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聖女と青年


 レクスがアルバートの隊に配属されてからしばらく経った。レクスは真面目で誠実、そしてその類稀なる剣の腕もありすぐに隊に馴染み、日々護衛騎士の仕事に勤しんでいた。アルバート自身もレクスに対して悪くない感想を抱いている。しかしどうしても気になるというか、受け入れがたい現実に直面し頭を悩ませていたのだ。


「アル君、レクス君、今日も護衛騎士業務に精を出しているようでなによりですね!」


 俺とレクスが聖堂近くの街中をパトロールしていると、ライカが明るく声を掛けてきた。護衛騎士の仕事の一つに街中のパトロールがあり、二人一組になりそれぞれ与えられた地区の巡回をする。それよりも、またこの聖女様は……


「ライカ様! あなたはまた懲りずに聖堂を抜け出して! 身分を弁えて頂きたいとあれほど……!」


 俺がまくし立てながらもう何度目か分からない注意をすると、ライカはいつも通り不機嫌になる。


「良いじゃない、こんなに近いんだから! アル君は今日も石頭に精を出してますねー!」


 ベーっと舌を出しながらライカは俺に悪態をつくと、一転して笑顔になりレクスへ話しかけた。


「こんな石頭の隊長さんの下で大変じゃない?」


 ライカがこちらをニヤニヤと伺いながらそう言うと、レクスは苦笑して頬を掻く。


「えーと、その…… ライカ様、困ります」


 隊長の俺と聖女のライカ、両者の板挟みになり困った様子のレクス。そんな様子を見てライカは眉をひそめた。


「えー、レクス君も私の事を様付けで呼ぶの? つまらないからやめて、これは聖女の命令です!」


 なんという職権乱用か! そもそも聖女に兵士への命令権は原則としてないはずだ。しかし国と民を守護する絶対的な存在からの命令を無視できる兵士はまずいない、レクスも例外ではなくさらに困り果てた様子だ。


「部下が困っているのでその辺にして聖堂へお戻り下さい。また人だかりが出来てしまいますよ」


 とにかく騒ぎが起こる前にライカを聖堂に戻そうと、強引に話を打ち切ろうとする。


「はいはい、戻れば良いんでしょ。バイバイ、レクス君」


 ライカはむくれながら渋々と聖堂へ戻る。まったくいつも通り困った物だ、そう思いながら別の懸念がどうしても頭をよぎる。そう、ライカがレクスにとても良く懐いているのだ。懐いているという言い方はどうかと思うが、とにかく妙に親しげなのだ。レクスに事情を聞いてもどうも要領を得ない様な、お茶を濁した返答ばかりだし、ライカに至っては故意に隠している始末だ。


「さて、巡回の続きをしようか。ライカ様にも困ったものだな」


 俺がそう促すと、レクスは少し安堵の表情を浮かべた。彼の立場になって考えれば非常に気まずいはずだ。妙な勘ぐりはやめて業務に集中しよう。


 結局この日の巡回はいまいち集中出来ず、レクスとの空気も微妙に気まずさを残したまま解散となった。事務処理と夜勤組への引き継ぎを済ませ、宿舎へ帰る前に聖堂にいるライカの顔を見に行く。聖女への業務報告は隊長の仕事であり決して私欲の為だけではない。しかし最近の様子を見ていると少し気にかかるのは事実で、自然と足早になってしまう。


