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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第十章 鎮魂
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想いを貫いて

 荒野に不時着したペガサスⅡは大破し、航行不能だった。相賀は血塗れの顔を手で拭い、ぼやける視界を鮮明に戻す。


「ヘルヴァルド……」


 仇敵の名を呟いて、固定ベルトを外す。拳銃を片手に落ちるようにしてコックピットから脱出し、前方のライトアームを確認。そこに仇がいないことを見て取った瞬間、呻き声が聞こえた。

 険しい表情で、声の元まで歩む。左腕が強烈な痛みを発しているが、そこまで気にならなかった。関心はヘルヴァルドと自身の仕事に向けられている。

 しばらく先に進むと、機体が轟音を立てて爆発した。相賀は一瞥しただけで、気にも留めずに足を運ぶ。

 そうして、ようやく辿り着いた。――ずっと待ち焦がれていた瞬間へと。


「相賀……」

「ヘルヴァルド」


 はっきりと敵の名を口に出す。血を吐き倒れる姿を見下ろしながら。

 防護窓が破壊され、武装の各種も破損したものの、パイロットの保護管理システムは生きていた。ゆえに、相賀も重傷を負っているがこうして無事に動くことができている。しかし、ヘルヴァルドの方はそうはいかない。

 元々、ヘルヴァルドは火力に魔力を集中させている。攻撃こそが最大の防御。そういう戦闘方法だった。ゆえに、捨て身に近しい特攻を行えば、ヘルヴァルドはどうしようもない。

 それに、戦闘機で近接戦闘を挑むという奇策は見事に功を奏した。


「殺せ、相賀。仇を取れ」


 奇妙な感覚が、また相賀の身体中を駆け抜ける。仇が復讐を望んでいた。復讐の動機である天音がそれを望んでいないと知りながら。

 相賀は無言でピストルのセーフティを解除する。スライドを引いて、薬室に弾丸を送り込む。


「不思議だ。俺が復讐を望んでいるのか、お前が復讐を望んでいるのかよくわからん」


 一心同体。運命共同体。相賀が戦うからヘルヴァルドは戦った。

 相賀が望むから、ヘルヴァルドは死を選ぶ。過去の自分をよく知っているのは天音だが、現在の自分を一番理解しているのはヘルヴァルドだ。

 自分もまた、ヘルヴァルドを認知している。戦いは多くのことを語る。

 ある種、これは復讐ではなく、自殺なのではないかと思えてきた。そも、復讐とは自傷行為である。当然のことなのかもしれない。復讐を成すことで、相賀祥次という男は死ぬのだ。

 相賀が感傷に浸っていると、遠方で眩い光が迸った。


「世界の崩壊か」


 ソラとクリスタルはまだヴィンセントを止められていないのだろう。そのため、破滅装置カタストロフィプログラムは記述された通りの役目を果たしている。

 大地は抉れ、海水は蒸発する。大気は汚染され、マグマが噴出。間もなく、世界は破滅するはずだ。


「……気にしてる、暇はあるまい」


 ヘルヴァルドは相賀を諭す。血濡れた指で、自分の頭を小突いた。

 ――ここに撃ち込め。そう促している。早く、自分のすべきことを行えと。


「ああ……そうだな」


 相賀は拳銃をヘルヴァルドの眉間に向ける。天音との記憶が走馬灯のように駆け巡った。

 乾いた銃声が、荒れ果てた大地にこだまする。



 ※※※



 必殺の槍を振るい、ソラは復讐心で動く屍と近接戦を挑んでいた。杖と槍を重ね、互いの技量を示し合う。

 期間が数か月とはいえ、人類防衛軍として戦ってきた日々と魔術剣士の修行はソラの心技体全てを最高の状態へと仕上げている。だが、それでもヴィンセントの戦闘力はソラのものを凌いでいた。


