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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第十章 鎮魂
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極光鎮魂

「ハハハ、油断したな、ヤイト君……」

「シャーク……」


 ヤイトは床に倒れ、シャークを見上げていた。シャークはソラの移動によりオーロラフィールドが消滅したタイミングを見計らい、ヤイトに銃撃を加えていた。

 完全なる不意打ちだ。ヤイトは拳銃を抜き取ったが、一瞬で蹴り飛ばされてしまう。


「世界がどうなるのかは知らねえ。滅ぶのか、残るのか、もうどうでもいいや。とりあえずお前を殺す。難しいこと、面倒くさいことは置いておこう。人生ってのはシンプルだ。やるか、やられるか。それだけでしかない。なのに、自称天才の連中は、世界をつまらなくしようと努力している。ああ、嘆かわしい。殺して殺される。それが簡単でいいのになぁ。どう思う? ヤイト君……ヤイト!!」


 シャークは拳銃をヤイトの眉間に突きつける。ヤイトは殺意の銃口に晒されながらも、凛とした視線を返して言い放った。


「僕はそうは思わない」

「だよ、な。じゃあ死ね」


 シャークが引き金を絞り、弾丸が脳漿を掻き乱す。


「――ハハハ、最高だね……ウルフ」


 どさり、と音を立てて崩れ落ちる。シャークはヤイトを殺す前に、銃弾を撃ち込まれて絶命した。


「待たせたな、ヤイト」

「ウルフ……」


 視線の先には、自分の師である男が立っている。左腕が素肌であること以外は、普段と変わらない服装だ。デジタル迷彩の戦闘服にタクティカルベスト。ヘルメットとゴーグル、マスク。


「その腕、どうしたんです?」

「話せば長くなる。アザトースの玉座で切断された腕を再生させた」

「……あなたには敵わないな」


 ヤイトは苦笑して、彼の手を掴んだ。


「さぁ帰るぞ。世界が平和になっても、まだやるべきことがある」


 ウルフは世界が救われたと確信していたので、ヤイトも同調して話を合わせた。


「そうですね。ハルとの約束もありますし……」


 ヤイトはウルフと共にシャークのバトルフィールドを後にする。シャークの恍惚とした死相だけが、その場に遺されていた。



 ※※※



「……なぜだ?」


 疑問は視線と言葉に乗せられている。

 相賀が撃ち放った弾丸は、ヘルヴァルドに命中しなかった。だからこそ彼女は訊ね、相賀を責めている。

 相変わらずの不思議さだ。奇妙で珍妙。苦笑して、彼女の問いに応えた。


「自分のするべきことをしたまでだ。天音なら、こうしていた」

「私は天音を殺した――」

「テュルフィングだろ? 原因は」


 相賀の問い返しにヘルヴァルドは閉口する。沈黙が真実を白日の元に晒していた。

 魔剣テュルフィングにはとある呪いが存在する。それは女性であるがために本来持ち主に及ぼす災いを跳ね除けられた神話の海賊ヘルヴァルドですらも逃れられなかった。

 テュルフィングを一度抜けば、必ずひとり殺害せねばならない。ヘルヴァルド自身にその呪いの効果はなかったが、他者が剣を抜いた時だけは抗うことができなかった。


「アーサーかヴィンセント辺りの策略のはずだ。天音と出会ったお前は戦闘を中断したが、天音は精神を操作されたかどうにかして、テュルフィングに触れてしまった。だからお前は――」

「違う。あの場には子どもがいたのだ。察する通り、アーサーかヴィンセントの仕組んだ計略だろう。子どもが剣に触れて、私は抗うことができず剣を振り下ろした。子どもの代わりに、フリョーズが死んだというわけだ」

「なら、話は簡単だ」


 相賀は拳銃を投げ捨てた。仰向けに倒れる彼女に手を伸ばす。


「立て、ヘルヴァルド」

「しかし、私は……」

「これが俺の選んだ結末だ。天音の希望でもある。互いに知り過ぎて、殺すのも忍びないしな」


 ヘルヴァルドは困惑しながらも相賀の手を掴み、立ち上がった。縋るような、怯えるような、不安が揺らめく瞳を相賀に向ける。

 相賀は笑みを浮かべた。自分自身に呆れる。


「お前、なかなか美人じゃないか」

「……いきなり何を言う」

「真実を語ったまでだ。行くぞ。マリに怒られる」


 相賀は仇敵に油断しきった背後を向けて、先を歩き出した。

 ヘルヴァルドがその背中と、地面に刺さるテュルフィングを見比べる。


「もう必要ない、か……」


 そして清々しい表情で、相賀を追いかけた。

 風が吹き、優しい音を響かせる。天の音色が聞こえたような気がした。



 ※※※



「――ソラ! しっかり、ソラ!」

「……う」


 クリスタルの呼び声で、ソラは目覚めた。視界いっぱいに入る、クリスタルの顔。

 彼女は笑っていた。笑顔で喜びを露わにしている。世界がどうなったかを知るにはそれだけで十分だった。


「…………」


 無言で、ソラは身を起こす。多くの仲間たちが集まって、生の喜びを噛み締めている。メグミとホノカ、マリもソラが意識を取り戻したことを知り駆け寄ってきた。


「やったな、ソラ!」

「世界を救ったね!」

「ま、私は何とかなると思ってたけどね」


 それぞれの歓声を聞きながら、ソラは両手の掌に目を移す。ブリュンヒルデの籠手。魔術と科学の力を併せ持った新時代のテクノロジーに身を守られている。近くには、銀の剣が鞘に収められていた。ファナムがくれた魔術剣。

