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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第十章 鎮魂
82/85

神々の黄昏

 ヴィンセントと直接対決するのはこれが初めてだったが、その戦闘力を間近で目撃したソラたちにとって、予期せぬ黒幕の登場は脅威以外の何物でもない。

 だが、彼さえ倒せば全てが終わる。そう信じて交戦を開始したが――。


「うわぁ!」

「メグミ!」


 拳を振るったメグミが、難なく弾き飛ばされる。ヴィンセントは浮き島に立ち、杖を構えて悠然としていた。彼がフレイヤとノアの父親に開発させた秘密兵器であるヴァルキリー四機に囲まれながらも、待ちに徹する余裕がある。


「ヴィンセントさん!」

「貴様たちは私を倒せば全てが終わる。そう言っていたな。だが」


 ヴィンセントはソラを見据えた。ブリュンヒルデを身に纏い、オーロラの輝きを発していなければ戦意を喪失しかねない鋭すぎる視線で。


「私も貴様を倒せば全てが終わるのだ、ブリュンヒルデ」

「やらせない!」


 ヴィンセントの影へ瞬時に移動したマリがナイフを突き立てる。が、寸前で手首を掴まれ制された。ヴィンセントはマリの眼前に杖を突きつけ、魔術を行使する。


「……くッ!?」

「私が今まで何度暗殺されかけたことか、貴様は知るまい。経験の差だ」

「マリちゃん!」


 ホノカが散弾銃を穿つ。が、彼は明確な行為をすることもなく身体に障壁を張っていた。軽い散弾程度では簡単に防がれてしまう。

 ソラは盾を召喚し、投擲。杖とマリの間に滑り込ませ、オーロラの防護壁を展開して彼女を守る。直後、大規模爆発。拘束が解かれ、マリは黒煙から脱出した。


「ありがとう、助かったわ」

「連携しないとダメだ。ひとりで挑んでも勝てない」


 ソラが分析を呟く。それに応えるヴィンセント。


「させると思うか?」

「――速い!」


 ヴィンセントは煙を抜け瞬時にソラの目前へ肉薄した。杖で打撃を噛ますがソラは剣で防御する。左拳の打撃を全く同じ行動をすることで相殺し、ソラとヴィンセントは至近距離で睨み合う。


「君たちなら、あの男に勝てると確信している。アレックはそう言っていたが……。私には奴が血迷ったようにしか思えん。アレックは人間に裏切られ続けてなお妄信してきた男だ。今度は貴様に騙される」

「私はあなたを止めます……ッ!」

「無理だ。なぜなら――」


 ヴィンセントの周囲に強烈な魔力反応を感じ取り、ソラはみんなに号令を叫んだ。あまりの膨大な魔力に空間が歪んでいる。


「みんな、下がって!」

「――貴様はそうやって、他人を気遣うからだ!」


 瞬間、ソラはヴィンセントの思惑を悟った。あえてソラ以外のヴァルキリーを下がらせて、孤立したところを一撃で叩く。そう理解したソラは防御態勢へと移行したが、間に合わない。


「く!」

「終わりだ!」

「させねえッ!」


 一点へと集中した魔力が杖からソラに浴びせられようとした刹那、危険を顧みずソラに飛び掛かったメグミが彼女を窮地から救った。

 ヴィンセントは追撃しようとしたがホノカの杖鞭で杖の狙いを逸らされ、マリの影縫いで一時的に強制停止。感心した声を、ヴァルキリーチームに掛ける。


「なるほど。死の予感を前にして、仲間の元へ駆け付けるか」

「私はこのバカを守るために復讐を捨てたんだ。見捨てるものかよ」


 メグミが確固たる信念を瞳に灯して言う。ソラは頼もしい親友の言葉を力に変えて、剣を構えた。


「ありがとう、メグミ」

「メグミちゃんだけじゃないー。私もだよー」


 ホノカがヴィンセントを抑えながら声援を送る。マリも拘束が解けないよう集中しながら告げた。


「ええ、そうね。あなたみたいなバカは、一人じゃアホみたいな失敗をするし」

「友情、親愛。……素晴らしい。美しいな」


 ヴィンセントは行動不能に陥りながらも、平然として諳んじる。しかし、ソラたちも油断はしていない。ニャルラトテップは転移によっていともあっさりこの二人の束縛を脱した。ゆえに、ソラは魔動力を使い、念の力でヴィンセントに負荷を掛ける。