「発動せよ。必殺の槍を。私を殺せ!」

「くぅ、やッ!」


 槍でヴィンセントの杖を押し返す。グングニールはあくまでヴィンセントを無力化させるための格闘武器として使用するつもりだった。深淵の中では、オーロラフィールドの非殺傷概念は意味を成さないようだが、元々ブリュンヒルデの武装はグングニール以外全て非殺傷武器である。

 殺せば楽かもしれない。しかしそれでは……。


「結局貴様も同じだな。死者たちと」


 ヴィンセントは左手に漆黒の剣を創生し、振るってきた。ソラはグングニールの柄を使い、杖と剣による交互の斬打を防御する。

 生半可な剣では、グングニールのソードブレイクに抗えず破壊されてしまうはずだが、ヴィンセントは破損個所を即座に修復させることで対応した。無限の再生力を持つ剣を折ることはできず、ソラは氷の剣を創生して対処する。

 剣と剣の刃先をぶつけ、漆黒の剣を凍結させる。そこへ槍の先端をぶつけた。氷と共に剣が砕け散る。


「甘い、攻撃だ」

「うッ……!」


 ヴィンセントは左拳でソラの右頬をぶった。よろめいたソラに追撃しようとするが、


「私のこと、忘れてない?」

「いいや。しっかりと覚えているとも」


 クリスタルによる銃撃を躱して、距離を取る。

 クリスタルはソラの隣に駆け寄り、チャージライフルを構えた。


「二人で一気に片付けましょう」

「うん。でも……」


 ヴィンセントは方針を相談する二人を眺めるだけで、攻撃しない。笑みを浮かべる余裕がある。

 彼の背後では、原初の本が妖しげな光を発していた。ヴィンセントの言葉通り、破滅装置は起動している。

 一刻も早く上書きしなければ世界が危うい。それはわかっている。わかっているのだが。


「ヴィンセントさんをどうやって救えば……」

「とにかく、大人しくさせるしかないでしょう。ソラ」


 クリスタルはソラの意見を否定せず、肯定した。最後までソラの我儘に付き合うつもりでいる。

 世界が滅亡の危機に瀕しているというのに、彼女はソラに微笑みかけた。励ますように、言葉をささやく。


「私たちが負けるようなら、きっと世界はもうどうしようもなかったのよ。だから、今はやれることを全力でやるだけ。自分の想いに正直にね」

「そうだね……!」

「作戦は決まったか?」


 ヴィンセントが問う。杖を構えながら。ソラとクリスタルは頷いて、無策にも思える突撃を始めた。二人で足並みを合わせて、ヴィンセント目掛けて駆ける。

 特に言葉は交わさない。言葉がなくても、相手が何を考えているかわかる。

 ヴィンセントが迎撃行動に移ると同時に、ソラはクリスタルの前へ出た。グングニールを使って魔力の砲弾を斬り伏せる。そして、タイミングを計ると同時に横へ避けた。


「ほう?」


 感心の声と連動して、ソラの後ろで魔力のチャージをしていたクリスタルがライフルを穿つ。ヴィンセントは難なく防ぐが、その防御をしている最中に、ソラによる刺突を受けた。さらなる連撃として、クリスタルはレーザードローンの火力をヴィンセントに集中。下手をすれば誤射が有り得るという混戦状態の中で、ソラは一切の回避行動をとらない。クリスタルなら大丈夫だと信頼している。

 ヴィンセントはレーザーを避けつつ、ソラの槍を防がなければならなかった。そこへ即座にクリスタルが割って入る。パルスマシンピストルとレーザーピストルの二丁拳銃。脚部に搭載された小型ミサイルの発射も忘れない。

