野盗の砦
・ 一応、剣と魔法のファンタジー
・ 残酷描写アリ
グレイ・キャラハンは勘の鋭い男である。先の大戦において、傭兵団を率いてアルヴェッタ共和国所属として参加した折、敗戦をいち早く悟り離脱の準備を進めたこと、その後アルヴェッタの追跡もブレスティア王国の残党狩りも配下から死者を出さず逃げ延びたことなどから、その点に関して疑う余地はない。
この能力は戦乱の世で生き残るには極めて有用であり、大義や信念を持たない傭兵たちの人望を得るうえでも大いに役立った。彼自身の実力も相まって、野盗に身を落とした今もなお100を超える配下を従えている。
かつてのブレスティアとアルヴェッタとの国境付近にある廃棄された砦に居を構えて早数ヶ月。村や旅人を襲うにも色々と気を遣ってきたが、ここを嗅ぎつけられるのは時間の問題だ。そろそろ居を移さねばなるまい、そしていずれほとぼりが冷めたら、名を変えてまた傭兵団を立ち上げて──昨夜はそんなことを考えながら眠りについた。
「……ん?」
グレイは不意に目を覚ます。窓から見える空は暗く、未だ夜が明けていないことを示していた。
「……ちっ」
夜半に目を覚ますなど誰にでもあることだ。だがグレイにとって、それは一種の警報であった。過去幾度となく、敵が夜襲を仕掛けてきた時、その前兆としてグレイは目を覚ました。根拠など何もないが、彼がこうして生きているのは、自分でも説明できないこの直感のおかげなのだ。従うに迷いはない。
「おい、誰か──」
撤退の準備をさせようと、配下の者を呼ぶ。が、返事がない。見張りの者は各所に配置しているし、そうでなくとも夜遅く、時には朝まで宴会や賭けに興じる者が毎日一定数居るというのに、今夜はやけに静かだった。
嫌な予感がする。グレイでなくてもそうだっただろう。
「くそっ」
寝床の横に立て掛けてある大剣を取り、部屋を飛び出す。廊下を見渡すと、右手の部屋の扉を開け、黒い影がゆらりと歩み出た。グレイは咄嗟に大剣を構え、影に問う。
「……何もんだ、てめえ」
壁にかかる灯りに、影が照らされる。魔物の類かと思ったが、それはどうやら人のようだった。
全身黒尽くめ。目深に被ったフードに隠れ顔の上半分は窺えないが、口元を見る限りは若い男。だらりと下げられた両手には、血塗れの短剣。
「ウチの連中をどうした」
「全員殺した」
返答は、酷く灼けた嗄れ声。浮かべられた歪んだ笑みも、初見の印象とかけ離れていた。
「……なんだと。てめえ一人でか」
「ああ……ヒ、ヒ」
肩が揺れる様を見て、笑っているのだと気付く。不気味な相手だった。それが、グレイと共に数多の戦場を駆けた手練れの配下たちを一人で皆殺しにしたという言葉に説得力を持たせていた。
「もう一度訊く。てめえ、何もんだ」
「さあ? なんだろうね」
首を傾げて惚ける様が癪に触る。配下を、否、仲間を殺された。目の前のこの男に。苛立ちはすぐに怒りと憎しみに変わる。
(……落ち着け、俺)
しかし、激昂して斬り掛かるような真似はしなかった。敵は相当に手強い。加えて格好や得物からして、恐らくこいつは暗殺者だ。冷静さを失えば思う壺、仇を討てよう筈もない。何故アサシンが自分たちを襲うのかという疑問も、ひとまず捨て置く。
(落ち着いて……見極めろ)
アサシンと戦った経験はないが、得物と体格、そして構えを見れば、その戦術の予想は不可能ではない。男は背丈こそ高いものの、筋骨隆々というわけではない。逆手に持った短剣の切っ先が床に着くほどに腰を落とし、低く構えている。速さで以て圧倒、あるいは翻弄する戦い方か。
対するグレイは、振るう大剣に相応しい大男である。分厚い甲冑に身を包む騎士や強固な障壁を張る魔術師を、その大剣の一撃で防御ごと両断してきた。かと言って一撃に頼ることはなく、鍛え抜かれた全身と巧みな体運びによって、振り下ろした大剣を威力を減ずることなく翻し、二撃目以降も素早く斬りつけることができる、卓越した技量と経験を持つ剣士だ。
(勝負は、二撃目)
初撃はまず躱される。間合いの優位はグレイにある。それは明らかだ。男もそれはわかっている筈。であれば、まず初撃を躱し、二撃目を放つ前に間合いを詰めて来るだろう。懐に飛び込まれてしまえば、二振りの短剣による素早い連撃を、取り回しの悪い大剣で捌き切れる道理はない。
