見えない、聞こえない
#お題アンケ(https://shindanmaker.com/601337)より一位に選出されたお題「見えない、聞こえない」で書かせていただきました。
柳田国男いわく、「妖怪は神の零落したもの」であるらしい。
その論説に従うなら、私が出会ったあの男の子はその顕著な例といえるだろう。
夏休みや冬休みといった長期休暇のつきものは、写生の課題だった。この課題の出来によって美術の成績が決められるといっても過言ではない。
推薦を狙うために何としても最高評価の「五」をもらいたかった私は頭を悩ませていた。
いくつかの条件こそあるものの、基本的にはどこの風景を描こうと自由だ。とはいえ、三年の夏ともなれば近場の目ぼしい場所はほぼ描き終えてしまっている。かつて描いた場所と同じでも構わないと先生は言っていたが、それでは芸がない。できれば同級生の誰とも被らない、そんな場所が見つかれば……。
考えあぐねていた矢先、両親から思わぬ救いの手が差し伸べられた。
お盆の墓参りだ。毎年欠かさず母方の祖父母の家へ行き、墓前に手を合わせる。そのついでに散歩をしてみてはどうかというのだ。
距離もそこそこ離れているので他人との被りもないだろう。心配の種がなくなったことで私の気分は晴れやかになった。
コンビニもない田舎だが、逆を言えばどこを切り取っても絵になる雄大な自然が広がっている。この時期にしては日差しも穏やかだったおかげで、予定よりも遠くまで歩いてしまった。
写真を撮るためにカメラモードを起動していたスマートフォンは、通り過ぎる景色を根気よく切り取り続けていた。
正面に赤い鳥居が現れて足を止めた。とまれの看板に出くわした時のように左右を見回す。
歩行者はおろか、車すらいなかった。
森の中にそびえる鳥居を写真に収める。あちこちが傷んだ鳥居は、ところどころ赤い塗装が剥げて黒っぽい木材をあらわにしていた。
――私はここを知っている。
導かれるように鳥居をくぐると、その先の石段に足を掛けた。
石段には落ち葉が積もり、ねっとりとした土の感触がスニーカーを経由して足に伝わる。苔むし、欠けた石に気付かず足を踏み外しそうにもなった。
それらは手入れをする人が絶えて久しいことを物語っていた。
石段を半分ほど登ると、両脇の木々の間隔が狭まった。周囲がグッと暗くなり、森の匂いが濃度を増す。
ふいに恐れのような感情が湧き上がってきて、その場から逃げ出したくなった。しかし、振り向く勇気が出ない。膝が震え、立っているのもやっとだった。
今登ってきた石段がなくなっているような、そんな想像が頭をよぎる。
――進むしかない。
脅迫じみた衝動に駆られて私は足を前に出した。
私はなぜ、この場所を知っていると思ったのだろう。怖い場所なら近づこうとしないはず。ということは、この感情は何かの間違いか?