 ヴィンセントは射撃能力に優れたレギンレイヴと近接型のブリュンヒルデによる射斬へ対処しなければならなかった。

 流石の大魔術師とは言え、全ての攻撃を防御回避はできない。レーザーがローブを射抜き、槍が右腕を浅く裂く。しかし、怖じることもなければ、表情を変えたりもしない。


「何で、そんなに余裕なんですか!」


 槍の刃先を眼前に突きつけたソラが問う。ヴィンセントは嘲笑うように黙していた。

 クリスタルも油断なく銃を突きつけながら、ハッとして台座を見やる。


「まさか、訂正のしようがない?」

「その通りだとも。ただ一言破滅と記すだけならば、以前訪れた時に滅ぼしていた!」


 ヴィンセントは杖から衝撃波を放って、ソラを吹き飛ばした。空中で態勢を立て直し、再び本へと視線を送る。

 ヴィンセントは常に二手三手先を読んで行動していた。例え一つの計画がとん挫しても、そこから新たな計画へと派生する。失敗を組み込んで、失敗しても成功しても思い通りになるように計画を密にし実行してきた。

 つまりもうソラたちにとって詰みなのだ。ヴィンセントはソラが自分を殺すことも予期していたはずだ。自分が死んでも問題ないように、事を進め、終えた。破滅カタストロフィは完成したのだ。世界の終着点は定められ、今は愚かにも希望はあると信じるソラとクリスタル相手に戯れるだけ。

 メローラの言葉が脳裏を駆ける。――原初の本に記されたら対処方法はない。


「そんな!」

「ソラ!」


 ソラはヴィンセントに背を向けて、本の前へと辿りつく。ヴィンセントは妨害しない。その静観が全てを物語っていた。台座に置かれる羽ペンを取って、破滅の阻止を試みる。だが、上手く動作しない。破滅が絶対事項であり、希望は絶たれているとその本には記載されている。


「貸して!」


 クリスタルがソラの隣に着地し、ペンを本へと奔らせる。白紙のページにクリスタルは希望を紡ぐが、圧倒的絶望が、その希望を打ち砕く。


「本来は希望の本でしょ! 何とかしてみせろッ!」


 クリスタルはひたすらに書き綴る。だが、徹底して破滅するように計算された物語には、即席の希望の物語では対抗できない。世界は破滅し、希望を一滴たりとも残さない。その執念……怨念が本には刻まれていた。

 これほどまでに深い憎悪をソラは見たことがない。クリスタルも知り得なかった。


「絶望が私にとっての希望だ。何もおかしくはあるまい。――この孔を潜る者は、一切の望みを捨てよ」

「ダンテの神曲……?」


 苦心に文字を連なっていたクリスタルが、反応して面を上げる。


「ここは天国の門ではない。地獄の門なのだ」


 ヴィンセントは軽傷を負いながらも気品を感じさせる足取りで本へ近づき、魔術を使ってクリスタルを引き寄せた。

 慄く彼女を深淵の床に投げ出すと、フェンリルを拘束するほどの力を持つグレイプニルを用いてクリスタルを捕縛。愉しそうにソラを見つめる。


「青木ソラ。クリスタル。貴様たちは私の計画を散々邪魔立てしてきた。だが、何よりも怒りを感じるのは――私を救おうとするその驕りだ」

「何を!」


 瞠目するソラの前で、ヴィンセントはクリスタルに杖を突きつける。クリスタルは脱出しようとレーザードローンを操作したが、光線を放つ前に全て魔弾によって撃破されてしまった。

 ヴィンセントはソラだけを見据えて、話す。愉悦と憤怒を織り交ぜながら。


「貴様は私を憎み、恨み、蔑むべきだ。なのに、憐みをし、同情をする。救済しようと努力までした。これほどの屈辱を受けたのは人生で三度目だ。アレック、セレネ、そして貴様だ!」

「あああッ!」

「クリスタル! 止めてください!」


 クリスタルが苦悶する。グレイプニルが彼女の身体を強く縛り付けたのだ。ヴィンセントはソラの願いを聞かずに、さらなる苦痛をクリスタルに与えた。痛覚を刺激され、悲鳴を上げるクリスタル。ヴィンセントは笑みをみせて、ソラが手に持つ銀の槍を指し示した。