 ――自分は戦士だった。改めてそう知覚する。そして、世界を救った。多くの人間の血が流れ、たくさんの犠牲を払った戦争を終わらせた。

 きっと、これは嬉しいことだ。笑って、笑顔で、喜ぶべきことだ。パーティを開いて、平和を祝おう。八年もの間苦しんできた分、盛大に遊ぶのだ。そうすれば……そう、すれば。


「……く」

「ソラ?」


 ソラは両手で顔を覆って、隠した。見られたくない。見せてはいけない。この涙は、世界の存亡を喜ぶ涙ではないから。

 どうしてこうなったのか。もっと、何かできたのではないか。そう思う、後悔の涙だから。


「……」


 クリスタルはソラの隣に座って、ただじっと見守っていた。メグミたちも顔を見合わせて、別の仲間のところへ移動する。


「ごめんね、クリスタル。終わったら、笑い合おうって言ってたのに」

「いいのよ。あなたは今までずっと頑張ってきた。泣くのは恥ずかしいことじゃないの」


 クリスタルは昔のようにソラを慰める。耐え切れず、ソラはクリスタルに抱き着いて号泣した。

 どうしてこうなってしまったのだろう。同じ疑問、原初の気持ちへの問いかけが、何度も何度も心を渦巻いて止まらない。なぜ、どうして。きっと別の方法があったはずなのに。

 ヴィンセントは悪人だったが、悪に奔るきっかけは、別の悪によるものだ。そして恐らくその悪も、また別の悪によってもたらされたものなのだろう。人間は共感する。善が伝染するのと同じように、悪もまた人の心を蝕んで、乗り移っていく。あくびが他人に移るのと何ら変わらない。意識・無意識的問わずに、人は多くの情報を他人に受け渡す。そのバトンは、また別の誰かの手にもたらされる。

 それを知っていたからこそ、ヴィンセントは人間を滅ぼすしかないと思ったのだ。人間の存在こそが破滅装置カタストロフィプログラム。絶望は伝播して、また新しい絶望を呼び寄せる。

 だが、絶望が人の心を伝わって、悪意となると言うならば。

 希望だって、人の心を渡り歩いて、善意となって現れるはずだ。

 ソラは暁を目に焼き付ける。黄昏色に染まる大空へ。

 光と闇が合わさる境界。美しい黄金色。


(ヴィンセントさん、見ててください。また世界に絶望が訪れても、私が希望を紡ぎます。そして、黄昏ひきわけに持って行きます。勝利でも敗北でもない。みんなが幸せになれる、最良の結果へ……)


 ソラが覚悟を胸の中で謳っていると、クリスタルがデコピンを喰らわせた。羽根つき兜はそのダメージを減退させることなくそのままダイレクトに伝え、ソラはむきゃっ、と小さい悲鳴を上げる。


「痛いよう、クリスタル」

「だって、難しい顔してるんだもの。ソラ、あなたは難しいこと考えなくていいの。全部、私に任せればいいわ。昔のようにね」

「ううん、今度からはクリスタルが私を頼るんだよ? だって、今の私は頼れるお姉さんだし!」


 得意げに胸を張ると、クリスタルは耐え切れなくなって噴き出した。ひどい! と憤慨するソラに向かって、腹を抱えながらごめんと謝る。


「だって、全然頼りにならないし……ぷくく」

「そんなことないって! ねえ!」


 ソラは同意を求めるように、みんなへ訊く。が、皆、首を傾げたり、小さく笑ったりするばかりだ。ユーリットだけが唯一賛同してくれているが、圧倒的多数決によってソラは頼りがいのあるお姉さんという甘美な称号を剥奪された。

 そんな、としょげるソラの頭を、クリスタルは改めて撫でる。微笑して、クリスタルはソラに手を差し出した。


「行きましょう? ソラ」


 ソラは今一度、籠手を見つめる。戦士の手。血に汚れている腕。

 死者と世界を背負った身体。勇者エインヘルヤルたちの集合体。


「うん」


 ソラはクリスタルの手を掴んで、立ち上がる。そして、黄昏に染まる世界の中を歩き始めた。


 ヴァルハラ軍が決行したラグナロク作戦によって、八年にも及ぶ大戦争は終結を迎えた。ヴァルハラ軍が保護した人々や世界各地に避難していた人々は平和を享受しそれぞれの居場所へと帰還。この戦争が二人の魔術師による陰謀であると公表され、人間と魔術師は共存への道を模索し始めた。

 だが、まだわだかまりは残っている。昨日まで殺し合っていた相手との共生に難儀を示す者もいる。

 マーナガルムの黒幕が魔術師だったことを指摘し、魔術師は危険分子として排除するべきという意見も存在し、また人間が愚かだったために策略に嵌まったとして、魔術師が世界をリードするべきだという声も上がっている。