「私の動きを止めて勝ったつもりか? ヴァルキリー。私は生きている限り、世界を破滅させるぞ」

「まさか。ソラ、どうやって気絶させる?」


 メグミがナックルダスターを鳴らしながら訊く。彼女は今までの戦闘スタイルに反して、無策に等しい接近をしなかった。下手に近づけば、ヴィンセントによるカウンターを喰らうかもしれない。そう予期して、慎重な判断を下している。

 ソラも逡巡していた。ヴィンセントクラスの敵とまともに戦闘をしたことはない。フレイヤに指示を仰ぐべきだろうが、何か嫌な予感もする。

 フレイヤとヴィンセントを巡り合わせてはいけない――。そう心が、死者たちの声が訴えている。


(どうしよう……。あの人はきっと、諦めない)


 世界を破滅させるまで永遠に動き続ける、復讐心で動く屍。彼の言葉通り、死ぬまで世界を破滅させるべく動くのだろう。でも、だからと言って殺すのはダメだ。例え世界の反感を買っても、救わなければ復讐の連鎖は止まらない。

 ソラは仕返しでも義務でもなく、個人の意思で世界を平和にするため戦っている。例え世界に恨まれても、世界を救うと決めた。再度、無駄だと知りながらも投降を呼びかける。


「どうしてもダメですか、ヴィンセントさん。世界を破滅させないといけませんか」

「無論だ。私はそのために地獄の淵から蘇ったのだ」


 即答でヴィンセントは答える。相反する想いが、ソラの中を駆け巡る。

 

 ――奴は死者だ。殺してしまえ。そうすれば私は世界の英雄として受け入れられる。甘い言葉。

 

 ――奴は生者だ。救おう。例え世界の批判を受けても、裏切り者として罵られても。苦い言葉。


「私は……」


 ソラは迷い、惑う。もし仮にソラがヴィンセントを殺しても糾弾する者は誰もいない。彼は真なる巨悪だ。世界を混沌へ導いた本当の敵。死は相応の報いであり、それでも足りないと憤慨する者もいるかもしれない。

 だが、ソラはすぐに迷いを断ち切った。想いは原初の時から変わらない。


「私の目的は戦争を止めること。ヴィンセントさん、あなたが世界を何度でも破滅させようとするならば、私は何度でも食い止めます」


 ソラは左手を翳しながらヴィンセントの元へ赴く。右手には剣を携えている。絶対に人を殺せない不殺の剣を。オーロラの加護を纏うファナムから譲り受けた剣は、ソラの意志を反映するかのように輝き煌めいている。


「愚かな選択だ、ブリュンヒルデ」


 ヴィンセントは自身に有利な判決を受けたというのに、憤怒の片鱗すら感じさせる眼でソラを見抜いた。


「赦すべき相手とそうではない相手がこの世に存在する。貴様はミレインやセレネ、天音と同じ。愚か者だ」

「その人たちは愚かじゃありません。勇者エインヘルヤルです!」


 ソラがヴィンセントに最接近。ヴィンセントは怒りを滾らせて、自身を取り囲むあらゆる物理的魔術的枷を破壊した。


「愚かだから死んだのだ!」


 ソラが剣を両手で構えて、魔力が注ぎ込まれた杖を受け止める。二人の周囲で大規模な衝撃が発生し、メグミたちが吹き飛んでいく。

 しかし、気にしている暇はない。ソラはヴィンセントの魔力の奔流を防ぐので手一杯だった。


「違う……違います! 勇気ある者、英雄です!」

「いいや違わない! 彼女らの甘さが破滅を引き起こした。殺すべき者は殺すべきなのだ。救いなど、一握りの人間だけに与えられた特権だ!」


 オーロラの輝きと憎悪と怨嗟のまみれる黒い魔術が激突する。人々の命の輝きは非常に美しく、黒の嵐の中では見る者を虜にする輝煌を放っているが、彼はその色彩に魅入られることなく己の魔術を打ち放つ。