「方法はあるだろう。その手の中に」

「……ッ」

「なぜ息を呑む? 躊躇う? 殺せ。私を、殺せ! そうして貴様は知るのだ。救済など、結局は幻想でしかないことを! さぁ、自分の信念を曲げ、私を殺すがいい! 早くしろ! 貴様は最後に、自分の理想を己の手で殺すのだッ!」

「ダメです、私は――」

「躊躇うならば、貴様の親友をここで殺す!」


 クリスタルの苦声がまた一際大きくなった。


「もはや世界の破滅は止められん! 躊躇うな! 快楽に身を堕とせ! 平和の祈りを、殺人を忌避する自分の魂を穢すのだ!」

「ソラ……! やくそく……!」


 クリスタルは苦しみながらも、屈強な意志で言葉を吐き出した。ソラは胸元のペンダントを左手で取り出す。

 約束――クリスタルとの約束。絶対にまた逢えるように、指切りしましょう。

 もし破ったら、はりせんぼんを呑まされる。魚のはりせんぼんなのか、針が千本あるのかよくわからないけれど――。


「約束は破っちゃいけないってことは、わかる」


 ソラは必死に頭を回す。どうやって約束を守る? どうやって世界を救う? みんなが幸せになるハッピーエンドへの方法は? 希望に満ち溢れた物語の結末へは、どう向かえばいい?

 しばしの逡巡の後、ソラは閃いた。躊躇うことなく、槍を構える。

 目標を確実に破壊し、主のところへ必ず戻ってくる必中必殺の槍。グングニールを槍投げのフォームで握りしめる。


「やれ! 殺せ! 自らの想いを否定しろ!」

「それでも、私は!」


 ソラは標的に狙いをつける。ヴィンセントでも、クリスタルを拘束するグレイプニルでもない。

 世界を破滅させようと動作する、希望の書であり絶望の書、原初の本へ。


「世界を救って、ヴィンセントさんも殺さない――ッ!!」


 槍が放たれる。投槍は一切狙いを逸らすことなく本へと吸い込まれ、その概念を発揮した。グングニールは目標が何であれ、命中すれば破壊する。そこには如何なる例外も存在しない。例え、世界の根幹を成す書物だとしても。

 本は眩い閃火に包まれて、跡形もなく消滅した。

 同時に、破滅装置としての機能も喪い、世界の破滅が停止する。インストールされたプログラムも、端末が存在しなければ意味を成さない。ヴィンセントの目論見を、ソラは貫き破った。


「やった……の?」


 ソラは惑いながら、台座があった場所を観察する。だが、本当に自身の思惑が成功したと悟ったのは、自分の推測ではなく黒幕の怒号からだった。


「何をした、貴様……。自分が何をしたか、わかっているのか!」

「世界を、救いました!」


 戻ってきたグングニールを掴み取って、ソラは言い返す。

 ヴィンセントは冷静さを喪失し、ソラに憎悪の視線を注ぐ。


「貴様は原初の本を壊したのだ! 世界の改編装置を! さぞかしいい気分だろうな、私の野望を打ち破って! しかし、貴様は勘違いしている。この本の存在は、人々の希望だった! 貴様は絶望と同時に希望すらも貫いたのだ!」

「それで、いいんです! この本は人の手に渡っちゃいけないものだから!」


 ヴィンセントが魔術を杖に乗せて、ソラへ接近。殴打を放つが、ソラはグングニールで受け止める。


「貴様はそう思うだろう! 貴様の仲間たちもな! だが、世界中の人間は違う! 貴様を恨むぞ! 断言してもいい! 貴様は世界を救った代償として、世界中の人々に恨まれるのだ!」

「構いません!」


 ソラの即答に、さしものヴィンセントもたじろいだ。杖が槍に押される。


「私は、例え世界に恨まれても、世界を救うって決めたんです! おおおッ!」


 レクイエムフォームの出力を増強。ソラは加速して、ヴィンセントを押し返す。ヴィンセントは周囲に複数の魔力の塊を放出し、そこから大量の魔光を穿った。鋭い漆黒の刃がソラの、ブリュンヒルデの装甲を貫いていく。