 聖堂の扉をくぐると先客がいるのか、ライカの明るい声が聞こえてきた。もしや……と無性に不安に駆られ、声を掛けることも忘れて近づいていく。


「また私の勝ち! レクス君は弱いなぁ」


「この遊びじゃライカには敵わないな。あ、隊長……」


 先に気づいたレクスが、しまった…… という顔をこちらに向ける。そんな様子に気付かずにライカが明るい声のまま俺に声を掛ける。


「アル君、お疲れ様! いつもの報告だよね? パパっと済ませちゃおう…… どうしてそんな怖い顔してるの? なにかあった?」


 俺は怖い顔をしていたのか? 自分では全く意識してなかったので少し驚いた。


「ライカ……様、自分はこれで失礼します。すみません」


 そんな俺の様子に、レクスが少し焦りながらその場を後にしようとする。ライカはそれを見て、まだ物足りないのか不満の声を上げる。


「えー、もう帰っちゃうの? まだちょっと時間あるからもう少し話そうよ。アル君も一緒にさ」


 そう言うライカにレクスは少し迷うが、どうやら俺が相当ひどい顔をしていたようでもう一度謝罪すると聖堂から出ていった。さて、業務報告の前にお小言の時間だ。


「あーあ、アル君のせいで帰っちゃった。少しくらい良いじゃない!」


 納得がいかないようでむくれているライカ。さらに機嫌を損ねさせてしまうかもしれないが仕方がない。


「ライカ様、あなたは聖女です。聖女を呼び捨てに出来るのは対等な聖女か同等な存在だけです。あまつさえ一介の兵士と敬語なしで話すなど以ての外です!」


 少しまくし立てる様に言うと、機嫌を損ねると思っていたライカが予想に反して不安げな顔をした。


「どうしたの……? アル君、本当になにかあった?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるライカに、俺は動揺を隠せなかった。心配していたのは俺の方だったのに、逆にされてしまった。


「い、いや別に…… とにかく、レクスを含め、兵士と敬語なしで話すのはおやめ下さい」


 あやうく俺まで敬語を忘れてしまいそうになりながら一方的に会話は打ち切り、空気の悪さに急かされる様に手早く業務報告を済ませて聖堂を後にした。ライカは終始怪訝そうな顔で俺を見ていた。


 その日以降、ライカとレクスが敬語を使わずに話す所を見かけなくなった。しかし相変わらずレクスに懐いている様子を見ると妙な感覚に襲われるのは相変わらずだ。こんなことに気を取られていては隊長失格だ。


 そう思いつつ少し経ち、新人騎士達の浮ついていた足がようやく地に着き始めた辺りで、新人歓迎会を含めた模擬戦が行われるのであった。この模擬戦は昔から行われている恒例行事で、半分は新人教育の為に、もう半分は単に剣を振って騒ぎたいだけの血気盛んな行事なのである。日々の鍛錬の成果を見せる場に張り切る先輩騎士、そして稀に起こる新人のどんでん返しなど、なかなか盛り上がる催しだ。今年はレクスという期待の新人がいるので、皆そわそわと落ち着かない様子で歓迎会を待っていた。


「では、そのように手配してくれ」


 歓迎会の準備の為、退勤時間を少し遅らせて仕事をしていた。同じ様に残業している部下に模擬戦後の宴会の手配を指示し、あらかたの仕事が済んだので聖堂へ行こうと思い騎士団本部を後にする。


 聖堂へ向かう途中、丁度日が沈む中で聞きなれた声が路地の方から聞こえた気がした。気になり足を向けると、声の正体は案の定ライカだった。なぜこんな所で…… 近づこうとするとレクスの声が聞こえ、足を止めて建物の物陰に身を隠して耳を澄ます。俺はなにをしているんだ?


「私、今でも不思議に思うんだ。こうしてレクス君とこの街で話せているのが」


 そう言うとライカはクスクスと笑った。とても落ち着いた、あまり彼女から聞かない様な声色だったように思う。


「あの時レクス君に助けてもらっていなかったら今の私はいないし、この街は結界がなくて大変な事になってたかもしれない。レクス君は救世主様だね」


 そんなライカに持ち上げられ、照れくさそうに笑うレクス。


「偶然だよ、全部。俺があの時ライカを助ける事が出来たのも、俺の村が巡礼地の近くだったのも、こうして再会出来たのも。任命式で壇上に君が居た時は驚いたよ」


 巡礼地? 巡礼というと、聖女の巡礼の事だろうか? 聖女はその力を正しく使う為に、伝道者に従い定められた修練を積む必要がある。ライカも例外ではなく、二年程巡礼の旅に出ていた。あと、助けてもらったとはなんだろうか?


「私だってびっくりしたよ! びっくりしすぎて固まっちゃったくらいだし! 偶然でも嬉しいな。女神様のお導きがあったのかもね」


 不意に、二人の間に沈黙が降りた。しばらくしてライカが口を開く。


「改めてお礼を言わせて欲しいな。レクス君、あの時、私の命を救ってくれて本当にありがとう。あなたがいなかったら私は今ここにいません」


 それが耳に届いた瞬間、ズシッ……と胸が重くなった。命? どういうことだ? 何の話をしているんだ?