 ソラも全力で魔術を剣に乗せているが、ヴィンセントの方が威力は高い。その理由をヴィンセントは言い放った。


「貴様は手加減しているな。認めよう。その精神は高潔だ。だが、人間は高潔なだけの存在ではない!」


 空間がひずみ、割れる。地割れが起きて、地面が抉れた。亀裂が広がる。空間に舞っていたオーロラの粒子が飛び散って、周囲が暗黒に支配される。

 それでもソラは、ヴィンセントを怖じることなく言い返した。


「それでも私は、人を信じます!」


 瞬間、世界が光り輝く。

 黒一色に塗りつぶされていた世界は様々な色を取り戻し、オーロラが再び世界を包み込む。

 ソラは確固たる眼差しのまま剣を構え。

 ヴィンセントは瞠目して、杖を握りしめている。


「……引き分け、です」


 ソラは荒い息と共に、勝利宣言を吐き出した。



 ※※※



「ど、どうしよ……」


 ハルが小さく言う。戸惑いを隠せないまま。

 ユーリットも妹を庇うように天井を見上げ、ミュラも呆然と端末を握っている。

 イソギンだけが、悲しみを湛えているだけだ。従者は軟体生物らしい柔軟性を発揮して、獲物を見定めている。


「警備の、人を……」


 ミュラがゆっくりと端末を操作する。が、急に従者が反応し、床へと降り立った。


「きゃっ!」


 驚いて、ミュラは端末を落としてしまう。従者は撲殺用のフルートを構えて、誰から血祭に上げるか考えているようにも見える。


「パパ、ママ……」


 死んだ両親に祈りを捧げながら、ミュラは眼を瞑る。こういう時に自分を守ってくれたセバスは外で戦っている。助けは求められなかった。


「……四大精霊を!」


 ユーリットが立ち上がる。が、従者は触手を伸ばして彼女の四肢を掴み、持ち上げた。引き裂こうと思えば、そのまま八つ裂きにできる。ユーリットは恐怖し、オドムから仕込まれた術式を展開できない。


「みなさん! 逃げて!」

「お姉ちゃん!」


 ユーリットの言うことを誰も聞かない。……聞けないのだ。恐怖で身体は固まっている。それだけではなく、友達を見捨てるという選択肢を誰も持ち合わせていない。

 ゆえに、ミュラたちは全員観念して目を瞑り、


「――――」


 その優しい歌を聞いた。人に安らぎを与える祈りの歌だ。


「イソギン?」


 ハルが戸惑いながら声を漏らす。優しい歌は人のカタチをした少女から放たれていた。それに感銘を受けるように従者はじっと停止している。


「きゃ!」


 そして、ハルをゆっくりと床へ下ろし、少女のカタチを象った。ミュラが落とした端末内でも各地に出現した従者たちが少女のそれへと変化していく。

 呆然とするミュラだが、すぐに奇跡が起きたことを知り、イソギンへと抱き着いた。ハル、ユーリット、ユリシアも同じように彼女へと飛びつく。


「やった! やったよイソギン!」

「お手柄だね!」

「助かりました、イソギン!」

「イソギン、やったね!」


 ミュラはにこりと微笑むイソギンに笑みを返した。きっと両親も褒めてくれるだろう。そう密かに思いながら、鎮魂歌の奇跡に耳を傾けた。



 ※※※



「呆気なかったな」


 シャークは死体から目を離し、たばこを咥えて一服する。死体の上で平然とたばこを吸える異常性。それこそがシャークにとっての優位性であり、アドバンテージだった。常人はシャークに理解不能というレッテルを張る。そのレッテルがシャークの隠れ蓑となる。人は理解できないものから目を背け、深く知ろうともしない。ゆえに、シャークは恐ろしく獰猛な鮫として様々な紛争地域で活躍してきた。


