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いわゆる左遷


 聖女護衛騎士団本部の団長執務室、部屋の中は重苦しい空気で満たされていた。部屋には騎士団長であり俺の父親であるロベルト・ジェラルドが執務机で手を組み、目の奥に怒りの炎を宿しながら黙って俺を見ていた。


 父上のこういう姿を見るのは何年振りだろうか……。父上の視線に耐えつつ半ば現実逃避ぎみにそんなことを考えていた。俺が子供の頃は悪戯をする度にこんな感じで叱られていたが、まさかこの歳で再び味わうことになるとは思わなかった。


 レクスに負けた次の日、俺はこうして本部に呼び出されていた。理由は至極単純で、私情を優先し名誉ある騎士団隊長の座を賭けた事、さらに負けた挙句隊長の責務を果たさず帰宅した事だった。当然だ。あまりにも子供じみた行動なのだが、あの時の俺はこうなることが分からなくなるくらいに動揺していた。


「アルバートよ、私が何に憤り、何を考えているか分かるか?」


 執務室に入って数十分程だろうか、ただ俺を見据えて黙っていた父上が口を開いた。静かな怒りを含んだ低い声に俺は子供の頃の苦い記憶に体を固くしながら答えた。


「はっ! 前者は私が立場を軽んじた試合をし、更に新人に負けた事、挙句責任を果たさず遁走した事をお怒りになられております。後者は私への処罰をお考えになっておられます!」


 この程度で何か変わるとも思えないが出来る限り誠意を持って答える。父上は俺の返答に眉一つ動かさず続ける。


「そうだ、その通りだアルバート。ふむ……、あえて付け加えつつ、私の口から言わせてもらおう」


 そう言うと長い間組んでいた手を解き、その手をゆっくりと頭上に上げ激昂と同時に机に叩きつけた。


「お前は! 栄えある騎士団隊長の座を軽んじた行動をし! 更にぽっと出の田舎者に剣で無様に負け! 挙句すごすごと負け犬の様に逃げ帰ったのだ! この愚か者が!」


 言葉の端々で怒りを乗せた拳を机に叩きつけつつ、怒号を俺に放った。ここまで怒り狂う父上の姿を見たのは初めてだ。とてもじゃないが目を合わせることが出来ない。


「何を考えているのだお前は! 気でも狂ったのか!? 魔族にでも魅入られたのか!?」


 父上は怒りが収まらないようで罵倒を続ける。団長としても父親としても許せるものではないのだろう。


「お前の自分勝手な行動のおかげで団長としての私の立場までないではないか! 私は恥ずかしいぞアルバート! この大馬鹿者め! どうしてくれようか!」


 立ち上がり肩を怒らせながら俺の前をうろつき声を上げる。俺はただただ目を伏せながら耐えていたが、最後の一言がとても気になっていた。処罰か……、降格されるか、最悪退団だろうな……。


「クビにしてやろうかとも考えたが、それではお前を楽にしてやるだけだ。それでは生ぬるい! そうだな……、グラスター平原は知っているな?」


 一通り怒鳴ったら少し落ち着いたのか、ロベルトは再び椅子に座り問いかけてきた。グラスター平原だと? まさか……!


「それは……、存じてはおりますが、左遷、ということでしょうか?」


 恐る恐る伺うと、父上は険しい顔を変えずに一度鼻笑った。


「なんだ、不服か? いっその事クビにでもしてもらって、現実逃避でもしたかったようだな。そんな甘えた考えだからこのような事になる。前線でもう一度鍛えなおして来い!」


 グラスター平原、未だ魔族との戦火が燻る前線の一つだ。王都バシルカの街門から馬を休まず飛ばして約一日の距離にある広大な平原で、王都バシルカへの防衛ラインを担っているグラスター大砦がある。


 しかし左遷か……。確かに父上の言う通り退団にしてもらってあの二人の前から消えられたら楽だろうなと考えていたが、思わぬ方向で逃避する形になってしまったな。父上は俺がレクスに嫉妬して今回の騒動を起こしたと気付いていない様だ。


(申し訳ありません父上、結果的に逃避する形に変わりはありません)


 胸中でロベルトに謝罪しながら俺は辞令を受け取り、転属の準備に取り掛かる前に実家に顔を出す事にした。実家の屋敷には年に一、二回程しか帰っていない。母上は今回の事を知っているのだろうか?


