春の御前試合:1
王立学院の騎士科はほぼ完全な実力主義である。入学、進学に家柄や財力は関係なく、平民だろうと入学試験を突破すれば入学できるし、名のある大貴族の跡取りだろうと実力が足りなければ落とされる。
だが実情として、騎士科生には貴族や騎士の子が多い。これは騎士科入学に求められる実力が高いため、優れた才能を受け継ぎ幼い頃から潤沢な資金を注いで英才教育を受けられる者が極めて有利だからである。
騎士科は実力さえ有れば来る者を問わない。素行が悪すぎたり大きな問題を起こせば流石に退学処分を受けるが、それ以外に必要なのは実力だけだ。
つまり、実力こそが学院内における序列を決めるのだ。
「む……貴様は」
「……あン?」
春のうららかな陽気の下、寝不足気味の頭で学院の廊下を歩いていた俺に、凄まじく険悪な声が掛けられた。
気怠さを隠さず声がした方向に視線を向けると、そこには親の仇でも見るような目で俺を睨む少年がいた。
「ハロルド・キース……と言ったか。終戦祭では随分と活躍したそうだな」
燃えるような赤い髪と目、精悍な顔と鍛え抜かれた長身、まさに騎士と言った凜とした雰囲気を漂わせる、昨年の騎士科筆頭生、エミール・フィッツジェラルドだ。
貴族の出でプライドが高く、俺のような騎士科の底辺は歯牙にもかけていなかった奴がいきなり喧嘩腰で話し掛けて来たのだ。当然嫌な予感がしたので、俺は無視した。
「待て! 貴様、この私を無視しようとは良い度胸だなっ……!」
「……わお」
もう面倒くさい事になるのは確定だった。あまりの不運に神を呪う。だがまだ希望は残されている。俺はエミールを再び無視した。
「待てと言うにっ!」
「ちっ」
無駄だった。流石に肩を掴まれては無視しきれない。しつこい野郎だ。
「……なんだよ」
「貴様、終戦祭では随分と活躍したそうだな!」
「それもう聞いたよ。その若さでもうボケたか、かわいそうに」
「貴様ァ!」
髪や目と同じくらい顔を赤くして怒るエミール。想像以上に面倒くさい奴のようだ。
「……まあ、活躍と言えばそうかもしれんが。ただの偶然だろ、あんなの」
「ふん、良くわかっているではないか!」
とてもわかりやすいリアクションをしてくれたおかげで、察した。こいつは家柄も実力も最も優れている騎士科生である自分を差し置いて活躍した、底辺の俺が気に食わないのだ。理不尽である。
「んじゃ、そういうことで」
「待たんかっ!」
「ちっ」
なんてしつこい野郎なんだ。俺は絶望した。
「なんなんだよ……」
「貴様はどうやら、最近随分と調子に乗っているようだからな」
「どこがだ」
「明日の御前試合で、その思い上がりを正してやろう」
「聞けよ」
「首を洗って待っていろ」
「聞けって」
エミールは言いたいことだけ言って去って行った。なんだったんだ。
「御前試合、ね」
御前試合とは、春の始めに王国騎士団のお偉方を招いて行われる、騎士科生にとって極めて重要なイベントだ。一応は昨年の成果を見せるという名目があり、これの成績次第で今年の組分けや騎士科生間の序列が決まるし、目覚ましい活躍をしてお偉方の目に留まれば卒業後に色々と有利になるとも聞く。
「……面倒くせえ……」
エミールの才能と実力は本物だ。俺なんぞ放って置いても注目を集めるのは自分だろうに、何故わざわざ潰しに来るのか。
「おーっす、ハル! どしたー? 初日っから元気ないな!」
「……わお」
そんな俺の憂鬱を吹き飛ばすように馬鹿でかい声で、瑠璃色の髪と目の少女、騎士科の馬鹿筆頭、リオウ・アーレントが挨拶してくる。実際には憂鬱は吹き飛ばされるどころかしつこく残留しているが、この馬鹿は当然気にしない。
「お前はいいよな、能天気そうで」
「ええっと……何かあった?」
そのリオウの後ろから、琥珀色の髪を持つ糸目の少年、ジェローム・ジェンセンが歩いて来る。こいつはリオウとは違い、少々浮かない顔だった。
「いや、ね。さっきフィッツジェラルドがな」
「君もか……」
「お前もか……」
溜め息を吐くジェロームに、何があったか察する。どうやらエミールは、俺に喧嘩を売ったというより、終戦祭の事件の功労者に喧嘩を売ったようだった。これでは態度を改めた程度で奴から逃れることはできないだろう。元より改める気もないが。
「え、なに? エミールがどうかしたのか?」