「でも、ウルフは違かった。俺がどういう人間かを理解して、追いつめてきた。ヤイト君も、惜しかったなぁ。頭は完璧。でも、腕がどうしようもなく足りない。経験だな」


 紫煙を吐き出す。魔術によって体内汚染を食い止めたりはしない。身体を害悪物質で黒く染める。

 魔術は便利だが、味気ない。退屈さが付きまとう。魔術が世界に浸透すれば、酒やたばこは二十歳からなどというキャッチコピーは消滅する。魔術によってアルコールやニコチンを体内から洗い取れば、子どもが飲んだり吸ったとしても問題ない。酒やたばこの疑似体験。それはもはや仮想現実と変わらない。ヴァルハラ軍が推進するわかり合いは、世界をつまらないステージへと昇華させるだろう。

 それは耐えられない。そんなくだらない世界へと変化するのなら、滅んだ方がマシだ。


「世界は辛く厳しく、苦い方がいい。甘いものは苦手だ」

「僕は悪くない、と思うが」

「ッ!?」


 反射的に身体を逸らし、下方から繰り出されるサブマシンガンの射撃を避ける。これにはさしものシャークも動揺を隠せない。いや、ヤイトの生存、不意打ちによる射撃、どちらも予想外ではあるがむしろ喜ばしい人生のスパイスだ。

 問題なのはオーロラ。非殺傷概念。誰も死なない優しい世界。


「まさか!」

「そのまさかみたいだ。僕たちの勝ちだ。あなたは僕を殺せない。僕も、あなたを殺せない」


 ヤイトは片手でシャークの眉間に狙いを構えながら言う。退屈な世界へと切り替わったことを知り、シャークは憤怒の叫びをあげて、マシンガンを撃ち放った。しかし、その弾丸はもはやまともに機能しない。殺傷能力を喪っている。


 

 ※※※



「親父殿でもそのような顔をすることが、あるのだな」


 父親の驚愕の表情を見つめながら、モルドレッドは感想を呟いた。自分の心臓を貫く剣を、右手で掴みながら。

 そして、涙すらこぼす妹に向かって、できる限りの笑みをみせる。痛みを押し殺しながら。


「……オレたちの勝利のようだ、メローラ。青木ソラ、正直あまり好みではなかったのだが、今度誘ってみようか悩む。どう思う? 我が妹よ」 


 メローラは目尻に浮かべた涙を拭いながら、かつての生意気な表情を戻って応じる。


「そんなことしたら、またぶん殴るわよ? お兄様」

「それは困る。……親父殿、もう戦う意味はないだろう?」

「……」


 アーサーはモルドレッドから剣を引き抜いた。表情は無のそれに変化している。感情を実の息子にすら気取らせない。

 だが、内面は想像できた。オーロラフィールドの適用は、父親の予想を超えた事態だ。どうすれば計画を修正できるか思案している、と予測する。ゆえに、敵を前にしても攻撃はおろか防御もしない。


「あたしたちの勝ちよ、お父様。武器を捨てて投降しなさい」


 メローラは勝ち誇った笑みを父親に向ける。アーサーはメローラを一瞥するだけで行動しない。しばらくして、空を見上げた。オーロラが世界に拡散して、人々の戦意を鎮めている。


「美しい輝きだ。グヴィネヴィアを彷彿とさせる」

「……あなたの口から母親の名前が出るとはね」


 皮肉気に言うが、メローラは驚きを隠せていない。それもそのはずだ。メローラは父が母を強姦したと思い込んでいるのだから。

 モルドレッドは何も言わず、父親もそれ以上母親については言及しなかった。アーサーは眼を瞑り、何かを探るように瞑想する。


「万事休すか。よもやこの策を講じることになるとは」

「……何?」


 モルドレッドはアーサーの発言を訝しんだ。まだ手立てはあると言わんばかりの口調だ。だが、同時に乗り気でない様子も見て取れる。もしや、それは父親が仕込んだ策ではない?


