魔術評議会
クリスタルは工房での銃器点検を一旦止めて、リュースの寝かせられる医務室へと足を運んだ。ベッドに寝かせられるリュースは苦しげな声で小さく呻いている。丸椅子に座るカリカはリュースを心配そうに見つめて、手を握っていた。
「参ったわ。この子に死なれたら誰が私の代わりに宿り木を取るの」
と言葉自体は薄情であるものの、本心ではリュースの身を案じていることは明らかだ。ケランの手当てを終えたカリカは宿り木回収に走り、万能薬であるパナケアをいくつも調合している。
「マスターハルフィスは?」
「アレックといっしょに評議会へ抗議に言ったわ。少なくとも、浮き島内部で手を出してくることはないはずよ。そんなことしたら、教会内で内戦が勃発するわ」
魔術師の社会は完全な実力主義である。マスターの位を持つ二人の導師の意見をないがしろにした場合、直接的な制裁を受けてもおかしくはなかった。だから、評議会は二人の意見を尊重せねばならない。アレックとハルフィスの実力は浮き島全体に轟いている。
「もしかしたら、アーサーを火あぶりの刑に処せるかもしれないけど……見込みは薄いわね。たぶん、あの騎士の独断ってことで処理されるでしょう」
エクスカリバーを持つ魔術騎士アーサーは円卓の騎士のリーダーであり、議会における重鎮のひとりだ。かの有名なアーサー王伝説を再現した術式を使う彼は、一騎当千の実力を持つが、色々と後ろ暗い話をクリスタルも耳にしている。
「過激派の筆頭だものね」
「加えて、現代流派を悪く思っている古代流派の代表的存在」
ある意味、クリスタルにとって最大の障害とも言うべき存在だった。彼と円卓の騎士が高らかに戦争継続を望み、和平交渉の芽をつぶしている。あれのどこがアーサーなのか、とクリスタルは想わざるを得ない。
しかし、再現魔術のほとんどは性格まで再現されることはない。自分に都合のいい場面だけを再現される。当然ではあるのだ。完全再現は不都合が起こり得る。
「あなたはどう思ってるの? 黒幕はアーサーだと思う?」
「どうかしら。なんていうかこう、私のドルイドとしての勘が告げるのよね。もっと別の大きな奴が背後にいるって。正直、アーサーがそこまで有能だとは思えないの。だって、いくら何でも戦争を長引かせすぎでしょう?」
「確かにね。血に飢えているみたい。あるいは本当に人間を絶滅させる気なのかな……」
「そんなことしたら、大変よ? まずそれは有り得ない」
きっぱりとした口調で、クリスタルの考えを否定するカリカ。どうして、と訊ねると、カリカは真面目な表情で応えた。
「だって、ハルフィスじいさんがキレるもの。あのじいさんが怒ったら、アーサーだっておもらしするわよ」
※※※
「このタイミングで呼び出しとはな。もう少し時間が掛かるかと思っていたが」
相賀は面倒くさそうな顔で頭を掻いている。実際に面倒くさいのだろう。この情報化の時代になぜ直接出頭しなければならないのか。そう愚痴をこぼしている。
人間対人間ならば、セキュリティ上の問題で説明がつく。だが、魔術師は機械を小馬鹿にし、科学の産物を忌み嫌っている。情報戦の時代はとっくの昔に終わりを告げているのだ。今更情報セキュリティに気を配るよりは、迅速な対応を重視した方が良い。魔術師にとっては、何重に施された警備システムも、あってないようなものなのだ。
「留守は私に任せてください。もうからかいがいもなくなったことですし」
嫌味っぽくマリが言うと、作戦室に来ていたメグミが威嚇するように声を出した。
「一応、仲間には声を掛けておいた。異常事態が起きた時は、外部からも……内部からも、お前たちを守ってくれる」
内部から、という発言を聞いて、ソラが息を呑む。一番狙われるのは自分だ。中からも外からも。
「誰ですか? それは」
「誰かは知らない方がいい。上手く敵を騙せる」
マリは納得したようで、それ以上追及はしなかった。
「では、面倒くさいお会議へと」
「ああ、行ってくる」
相賀は作戦室を後にした。マリが不満げに鼻を鳴らす。その様子を見たメグミが昨日までの仕返しとばかりに突っ掛った。
「おいまさか、保護者がいなくなって寂しいのか?」
「それこそまさか、よ。大尉が席を外す必要は全くなかった。無能な上司共に呆れているのよ」
「仮にも防衛軍人が――」