「ソラ!」

「理解してもらえないかもしれない! 時間が掛かるかもしれない! 私は世界の悪者として、みんなに憎まれるかもしれない! でも、それでも私は世界が好きなんです! 人間が、魔術師が大好きなんだッ! だから、私は、あなたすらも救ってみせる――!!」

「貴様ッ!! 貴様……!!」


 深淵の中を猛スピードで突っ切り、黒い床へとヴィンセント共々転がった。

 呼吸をあえぐように吸う。身体中が痛み、心もボロボロだ。それでも理想を貫く。心に灯る信念の輝きはまだ消え失せていない。絶望はとうに、希望で上書きした。

 立ち上がって、憤るヴィンセントと睨む。彼は杖を捨てた。ソラも槍を捨てて、拳を握る。


「たかだが十六年生きた程度の少女が、私の数百年にも及ぶ怨嗟を鎮めるだと!? ふざけるなッ!」

「ふざけてなんかいません!」


 ヴィンセントの拳がソラの顔にめり込むが、すぐにソラは殴り返した。互いに肉体も魔力も摩耗して、信じる理想だけで動いている。

 攻撃しかできず、防御も回避も不可能。殴って、殴られて、殴り返す。


「なぜ赦さなければならない? 奴らはミレインを殺した!」

「あなたの! 恋人を、殺した人は! 罰せられるべきです! でもッ、現代に生きる人たちは関係ない! 復讐心を鎮めなければならないんです! これ以上、悲劇を繰り返してはいけないッ!」

「世界そのものが罪なのだ! 人間という存在が諸悪の根源だ! 全て焼却し、殲滅し、破滅させなければいけないのだッ!」

「そんなことはない! そんな必要はないんです! 過去は現代に、そして未来に繋がっていく! 過去に過ちを犯したのなら、現代でその失敗を生かして努力し、未来に向かって進んでいく! それが世界です! あなたは過去で止まったままだ! 現代にも、未来にも目を向けていない!」

「それの何が悪い!」


 ヴィンセントが再びソラの顔に拳を当てた。即座にソラもカウンターを返す。


「何も悪くありません! でも、止まっていてはいけない!」


 ソラは続けざまに拳を放つ。一打、二打、三打。打撃と言葉をヴィンセントにぶつける。


「全体を見るべきなんです! 上ばかり見ていても転んでしまう! 横ばかり見てたら進歩しない! 下ばかり見てたら止まってしまう! だから! 私は、何度でも!」


 ソラは精一杯の力を右拳に込めて、踏み込んだ。


「例えあなたに恨まれても! あなたを救います!!」


 強烈な一撃をヴィンセントに浴びせ、肩で息をする。

 ヴィンセントは倒れたが、ソラも立っていられず座り込んだ。引き分け。勝利でも、敗北でもない、ソラが望む最良のカタチ。

 だが、ヴィンセントはまだ認めていなかった。ゆっくりと立ち上がり、落ちていた杖を掴む。

 ソラも態勢を取ろうとしたが、鋭い痛みが雷撃のように体の中を駆け巡って止まった。


「ぐ……ッ!!」

「身体外傷もさることながら、ヴァルキリーシステムの適合率上昇によって引き起こされた魂の暴風に精神が耐えられまい。貴様はフレイヤに謀られたのだ。ヴァルキリーシステムは、死者の魂をひとりの少女へと注ぎ込み、歴戦の勇者エインヘルヤルへと昇華させるシステム。世界を救った貴様は、もう用済みとなって処分される!」

「……あ、あ」


 身体と心が悲鳴を上げて、ソラは動けなかった。死者たちがこぞってソラの身体を掌握しようとする。ソラという器を媒介にして、自らの生を受けようと試みている。死者に身体が奪われる。蝕まれる。