「今のどういうこと? お父様」


 メローラがアーサーに近づき詰問する。アーサーは酷薄な笑みを浮かべて、こう答えた。


じきにわかる」



 ※※※



「非殺傷概念の適用を確認」


 ノアは戦場を俯瞰しながら淡々と報告した。どの戦場でも死んだはずの人間が自分の生に慄いている。ヴァルハラ軍の勝利が確定した瞬間だった。魂が回収できなければ、原初の本へ辿りつくための戦争という儀式は終わらない。

 生贄がなければ、聖杯も意味を成さない。後は敵の戦意を削ぎ落とし、投降を待つだけである。


「ボクたちの勝ちです――。フレイヤ?」


 しかし、勝利宣言をするはずの司令官は、妄執に近い眼差しをモニターに注いでいる。そこには、ヴィンセントとヴァルキリーたちが映っていた。彼女の視線はヴィンセントに釘づけだ。

 颯爽と身を翻し、ブリッジを後にするフレイヤにノアは再度声を掛けた。


「待ってください。終わりです。あなたがわざわざ出陣する必要はない」

「戦争は終わっても、私の戦いは終わってない」

「……話が違います」

「言ってないからな」


 ノアは珍しく反発し、彼女の前へ立ち塞がった。コルネットもオペレートを止めて、フレイヤへと歩み寄る。


「何をしてるの? 勝ったよ。いや、引き分け。歌で魂が鎮められた」

「いいや。奴の魂が鎮まることはない。いずれ、同じ過ちを繰り返す。……そこをどけ」

「あなたの個人的な感傷に付き合うことはできません。ボクは……あなたに命を救われました」

「それが何だ? 必要だから救っただけだ。あの男の才能を継ぐ娘が必要だった」

「わかっています」


 一瞬、ノアの表情が陰った。それでもすぐに凛とした顔つきに戻り、フレイヤへ言葉をぶつける。


「でも、ボクは感謝しています。五感すら失ったボクを復元し、救ってくれたこと――。だから、今度はボクがあなたを救いましょう。あなたを行かせるわけにはいきません」

「……では、押し通るとしよう」


 ノアの決意を見て取ったフレイヤは彼女をいとも簡単に飛ばした。通路を転がり、ノアは驚愕の表情を浮かべる。そこへコルネットが駆け寄るが、フレイヤは意にも介さない。


「大丈夫、ノアちゃん! フレイヤさん! 一体どういうことです!?」

「こういうことだ。私はヴィンセントを殺す。殺さねばならないのだ」


 そういい残し、フレイヤはエレベーターに搭乗。出撃ハッチへと移動していった。

 ノアはコルネットの介抱を受けるも片手で断わる。問題なかった。通路に身を投げ出されたにしては全く痛覚が反応していない。フレイヤは咄嗟に魔術で床をコーティングしたのだ。倒れても怪我をしないように。