「軍人で工作員だからこそ、あなたより内情をよく知っている。今防衛軍を率いるのは、死ななかった者たち――それも、強者ではなく、卑怯にも他人を隠れ蓑にして図々しく生き残った者たちよ。胡散臭いことこの上ないし、邪魔であることも間違いない。ホント、暗殺でもした方が身のためよ」
過激な物言いだが、マリが冗談を言っている風には見えなかった。本気で上層部の無能さに困り果てているのだ。有能な敵より無能な味方に足を引っ張られて敗北してしまう例は史実にたくさんある。
「ただでさえ追い詰められてるというのに。ソラ、あなた冗談抜きでジャンヌ・ダルクみたいになっちゃいそうね」
「ジャンヌ・ダルク……とても強い、女の子の騎士さんだっけ?」
ソラは他教科と比べて比較的に歴史が好きなので、思い出した内容を口に出す。違うと思うなーと口を挟むホノカ。
「ジャンヌさんは、ソラちゃんみたいに、人を殺さない戦い方をしてたみたいだよー? 旗を持って、部隊を扇動していたんだってー」
「……ソラはバカでアホでマヌケだが、確かにジャンヌ・ダルクのような素質はあるな……」
悪口を交えながらも、意外と真面目に考え込んでしまうメグミ。深刻な空気が漂い始め、ソラは普段のノリで道化を演じてみせる。
「ホントー? 私、ジャンヌさん!? 今日から私の異名は“日本のジャンヌ・ダルク”に変更だね!」
「神話再現だけで十分よ。史実再現までする必要はないから」
空気を読んだのか呆れがちに呟き、マリはこの話題を終了させてくれた。そして、モニターを一瞥し、息を吐く。継がれた言葉は訓練開始の一言だった。
「ボサっとしてないで、戦闘訓練よ。ソラには足りないものがたくさんあり過ぎる」
「その点は同意だな。……やはり、ソラ一人だけじゃ」
メグミが思いつめた表情で小さく呟く。気になってソラは問い詰めたが、メグミは答えてくれない。
「うーん」
ソラが唸って、メグミをじと見。だがしかし、彼女はそっぽを向いて秘密を隠す。
「どうしたのー、ソラちゃん」
「んー、何でもない」
ソラは答えをはぐらかして、訓練室へと移動し始める。残ったホノカがソラの背中と考え込むメグミを見比べて、寂しそうな表情を一瞬だけ作る。
「空気が変わっちゃったねー。前は隠し事なんてなかったのに」
※※※
魔術評議会にはそれぞれの著名かつ強力な魔術師十二名が出席するならわしだ。古代、近代、現代、三流派の中の、さらに複雑に分別された様々な組織や結社の中から選ばれた代表が議論を交わす。
マスターアレックとマスターハルフィスは議会の席に座った。対等である高位魔術師たちが続々と姿を現し円卓に座っていくが、いくつかの席に空きが見られる。アレックが彼らの行方を問いかけた。
「鋼鉄の錬金術師とフィリックは何をしている?」
「レオナルド様は……くだらない出来事で呼び出した場合、召喚者を串刺しにすると。フィリック様は――」
「ああ、わかっている。天使との交信を継続中。奴が実際に天使を呼び出した瞬間を見た者はこの中にいるか?」
アレックが皮肉を漏らすと、アレックに寛容的な魔術師が笑いかけた。逆に、古代流派が座る座席からは無言の威圧しか飛んでこない。辟易していた。これ以上にくだらない争いごとをアレックは見たことがない。
「今日の議題に、レオナルド殿とフィリック殿は必要なかろう。極論を言えば、私とハルフィス殿の二人だけで十分だったはずだ」
「アーサーのお出ましじゃの」
ハルフィスがアレックに耳打ちした。アーサーがランスロットを連れて議会に姿を現したのだ。
「どうであろうな。なるほど、確かに興味がないマスターは何名かいるようだが」
アレックは空席を一瞥。席が五席も空いている。行方をくらました魔術剣士ファナムや世俗に興味のない聖人リーンを除き、奇妙なことに古代流派は一人を除いて全員が出席していた。あまりの露骨さにアレックは呆れ果てる。
「黄昏の召喚者オドムと最古の魔女ミルドリア。お二方は随分熱心なようだ」
「評議会が招集されたのだ。出席するのが習わしであろう」
不老不死を獲得しているはずの魔女は数千年も生きているはずなのだが、老婆や女性をではなく、少女の姿を維持したままだ。栗色の髪をくるくると弄ぶとんがり帽子を被る魔女は、多くの男性を魅了する容姿でアレックに嫌味を言う。
黄昏の召喚者であるオドムも同意して、アレックを睨む。隣のハルフィスが反論した。
「これは魔術教会の根底すら揺るがす大切な議題じゃ。議会が招集されたからなどという無関心を露呈するような言い草で臨んでもらっては困る」