「ソラ!!」

「く、ヴィンセント、さん……!」

「貴様如きに、私の魂は鎮められん! 私の魂を鎮められるのは、ミレインだけだ!」


 ヴィンセントはソラに向かって魔術を行使する。聞こえるのはクリスタルの叫びと、ソラを侵食しようと画策する死者たちの声だけ。抗えない――。

 ゆえに、ソラは。

 血が迸るその瞬間を、黙って見守るしかできなかった。


「――貴様……」

「ようやく、追い付いた」


 ヴィンセントの腹から剣が突き出ていた。黄金色の剣が。

 剣の持ち主であるフレイヤは、深々とヴィンセントの身体を抉りながら彼に話しかける。悲哀に満ちた声で。


「私の使命はこれで果たされた。お前は身内の恥だ。ここで死ぬのにふさわしい」

「ミスルト……! 貴様も、貴様だ。妹が殺されたというのに、復讐を成さないとは。この、愚か者め……!」


 ヴィンセントはフレイヤを糾弾し、フレイヤは沈痛な面持ちのまま首肯する。


「そうだとも。私は愚か者だ。お前と同じくな」

「違い、ますよ……」


 ソラは心に浮かんだ言葉を赴くままに口にした。フレイヤもヴィンセントもすぐに否定しようと口を開くが、ソラは構わず言葉を続ける。

 違う。違かった。それは二人が愚か者であることを否定するために放たれた言葉ではない。


「違います。ヴィンセントさん。違うんです」

「何を、言っている……?」

「フレイヤさんはミレインさんなんですよ。彼女は、殺されてなかったんです」


 ソラもはっきりと確信していたわけではなかった。何となく、違和感を感じていただけだ。

 だが、証人が直接脳裏に訴えていた。ソラを奪おうとする魂たちを押しのけて、ミスルトが妹の救済を望んでいる。

 だから、ソラは苦心ながらも真実を告げることができた。あまりに苦すぎる、真相を。


「何だと……?」


 ヴィンセントが吐血しながら、疑惑の眼差しをフレイヤに向ける。フレイヤは俯いたまま何も言わない。


「ミスルトさんは、変身魔術を利用して、魔女狩りの騎士に追われるミレインさんに偽装したんです。逃げられたのにわざと捕まって、妹の代わりに処刑された。そうすることで、妹に危害を加える恐れを潰したんでしょう。あなたと、妹が幸せに暮らせればそれでいい。そう思っての、入れ替わりだったんです」

「有り得ない! そんなはずは、ない……!」

「思い当たる節があるはずです。ミレインさんも、そうでしょう? あなたも、ヴィンセントさんに真実を打ち明けたはず。でも、ヴィンセントさんは信じてくれなかった。復讐心に囚われていたから。真の姿を晒したあなたを、自分に同情して妹の姿に化けた姉だと誤解して、まともに取り合わなかった」


 もしヴィンセントが復讐に目を曇らせてなければ、気付いたかもしれない。復讐は人を狂わせる。

 ヴィンセントは偽りの復讐心を利用して、世界中に戦火を拡大させた。だが、他ならぬ彼自身が偽りの復讐心で動いていたのだ。


「バカな……」

「あなたは本当にバカです。ヴィンセント」


 フレイヤの口調がミレインのものとなり、彼女は背中から彼に抱き着いた。遅すぎた、儚すぎた対面だった。違う道があったのではないかと、ソラは思わざるを得ない。


「私はずっと、あなたの目を覚まそうと邁進してきました。ですが、あなたの心は壊れていた。もう修復不可能だと悟った時、あなたの殺害を決意したのです。長い時間が掛かりました。多くの血が流れてしまった。私も、あなたも咎人です。生きる資格のない、愚か者」