 第三次世界大戦を終えてなお、世界はまだ、完璧な統制を取れていない。調和に至るためには、まだまだ莫大な時間を有する。



 ※※※



「――っああ、もううるさい!」


 あまりにも喧しい目覚まし時計の音。安眠を妨害する悪魔時計に、ベッドに横たわる少女は報復した。具体的には、拳で思いっきりボタンを叩く、という方法で。

 目覚ましが音という叫びを喪い、がらんごとん、と音を立てて床に落ちる。


「ははーどうだー。時計如きが、人間様に敵うみゃい……」


 勝ち誇りながら寝返りを打つ。青いパジャマはあちこち乱れ、裸体がところどころはみ出ていた。胸元から、青いペンダントがちらりと露出している。

 そうして、さらなる睡眠を取るため安らかな眠りに落ちようとした少女だが、時計ががちゃがちゃと不審な音を立てたため、半目を開ける。そして、ハッとした。まるで時限爆弾の如きカウントが始まっている。


「し、しまッ!」


 大爆発。だが、騒音は防音魔術によって制御され、非殺傷概念で構築された爆弾は人体に痛みを与えるだけで傷を与えない。

 ゆえに少女だけが大ダメージを負って、けふ、と煙を吐いた。時限目覚まし時計の報復を受けて意識を強制的に覚醒した後、改めて壁にかかった時計を見上げる。


「ああっ! 遅刻だぁ!」


 起床時間を遥かにオーバーした時刻を、時計は刻んでいた。飛び上がって起きると急いで階段を下る。携帯を操作して、全自動家事機能を起動。パンやら食器やらコーヒーやら卵焼きやらが宙に浮き、勝手に作業を始める。


「制服、カモン!」


 音声認識装置に訴えて、制服が宙を舞う。それを掴み取って、袖を通す。その間においしく調理された朝食をかっ込み、清潔魔術で歯の汚れを落とす。台所でうがいをして、家から飛び出した。


「いってきます!」


 腕時計型端末を目視すると、どう見たって徒歩では学校に間に合わない。そう判断した少女は左手の薬指に嵌まる指環へと意識を集中した。

 瞬間、オーロラが身体を包んで鎧が装着されていく。左腕、左足、胴体、右腕、右足、そして、羽根つきの兜。


『――装着完了。ヴァルキリーブリュンヒルデ』

「とうっ!」


 掛け声と共に浮かび上がる。輝く戦いの意味を持つ恐れを知らない者が。

 青髪の少女――青木ソラはほっと安堵の表情で一息を吐いた。


「これで遅刻しないで済む……うわッ!」

「どいてどいて――! きゃー誰か助けて!」


 丁度、真後ろから暴走箒が空を裂いて、ソラは寸前のところで躱した。明らかにスピードの出し過ぎだが、どうやら意図したものではないようで、箒に跨る少女は涙目で必死に箒を制御している。


『不安定な魔力を確認』

「暴走しちゃってるんだ……!」


 ヴァルキリーシステムの解析で確信を得たソラは、スピードを上げて箒を追いかける。箒は素早かったが、ブリュンヒルデほどではない。浮遊技能にも長けたソラはあっさりと追い付いて、半泣き状態の少女に声を掛けた。


「大丈夫ですか?」

「全然、大丈夫じゃないですぅ!」

「わかりました、任せてください!」


 ソラは少女を箒から離そうと彼女の身体を掴んだ。しかし、驚異的な吸着力で柄から少女のお尻が離れない。へ? と疑問の声を上げたソラに、少女は泣く泣く説明する。


「寝ても落ちないように設計したら、お尻がくっついて離れなくなっちゃったんですぅ! 眠ったまま学校に登校できるようにしようと思って……」

「ええ……。いいアイデアだと思うけど、居眠り運転はダメですよ!」

「ごめんなさい……!」


 そうなると、無理に引き剥がすわけにもいかなくなる。一度箒を止める必要があったので、ソラはあえて箒に跨った。


「どうにかこうにか……解析をして」


 魔術を停止させようと、ブリュンヒルデの解析機関をフル稼働させる。だが、魔術少女はよほど優秀なのか、はたまた偶然高度な魔術式ができあがってしまったのかは不明だが、ブリュンヒルデでも解除することはできなかった。

 剣で箒を斬り落としてもいいが、猛スピードで空を走り回っているので、何かしらの事故が起きる危険がある。できるだけ危険性を排除したかったソラは、目を閉じて意識を集中した。


「だ、ダメです! 眠らないでくださいぃ!」

「違う。少しだけ、静かにしてて」


 魔力の流れを読む。魔動力を使い、箒を見えない手で掴んで強制停止。ぴたっ、と急ブレーキが掛かったかのように箒は停止し、ゆっくりと下降して公園に着地した。


「や、やったー! 生きてる! 永眠しなくて良かったですぅ!」

「次からは気を付けないとダメだよ?」


 と先輩然とするセリフを吐いたソラは心の中で自らのお姉さんぶりに歓喜していた。これは自慢できる。早速学校で今日の武勇伝を言い触らそう。そう思って箒から降りようとしたソラだが、


「あ、あれ……離れない」


 箒にお尻がぴったりとくっついて、降りれない。瞬時に自分の失敗をソラは自覚する。


「あ……あ! そうだった! 吸着力がっ!」

「え、えっと、青木ソラさんですよね?」

「は、はい、そうですけど……」


 後ろに座る少女に問われて、振り返る。彼女はぎこちない笑顔を浮かべていた。


「世界を救った英雄の……ヴァルキリーブリュンヒルデ。恐れを知らない者の異名を持つ、ヴァルハラ軍きってのエース……。二大黒幕と言われるヴィンセントとアーサーの策略を見抜き、不殺の精神で敵すらも赦した最強のヴァルキリー。レクイエムを奏でた、戦場の歌姫……」