「アルバート! 良く帰ったわね。さぁもっと顔を見せて頂戴」


 屋敷に帰ると、母のロザミア・ジェラルドは召使いに知らされ大げさに俺を出迎えてくれた。我がジェラルド家は母が飴で父が鞭なのだ。しかしこの様子、恐らく知らされていないのだろうなぁ……。


「ただいま帰りました母上。あまり屋敷に戻らなかった事、申し訳ありません」


 俺がそう言うと、母上は俺の手を取りながら笑みをこぼした。


「良いのですアルバート。今に始まった事ではないし、あなたとあの人のお務めはそれだけ立派なのですから」


 少し憂いのある笑みに変わったが、声色はとても優しかった。それだけに事実を伝えるのが心苦しくなる。どのように伝えた物か……。母上の居間で紅茶を飲みつつしばし談笑をしている中、腹を決めて俺は口にした。


「母上、実はお話しなければならない事があります。その……、この度転属が決まりました。」


 そう告げると母上は少し驚いた顔をしたが、笑顔を崩さず返してきた。


「あら、そうなの? ライカちゃんのそばを離れることになるなんてねぇ。それで、どこに移るのかしら? 王城?」


 息子を信じきる姿に更に言いづらくなるが、仕方がない。


「……グラスター大砦へ向かうことになりました。準備が出来次第、バシルカを発ちます。」


 母上は笑顔のまま一瞬固まると、真顔になり勢い良く立ち上がって俺に詰め寄って来た。予想通りというか、本当に申し訳なくなる。


「グラスター大砦ですって!? なぜあなたが前線に赴かねばならないのですか! 何か訳があるのでしょう!?」


 おおらかな普段の姿はなく、俺の肩を掴みガクガクと揺さぶる。落ち着かせると、母上は肩で息をしながら席に戻った。


「全ては私の未熟さが原因なのです母上。実は……」


 俺は一連の顛末を話した。話が進むに連れて母上の顔色は悪くなり手で顔を覆い俯いてしまった。


「あぁアルバート……、あなたという子はどうしてそうも一途なのですか。違うわね……、それもあなたの美点ね」


 そう言うと母上は顔を上げ、冷めてしまった紅茶を一口飲むと俺を見た。


「あの人の事だから私が言っても無駄でしょう。出来る事と言えば毎朝あなたの無事を祈ることくらいだわ。祈る相手はライカちゃんなのだけど」


 冗談を言えるようならそこまで思い詰めていないようだ。俺より落ち込んでしまうのではないかと心配していたが懸念だったか。


「ご心配をお掛けしてしまい、己の未熟さを恥じるばかりです。父上にも今一度認めて頂けるよう心がけて参ります」


 自分を励ますつもりで努めて気丈に振る舞い、そろそろ支度をせねばならないため腰を上げる。結局俺が屋敷を出るその時まで母上の顔色は良くならなかった。本当に親不孝者で申し訳ありません、母上。


 宿舎に戻り転属の荷造りを始める。仕事の引き継ぎは数日中には済む予定で、後任はひとまず副隊長が引き継ぐ事となった。しかしレクスが隊長になるまで時間は掛からないだろう。地位や経歴も重要だが聖女の近辺を守る者に一番必要なのは真面目さと強さだ。彼なら問題はない。


 レクスの事を考えたらまた落ち込んできてしまった……。俺は何をやっているのだろう? 焦った結果失ったモノが多すぎる。


(そもそもあの出鱈目な強さはなんだって言うんだ……、反則みたいな物じゃないか!)


 一方的な負の感情が乱暴に荷物を詰めさせる。恋愛感情で心が乱れる事はたまにあったが、この歳になって自分がコントロール出来ない程にまで陥る事はなかった。


 その日は恨みや妬みから目を背ける様にひたすら支度に専念した。結局転属前にライカに会う気には到底なれず、騎士団所属の治癒師に治療してもらった右手の怪我が心なしか痛む気がした。



 

 二人が模擬戦をした日以来、アル君は私の前に姿を見せてくれなくなった。あの日、歓迎会が行われた訓練所はすごい熱気に包まれていて、剣術の事がからっきしな私でも騎士さん達の試合を見ているとわくわくしたし、勝ち負けを気にせずお互いを称え合う姿に惚れぼれした。だからアル君がいきなり皆の前であんなことを言い出した時はとても驚いた。でもすぐに始まった二人の試合に、アル君の気迫とそれを凌駕するレクス君の剣術に圧倒されて、私は止めることが出来なかった。