「どういたしまして……で良いのかな? 俺も、助けることが出来て良かったと思うよ」


 今度は照れたような様子はなく、真剣なやり取りが伝わって来た。俺は以前の様に二人に割って入って行けず、混乱したまま物陰でじっとしている事しか出来なかった。


 その後、二人はしばし会話し、レクスがその場を後にした。俺は少し冷静を取り戻し、ライカに話を聞こうと物陰から出る。


「あ、アル君。お疲れ様、こんな所でどうしたの……ってもう戻るから! ちょっと散歩してただけだからね? だから怒らないで!」


 俺のに気づき、また説教を食らうものかと慌てて弁解を始めるライカ。そんな些細な事は今は問題じゃない。


「ライカ様…… 先程の話、命を救われたとはどういう事なのでしょうか?」


 慌てているライカに反し、どうしても暗い雰囲気を拭えないまま問いただす。一瞬、きょとんとした顔をし複雑な表情で思案するライカ。少しすると苦笑しながら答える。


「あーはは…… 立ち聞きなんてひどいなぁアル君。うーん、あんまり心配させたくないから内緒にしてたんだけどなぁ」


 頬を掻きながらライカは話し始める。聖女の巡礼の事、巡礼地に魔物が出没し命の危険に晒された事、レクスに救われた事、碌なお礼も出来ぬまま別れた事。


「内緒にしてたのはごめんね。結果的に無事だったから心配しないで? まぁそういう訳でレクス君は私の命の恩人なんだよ」


 俺に謝罪しつつ打ち明けてくれたライカは、見たことのない大人びた表情をしていた。俺は事実を上手く受け止められず黙っているしかなかった。


「もう、そんな暗い顔しないでよ。そろそろ戻るね。 そういえば歓迎会やるんでしょ? 模擬戦頑張ってね!」


 打ち明けて気恥ずかしくなったのか、ライカは軽く駆けながら聖堂へ戻っていった。どうしても動くことが出来ず、俺はしばらくその場に佇んでいた。


 

 歓迎会の模擬戦は採用試験の時と違い、トーナメント形式で行われる。先輩騎士と新人騎士が入り乱れたトーナメント表で、勝ち負けはあるが敗者が蔑まれることはなく健闘が讃えられるのが俺の隊の通例だ。歓迎会は訓練場を貸し切って行われるので他の隊の事を考えるとしばらく訓練場は予約で一杯だろう。俺の隊の人数は三十名程で、余裕を持って一試合十五分にしているから掛かっても三時間程で全試合終わる予定だ。


 この日をいまかいまかと待ち望んでいた騎士達が朝から意気揚々としている中、俺は未だにライカから聞いた話を引きずっていた。正確には俺が知らない所でライカが危機に陥っていた事、レクスがそれを助け、偶然にも再会し仲を縮めている事を受け入れたくなかったのだ。話を聞いた後、今日までああでもないこうでもないと考えていたのだが、俺は護衛騎士団の隊長として、ジェラルド家の者として間違った選択をしようとしていた。


「それではこれより、新人歓迎会を兼ねた模擬戦を開始する! 皆、日々鍛錬した腕を存分に振るってくれ!」


 俺が音頭を取ると隊員達は揃って声を上げ、早速第一試合の組み合わせの準備に取り掛かった。そんな様子を見ながら、俺は薄暗くも固い決意をしていた。トーナメントを勝ち抜けば、間違いなくレクスと剣を交えることが出来るだろう。


 歓迎会は順調に進み、更に途中から様子を見に来たライカの存在によって隊員達の興奮は増していくばかりだった。また聖堂を抜け出したのかと普段なら頭を抱えて説教する所だが、今日は咎めなくても良いだろう。逆に丁度良いかもしれないと、普段ならありえない事を思っていた。