様々な考えが浮かんでは消え、そのたびに私は頂上へ迫っていった。
闇が薄れ、視界がひらける。頂上だ。
小高い丘の上には、真昼の陽気に包まれた空き地があった。三方を森に囲まれているせいか、気温が少し低い気がする。木の葉がこすれ合うさざめきが心地よかった。
空き地自体は車三台が止まれるくらいの狭いスペースだ。その一部は砂利敷きになっており、小さな石碑のようなものが立っていた。
振り返れば、遠くの足元に朽ちかけた鳥居が見える。こんなに登ってきたのかと感慨にふけりながら石碑のようなものに歩み寄った。
それは三つ並んでいて、すべて形が違った。
右端のものは天然の石の表面をならしたような形で「山神」の文字が彫られている。
真ん中のものは台座に乗った、墓をイメージさせるような五角形の石に「天地之神」の文字。
左端の石には三面六臂の仏が彫り出されていた。
思いがけない仰々しさに圧倒されながら、夢中になってシャッターを切っていた。
その時、背後に何かの気配を感じた。振り向いて確認するが、そこには何もいない。シカか何かの動物が来たのかとも思ったが足音も何もないのは妙だ。
目を凝らして草木の奥を探していると、突然太ももを掴まれた。二つの小さな手がぺたぺたと足を触っている。
信じられないが、目に見えない子供にじゃれつかれているような感覚だった。
こっちで遊ぼうとねだる時のように、小さな手は私の体をぐいぐいと押した。
目に見えない子供は、私を鳥居のある石段の方へ押し出そうとしている。
「……やめて? 危ないよ」
正直、言葉が通じる相手だとは思っていなかった。噂に聞く心霊現象は、時に身勝手で時に残酷だ。
しかし、今回の相手はそうではなかったらしい。足にまとわりつく力は弱まり、自由に動けるようになった。見慣れない神聖な物を前にしたせいで、何かの錯覚にとらわれたのだろう。
自分が納得できる答えをはじき出して気が緩んだところに、衝撃が襲い掛かってきた。
遠くから走ってきてタックルをされたような……――。
幼い力だったにもかかわらず、私はバランスを失って尻もちをついた。身体を支えようと出した手は地面を外れて宙をさまよう。石段のきわにいるのだと気付いた時には、私の体は重力に従って転がり落ちていた。
気が付くと祖父母の家の仏間に寝かされていた。
全身が痛く、特に背中は呼吸をするたびに激痛が走った。母が言うには、私は家の裏で倒れていたらしい。
そんなはずはない。神社のような場所に行った証拠を見せようとスマートフォンを取り出した。
画面には蜘蛛の巣状のヒビが入り、どう足掻いてもタッチパネルが反応しなかった。
何とか信じてもらうため鳥居の奥の様子を説明すると、祖父母と母の顔がサッと青ざめた。
「お前は呼ばれている」だなんだと三人から言い立てられてうんざりしていると、脳内に閃光が走った。
なぜあの場所を知っていると思ったのか。その謎が一瞬にして解けた。
あれは私が幼稚園に通っていた頃のことだ。祖父に連れられて散歩をしていた時、あの神社の前を通りかかった。
「あっ! ねえねえ、こっちおいでよ!」
頭上から声がして、鳥居を見上げた。そこには私よりいくつか年上に見える男の子が腰かけていた。彼は両手を大きく振りながら私を呼んでいた。
「あぶないよ」
どこの誰だかは知らないが、とりあえずそう返したことは覚えている。
男の子は和服のような不思議な恰好をしていた。右側の鳥居と同じくらいの高さの木をさし示すと、彼はそこに軽やかに飛び移った。その木を降りながら、今度はまた別の木に渡った。
動きづらそうに見える服装で、男の子はするすると木の上を動き回る。
猿のような芸当を目の当たりにした私は、彼の姿を追って鳥居をくぐった。
彼は時に木を登り、時には降りながら斜面の上へ上へと向かって行く。私は苔むした階段を四苦八苦しながらよじ登った。
階段の頂上では男の子が待っていて、最後の一段は手を掴んで引き上げてくれた。
「ここ、僕の家なんだ」
自慢げに胸を張る彼だったが、そこにあるのは今にも倒れそうな木造の小屋だった。周りは木と雑草だらけで、お世辞にも良いところとは思えない。
「へんなの。あれ、かっこよくないよ?」
玄関の真上に飾られたものを指して言った。そこにあったのは太い縄をみつあみにしたような代物だ。
男の子は私の示したものを確認して苦笑した。
「かっこ悪いかな? 僕の家の目印なんだけど」