「い、いやあ、エースって言われると照れるなぁ、なんて」


 と相槌を打ちながら冷や汗を掻く。とんでもない失態を演じている。これではパトロールに応援を頼むのも恥ずかしい。

 しかも、顔を真っ赤にするソラに追い打ちをかけるように、後ろの少女はぼそりと呟いた。


「実は、嘘っぱちだったんですか? あれ」

「違うよ! 本当に私は世界を救った英雄だよ!」

「でも、英雄さんは自分のこと英雄さんって言わないと思うのです」

「い、いや! 今のは言葉のあやでして! ああ、もうどうしよう――!」


 結局、ソラは恥を忍んで救援を要請することになり。

 対応オペレーターのコルネットに笑われ、現地に訪れた魔術解析官であるエデルカに呆れられる始末となった。無論、学校に遅刻したことは言うまでもない。




「たはぁ」


 机に突っ伏して、盛大なため息を吐く。メグミがそんな彼女を見て鼻で笑った。


「日頃の行いが悪いせいだ」

「そうかな? 私ほど素行のいい生徒はいないと思うよー?」

「どの口が言うの? それは」


 前の席に座っていたマリが話しかけてくる。斜め前のホノカも彼女に同調した。


「遅刻しまくってるし、成績もよくないよー? ソラちゃんはー」

「そ、そんなことないよ」


 目を泳がせて応える。今は忌々しきデスサンタはおらず、自習の時間なのでお喋りしても問題はない。

 なので、携帯が振動した瞬間、ちょこっと周囲を確認して後取り出して画面へ目を落とした。


『今日、放課後、あの場所で。クリスタル』

「もちろんだよ、っと。送信」


 女子高生らしい素早いタップでメールを送信し、笑みを作る。そのまま嬉しさを隠す様子もなく、この後のことをみんなに話し出そうとした。


「ねえねえ、聞いて? 今日、学校が終わったら――。あ、あれ? 何でみんな急に真面目に……」


 メグミ、ホノカ、マリだけでなく教室中の生徒がプリントに取り組んでいる。あれ……? と疑心したソラは咄嗟に教室中を見回して、安堵の息を吐く。

 担任の姿は見えない。たださっさとノルマを終わらせようとしているだけだろう。

 ソラはプリントを見つめたが、やっぱりお喋りしたい気持ちを抑えきれず、メグミに声を掛けた。


「聞いてよ、メグミ。この後クリスタルと……ねえ」


 しかし、メグミは反応しない。諦めて、マリの背中をつんつんと突く。


「マリ、マリ! ねえったら……」


 マリも無言。斜め前のホノカへ声掛け。


「ホノカ、ホノカ! もー何なの? 別にデスサンタがいるわけでもないし……」

「いますよ、ソラさん。ここに」


 ブワン、と。

 ノイズが奔るような音と共に担任は姿を現した。光学迷彩を使用した、フューチャーニンジャスタイルで。


「あ、あ……嘘」

「ソラさん? お説教の覚悟はできていますよね? あなたは恐れを知らない者とまで呼ばれる英雄ですから、もちろん逃げ出すこともなく私のお話を聞いてくれるでしょう」

「ひ、ひっ! ごめんなさい!!」


 こめかみに青筋を立てる女教師に恐怖し、ソラは椅子から立ち上がった。そして空いているドアまで駆け出し、見えない壁が存在していたことを身をもって知る。


「ぎゃふ! な、なにこれ……」

「魔術は素晴らしいものです。人と魔術師の調和は、私の目指すところでもあります。なので、私は科学も魔術も積極的に取り入れますよ? さぁ、じっくりお話をしましょう? 青木ソラさん」

「う、うう、うぅ!」


 教師の魔の手せっきょうからは逃れられない――。

 そう諦観したソラは、自習の時間をまるまる潰すほど長い説教を受けた。



 ※※※



 鼻歌混じりに、クリスタルは支度を進めていた。わざわざ手作りで料理をし、匂いにつられて調理場にやってきたきらりの手をがっしり掴む。


「うわ、ばれた!」

「ダメよ、きらり。つまみ食い禁止」

「ええーいいでしょ。おいしそうだし」


 きらりが羨望の眼差しを注ぐのは、卵焼きだ。一切の魔術を使わずに仕込んだクリスタル渾身のでき。それをむざむざつまみ食いさせるほど、クリスタルは迂闊ではない。


「ダメですよ、きらり」


 調理室に入ってきたレミュがきらりを窘める。二人の親友に諫められてきらりはしぶしぶ従ったが、


「レミュ、これちょっと味見してくれない?」


 クリスタルに促されるまま唐揚げを試食したレミュを見てきらりがあー! と大声を出す。


「ひどいよ、クリスタル! きらりちゃんはみんなの魔法少女なのにのけ者にして!」

「あなたは全部食べちゃうでしょう? それじゃ困るのよ。後で作ってあげるから」


 クリスタルがきらりを諭していると、レミュは親指を立てて満足げな表情を浮かべた。


「おいしいですよ、クリスタル。……ふふ、奇妙ですね」

「何が?」


 レミュは調理道具を見つめて言う。


「きっと、人間は魔術を使って料理を試すでしょう。オーロラドライブの技術を転用して量産した簡易魔術道具は人間にとって未知の道具です。反対に魔術師は今まで自由に使えなかった携帯やパソコンなどの科学機器を嗜んでいる」