 だからこそ、痛い。身体ではなく心が、悲鳴を上げている。


「あなたの魂は、ヴィンセントを殺すことでしか鎮められないのですか、フレイヤ」


 ノアは伝わらないことを知りながらも、呟く。自分の無力さを噛み締めて、悔し涙を流した。



 ※※※



「引き分けだと? 本気でそう思うのか? ブリュンヒルデ」


 剣と杖をぶつけ、鍔迫り合いを行っていたソラはもはや剣の構えを解き、ヴィンセントも杖を携えるだけだった。

 ヴィンセントの問いにソラは即答する。嘘偽りのない言葉で。


「そうです。感じたでしょう。ニャルラトテップは打ち倒されました」

「……まさか奴が生きていたとはな」


 ヴィンセントは悔恨するように息を吐く。ニャルラトテップの討伐は、彼の予想を上回った事態であることは明白だった。

 ゆえに、ソラは引き分けという名の勝利を掴んだと確信している。だが、ヴィンセントは違かった。


「死者が出なければ魂は集まらず、聖杯は完成しない。必然、原初の本の降臨も有り得ない。そう推測を立てて、貴様はオーロラフィールドを構築したな」

「……はい」


 怪訝に思いながらも、会話を続ける。誰も殺されない、死なない戦場で行うべきは戦争ではなく問答である。

 しかし、確信したはずの勝利が音を立てて崩れ去る予感が、ソラはしていた。ヴィンセントがほくそ笑んだからだ。邪悪な笑みを浮かべて。


「対象となるのは殺傷力を伴う死。ガウェインの例を忘れたか? 単純に自滅するのならば、オーロラは喜んで死者を迎え入れる」

「何を! な、これはッ!?」


 突然、下から魔術的な拘束具が生えた。絹のような滑らかさで貧弱な印象を与えるが、一度拘束すれば強大な力を持つ狼でさえも束縛する神具グレイプニル。

 ソラはフェンリルを捕縛した足かせに身体を絡め取られて身動きが取れない。その前で悠々と、ヴィンセントはペンダントを取り出す。高濃度の魔力が凝縮されたジェム――。


「これは魔術師に配布してある魔力増幅装置だ。魔術道具を扱う人間も、これを身に着けている」

「何をする気だ!」


 メグミが駆け寄って、叫ぶ。ソラを解放するべきかヴィンセントを殴るべきか、思案する。


「私はいいから! あの人を止めて!」

「合点承知だ! でえい!」


 メグミがナックルダスターを振るったのと同時に、後続のマリとホノカも攻勢に転じた。

 だが、ヴィンセントは動じない。もし三人が驚異的なら、彼女たちはグレイプニルによる束縛を免れるはずがない。ヴィンセントが脅威であると認めたヴァルキリーはブリュンヒルデのみ。輝く戦いの名を持つ、恐れを知らない者だけだ。

 ヴィンセントは粛々と準備を進める。必死の形相を浮かべるソラに話しかけながら。


「そこで、しかと目に焼き付けるがいい。自らの敗北の瞬間を」

「ダメ!」


 メグミが魔力弾をまともに喰らった。地面を抉りながら転がって、かろうじて形状を維持していた白色の建物の中へ吸い込まれる。

 ソラは身体中に絡む紐を切断しようと四苦八苦するが、剣すらもまともに振るえない。ヴァルキリーシステムのあらゆる機能も使用不能に陥っている。


「救済の祈りですら、鎮められない魂もあると知れ」


 ホノカが殴られて、苦しげな息を吐いた。エイルのヴァルキリーシステムが音声を放つ。


『ヴァルキリーエイル。重大な損傷を確認。一時的にシステムを停止します』


 変身が解け、ホノカが軍服姿となって倒れた。ソラは自分に喝を入れる。


「く、動け! 動いて!」

「己の無力さを噛み締めろ。世界は救えない。だから滅ぼすのだ」


 マリの投げナイフは全て弾かれ、業火の炎にすっぽりと覆われる。炎が掻き消えると、そこにはフリョーズを喪失したマリが、苦悶の表情で地に伏していた。


「お願い! 動けぇ!」

「さぁ、聞くがいい。破滅の歌を!」

「動けえええええ!!」


 ソラが絶叫を上げた瞬間、銃声が轟いた。紐が全て根元から撃ち壊される。ソラの窮地に駆け付けたレギンレイヴの射撃。

 ソラは無我夢中で、ヴィンセントへ疾走した。浮遊機能を用いて、一気に加速。斬撃をヴィンセントの持つペンダントへ放つ。


「貴様の負けだ、ブリュンヒルデ!」


 しかし、あと一歩のところで届かない。ヴィンセントは魔力をペンダントへ注ぎ込んだ。


「あ、ああ、あ……」


 ソラは瞬時に、人々の叫びを感じ取る。魂の慟哭が、頭の中に入り込む。



 ※※※



 まず異変を感じ取ったのはエデルカ率いる箱船護衛部隊だった。エデルカは合流したセバス、ハルフィスを代表するドルイドたちと共にミルドリアと破壊者デストロイヤーを囲み、勝利の余韻に浸っていた。辺りには、無抵抗な白い少女たちもいる。

