脱出の仕方 2-1
「おはようございます、ノビターン様。精神安定剤の材料を取りに行かれると聞きましたが、1人で行かれるのですか?」
ノビターン付の司祭、マクランがいろいろと出かける準備を手伝っていた。
とはいってもノビターンが1人で行くのであれば日帰りクラス、大したものがいるわけではない。
「そうね。最近バタバタで急に必要になったし、仕方ないわね」
「そうですね。みんなしばらく安定剤を取りに来られないからと多めに持っていきましたし。自分の精神を無理やり他人の肉体に定着させた転生者の宿命ですよね」
ノビターンといつも行動を共にしているマクラン司祭だから、思いついたらすぐ実行にうつすノビターンの性格をよく知っている。
「いつも私がお供しますのに、今回は同行できないのは少し残念です」
少しと言ったが、もちろん本音はものすごく残念だ。だがノビターンが決断した以上今更変わることはない。珍しくふーっとため息をついてしまった。
「まぁ、休暇を楽しんできなさいよ」
ノビターンにはそう言われてしまった。
ネタノ聖教の一部の司教クラスの者のみが可能な、年老いた肉体を捨て、精神のみを若い肉体に移し替えた、いわゆる『転生者』のことだ。
再び若さを手に入れる見返りに、定期的にメンテナンスが必要となる。
拒絶反応が起った場合に備え精神を肉体にくっつける精神安定剤、言い換えると接着剤:グルーオンを定期的に塗りなおさなければならなくなる。
「安定剤、もうちょっと使う頻度が下がればいいのになぁ。月に1度はやっぱり面倒ですよ」
「ふふふ、いいわよ。試してみましょう。その気があるのならいつでも限界試験をしてさしあげるわ。でも、あの肉体と精神が剥がれていく苦痛と恐怖を知ったら、絶対にそんな気にならないわよ」
ノビターンは一度見たことがあるが、思い出したくもないと頭を振って悪夢を追い払った。
精神が剥がれていく苦痛は、自分達が乗り移る時の儀式で見ているからわかっているはずだ。
下手すると苦痛で精神そのものが崩壊するのだから、そうそう耐えられるものではない。
しかも一度その状態になったら、安定剤で安定させない限り続く。他人事だから見てられるが自身がなるなら耐えられそうになかった。
そして薬が切れ剥がれはじめるタイミングは人それぞれ、いつくるかは本人すらわからなかった。
「せめて、もう少しどこでも作れればいいのですが」
「そうねぇ。そこは同意するけど、実際できないのだからやむを得ないでしょう。密度の薄い不適当なところで作ったものだと純度が低いからか、3日と保たず全く使えないでしょ」
そう言いながら、ノビターンは棚から空の容器を取り出す。二重構造になった安定剤専用の保管瓶、サーモスだ。もちろん真空洗浄でチリもない。
「そうですね。結局、場所に依存しますから。キレイマスに行かれるのですね」
「そうよ。あそこは一部の者しか入れないから、私が行くしかないのです。他にいい方法があればそうしますが」
「できれば誰か付けていっていただきたいですが」
「いいわよ。同じ速さでついてきてくれるなら」
「……また無理なことを。空から行かれるのですか? お気をつけて」
会話を終えると、ノビターンは移動用に準備してもらっている魔力電池リブラバッテリー、通称リブを受け取りに向かった。
同時刻、ユコナは沈みゆく夕陽を前庭の端で見つめていた。
もうこの辺りを何周歩いたことだろう。健康のための1万歩をすでに達成していた。
「プヨン! 4時と言ったのにどういうつもりよ。昼間にも約束を確認したのに」
ユコナは美化委員の道具を取りに行った際、プヨンに4時と確認していた。
起きていたプヨンの寝首を掻こうとしたことはすっかり棚に上げ、一方的にすっぽかしを非難する。
時刻はそろそろ5時を回ろうとしている。
「うぅ、サラを誘ってないからサラにも愚痴れないし。どうしてやろうかしら」
ユコナは昼間に突き指した所をさすりながらプヨンを待つ。
美化委員の課題で、プヨンの首にスタンプを押すはずが妙な壁に当たり突き指したからだ。
とっくに治療はして痛みこそないが、うまくできなかったのか腫れが引かず指輪も取れなくなっていた。
ふとユコナが空を見ると、空に浮かぶ人影のようなものが見えた。こちらに近づいてくるが鳥よりは随分速度が遅い気がする。浮かんで風に流されているのが近いかもしれない。
「こんな時間に空から3人もなんだろう、背中に鮮やかな紀章が見えるから王都の飛兵隊かしら」
見つめてしまう。
突然、前庭から光の束が3回、空に向かって放たれるのが見えた。同時に、飛んでいた3人の服が燃えだしたようだ。
「え? え?」
ユコナは何が起こったか一瞬わからなかったが、すぐにピンときた。
「あ、あれが防衛機能なのね」
3人とも致命傷ではないようで、服の火を消そうとするのが見えるが、バランスを崩して湖水に落下していった。