「そう言われれば奇妙かも。ソラも多分面倒くさがって、魔術で料理を作ってもらってるんだろうな」

「だったら、このおいしい卵焼きを食べれば、きっと喜んでくれるよ!」

「……え? きらり!!」


 ふと目を離した瞬間に、きらりは卵焼きをひとかけら頬張っていた。そのまま逃走を図るが、つまみ食いをしに来たツウリと激突して床に転がる。レミュは二人を捕まえて叱責を始め、クリスタルは微妙な表情でその様子を眺めた。

 世界は変わった。まだ多くの魔術師は浮き島に住んでいるが、地上に移住を始める魔術師も多い。クリスタルもアレックの屋敷から出てソラと同じ学校に通うことも考えたが、少なくとも当面はこちらで過ごすことにしている。

 焦らずともいつでも会える。会おうと思えばすぐにでも会える。昔はとても遠かったが、今はとても近い。絆は以前よりも増して明確に繋がっている。なら、わざわざ近くに住まなくても問題はない。


「ふふ……」


 とは言え、やはり会えるとなると嬉しい。クリスタルは微笑しながら準備を進め、支度を整えると正座をして項垂れるきらりとツウリ、説教をするレミュの脇を通って調理室を後にした。

 廊下を歩いていると、外でリュースがハルフィスのお叱りを受けて顔をしかめているのが目に入った。カリカはいない。よりを戻したケランとどこかで遊んでいるのだろう。


「あら、クリスタル」

「アテナ」


 突然横のドアが開いて、アテナが現われた。何やら大荷物を抱えている。


「あなたも一応、マスターね」

「形式的にそうなっただけ。私かモルドレッドで散々揉めたけど……」


 そう苦笑するアテナはこれより魔術剣士の導師となり、伝統を守るべくアイスランドへ出発する。もちろん、彼女ともすぐ会える。だが、機会はめっきり減るかもしれないと考えて、クリスタルは別れを惜しみながら抱擁を交わした。


「寂しくなるわね」

「すぐに会えるわ。近いうちにソラにも手伝ってもらう予定。何かあれば知らせてね……これで」


 アテナはスマートフォンを取り出して、見せびらかせた。以前の彼女の発言を思い返し、クリスタルはにやりとする。


「浮き島内での使用は厳禁じゃなかったの?」

「いつの話よ、もう。それじゃ。ニケを待たせてるから」

「メローラさんとモルドレッドさんは?」

「どうやって彼女を男に戻すか悩んでるんじゃない?」


 ふふふ、と笑みを残してアテナ、もといマスターアテナは消えた。

 性転換したモルドレッドを男に戻そうとして上手くいかなかったことをクリスタルは聞いている。一度ドルイドの変身魔術で戻してみたはいいが、どうもしっくりこないらしく、モルドレッドは未だ少女の姿のままだ。

 魔術防衛局勤めのエデルカや死霊使いであり魔術にも長けるミュラが解析に取り組んでいるが、アーサーを出し抜くために拵えた術式は仕掛けたメローラを持ってしても解除が困難らしい。妹は途方に暮れていたが兄であるモルドレッドは女体もまんざらではないようで、しばらく女性ライフを楽しむと公言していた。


「これでこう、こう……こうやって、と。完成!」


 別の部屋からユーリットの声が響く。恐らく何らかの召喚魔術を行使する予定なのだろう。彼女はリーンやアレックの手解きを受けながら、かつてオドムに無理やり叩き込まれた召喚術の勉強を始めた。実際、彼女には召喚魔術の才能がある。実際に、大天使や四大精霊を召喚してみせたのだから。

 だが、謎の爆発音が部屋から聞こえたため、まだまだ練習は必要のようだ。ユーリットの妹を気遣う声と、ユリシアのへいき、という返答が響いてくる。

 すると、魔術を感知したであろうリーンが怒りを湛えて前方から疾走してきた。軽い挨拶を交わし、彼女はユーリットの部屋へ押し入る。


「わらわに無断で魔術を使うなと言ったじゃろう!」

「すみません……!」

「みんな怒られてるわね……」


 どこもかしこも説教だらけ。自分が巻き込まれないようそそくさと足を進め、屋敷を出る。箒を手に持って忘れ物がないか確認するといつもの空見スポットへ向かう。と、その前に声を掛けられた。聞き間違うことのない声だ。


「クリスタル」

「マスターアレック」


 アレックはどこかから帰還したところらしい。何かしらのトラブルを対処した後だ。

 魔術評議会という枷がなくなった今、彼は昔行っていたのと同じ人助けを始めた。クリスタルを救ったのと同じようにまた罪なき人間を救済する毎日を送っている。そして、事が済んだ後にやってきたケラフィスとブリトマートは、また活躍の場を失ったとため息を吐くのだ。