 聖女の応援にここぞとばかりに張り切る隊員達の勢いに流されるように試合は順調に進んだ。俺は順調に勝ち進み、レクスも同様だった。気づけば決勝戦、俺とレクスの試合を残すだけとなっていた。この結果は隊の誰しもが想像していた。隊の者達は、確かにレクスは強い、十八歳の新人とはとても思えない程だ。しかし経験の差で我らが隊長に分があるはずだと考えていた。俺もレクスの強さは折り紙つきだと認識している。だが負ける訳はない。何年剣を振って来たと思っているのだ! でなければこんなことを口にはしなかったであろう。


「レクス、そして皆、聞いて欲しい。俺はこの試合に隊長の座を懸けること誓う。レクス、俺が勝ったら二度とライカ様と敬語なしで話すのをやめてもらおう!」


 突然の俺の宣言にそれまでの熱気は急激に冷め、ざわざわと騒がしくなった。ライカも驚いている様だ。当然だろう、自分でも狂っていると頭の片隅で思う。しかしどうしても譲れない気持ちが俺を動かしていた。


「分かりました。受けて立ちます。まぁ、隊長の座は遠慮させていただきますけどね」


 そう答えると、低めに剣を構える。剣の腕もそうだが採用試験の面談といい、この異常な落ち着きの良さはなんなのだろうか? 得体のしれなさが不気味だ。


「理由は聞かないんだな? その潔さは認めてやろう」


 俺も剣を構える。相対し、空気が張り詰める。いつの間にか騒がしかった場内が静寂に包まれていた。


 先手必勝……! そう考えながら短いながらも気合を込めた声と共に斬りかかる。レクスは臆せず反応し打ち返す。模擬戦で用いる剣は刃を落としてあり、安全に考慮されているが当たればただでは済まない。騎士の好みによって片手用のショートソードや、俺が使う片手・両手共兼用なロングソードなど種類も様々だ。レクスは小柄な方なのでショートソードを振っていた。


 体格もリーチも俺が勝っている。打ち込み続ければやがて耐えきれずに行動を起こすはずだと考えていた。案の定レクスは防戦一方で俺はひたすら攻める。しばらくそんな一方的な状況が続いた。


 誰からとも知れず、様子がおかしいことに気づき始めた。レクスがいつまで経っても防戦でいるのだ。恐らく一番最後に気づいたのは俺だろう。手応えがないというか、見切られているのか? 俺の剣が?


「ぐっ…… せぁっ!」


 徐々に焦りが出始め掛け声と共に強く斬り込む。しかしレクスは俺の動きをしっかりと見据え、的確に防いできた。なぜだ? その華奢な体のどこにそんな力がある!?


 俺の焦りを見透かしたように、いよいよレクスが反撃に出始めた。なんて鋭く重い剣だ、クソ……!


 負けじと俺も斬り返すが、その差は場内の誰もが気付いていた。そのまましばらく攻防が続き、最後はあっけなく訪れた。焦った俺が大振りの斬撃を繰り出し、レクスはそれを待っていたのだ。横から剣を弾き、俺は耐えようとしたがあまりの鋭さに手首を痛め、堪えることが出来ず剣を落としてしまった。


「ば、馬鹿な……、こんなことが……」


 負けた? こんな小柄な奴に俺が? なにがいけなかった? 様々な疑問と右手首の痛みが頭を占めていた。レクスを見ると、見下すわけでもなく、思いの外緊張したような顔が妙に印象に残った。


「アル君! アル君ってば!」


 気づけばライカが近くで心配そうに俺を見上げていた。


「右手、怪我しているでしょ!? 魔法で治すから見せて」


 そう言いながら俺を治療しようとしていた。その時、急にだった。自分でも訳が分からないほど後悔と羞恥の念が押し寄せて来た。俺は…… どうして……


「か、構わないでくれ……!」


 混乱したままライカを突き放し、その悲しそうな表情を見てさらに後悔した。どうしてこんな事に! そう思いながら俺はいたたまれず訓練場を後にし、気付いた時には宿舎の自室に居た。どこをどう戻ったのかすら覚えてはいなかった。



 これが俺の人生で最大の誤ちだ。自分に驕り責任を果たさず、自分が一番大切だと思っていたモノを傷つけてしまった。


 ここからだった。ここから俺の転落が始まるのを、目の前の後悔に苛まれている俺は知る由もなかった。

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