「お久しぶりです。ロザミアおばさん」


 私は数年振りにアル君のお家を訪れていた。聖女になってから初めてかもしれない。それだけ聖女のお務めが忙しいのもあるのだけど、半分くらいはアル君のせいだ。アル君は私が出歩くのを良く思っていないみたいでいつも口うるさく注意してくる。正直煩わしく思う時もあるけど、騎士さんの仕事っていうのもあるし何より私の事を考えて言ってくれているのを知ってるからちゃんと聞いていた。


「いらっしゃいライカちゃん。本当に大きくなったわねぇ」


 おばさんはが優しい笑顔を浮かべながら私の頭を撫でてくれた。私の両親が亡くなった時からずっとこうして接してくれている。突然訪れた孤独に絶望していた私はこの優しさにとても救われたし、それを抜きにしてもおばさんの貴族とはとても思えない暖かな人柄が私は好きだ。


「おばさん、今日はアル君の事で……」


 私がそう言いかけた所で、おばさんは指で私の口を抑えた。


「待ってライカちゃん。あの子の事も大事だけれど、まずはゆっくりお茶でも飲みながら、ね?」


 そう言うと少し寂しそうな笑顔になり、私を屋敷に迎え入れてくれた。あぁ、やっぱりおばさんはもう知っているんだ。そう思うと罪悪感で申し訳なくなった。


 おばさんの居間でお茶を飲みながら聖女のお務めの事や、お菓子の美味しい喫茶店の事、いろんな事を数年分話した。必然的にアル君の話になりそうになり、結局流れに逆らうことが出来ず話すことにした。


「おばさん、さっき言いかけたアル君の事なんですけど……、多分知ってるんですよね?」


 おばさんの表情が少し暗くなったのを見て、話しづらくなる。しっかりしなきゃ。


「アル君、何か悩んでいたんでしょうか? 模擬戦で突然あんな事言いだしちゃったし。あの日から私、避けられてるみたいだし……」


 自分で言っていて少し胸が苦しくなってくる。そんな私を気遣ってか、おばさんがテーブルの上に置いていた私の手を握ってくれた。


「あの子がライカちゃんを嫌うなんてこと、絶対にありません。そうね……今は少し時間が必要なのかもしれないわね。あの子も、あなたも」


 優しく微笑むおばさんを見ているとつい涙が出そうになってしまった。駄目だなぁ私は。おばさんもアル君の事が心配なんだから、私だけ落ち込んでいては駄目だ。


「そういう意味ではあの子の前線への転属も丁度良いかもしれないわね……。あの人、ロベルトも膠着状態の今なら戦争の再発はまだ起きないだろうと言っていたし。」


 え? 転属? 前線? 一瞬おばさんの言っている事が理解できずに混乱する。


「転属……? アル君、どこかに行っちゃうんですか!?」


 言葉を飲み込むと同時に勢い良く立ち上がってしまう。そんなの聞いていない! 確かに隊長から降ろされちゃうとは、引き継ぐことになった副隊長さんから教えてもらったけど。


「あら、あの子ったら……。こんな大事な事もライカちゃんに言ってなかったのね。ごめんなさいね? もう良い歳なのに子供っぽいのだから……」


 おばさんはそう言うと目を伏せて謝ってくれた。落ち着こう。そう思い椅子に座り直し、軽く深呼吸する。


「……前線って、平原方面でしょうか? それとも山岳方面……」


 努めて冷静に聞くと、おばさんは私の目をしっかりと見て真剣に答えてくれた。


「平原方面のグラスター大砦だそうです。散発的に小規模な戦闘が起こるようですが、犠牲者が多いとは聞きません。無事の帰りを信じましょう。元、になってしまいましたがあの子も隊長を務めていたのですから大丈夫よ」


 最後に憂いを含んだ笑みをおばさんはこぼした。すごいなぁこの人は。伯爵夫人は伊達ではないって感じだ。


「そうですね……。すみません、アル君の気持ちはまだ良く分からないんですけど、多分私に原因があるみたいなのに……」


 じゃなきゃレクス君にあんな勝負挑まないよね……。それなのに私はアル君の家族に相談してしまっている。


「そうね、でもあなたが全部悪いわけではないのよ? あなたはあなたの想いがあるし、あの子はあの子で気持ちの落とし所を見つけないといけないの。先程も言ったのだけど、もう少し時間が掛かってしまう物よ」