「出かけるのか?」

「はい。友達のところに」

「そうか」


 アレックは淡泊だ。それだけで会話を終えようとする。少しだけ拗ねて、クリスタルはエデルカについて彼に問いかけた。


「エデルカさんと、まだ疎遠ですか?」

「……彼女の考えることはよくわからん」


 アレックは難儀を示す。なぜエデルカが自分に腹を立てているか理解できていない。そして、エデルカ自身もなぜ自分の感情がそこまで暴走するのかわからないので、堂々巡りである。クリスタルは小さく笑みを落として、導師と別れた。

 すると、そこへまた声が掛かる。今度は風変わりな組み合わせだった。相賀とヘルヴァルドだ。


「よう、クリスタル」

「相賀大尉」


 クリスタルが名前を呼ぶと、相賀は苦笑いした。


「大尉はやめてくれ。もう軍人じゃない」

「そうでした」


 魔術防衛局に所属する彼はもう軍人ではない。が、科学と魔術の混成軍の創設を人類側と魔術師側が検討しているという噂は聞いているので、相賀率いる第七独立遊撃隊はそのまま移行する可能性がある。まだ、世界は動き始めたばかりだ。即席で創り上げられた魔術防衛局では対応できない事案も多い。


「用を済ませるぞ、相賀」


 ヘルヴァルドはクリスタルと話す相賀を促した。彼女も防衛局に在籍するエージェントだ。かつての敵を受け入れる懐の深さをヴァルハラ軍のメンバーを主力とする防衛局は兼ね備えている。それに、ヘルヴァルドの場合は他のマーナガルムと比べ事情が違った。


「ヘルヴァルドさん……いえ、マスターヘルヴォール」

「私はまだ認めていない」


 海賊として名を馳せた英雄ヘルヴァルドの本名はヘルヴォール。オーディンにすら知恵比べで勝ったという優れた知性を持つ女性だ。神話上のヘルヴォールは、ヘルヴァルドとしての偽装を止めた後、故郷に戻り二児の母親となっている。しかし、彼女はあまり幸福な人生だったとは言えない。

 テュルフィングを相続した二人の子どもは剣の呪いに抗えず殺し合うことになる。彼女自身が不幸に見舞われたわけではなかったが、自らの子どもが狂戦士と成り果てる姿は見るに堪えないものだっただろう。例え、気丈に振る舞っていたとしても。

 しかし、ヘルヴォールを再現しただけの彼女はそうはならない。実力を認められ、ヘルヴォールはマスターとして魔導師になることが許された。彼女自身は乗り気ではないようだが、優秀な魔術師は第三次世界大戦でほとんど死亡している。評議会は六つも空席となり、一定の実力と叡智を兼ね備えるならば来る手を拒まずという状況だ。

 何せ、ソラを導師にするべきではないか、と血迷う者が現われたほどである。反対意見多数ですぐに却下されたが。


「あなたは師としても優れてます。ですから、すぐに弟子もできますよ」

「そういうのは得意ではない」

「そう言うなよ。戦後のゴタゴタが落ち着いたら、お前は浮き島に戻っていい」

「そういうわけにはいかない。まだ、火種はくすぶっている。確実に鎮火した後に、考えよう」


 ヘルヴォールが検討する姿勢をみせたので、クリスタルは会釈して別れを告げた。

 箒と弁当を両手に森の中を進む。マーナガルムに要塞――正式名称はアヴァロン――に変更された浮き島は、かつての姿を取り戻し、修繕されている。懐かしい道を歩いて、八年もの間、ずっと空を見続けた場所へ行く。

 と、そこに先客がいた。驚くべきことにミシュエルだ。ナイーブな表情をし、昔のクリスタルと同じく空見を行っていた彼女は、咄嗟に隠した手作り弁当を見逃さなかった。


「ソラちゃんのとこ、行くの」

「い、いや、ちょっと出かけるだけよ」


 面倒事に巻き込まれる予感がしたので、嘘を吐く。しかし、彼女はあっさり見破って、自分もついていくと駄々をこね始めた。


「ソラちゃんともう一か月も会えてない! 行く! 私も行く!」

「ちょ、ちょっと、ミシュエル……!」


 困り果てたクリスタルは、草木を掻きわけてやってきた二つの影を隠れ蓑に利用することにした。ジャンヌとナポレオンである。彼女たちも箒を携えていた。


「何の騒ぎ? これから聖地巡礼に行くのに」

「とりあえずまずはドンレミ村だ! 次にパリを巡って、オルレアンやエジプトなど、ジャンヌとナポレオンの足跡を辿る大冒険だぞ? 来るか?」

「そんなことはどうでも……あ! クリスタル! どこ!」


 ミシュエルがクリスタルを見失い、悔しそうに地団駄を踏む。その間にこっそり場を離れたクリスタルはいよいよ浮き島から出立するべく箒に飛び乗る。が、そこへまた声を掛けられて、心底嫌そうな表情を浮かべた。


