大切な急須を壊されて泣いた話
気軽にどーぞ。
ブログに裏話を書いてます。
私が大切にしていた急須が壊れた。
正確に言うと、壊された。
母からもらった物だったか、はたまた妻からだったか、記憶はあいまいだが、私が大学を卒業した時に記念に貰った物であることは確かだった。
全体的に深い焦げ茶色で、蓋や注ぎ口に、まるで浮き出るあぶくみたいなまだら模様が施された、ちょっと変わったデザイン。洒落ているかは別として、何となく漂う落ち着いた雰囲気が好きだった。
その急須が、友人の手によって壊された。
友人はいたずらっぽい奴で、いつも冗談めかして他人にちょっかいを出し、面白がるような人間だった。
悪質な嫌がらせはしない。
ちゃんと境界をわきまえている彼は、どこまでが「面白くて楽しいいたずら」として済む範囲なのかをわかっている。だから彼がいると場が笑いに包まれて楽しいし、私も彼のことが大好きだ。
とても大切な友人だ。
しかし、今日の友人は珍しくその境界を見誤った。私もまた、対応を誤った。
友人は、私の部屋でおちゃらけて動き回った。私はなんとなく危険を察知し、注意を呼びかけつつも勝手に彼を信頼し、やや不安定な場所に急須を置いた。
何もしなければ落下することはない場所だったが、私の思惑に反して友人が動き回ってしまったために、振動で落っこちてしまったのだ。
私は、あっと声を上げた。音がして、友人も振り返った。
例の特殊な蓋と注ぎ口がひび割れて、その模様をどうやって製造者が施したのかが、それとなくわかった。
そんなふうに出来事を観察する余裕が自分にあったのかと思いきや、思い出や、怒りや、あれやこれやの感情がすぐに胸の奥からこみ上げてきて、抑えきれなくなった。
友人を怒る。責める。わめいて、彼の行動を非難する。
あるいは。
良識のある三十路前の大人として耐え忍び、自分に非があるのだと認めてやり過ごす。
そういう二つの選択肢が頭に浮かんだ。
だけど私は、そのどちらも選択せずに、
ただ、
ただその場で涙を流して、子供のように泣いた。
大の大人が割れた急須を持って号泣するなんてシュールな場面だが、関係ない。
悲しいから泣いた。
ふっと頭に浮かんだ選択肢は、いずれも誰かを傷つける。
片や友人を傷つけ、片や自分自身の心を傷つける。でも壊れた物は直せないし、起きた出来事はどうしようもない。
人生はどうしようもないことの連続で、
急須は新聞紙か何かに包んで燃えないゴミに出すし、外に出し切った私の悲しみは、そのうち癒える。
新しいお気に入りの急須に出会う頃には、
そもそもあの急須のデザインを気に入っていたのかどうかさえ、苦笑いを浮かべながら冷静に考えられるようになっているだろう。