よって、勝負は二撃目。男が間合いを詰めるが早いか、グレイが二撃目を放つが早いか。
じり、と、石造りの床を足裏が擦る。大上段に構えた大剣が天井を擦る。背筋に悪寒が走る。
──来る。
「っ!!」
前触れなく、男が床を蹴る。速い。しかし自身の勘を信頼するグレイはすでに反応し、渾身の袈裟斬りを打ち込んでいた。
タイミングは完璧だった。並の使い手ならばこれで決着する。だがグレイは慢心せず、男の動きを注視する。どちらに避ける。右か、左か。
「がっ!?」
不意に、激痛が走った。踏み込んだ右足の膝を、男が蹴り付け粉砕したのだ。グレイは戦慄した。この衝撃。かつて受けたメイスですら、これほどの威力はなかった──
「あ、が」
自慢の剣術も、両の足でしっかと全身を支えて初めて発揮される。膝を砕かれては二撃目は振るえない。例え万全だったとしても、その時間は与えられなかっただろうが。
男は既に大剣の間合いの内側に入っていた。左の短剣が閃き、首に突き立つ。切っ先は正確に頸椎を貫き、切断していた。瞬く間に遠のく意識の中で、グレイは悟る。普段は奇襲も伏兵も事前に察知していた勘が、今夜働いたのは事がほぼ終わってからだった。その時点で、気付くべきだったのだ。命運既に尽きていたことに。
グレイの体は力を失い、倒れ臥す。手を離れた大剣が床に落ち、がらん、がらんと虚しい音を響かせる。
男は短剣を振るって血糊を払い腰の鞘に収めると、グレイの死体を一瞥もせず、無人となった砦を立ち去った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
5年前、我がブレスティア王国とその周辺四ヶ国との間で戦争が起こった。広大な領土と豊富な資源を持つ魔道大国であるブレスティアに対し、北のアイヒェンラント、東のランシア、南のアルヴェッタ、西のカペイユが同盟を組み、宣戦布告したのだ。
今では大戦とだけ呼ばれるその戦争は、開戦から3年後、同盟四ヶ国が敗北・撤退する形で終結した。ブレスティア側は大きく攻勢に出ることはなかったが、強大な軍事力を存分に見せ付け、各国の侵略を悉くはね除けたのだ。
唯一アルヴェッタだけが、国力を大きく消耗し国土を維持できなくなり、一部をブレスティアに明け渡すことになった。他の国もブレスティアに有利な条件で和平を結ぶことになり、結果としてブレスティアだけが得をすることになった。
これには、四方の国境を守った四人の英雄たちによる働きが極めて大きく、彼らは四英雄として国民から讃えられ、他国から恐れられた。
北の守護は『王の剣』、フレデリック・レイフィールド。彼の軍略は神速巧緻にして変幻自在、アイヒェンラントの将軍、軍師たちがどれだけ頭を捻ろうと彼を出し抜くことは終ぞできず、正面決戦を挑めば完璧に統制の取れた軍勢に打ち破られた。彼自身もまた優れた魔道剣士であり、時には前線に躍り出て、魔術と剣術を以て共に戦う兵を鼓舞した。
東の守護は『王の槍』、エレノア・ミルズ。四英雄唯一の女性である彼女は、天賦の槍術の才を持ち、常に最前線で戦い続けた。彼女の槍は敵を軍馬ごと薙ぎ払い、降り注ぐ矢と魔術から兵を守った。数多くの腕に覚えある騎士たちが一騎討ちを挑んだが、彼女に一筋の傷すら負わせることなく散っていった。
西の守護は『王の盾』、メイソン・ワイズマン。地形の関係上攻めるに易く守るに難い土地を任された彼は、先王の代から仕える老将であり、防衛戦において右に出る者なしと名高い。事実、精強で知られるカペイユ軍の猛攻を相手に一歩も退くことなく、ただの一度も国土を踏ませることはなかった。
そして南の守護は『英雄王』、ブライアン・エイブラムス。ブレスティアにおいて絶対の権力を持つ王自らが前線に立つという状況に、兵は自らの力を王の目に留まらせようと奮い立ち、敵を蹴散らした。如何様にしてか、王は前線に居ながらにして政務を一切蔑ろにしなかったという。それでも、王都に残された臣下たちの心労は察するに余りあるものであろうが。