「さ、さぁてと。プヨンもいないし一人じゃ危ないかもね。いったん戻りましょう」
そう独り言を言うと、ユコナはそそくさと引き上げていった。
その頃、プヨンは午前4時に向け熟睡中だった。
夜の帳が下りきっている。
今、何時だろう。
プヨンがふと窓際を見ると、フィナツーが月光浴をしているのが目に入った。
毎晩、天気がいいと月光浴で酵素作りが忙しいらしい。フィナには夜更かしは美容の味方なのだ。
寝なくてすむのはうらやましいが、やることはいろいろあるのだろう。忙しそうだ。
今から学校生活初の週末で、今日明日は授業がない。もちろん点呼もない。
完全に月曜まで自由だった。
メサルは学内にいるらしいから、プヨンにとっては特に制限もない。
それもあってプヨンは先日のサラと一緒に行った前庭守護の石像前を通過し、自由獲得の挑戦をすることにしていた。
そっと起きて準備を始めた。
この時間なら前庭も誰もいないし石像相手にいろいろ試せそうだ。もちろん引き際は心得ている。
前庭に行く前に屋外の洗面所に寄った。今年、屋外にできた真新しい手洗所には真新しい鏡がついていた。
壁の木枠にはまっているだけの鏡だからすぐに外せる。立ち寄って壁から外して持って行き、盾がわりにするつもりだった。
真っ暗だったけれどなんとか洗面所の鏡を外す。3枚の鏡を外すとストレージに収納した。
もちろん例の石像の光子砲対策だ。
鏡を手に入れた後は、誰もいない静かな夜道を歩く。一応警戒しながら歩き、もう少しで前庭に入るところまで来たとき手前の木の脇に白い服が見えた。
近づくと一人、しゃがんでいる人影が見える。
立っているとあるものに見えて怖かったかもしれないが、座っているので生きている人であることはわかった。
こんな時間に誰だろう、面倒だから迂回しようか立ち止まったが、遠目でも見覚えのある顔が見えた。
ユコナだ。
ハッとプヨンは思い出した。そうだ約束は4時って言っていたな。
これは迂回するか悩むまでもない。回避だ。
しゃがんだ位置のユコナを電界検知で確認しつつ、ユコナの背後から大まわりに迂回する。
ユコナに気づかれず背後を通り過ぎて少し行きほっとした瞬間、すっと気配を感じた。同時に、
「もらったわ!」
背後に立ち首筋をつかもうとするユコナが現れる。
とっさに身をかわそうとするが、避けきれなかった。
「いったーぃ」
プヨンが張りっぱなしにしていた防御壁に指を打ち付け、またしてもユコナはうずくまってしまった。
「せっかく治りかけていたのに、また突いたじゃないの。どうしてくれるのよ」
突いた指を治療しながら、ユコナが問い詰めてくる。
どうしたものかと考えたが、ここはあえてしらばっくれることにした。
「おっ、ここにいたんだ。ユコナとの約束の時間にこないから探してたんだよ。よかったー。で、こんなところで何してるの?」
待ち合わせを忘れていなかったように振る舞うことにした。
ユコナが背後から近寄ってきたこともなかったことにする。
もちろんお互いすれ違っただけだ。お詫びしつつにこやかに話しかけてみた。
「え?いや、4時って言ってたからきてみたんだけど、ほんとに午前4時だったとは……」
「半信半疑でよくこんな時間にくる気になるな」
「だって、一人でどっか行くとかずるいし」
「もし来なかったらどうしたの?」
「墓石をプレゼントしたと思うわ」
ユコナはそう言いながらも指をさすり、突いた指を治療していた。
治りはしたようだが、腫れや突発的な痛みはしばらく続くだろう。
「怪我をしたから、今日はやめておいたら?」
「いやよ。でも、その鏡はなんなの?」
「これは最鏡兵器だよ」
ユコナは1枚だけ手に持っていた鏡に興味がでたようだ。
プヨンが何か考えていることがわかったユコナは、それだけ言うと例の美化委員のほうきを振り回し、自分も準備できていて大丈夫アピールをし、前庭に向かって歩きはじめた。
プヨンは先日のサラリスとのことをざっくりとユコナに話す。
動きがゆっくりだから、その間に遠くから氷で凍らせて動きを封じて出口までダッシュする、名付けて『アイスアンドビダシュ』作戦を伝えた。
プヨン達が庭の入り口に立ち、出口に向かって走り始めると予想どおり6体の石像が動き出す。
そして急激に体が重くなった。先日と同じと思って体を軽量化する。
ユコナも何かしらしているが、そこで2人に遠巻きに近づいてくる石像の動きがかなり速いことに気づく。
「なにこれ? ゆっくりじゃなかったの? 思うように動けないのに相手がこれじゃ」
「いや、この間はもっと遅かったんだ」
ユコナの動きに合わせて移動を補助するが、先日のサラリスの時と違い、石像側の動きが遅くないことに気づく。
むしろ筋力強化された人間より早いくらいだ。
プヨンは、想定外の事態に戸惑っていた。作戦の見直しが必要だった。