「うわー、露骨に嫌がらないでよ。あたしよ」

「メローラ、さん」


 メローラが近づいて来ていた。腰にはエクスカリバーが差してある。父親の武器を娘が使って何が悪い理論で無理やり聖剣を最適化させた彼女は、キャメロット城の主である。


「モルドレッドさんを元に戻すため頑張っていたんじゃ?」

「あのバカ兄貴はどこかに行っちゃった。きっと放浪の旅じゃない?」

「……いいの?」

「知らない。別にあたしは兄が兄であろうが姉であろうがどちらでもいいし。まだ女の方がいつの間にか親戚が増えてたって展開にならなくていいわ。去勢する手間が省けたし」

「…………」

「嫌悪感丸出しの顔、止めてくれない。傷付いちゃうなぁ」


 メローラは快活に笑う。そんなことを言われても下ネタは苦手なのだからしょうがない。


「デートね。ソラと」

「そんなところ。そろそろ行かないと間に合わなくなっちゃうんだけど」

「わかった、ごめんごめん。そうそう、ミュラがソラによろしくって言ってた。そろそろこっちに遊びに来るように誘ってみたら? ミシュエルは前線に夫を送り出した妻みたいになってるし、ミュラも不本意な研究を強いられてイライラしてる」

「わかった。誘ってみる」


 クリスタルは今度こそ、箒を浮遊させる。そして、青空の中へ飛び込んで行った。

 自由に空を飛んで、友達の元へと向かっていく。もう阻む障害は、何一つない。



 ※※※



 ソラは空の中を自由飛行しながら約束の場所へと向かっていた。全速力で。教師の説教から解放されたのが、今から一時間前。放課後の約束に間に合わせるべく向かおうとしたのだが、校門にヤイトを探しに来たハルがおり、彼女を防衛局まで送り届ける羽目になってしまったのだ。

 面倒に巻き込まれることを避けたホノカ、マリは一目散にそれぞれの家へと帰ってしまった。メグミに関しては頭が沸騰してしまっていたので割愛する。

 学校に通い始めてからというもの、ハルはヤイトに会いに来る回数が増えた。いいことだとは思うのだが、ヤイトはそろそろ仕事に行く前にハルを迎えに行った方がいいと思う。そうそれとなく伝えるのだが、コミュニケーションに難がある二人はなかなか上手く意思疎通ができない。

 頼れるお姉さんを自称する世話焼きソラは結局、約束の時間に遅刻してしまった。


「学校はともかく、クリスタルとの約束に遅刻しちゃうだなんて!」


 教師が聞いたら大目玉を食らいそうな発言をして、ソラは街へ降りていく。幼い頃、家族と住んでいた高見市へと。そこに住む住民たちはもうソラを拒絶することもない。偏見が完全に消えたわけではないが、魔術師というだけで邪険にする人は大幅に減少した。

 真実が世間に知れ渡ったからだ。二人の男の陰謀通りに行動する人間はもうほとんど残っていない。

 綺麗な海を目の当たりにして、感嘆する。今度からはクリスタルと海で遊んでも咎められないのだ。多くのことが、できるようになる。今までやりたかったことが全部全部、できるようになる。

 やりたかったこと、やれなかったこと。それらをやって、青春を謳歌するのだ。

 ブリュンヒルデの変身を解き、ソラは上機嫌で約束の地で足を進める。色んなことを始める前に、まず最初に履行しなければならない約束を果たすために。

 木々を抜けて、そこへ出る。満面の花畑。その真ん中に、クリスタルは立っていた。


「ソラ、遅い!」

「ごめーん」


 クリスタルは少し怒っていた。ずっと待ち望んでいた時を焦らされたからだろう。

 しかし、待ち焦がれていた想いはソラも変わらない。横に並んで、いっしょに同じ景色を見る。

 様々な花が咲き乱れる花畑。二人の少女がその真ん中に佇んでいる。

 一人は笑顔。もう一人は嬉しそうな顔を浮かべていた。


「ようやく、帰って来れた」

「二人いっしょにね」


 ソラはクリスタルを、クリスタルはソラを見つめる。

 八年もの歳月を掛けて、ようやく約束は果たされた。二人は空で繋がっていたが、距離は遠かった。

 だが、今ではこうして傍にいる。隣に立って、表情が窺える。相手が何を考えているかすぐにわかる。


「私の言った通りになったでしょ?」


 クリスタルはそう言って微笑し――。


「うん!」


 ソラもお守りのペンダントを取り出して、肯定した。

 これで、はりせんぼんを呑まなくて済む。結局のところ、ハリセンボンなのか、はりせんぼんなのかわからずじまいに終わったが、それでいいかな、とソラは思考を終えようとした。

 が、急に手渡された箱に、ええ? と慄く。


「作ってきたの」

「え……はりせんぼんを?」


 無数の針が箱の中にひしめきあっている地獄絵図と、びちびちと顔を膨らませたハリセンボンが蠢く混沌ビジョンがソラの脳裏に浮かぶ。


「……何言ってるの?」


 戸惑うソラをクリスタルは疑問視し、封を解いてパカ、と箱を開く。恐る恐る中身を確認したソラは、それがおいしそうな弁当だと知り、顔を綻ばせた。


「うわー! おいしそう!」

「ちょっと変な時間だけど、学校で疲れたかな、と思って」


 少し照れるクリスタルから差し出された弁当を受け取って、卵焼きを一口。

 歓喜の声を漏らして、極上の笑みを漏らす。つられて、クリスタルもはにかんだ。


「おいしい! おいしいよ、クリスタル!」

「ふふ、良かった。……いくつかお花を見繕ろうか? ソラの両親に挨拶したいし」

「こきょのおばなきでいだから、ぎっどどどこぶど」

「食べてくれるのは嬉しいんだけど、呑み込んでから喋ってね」


 ソラが弁当にがっつく横で、クリスタルは花を摘んでお見舞い用の花束を作る。ふと思い出したように口を開いて、今度はきちんと呑み込んでからソラは答えた。


「あ、そうそう。そろそろこっちにも遊びに来ないかってメローラさんが」

「いいね。私もたまにはそっち行きたい。前はゆっくり見れなかったし」


 魔術師にとって浮き島はありきたりで見栄えのない場所だが、人間にとっては未知の世界だ。観光用のツアーが企画されるほどの観光地になりつつあり、浮き島側がわざわざ移動してツアー客を迎えに行くほどである。