彼らは王を除き、終戦後も各国境に残り、再度の侵攻に備えている。散々に打ちのめされた同盟にはそんな余力などなかったが、「四英雄が敵を見張っている」という事実は、民を大いに安心させた。侵略を許さず撃退したとは言え、大戦による傷は確かに刻まれたのだ。王は戦火に怯える民を、兵たちの無事を案ずる妻子と父母を、心から憂えているのだ。
今はその後の政策もあり、大戦の傷も癒えてきている。だがそれは、同盟にも言えることだ。いつの日か、彼らは再び攻めて来るだろう。その時、国を守り新たな英雄となるのは、諸君に他ならない──
「……と、言うわけだが。聞いてるか、ハロルド・キース」
「……はい、はい。聞いてますよ」
壇上のレインズ教諭に名指しされた少年は、瞼を持ち上げて面倒そうに返事をする。相変わらずの様子に、レインズはため息を吐いた。
「お前な。自分が置かれている状況をわかっているのか? 実技は赤点ギリギリなんだ、座学の成績まで落としたら私にも擁護できんのだぞ」
「はい、はい。わかってますよ。ていうか今の、ついこの間のことでしょう。わざわざ習わなくても、ガキだって知ってることじゃないですか」
「……まったく」
教室の後ろで昏い眼をして座っている教え子の態度に、レインズはもう一度ため息を吐く。そこかしこから聞こえる、恐らくはハロルドを嘲る内容のヒソヒソ話をギロリと睨みつけて黙らせ、授業を締めくくった。
「とにかく、だ。先の大戦における我が国の被害は最小限に抑えられたが、皆無というわけではない。特にこの騎士科には、父君が騎士や兵士である者も多い。大戦で家族を失った者もいるだろう。諸君ならば戦争がもたらす痛みを理解できる筈だ。だからこそ、将来我が国を守るために騎士を志しているのだと信じている」
ハロルドは大きくあくびをした。レインズは無視した。
「明日は終業式、来年度も私が教えることになるとは限らない。今日、この話をした意味をよく考えて欲しい」
レインズはくわっと目を見開いた。瞼を閉じようとしていたハロルドは舌打ちした。
「いよいよ訓練も本格的になる。学ばなければならないことも増える。騎士への道は険しい。春の長期休暇中も、研鑽を怠らぬように。……諸君の中から脱落者が出ないことを願う。以上だ」
「「「一年間、ありがとうございました!」」」
生徒たちが一斉に立ち上がり、師に礼を執った。ハロルドは着席したまま、視線だけをレインズに向けた。レインズは何も言わず、僅かに笑みを浮かべて退室した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ブレスティア王国では、大戦終結の日から七日間を特別な祝日に定め、この期間に王都で大規模な祭りが催される。四英雄が集い、多くの国民が王都に集うこの祭りは終戦祭と呼ばれ、実質民への慰労と言える。ちょうど年度が変わる頃でもあり、兵士や騎士の多くにも暇が与えられ、彼らは家に帰り家族と一時の安らぎを共有するのだ。
リスクはあるが、王は国力と民の活力をいち早く快復させることを重視した。讃えられるべき四英雄に余計な任を背負わせるということは王も重々承知であったが、彼らならばその重荷にも耐えられるとの信頼あってこそであった。
いずれ民の傷が癒えれば、呼び寄せる必要もなくなろう。それまでは、どうか。そう言って高貴なる頭を下げる王に、英雄たちは却って心苦しくなったものである。
「……で。そのめでたくも重要な日に、彼奴は何をしておるのだ」
王宮の一室にて、磨き抜かれた金糸の髪と宝石の如く蒼く輝く瞳を持つ美女が忌々しげに呟く。『王の槍』、エレノア・ミルズである。エレノアは儀礼用の豪奢な甲冑に身を包み、愛用の槍を近くの壁に立て掛け、腕を組み室内を行ったり来たりしていた。
「まあまあ、いいではありませんか。彼には私たちとはまた違った事情がありますし、何より公にできる立場でもありませんし……」
それを宥めるのは『王の剣』、フレデリック・レイフィールド。北の民に見られる特徴の銀髪と碧眼を持つ魔道剣士は、柔和に整った顔に性格の現れであろう困ったような笑みを浮かべて両掌をエレノアに向けていた。
「しかし!」
「ハッハッハッ……レイフィールド殿、ミルズ殿は不安なのですよ。彼は気紛れですからな、この後陛下から賜る言葉を、彼が聞き逃すのではないか、と」
