻撃を受けたと思ったからだ。
うち一人が拳を振り上げ叫び声をあげた。目が血走っている。
見ていたサラが、『あっ』と声をあげる。プヨンも危険を察知し、咄嗟に止めようとしたが間に合わなかった。
「うぉー、何回もぼったくりやがって。殺してやる!」
ドカッ、ドスッ
2人の男はお互いを全力で蹴りあった。もちろんお互い大命中だ。ヘソの下あたり、またの上とも言える。
「ぐぉーー」
断末魔の叫びを残し2人は倒れた。相殺魔法、文字通り相殺しあった2人。プヨンはリトの行いに恐怖したが、それを見たであろう3人目も姿を現すことはなかった。
2人を片づけたリトはプヨンに気づき、にこっと笑って妖艶な視線を送ってくる。リトの放つ怪しげな視線につい引き付けられる。頭がぼーっとして、まわりがぼやけてリトしか見えないようなおかしな気分になった
「どうしたのよ? 急に黙って。ねぇ、プヨン?」
声を掛けられプヨンははっと気付いた。サラリスは目を見ていないから影響がないのか。
以前、プヨンは動物のフェロモンに近い魔法がないのかと考えたことがあった。好きな子に振り向いてもらおうとする目力に近い。自分ではおかしなことには気付くがいかんともしがたい。昨日の自分でリトに仕掛けた胸チラで頭がいっぱいになり、リトのことしか考えられない。
これはキミホレーラだ。
リトが誘惑しようとしている。とりあえず気持ちで負けてはいけない。断固俺からはいかない宣言をする。
「シロミホレーラ」
とりあえず防御魔法で対抗する。しかしリトの思いは強い。これだけじゃ抗えない。プヨンは無言の抵抗を続けていた。サラリスが心配そうに顔を覗き込む。こうなったらやるしかない。
「タンパクセンゲン」
適当に思いつきだが、惚れ惚れオーラに対して関白宣言で対抗する。原理と言うのは程遠く、ただひたすら俺はなびかないぞ、お前がなびけと念じる。これで惚れたら楽なものだが、そんなにうまくいくはずがない。リトに対抗しただけだ。
だがしかし、リトの様子がおかしくなった。ちょっと目がとろんとなっている。
「はっ。私はいったい何を?」
一瞬呆けたような顔をしたリトが気が付いたようだ。
慌てて自分の身を確認していた。精神的魔法といえばターナ、たまに威厳を発揮するヘリオンあたりが得意そうだ。醸し出すのならプヨンでもできるのかもしれない。持続時間が短すぎたが殺気で威圧するのとはまた違う効果があったようだ。
「プヨンと、それにサラリスさんも。よろしく。さぁそこにある馬車一台分の荷物を運ぶだけですよ。まぁ、孤児院向けの食料とかなんですけど」
さも何事もなかったかのようにリトが叫ぶ。
お前が何かしたんだろうとリトがジトッとした目で睨んできたが、プヨンは笑顔で返す余裕があった。
あらためて荷物を見るが荷馬車の上にはいくつかの木箱と樽だけ。馬もろくなのがいない。そして、鍋が置いてあった。鍋は暖かいのか、蓋の上に陽炎が立っている。孤児院への物資だが、わざわざ調理済のものまで持っていくようだ。
「じゃぁ、行きましょう。すでに2回行ってるらしいんだけど、まったく連絡がないのよね。なんかの肉食獣とかにでも襲われたのかしら。食料運搬だからあるかもしれないけど、野菜ばっかりだから草食獣しかこないし、最悪人間だけは逃げてくると思うんだけどね」
道中、リトの愚痴を聞きながら淡々と進んでいく。行先はヴァクストやランカのいる町のほうだ。
リトの会話の中身は、行った者達がなぜほとんど戻ってこないかだった。
街道から孤児院のある山への分岐点を超える。目の前に見えてきた川を渡って向かいの小山を上ったところが孤児院だ。
だが、その手前の谷川の橋が落ちていた。その前に、立札が立っている。
『この先、独立領。侵入禁止!』
「ナンデスカコレ?」
リトは立札を読んで、面食らっていた。