「……喧嘩売られたんだよ。お前んとこには行かなかったのか」
「いや、いくら彼でも、アーレント家の娘に喧嘩は売れないでしょ」
「……そうだった」
ジェロームの言葉に思い出したくなかった事実を思い出し、頭を抱える。
先ほど、エミールを『家柄も実力も最も優れている騎士科生』と言ったが、誤りだ。正確には、家柄は一番ではない。ブレスティア王立学院二年生で最も家柄が優れているのはリオウ・アーレントだ。そう、目の前のこの馬鹿は正真正銘、貴族のお姫様なのである。
「せっかく忘れていたのに……」
「ええっと、その……ごめん」
「? なんだよ」
押しも押されぬ大貴族、アーレント家。遥か昔から王家に仕え、多数の優秀な騎士を輩出し、永らく国を守ってきた一族だ。その成り立ちは、純粋な武力による功績のみで領土と城と貴族の位を授けられた、大昔の一兵士と聞く。
先の大戦でも単独で四英雄に匹敵するほどの功績を残した者はいないが、一族全体で見ればそれを大きく上回るだろう。冗談交じりではあるが、血縁者の騎士を全員集めれば騎士団がひとつできるなんて話もあるほどだ。
貴族の位としては、アーレント家もフィッツジェラルド家も同じではある。だが騎士科生としては、アーレントを差し置いて一番を名乗ることはできまい。エミールの動機を考えれば、リオウが目の敵から除外されるのも理解はできる。
だが納得はできん。
「しかし……やっぱ広まってるか、終戦祭でのことは」
「あれだけ大々的にされちゃったらね……」
「お、そうだ、私たちは王都を守った若き英雄なんだからな! 明日の御前試合、情けない戦いは許されないぞ!」
「ちょっと黙っててくれませんかね」
こうなると、事はエミールから喧嘩を売られるだけでは済まなそうだ。リオウは問題ない。あっても気にしない。ジェロームは、弱小とは言え貴族だ。それほどまで大きな問題にはなるまい。
問題なのは俺だ。俺には何も後ろ盾がない。加えて、普段から他の騎士科生から見下されている。それがいきなり祭り上げられれば、面白くないと思う者も多いだろう。俺の平穏な学院生活が脅かされる恐れがある。
(まずいな……)
その事態を避けるにはどうすべきか。色々と悩みながら、俺は学院長が訓示をする講堂へ向かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「おい、あいつ……」
「アレが例の……」
「落ちこぼれが……」
「……」
昼になり学院の食堂へ行くと、俺は見通しが甘かったことを思い知る。想像以上に、俺への風当たりは強かった。周りからはヒソヒソと、恐らくは俺に聞こえるギリギリの大きさでの囁き声がずっと聞こえて来る。非常にうっとうしい。
「なんだよ、隠れてコソコソと情けない。お前ら騎士を目指してるなら、堂々と挑んで来いっ!! ハルは逃げも隠れもしないぞっ!!」
「やめろリオウ、頼むから」
正義感を全身から漲らせたリオウが立ち上がり、食堂全体に轟く大声で吼える。本当に止めて欲しい。逃げる気も隠れる気も満々だったのに、何故退路を塞ごうとするのか。
「まあ、みんなの気持ちもわからなくはないんだ。確かに僕みたいな落ちこぼれが急に手柄を上げて有名人になったら、僕だって何か思うところはあるかもしれないし……」
「自分がその当事者なわけだが」
「それが困るんだよね」
ジェロームが苦笑しながら言う。陰口の対象は主に俺だが、ジェロームとて全く標的になっていないわけではない。居心地は大分悪そうだ。
リオウが一喝した直後は少しは静かになったが、それもすぐに再開される。いい加減うんざりしてきたので、俺はまだ大分昼食が残っている盆の上からパンを掴み、立ち上がった。
「残りはやるよ。中庭で食ってくる」
「ま、待ってくれ! 君みたいなふてぶてしくて嫌な性格の人が憎まれ役として居てくれないと、僕は……」
「お前そんな本心隠さない奴だったっけ?」
言ってることは全面的に正しいので否定はできないが、もうちょっとこう、言い方ってあるだろ。
しかしこうも取り乱すとは、ジェロームは見た目以上に参っているらしかった。それなら食堂を出れば良いと思わないでもないが、育ち盛りな上に体を鍛えなければならない騎士科生にとって、昼食抜きは辛いだろう。これから先もおなじ様なことが続くかもしれないとなれば尚更だ。
俺はジェロームの懇願を受けて席に座り、昼食をさっさと片付けにかかる。
