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魔法の使い方教えます  作者: のろろん
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お祈りの仕方


 カタロが、プヨンと呼ばれるようになってしばらくして、ようやく立って歩けるようになってきた。


 実際、もともと立って歩いていた経験があるわけで、バランスをとるのも経験済だ。筋力的に1度立って歩けるようになってしまえば、そこからは困るようなことはなかった。


 そして、とってもいいことがある。トイレにいけるようになったことだ。危険信号がわかるので、トイレにさえいければ自分でできる。食事も消化できるものであれば、特にこだわりなどもなく、すぐに大人が食べられるものを食べるようになった。


 言葉もある程度単語レベルでわかるようになった。それもあり、以前に女神マジノと話した時のように、注意して意識すると相手の感情のようなものも感じ取れるようになってきていた。なんとなく相手が考えていること、好意や怒気なども察せるようだ。


(ここまでも、以降も、日本語相当に翻訳してお伝えしております)


 以前はだれかに抱っこしてもらう必要があったが、最近は教会内に限っては自分の行きたいところにいけるようになっている。1日あっちこっちと、ふらふらと歩きまわっていた。

 

 1日や1時間の長さの感覚はあまり違和感はないが、時計などはあまり普及していないらしく、時間に追われるような生活ではないらしい。朝昼夕夜くらいの大きな分割と、それぞれをもう少し細かく区切った程度で生活しているようだ。


 よく行くところの1つは勉強部屋だった。ここには若干だけど本があるから字を見ることができた。また最近では本を読んでもらう頼み方もわかってきた。それ以外は、礼拝堂とその奥にある診療所がよくいる場所だった。


 礼拝堂では定期的に教義の講義や礼拝が行われている。


 この教会が属する宗教のことは言葉の壁もありまだよくわからないが、どこの宗教もだいたいは平和や心の安らぎなどそうした精神面のやすらぎを求める。ここの教義もそういったごく普通のものだった。


 もちろん他の宗教を根絶やしにしてやろうといった攻撃的な雰囲気は感じられない。


 どちらかというと災害で被害をうけたり、感染症や疫病などが蔓延した時には率先して治療するなど、相互扶助的な宗教だ。


 この教会ですらそこそこの規模の施設でもあるし、国なり地域からの一定の支持もあるのだろう。


 従来の宗教では見たことがなく興味をもったところが、教会の礼拝所に置かれた水の入った小瓶に祈りをささげることだ。


 以前 パエラに抱きかかえられて連れてこられた時も気づいたが、礼拝所の祭壇には水が入れられた小瓶がいつでも多数並べられていた。


 この小瓶は、どこかで獲ってきた草を教会の裏庭で煮詰め、その水が詰められているらしい。


 これに祈りを捧げると薬効があらわれ、簡単な怪我はすぐ治るし、病気も多少は元気がでるようだ。逆に言うと、祈りを捧げる前の水だけでは、そうした効果がほとんどないらしい。

 

 自分も風邪のような症状がでたときに何度か飲まされたことがあり、ちょっと苦みがある薬のような味だったが、たしかに元気が出る気がした。ただ、すぐに治るのとは違って、体力が回復したという感じだったけれど。

 

 さすがに骨折とかの重症は治せないらしいが、祈りというのが非常に重要であるらしかった。


 また、さらに奥の診療所に興味をもった。ここは、午後から夕方くらいまで治療にあたっているようで、有料ではあるが主に怪我人の治療をしていた。病人にも薬草などの薬を提供したり、一時的だが回復力を高めたりはできるようだ。


 メイサを入れて5人の術士と呼ばれる治療担当者がおり、輪番で治療にあたっていた。その治療方法が薬などではなく、指や手のひらを患部にあてて祈るという行為だった。ここは教会ではあるが、ちょっとした神の奇跡のようなものを行え、病院というほうが本来の姿に思われた。


 それを見てからは、メイサの担当日はメイサのそばに座って様子をみるようになった。祈ると治るという原理がさっぱりわからず、興味をもったのが大きい。

 メイサは、いつも、最初に患者に症状や患部の位置などを問診したあと、その部位に向けて手のひらをあて、祈りの文言をつぶやいていた。


 そうすると、手を当てた周りがほんのりと光るようになり、患部の傷が治っていく。傷の回復の程度や完治までにかかる時間は術士の個人差が大きいらしいが、もっとも効果が小さい術士でも打撲のあざや小さな切り傷などは、ものの5、6分で完治していた。


 治癒力があるメイサになると、刃物で切り付けられたような大きい切り傷や、ひどいやけどでも、時間をかければたいてい治療できていた。1度、何か重量物の下敷きになり骨までつぶれていそうな患者の足を、2時間ほどで治しきっていたのを見たので、かなりのことまでできるようだ。


 もっとも、そこまで治療できるのはどうやらメイサだけのようで、メイサは術士の中でも特に敬意を払われていた。そのため、武装している兵士や狩人などの怪我がつきものの職業や、長距離を移動する商人などはメイサの担当日によく尋ねてきていた。


(手を当てるだけで治療できるというのは、やっぱり治したいという気持ちとか神を敬う気持ちが、回復をはやめているのかな?これが、女神マジノが言っていた、感情がマジノ粒子を通じて物質に働きかけた結果なんだろうか?原理はちょっと理解できないけど、メイサができるなら自分にもできるのかな?)


 見たことを思い返し、何かしら法則や共通するものがないかを見出そうとする。


(何度見てもなかなか現象を理解できないけれど、メイサの治療を見ればみるほど自分にもできるようにも思えてくるかな。でも、教会内でもできる人間とそうでない人間がいるとしたら、それなりに特別な能力なんだろうか・・・)


そんなことを考えるようになっていた。


 メイサの治療風景を見ることに飽きると、台所にいって食べ物をつまんだり、食事を作る様子などを見るのも日課になっていた。食事は術士とは違う、治療を担当しないものが作っているようであったが、水や火の扱い方が印象的だった。


 食事を作る際は、みんな木を燃やして料理をするが、その木に火をつける際にはマッチなどは使わず、指先に炎を宿して火をつけていた。


 火をつける際は、まず数秒ほど祈るような仕草をしたあと、「我が指先に炎よ出でよ、そして、燃え移れ」、「熱き風よ、ここに炎をもたらせ」など、思い思いの言葉を力を込めて唱えていた。

 そうすると人それぞれ何かしらの現象が起こり、指先が赤くなって炎がでたり、熱風により木が発火する。


 水を飲む際も、コップ一杯程度であれば水桶から飲む場合もあるが、祈って入れ物に水をだして飲む。プヨンの常識では考えられないことを、みんなごく当たり前のようにしていた。


 メイサのような長時間の祈りはできなくても、数秒程度ならば学校のようなもので習うのか、自然に使えるようになるのか、教会にいるシスターであれば多少は誰もが使えているようであった。

 教会にいる他の子どもたちも、飲み水やマッチ程度であれば出せる子も多い。


 プヨンは原理がよくわからず、まだ、なかなか真似ができない。現時点では見ているばかりだったが。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 被害をうけた感染だがよくある宗教に思えたが、この教会ですら、そこそこの規模の施設でもあるし、国なり地域で一定の規模はありそうだった。 書き間違いだと思いますが、何を間違ったのかちょっ…
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