「愚か者じゃ、ありません。確かに悲劇が起きました。でも、救われるべき、人間……ぐッ!」


 頭に差すような痛みが入り、深淵の床に手を突いた。フレイヤはソラへと手を伸ばし、ヴィンセントの背中越しに頭を撫でた。


「あなたは優しい子。世界を救い、私たちまでも救ってくれた。敵すらも赦し、救済した。あなたの師も言っていたはずです。一度救った魂は救えない。もう、十分ですよ。ゆっくり休みなさい」


 フレイヤは魔術を発動し、レクイエムフォームを解除。ブリュンヒルデを基本形態へと戻し、ソラに眠りのルーンすらも掛けた。


「ダメ……です。フレイヤさん、ヴィンセントさん。あなた方は生きるべき……」

「もういいんですよ。今、私は人生で最良の時を迎えています。これ以上望んだら、きっと天罰が下る。あなたの気持ちだけでたくさんです。眠りなさい、安らかに。恐れを知らない者よ」

「ヴィン……セント、さ……フレイ……ヤ……さ、ん……」


 抵抗力すらも枯渇したソラは、意識を手放した。最後まで二人を案じながら。



 ※※※



「――ソラ!」


 ヴィンセントが瀕死状態となったことでグレイプニルの拘束が解かれたクリスタルは、倒れかけたソラを抱きかかえた。

 ヴィンセントから剣を抜き取り、抱擁を交わすフレイヤを戸惑いの眼差しで見つめる。


「本当に、二人は……」

「私たちはここで果てるべきです。聡明なあなたならわかるでしょう」

「でも、ソラは……」


 昏睡するソラへ目を落とし、クリスタルは躊躇う。フレイヤは首を横に振った。


「急ぎなさい、クリスタル。基盤となる本を失った今、ここは崩壊します」

「わかりました……」


 クリスタルはソラを抱いて、浮遊する。出口である真っ白な穴へ加速して、後ろ髪をひかれるように二人へ目線を送った。


「ミレイン……」


 ヴィンセントはフレイヤの膝の上で死にかけている。気力を振り絞って、恋人に謝罪した。


「すまない。私は……」

「いいの。もういいんです。世界中の人々に咎められても、私があなたを赦します。だから、怖がらないで。いっしょに行きましょう。ふさわしいところへと」

「ミレイン……」「ヴィンセント」


 二人が互いの名を呼んで見つめ合った瞬間、深淵の中へと呑み込まれた。


「……ッ、まずい!」


 深淵が不安定となり、質量を持ってクリスタルを呑もうとしてくる。クリスタルはレギンレイヴのオーロラドライブを唸らせたが、深淵の増殖の方が速い。


「ダメ! 私はソラと約束した! 二人でいっしょに帰る!」


 ソラはスピードを上げる。最大出力。しかし、深淵は無慈悲に、二人を呑み込まんと迫る。後一歩で出口だというところで、深淵は二人に追い付いた。永久に続く黒き闇が、クリスタルとソラを包み込む――。


「ダメだ――ッ!! ……えっ!?」


 刹那、何者かがクリスタルの手を掴んで引き寄せた。凄まじい加速力を見せ、一気に出口を通り抜ける。


「うっ……!」


 急激な光量の増加にクリスタルは眼をくらませて、順応するのを待つ。手を掴む謎の人物へと目を合わせて驚愕と歓喜の入り混じった声を上げた。


「無事か、クリスタル」

「マスターアレック!!」


 自分とソラを救ったのは、ヴィンセントに殺されたはずの師であり義父だった。

 嬉々とするクリスタルの前には、正常な姿を保つ世界が広がっている。世界は救われていた。

 ソラが、世界を救ったのだ。感動のあまり、クリスタルの眼から涙があふれ出す。


「泣くにはまだ早い。そうだろう?」

「ええ。そうですね……」


 片手で涙を拭い、地上へと着地する。自分たちの帰りを待ちわびていた仲間たちが駆け寄ってきた。

 まだ眠るソラへと、クリスタルは心の中で語りかける。嬉しさのあまり破顔して。

 ――やったよ。あなたの想いが、奇跡を引き起こしたよ。

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