その二人を笑いながら眺めるのは『王の盾』、老将メイソン・ワイズマン。代々王家に仕える一族の出自であり、彼自身もまた、王家二代に仕える忠臣である。若き英雄たちの姿に厳つい顔の頬を緩めながら、白髪交じりの黒髪を楽しげに揺らす。
「そうです! 我らが陛下の言葉を直接賜ることができるのはこの七日間のみ! それを逃すなどなんたる不敬……」
「いえ、でも、彼は私たちとは違い王都に住んでいるのですから、機会自体はいくらでも……」
「ッー! ……ッ!!」
「ええっ!?」
「ハハ……ハッハッハッ!」
怒るに怒れないエレノアと、何故怒られるのかわからぬフレデリック、その二人を眺めるだけのメイソン。
彼らの騒ぎは、王が祭り開催の挨拶を終え、彼らを呼ぶまで続いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ブレスティア王は疲れていた。心からの信頼を置くが稀にしか逢えぬ忠臣たちの、相も変わらぬ喧嘩を諫めたことによる心地よい疲労であった。
「ふう……まったく。何故あやつらは、顔を合わせればいつもいつも」
呟きながら、王は笑う。三人はすでに挨拶を終え(先ほどの喧嘩の様相は微塵も見せなかった)、今はパレードに参列していた。テラスに出れば、馬車の上に威風堂々と立つ、勇壮な甲冑に身を包む英雄たちの姿を見ることができるだろう。
その姿は王の誇りであり、彼らの勇姿を一目見ようと民が集まり歓声を上げる様を眺めるのは大いなる喜びであった。
だが、今はそれをしない。遅刻してきた最後の英雄を迎え、労わねばならないからだ。
「……遅かったな。ミルズが怒っていたぞ」
「そりゃそうでしょうなあ」
いつからそこに居たのか、王にもわからない。黒尽くめのこの男はいつも、いつの間にかそこに居る。そこが例え王の寝室であろうと、扉を守る最精鋭の近衛兵に一切気取られることなく。
不敬どころではない振る舞いであるが、しかしその能力こそが、王が信を置きこの男を重用する理由のひとつであった。
「先日も、傭兵崩れの野盗を片付けたようだな。怪我はないか」
「ありません。退屈なもんです」
男は部屋の調度品をしげしげと眺めながら、嗄れ声で応える。フードの奥に覗く口は不気味に歪められていた。
「すまんな。本来ならばお前もまた、英雄として讃えられるべきなのだが……」
「英雄ぅ? 俺が? いやはや、陛下はご冗談もお上手ですなあ、ヒ、ヒ」
「ふ……まあ、そう言うだろうとは思っていたが」
大戦において、王と共に南の国境に就いたのがこの男だった。実際に軍を指揮し兵を率いて戦ったのは英雄王たるブライアンだが、それを可能にしたのはこの男と言える。
間違っても公にできる立場ではないことは重々承知であるが、もし仮にその働きを明かせるのならば、自分ではなくこの男こそが四人目の英雄、『王の短剣』と呼ばれるべきなのだ。
「せめて民として、祭りだけでも楽しめぬか」
「遠慮しときます。去年はやってみたんですがね、槍姫様に見つかりまして。追いかけてきやがったんですよ」
「ははは……アレはああ見えて相当に目聡いからな。しかし民に紛れたお前を見つけるほどとは思わなかった」
「まったくです。ヒ、ヒ」
男は肩を揺らして笑う。どうやらかなり執拗に追跡されたようだった。本人にとっては嫌な思い出だろうが、さぞ面白い光景だったことだろう。
「……まあ、祭りに行かぬと言うなら、それも良い。せめて身体はしっかりと休めよ。お前は少々、働き過ぎだ」
「働くったって、簡単なお使いばかりでしたがね……ま、王命とあらば従いましょう。祭りの間くらいは、大人しくしてますよ」
そう言って、男は来た時と同じく唐突に姿を消した。……恐らく、情報でも集めに行ったのだろう。彼は直接戦闘以外を仕事と思っていない節がある。祭りの間は大人しくしている、と言っていたから、祭りが終わった直後には、野盗の一団や魔物の群れが原因不明の壊滅を遂げたとの報告がひとつふたつ上がってくるだろう。
「……やれやれ」
頼もしい男ではある。その忠誠にも疑う余地はない。だが彼には自覚がなかった。自身も一人の人間であるという自覚が。
「……どうにか、ならぬものか」
祭りの喧騒を聞きながら、王は己の無力を嘆く。大戦を終結に導いた英雄王の悩みは、終戦後も尽きることはなかった。