「えーっ!?」
私のブーイングに、彼は首をかしげて聞いてきた。
「じゃあ、どんなのがいいと思う?」
「んー、お花! お花飾り作ってあげる」
ちょうど園で花飾りを作ることが流行っていたのもあり、足元に咲いていたシロツメクサの花を摘み取って編み始めた。順調に編み進めていったが、冠しか作ったことがなかったため完成したのもシロツメクサの冠だった。
思っていたものが作れず涙目になった私に、男の子は優しく微笑みかける。
「ありがとう」
私の手から冠を受け取ると、自分の頭にひょいと乗せた。
「どう? かっこよくなった?」
「えへへ、かっこわるいよ」
男の子が花の冠なんて。そう思ったら笑いが込み上げてきた。
彼は不機嫌そうな顔になったが、私があまりにも大笑いするのでつられて笑い出した。
二人でひとしきり大笑いすると、草むらに大の字で寝そべった。
「楽しいね」
「そうだね」
「お空もきれい」
「うん」
他愛もないおしゃべりをしていると、時間はあっという間に過ぎた。
空がだんだん茜色に染まる。
「あ……あれ」
草むらに埋もれていた何かを見つけ、駆け寄った。
「おはか?」
「ちがうよ」
「じゃ、なーに?」
「ひみつ」
男の子はどこか上の空な調子で答える。お墓みたいなものは三つあって、全部違う形をしていた。
「ねえ……、名前は?」
私がお墓の観察をしていると、ふいに問いかけられた。
「ひみつ!」
男の子の真似をして答えると、彼は悲しそうな、それでいた安心したような表情を見せた。
「おにいちゃんは?」
おうむ返しに問うと、曖昧に笑ってはぐらかされてしまった。その笑顔があまりにも苦しそうで、私は思わず目を背けた。
夕暮れの空は、赤から紺に変わっていた。
――もう帰らなきゃ。
私が切り出そうとした時、彼が口を開いた。
「……僕、遠くへ行かなきゃいけないんだ」
「遠く? 遠くってどのくらい?」
「ずーっと、ずーっと遠くだよ」
自慢の家の前で、男の子はうなだれていた。
「もう会えないの?」
私が聞くと、コクリとうなずく。
「一緒に来てくれる? 一人じゃ寂しいんだ」
「お父さんは? お母さんは?」
首を横に振る。
「一人なの?」
「うん。だから、ね? 一緒に……」
「やだ」
私が答えると、男の子は目を見開いて固まった。
「遠くへいったらみんなと会えないんでしょ? だったら、いや」
「……そう、だよね」
搾り出すような声で、彼は言った。うつむいていたので表情はよくわからなかった。
「急いで。帰れなくなる!」
男の子は思いだしたように、私を突き飛ばした。
私は吹き飛ばされて石段を転げ落ちる。
「ごめん」
言葉の真意がつかめないまま、私は意識を失った。
目を覚ますと、そこは病院だった。皆が泣いていた。
私のすぐ目の前で大型車が事故を起こし、それに巻き込まれたらしい。
男の子と遊んでいたはずの時間は、現実では数日間に及んだ。その間、生死の境をさまよっていたと言われたが自覚はなかった。
自分の身体のことよりも、鳥居の丘の上に住んでいる彼のことが気になった。
覚えていることを洗いざらい祖母に話すと、祖母は目を丸くした。
そこには神社があったのだが、管理する人間がいなくなったので取り壊すことになっていたらしい。その工事が、事故のあったあの日に予定されていたのだ。
「もしかしたら神様に呼ばれたのかもしれないねぇ」
涙を拭う祖母を、私は呆然と見つめていた。
それ以降、あの神社跡の近くを通ることも、話題に出すこともなくなった。大人たちの暗黙の了解だったらしい。
おかげで私は事故のことも忘れていたし、神社のことも記憶から抜け落ちていた。
あそこで嫌な予感がしたのは、当時の忌まわしい記憶が奥底にこびりついていたからなのだろう。
私が出あった小さな神様は、きっとまだあそこにいる。
柳田国男いわく、「妖怪は神の零落したもの」であるらしい。
その論説に従うなら、私が出会ったあの男の子はその顕著な例といえるだろう。
寂しいけれど、他人を道連れにはできない、優しい神様のいるところ。
宿題がなんだ、成績がなんだ。写生なんて近所の公園で十分だ。
彼の決心を鈍らせないため、二度とあそこへは近づくまいと心に決めた。
「聞こえない」の方をミソに書かせていただきました。
主人公は石段から突き落とされたことを良心の表れと捉えているが、本当は……?
と、いろいろ妄想を膨らませて楽しんでいただけると嬉しいです。