 エデルカの喜怒哀楽を色濃くしたドヤ顔に、ミルドリアも怒り心頭といった様子だったが、急に高笑いを響かせて全員の注目を集わせる。


「何です? この期に及んで」

「気でも狂ったかの? ミルドリアは古くから禁術ばかりを収集していた。だからあれほど儂は、禁忌に触れるなと再三――」

「黙れ、耄碌もうろくジジイ。気付かないか? 周囲の変化に」

「何のことで――ッ!?」


 言われてエデルカは気付いた。保護した子どもたちが苦悶の表情を浮かべて苦しんでいる。エデルカはハルフィスを見るが、全員を戦闘不能にした後、パナケアによってミルドリアの施した忌むべき害悪魔術マレフィキウムの後遺症は取り除いている。

 エデルカによる知見でも異常は見られなかったが、


「まさか、ペンダント! 急いでペンダントを破壊してください!」


 胸元で妖しく光るペンダントに答えを見い出し、指示を飛ばす。だが、ここにきて無気力だったミルドリアが抵抗を始めた。


「やらせはせん! これは我らの希望の――何?」


 驚いたのは迎撃行動を取ろうとしたセバスでも、子どものペンダントを無効化するべく術式を行使したハルフィスでもない。ましてや、突然の出来事に反応できなかったエデルカでもなく……。


「何だ、どうして我が、苦しむ……?」


 ミルドリアは驚いて、胸元を弄った。装飾に差異はあるものの、子どもたちのそれと遜色ない発光現象が起きている。

 エデルカは事態を把握し、目を伏せて言い聞かせた。


「だから警告したのです。ヴィンセントの目的は世界の改変ではなく、破滅だと」

「まさか、我すらも奴は、踏み台にして……! え、エデルカ……どうか、我を……救って」


 ミルドリアはエデルカに救いを求めた。エデルカは彼女が伸ばした手を取ろうとする。

 が、触れた瞬間、ミルドリアの生気が失せた。命の灯が、燃え尽きた。


「……気落ちしている時間はありません」


 エデルカは皆を見回した後、コルネットに通信を送る。だが、まともな返信が返って来ない。


「コルネット? 如何しましたか? きちんと職務を果たして――」

『大変だ、エデルカちゃん……』

「コルネット?」


 エデルカは問い質す。しかし、混乱しているのかまともな回答が得られない。エデルカは部隊と共に箱船へ戻っていった。コルネットを叱責しながら、ブリッジへと入る。


「一体何をしているのです、コルネット……これは!?」


 モニターに映る外の景色に瞠目し、声を荒げた。



 ※※※



 その頃、ブリトマートは聖杯を確保し、歯噛みするパーシヴァルに槍を向けているところだった。増援として現れたマーナガルムの兵士たちや混沌の従者も無力化し、儀式場を完全制圧。オーロラフィールドの適用も確認され、戦争は終わったと安堵しきっていた。


「すごいな、こりゃ」

「……よもや異形に色目を使ってるのではあるまいな」


 白い少女に姿を変えた従者たちを観察するケラフィスに呆れる。ケラフィスはまさか、といつもの仰々しい態度で応じてみせた。


「気になっただけだ。一体これはどういうトリック何だってな」

「……愛という名の大規模魔術だ」

「随分ロマンチックなセリフを吐くな。浮かれてるのか?」

「……ああ、そうかもしれない」


 事実、ブリトマートは普段の毅然とした態度から一変、顔に張り付いた笑みを隠せないでいた。もはや隠すつもりもない。もう終わったのだ。主の戦いも終わった。世界は平和になり、騎士としての生き様を見直す時がやってくる。