 以前ソラが訪れた時は、回収作業中だった。クリスタルオススメの空見スポットも、行ってみたいと前々から考えていた。


「ふー、ごちそうさま」


 ソラは箸をおいて、箱を閉じる。花を集め終えたクリスタルが弁当箱を回収し、苦い笑みをみせた。


「おそまつさま。……もう食べたの?」

「おいしかったよ、クリスタル!」

「それは良かったんだけど……太らない?」

「私は太らない対質なんだよ? それにもし太っても魔術でちょちょいと」

「ダメ人間の兆候だわ」


 クリスタルは嘆息する。そんなことないよ、とソラ。


「せっかくだから、今度料理作ってみようかな? あ、でも私、大した料理できないや……。ああでも!」

「魔術で作っちゃえばいいんだ! はなし。それに、ノアはそういうとこきちんとしてるから、怠惰な人間が楽をするためだけにオートクッキングしまくってると味がどんどんまずくなるらしいわよ」

「ええっ、それって欠陥品……」

「魔術にはメリットとデメリットがある。料理だってきちんと調理過程をイメージできないとおいしくならないわ。……私が教えてあげるから」

「本当!? ありがとう!!」


 ソラはクリスタルに抱き着いて感激を露わにする。クリスタルは困ったような嬉しいような笑みを浮かべて、姉のようにソラの頭を撫でる。八年経っても、根本は……原初の関係は変わらない。

 だが、変わるものもある。端末が鳴って、ソラは通信に出た。ノアからの通信、緊急通信だ。


『ミスソラ、今、大丈夫ですか?』

「うん。何かあったの?」


 ノアは事務的な口調で詳細を報告する。彼女も魔術防衛局勤めだ。


『誘拐事件です。粗暴な魔術師と犯罪のプロがタッグを組んで、少女を拉致。身代金を要求しています。本来、身代金誘拐は成功率が限りなくゼロに近い犯罪ですが、魔術師と犯罪のエキスパートが手を組めばどうにかなると誤解したのでしょう。……取り締まる側も魔術で強化されていることを忘れているようです』

「現場は?」

『コルネットが座標を転送してくれたはずです。ヴァルキリーの実力を民衆に示すちょうどいい機会です。今回の一件で犯人が完膚無きまでに打ちのめされれば、犯罪発生確率も減少するでしょう。もちろん、犯人は――』

「生け捕り、だね。すぐに向かうよ。……ごめんね、クリスタル。任務が――」


 通信を終えて、申し訳なさそうな顔を浮かべる。しかし、クリスタルはソラの肩に手を置いて首を横に振った。


「謝る必要はないわ。それに、私を置いてくわけじゃないでしょ?」

「……うん、そうだね」


 花畑にオーロラが吹き荒れる。青白の鎧を身に纏うブリュンヒルデと銀の煌めきを振りまくレギンレイヴ。


「何してんだ、二人とも! 早く行くぞ!」

「おーいー。ソラちゃーん。クリスタルちゃーん」

「早くしなさい。せっかく私が優勢だったのに」


 上空には赤い装甲を持つカーラ、黄色い彩のエイル、紫の輝きを放つフリョーズが浮かんでいる。どうやらメグミとマリはゲームか何かで勝負をしていたらしく、誘拐犯捕縛競争で決着をつけるつもりのようだった。ホノカだけがにこにこして、ソラとクリスタルに手を振っている。

 ソラとクリスタルは顔を見合わせ、手を握り青空を見上げた。


「行こうか、ソラ」

「うん、行こう! クリスタル!」


 しっかりを手を繋ぎ、二人は飛翔する。五体のヴァルキリーは空を駆け風を切り、世界を鎮めていく。

 世界には未だ、災いの種が眠っている。いつかヴィンセントのように、悪意に囚われた人間が現われて世界を破滅へ導こうとするかもしれない。だが、もう人々は絶望することはない。希望の種は埋まっている。絶望が世界を覆っても、世界に植えられた希望の種が芽吹く。

 世界を救った、空を舞う戦乙女のように。鎮魂歌が鳴り響き、憎悪の暴風を極光で鎮めるのだ。

 天翔ける少女たちの物語を人々は後年、こう語り継いだ。

 ――戦乙女ヴァルキリー鎮魂歌レクイエム、と。

本編はこれにて完結です。いかがだったでしょうか。

登場人物が多くしっちゃかめっちゃかになった感じはありますが、一応まとまってはいると思います。

後日談を予定しているので、設定資料集を十章分入れた後に書いて行きます。少し時間がかかるかもしれませんが。

読んで下さった方、ありがとうございました

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