 私を慰めてくれつつ、おばさんはふと思い立った様な顔をした。


「それより、あの子を負かしてしまった男の子の事なのだけど。私はライカちゃんとその子の関係がとーっても気になるわね」


 そう言うとおばさんはからかうような笑みを浮かべた。不意打ちの様にレクス君の事を聞かれて、つい顔が熱くなってしまった。


「えっ、いや別にレクス君とは何にもないですよ!? 彼はその、前に私が危なかった時に助けてくれた人で……」


 慌てて答えるがおばさんは終始ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべたまま私にレクス君の事を聞いてきた。もう、貴族と言ってもこういう話題に飢えているのは変わらないんだから……。


 そろそろ聖堂に戻らないといけない時間になってしまった。おばさんともっと話していたかったが、仕方がない。おばさんと居間を出ようとした時、ふと壁に掛かった写真が目に入った。数十年前に編み出された魔法で、その場の風景を紙に映し出すことが出来る物だ。まだ術者は少ないけど、画家のお株を奪ってしまうほどの発明として騒がれている。私の目に入ったのは、数年前のジェラルド家の写真だった。


「良く写せているでしょう? まだあの子も子供っぽさが残っているわねぇ」


 おじさんとおばさんが椅子に座り、後ろでアル君が背筋を伸ばして立っている様子が写されていた。おばさんは長く綺麗な赤髪で優しそうな笑顔、アル君とおじさんは短めの茶髪だ。昔はそうでもなかったけど、最近アル君は顔つきとかがおじさんに似てきている。性格もどんどん頑固になってきてるし……、そっくりだ。


「アル君、おじさんに似てきましたね。背も同じくらいだし」


 私がそう言うと、おばさんはクスクスと笑っていた。


「そうねぇ、あの人よりスラッとした感じだけどね。頑固な所が玉に瑕ね、どちらも」


 私と同じ事を思っていたようで、二人でクスクスと笑ってしまった。おじさんはちょっと怖い顔だけど、アル君はおばさんの柔らかい部分が丁度良い感じに中和してくれてるんだよなぁ。難しい事考えすぎて眉間に皺ができなければ良いけど。


「もう着いた頃かしらね……? 前線で顔に傷を付けて来なければ良いのだけど」


 おばさんは頬に手を当てて心配そうに呟いた。って、え? もう着いた頃? 


「えっ!? アル君、もういないんですか!?」


 今日一番驚いて、かなり大声を上げてしまった。そんな……、ちゃんと会って話したかったのに。


「あら? まぁ……、あの子はもう本当に……。意気地がないのだから! ライカちゃん、本当にごめんなさいね?」


 おばさんも、私が知らされていない事だらけで驚いたようだ。アル君、どうして何も言わないで行っちゃったの……? 私のせいなのかもしれないけど、寂しいよ……。



 馬を軽く走らせて半日と少し、途中にあった村で宿を取り、翌日俺は日が暮れるとほぼ同時にグラスター大砦へたどり着いた。夕日を受けて、砦は巨大な魔物か何かのような雰囲気を醸し出していた。砦の内側には結構な規模の野営地が組まれており、宿舎や鍛冶屋はもちろん、食事も取れる簡易酒場やなんと風俗まであるらしい。もはや一つの街のようだ。


 喧騒の中、俺は着任の手続きを済ませる為、騎士団の駐屯所へ向かった。ここには騎士の他にも、傭兵部隊やそれらを相手に一稼ぎしようとする商人達が数多く居て独特の賑やかさがあった。駐屯所の事務員は俺の書類に目を通し、「ようこそグラスター大砦へ」と意味深な笑みを浮かべながら歓迎してくれた。まぁ、気持ちは分からないでもないが少し不快だ。


 その日は簡易酒場で食事を取り、することもないのですぐに宿舎へ向かった。バシルカで取っていた食事に比べるとひどく濃い味付けで胸焼けを起こしそうだ。これからしばらくの間はこの食事が続くと思うと早くもうんざりとしてくる。


(明日からだ、出来れば大いに忙しくあってくれ……)


 固いベッドで横になりながら、色々な暗い気持ちが忙殺によって紛れてくれることを考えていた。そのうち自然と瞼が重くなり、胸中でくだらない考えを自分であざ笑ったのを最後に意識が闇に落ちていった。

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