「……となると、やるしかねえか」
「? 何を?」
「奴らを黙らせる」
俺の言葉に、ジェロームが細い目を見開く。
「で、できるのかい?」
「さあな。だができなくてもこの状況が続くだけで、別に悪くなりゃしない。やってみる価値はあると思うぜ」
ジェロームは期待に満ちた目で、リオウはワクワクした顔で俺を見ている。
そんな二人に、ニヤリと笑って言ってやった。
「明日の御前試合。俺たちで、一、二、三位を独占するのさ」
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ブレスティア王立学院騎士科教諭のレインズは、学院内の様子に頭を悩ませていた。去年彼が担当した生徒、ハロルド・キース、ジェローム・ジェンセン、リオウ・アーレントが、先日の終戦祭で王都の英雄広場に仕掛けられた爆弾を発見し、それどころか爆弾の解除と下手人の拘束までやってのけたのだ。
教え子が若き英雄としてその功績と共に王より紹介され、民が歓声を上げる様は実に喜ばしかった。だがレインズはその時既に懸念を抱えており、それは的中してしまった。
元々実技の成績があまり良くなく、態度も悪いため多くの騎士科生から見下されていたハロルドが、嫉妬からくる陰口の対象となってしまったのだ。今はまだその程度で済んでいるが、エスカレートすれば嫌がらせ、最悪暴力に出る者もいるかもしれない。
ハロルドは騎士科生どころか他の教諭たちからも問題児と見られているが、レインズはそうは思っていなかった。彼は魔術の才能に乏しかったが、それを補うために必死に努力している。それをレインズは知っている。同時に、それこそが彼を問題児と認識させてもいるのだが。
ハロルドの魔力は『無色』だ。これはほとんどの属性をペナルティなく扱える魔術特性であり、膨大な魔力を持つ者ならば万能の魔術師になり得る素質だ。だがハロルドは肝心の魔力量が少なく、どうしても器用貧乏の域を出なかった。
例えば、炎の魔術は戦の象徴。ドラゴンのブレスにも匹敵する業火は、あらゆるものを焼き尽くす。
一方ハロルドは敵の目や鼻の前に小さな火球を作り嫌がらせをする。
水の魔術は水辺や海上において無敵だ。津波を起こし艦隊を沈めた大魔術師の伝説を知らぬ者はいない。
一方ハロルドは敵の靴をぐしょぐしょにして士気を下げる。
風の魔術は目に見えぬ。嵐を圧縮したような突風を不意に受ければ、重武装の巨漢もたまらず吹き飛ばされる。
一方ハロルドはそよ風に毒を混ぜて敵に吸わせる。
土の魔術は地形を変える。長槍を構えた歴戦の歩兵隊も、足場を崩されれば騎馬隊に蹂躙されるのみだ。
一方ハロルドは野営地で芋を探し掘るのに使う。
氷の魔術は硬度と質量が強みだ。天から落ちる巨大な氷塊は、砦すらも粉砕する。
一方ハロルドは足元を凍らせ敵の足を滑らせる。
雷の魔術は正に神速。回避も防御もできず、戦場に轟く雷鳴は敵兵を震え上がらせる。
一方ハロルドは敵の指を痺れさせ武器を取り落とさせる。
……このように、ハロルドは少ない魔力の有効活用、悪く言えばセコい使い方が異様なまでに上手かった。兵士としては問題ない。傭兵や冒険者ならば重用されるだろう。だが騎士としてはどう考えても問題がある。それで成果を上げ、他に良案もないだけに止めろとも言い辛く、レインズを大いに悩ませていた。
騎士は兵士と違い、勝てば良いという戦い方は許されない。正々堂々、真っ向から敵を打ち破る姿で味方を鼓舞し、国の威光を示さなければならないのだ。だからこそ、それができるだけの実力を備えた者のみが騎士に叙される。
騎士は国の武力の象徴、言わば他国への抑止力だ。騎士の数が多く練度が高ければ、それだけ攻められにくくなる。そして練度を見せ付け畏怖させるには、騎士道に背く戦い方は不適。そういった実利的な話でもある。
「明日の御前試合……荒れるな」
御前試合には王国騎士団の将軍たちも複数訪れる。彼らの目に、ハロルドの姿はどう映るか。もし受け入れられれば、事態は一気に好転する。だが、受け入れられなければ──
「……少しは、自重してくれれば良いのだが」
レインズは去年一年間のハロルドの記録を見直す。魔術の成績は、どの分野もギリギリ及第点でありながら。
騎士科生同士の実戦訓練であれば、一度たりとも敗北していない記録を。