 どうしようか。もう勢いに任せて、言ってしまってもいいかもしれない。

 恋を成就させるため騎士となった姫を再現するかの如く、ブリトマートは熱を帯びた視線をケラフィスに向ける。


「なぁ、ケラフィス」

「ん?」

「もしよかったら私といっしょに――」


 しかしブリトマートの発言は、意図せず途中で終了させられる。

 聖杯が不思議な光を発したのだ。同時に、魂の雨が器に降り注ぐ。


「一体なんだ!?」

「まさか、聖杯が完成する? 急いで止めなくては!」


 全員の視線が聖杯に集中する。不覚にも、パーシヴァルを監視していたブリトマートでさえ。その隙を縫って、パーシヴァルが動き出した。叫びながら、ブリトマートに体当たりをする。


「我らが王に、栄光あれ!!」

「な、何を!」

「まずい、ブリトマート!」


 パーシヴァルはブリトマートごと、聖杯に突撃しようとする。寸前のところでケラフィスはブリトマートを抱きかかえたが、パーシヴァルは砕け散った聖杯の光の中へと消えた。


「何だ……!?」


 連動して光柱が天井を貫く。ブリトマートもケラフィスも、ただ瞠目して見守ることしかできない。



 ※※※



 その天変は、世界中の誰からも窺えた。

 天空で宿敵と交戦していた相賀とヘルヴァルド。父親と共に大空を見上げていたメローラとモルドレッド。ゴーレムの操縦席で休んでいたツウリ、ミシュエル、ナポレオン、ポロア。彼女たちに保護されたアテナとジャンヌ。それを支援していたレオナルドたち錬金術師。島へと着地し、勝利を祝っていたリュースとカリカ。フィリックを救出し、安堵していたリーン、レミュ、きらり、エル。報告を受け、シャークと睨み合ったまま端末で状況を俯瞰したヤイト。箱船で状況確認をしていたエデルカ、コルネット、ノアなどのクルー。そこへ同行したハルフィスとドルイドたち。はしゃいでいたミュラ、ハル、ユーリット、ユリシア。後方支援で術式の維持を行っていたニケ。ヤイトのチームで行動を共にしていたが、分断され途方に暮れていたケラン。聖杯の発動を直視し、急いで報告を行ったケラフィスとブリトマート。浮き島各地で奮戦したヴァルハラ軍。安全な異界の地で、戦闘模様を固唾を呑んで見守っていた人々。

 己の使命を成すために、浮き島を駆けていたフレイヤにも確認できた。

 聖杯を起動した男の目の前にいるソラ、クリスタル、メグミ、ホノカ、マリも震撼して、その天変地異を見届ける。


「これが、世界の真の姿だ!」


 ヴィンセントの高らかな宣言と呼応して、空の色が移り変わる。青空が夕暮れとなり、世界は黄昏へと染まり遂げた。その直後、轟音が鳴り亀裂が奔り、空がガラスのように砕け散る。


「空が、割れた……!」


 ソラの傍へ降り立ったクリスタルが、動揺する。ソラは膝をついて、破滅装置の顕現を見つめるしかない。

 割れた空には、大きな穴が出現した。壮大かつ厳格、畏怖すら感じさせる巨大な空洞が。

 原初の本へと至る道。おとぎ話に出ていた、選ばれし者しか通れない扉。

 ――世界は一冊の本でできている。その本にはこの世の法則が記されており、世界は本の内容に沿って、物語を紡いでいく。その道を通った者は、その胸に抱く願いを成就させることができるという。

 その願いは神々の力すら凌駕する。その本に願いが書き込まれれば、神々は諦観し黄昏たそがれるしかない。神々の黄昏ラグナロクが今まさに、実行されようとしていた。

 破滅という結末をこの世に書き記すべく、その本は降臨する。希望を絶望で上書きするために。

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