ミルドリアが顔をしかめる。オドムは尊大な態度。見かねた近代流派のエデルカが声を上げた。
「して、巨兵の使い手ゴックディアは何をしているのです? 私は彼を三年程前から見ていません。レオナルドやらフィリックのように数回席を外すと言うならば容認できますが、これほど期間が空いたとなると、別の人物を導師にせざるを得ません。ファナムやリーンについても同じようにするべきかと」
「何を言う小娘が。お前はせっせと魔術書を書き溜めていればいいのだ」
ミルドリアがエデルカに言い返す。同じ女性であるエデルカをミルドリアは敵視している。理由は単純、若く美しいからだ。眉を顰めた銀髪のエデルカを庇うように、創作魔術の探究者ハボックが口を挟む。
「ミルドリア殿、あなたはどうやら長きに渡り世界に存命し、精神的な不調をきたしているようですな」
「かの偉大な魔術師に対し、その物言い、失礼ではないか、若造が!」
始まってすらいないのに、議会の継続が危ぶまれてきた。アレックはやれやれと肩をすくめる。ここにいるのは高位の魔術師だ。導師として弟子を鍛え、魔道の業を伝授する教授には長けているが、皆政治家ではない。所詮、実力があるだけの魔術師でしかないのだ。恐らく、浮き島中を探せばこのような議会を一纏めにする才を持った人物がいるだろう。しかし、そのような者は陽の目を見る機会がない。魔術師は実力を重視する。弱ければ、何もできない。どれだけ才能を持っていようが。
「静粛に。皆の者、今日の議題を忘れたか?」
口論を見守っていたアーサーが訊ねると、全員押し黙った。皆が皆、自分勝手な主張を続ける中で、最も影響力を持つのがアーサーだ。彼には発言権がある。彼と円卓の騎士が主に戦争という雑務を一手に引き受けているからだ。
誰も戦争には関心がないのだ。ここにいる高位魔術師は復讐心も正義感も焦燥感も持ち合わせていない。自身の研究か資産の増加にしか興味がなかった。なにせ、戦争は弱き者同士が行う愚かな所業なのだから。
「事の発端は円卓の騎士配下の下級騎士が、儂の弟子を攻撃したことじゃな」
「つまり、アーサー殿がドルイドに喧嘩を売った、ということか?」
ハボックが疑惑の眼でアーサーを見る。すると、従者として付き添っていたランスロットが声を荒げた。
「憶測で物事を語らないでいただきたい。先の件は下級騎士の暴走によるもの。こちらにドルイドと対立する意図はありませぬ。しかし、こちら側に否があることは明白。ゆえに、この場を借りて私が謝罪を申し上げたいと……」
「待て、ランスロット卿。普通、このような場合は主が頭を下げるべきではないか?」
アレックの発言で議会がどよめく。特に、古代流派のミルドリアとオドムの視線が鋭い。対して、エデルカはアレックの言う通りですと賛同し、ハボックもその通りだと頷いている。
「我らが王に頭を下げろと? 本気かアレック殿」
「それはあくまで貴君たちの縛りだろう。我々に王はいない。魔道を司る者同士、立場は対等なはずだ。それはかの有名なアーサー王伝説を再現した者であろうとも例外はない。己が非を認めると言うならば、正式な謝罪を、騎士を統括する者がすべきだ」
古代流派の罵倒がうるさくなった。同じく古参のハルフィスではなく、なぜかアレックに非難が集中している。いつもこうである。穏健派と過激派がどうでもいい議論を交わし、中立派は面倒くさがって出席を拒む。
「なるほど、一理ある」
アーサーは薄ら笑いを浮かべながら、アレックの提案に乗っかった。
金髪碧眼の男はアレックへと視線を向け、議会のメンバーを見渡した後、ハルフィスに顔を向けた。頭を下げる。私の不注意だ。すまなかった。その一言で、嵐が過ぎ去った後のように議会が静まりかえる。
「もうよい。正直なところ、謝罪はそこまで重要ではないのじゃ。今後のことを話し合いに来た。これ以上戦火を広げるべきかどうかをの」
ハルフィスはアーサーに頭を上げさせて、議会の顔ぶれを一瞥した。白髪の老賢者は老若男女が揃う導師たちに提唱する。
「戦力差は歴然じゃ。これ以上戦争を長引かせる必要があるかの。そろそろ和平交渉に入る時期だと儂は思う」
「和平? 交渉? 言わせてもらうがハルフィス殿。連中に交渉できるほどの頭があるとは思えませんな。自らが我々よりも劣っているとする劣等感の塊ですぞ? 嫉妬から猿のように武器を執り、自分の欲望を曝け出すまま我らに攻撃したのです。立場を弁えずにね。動物は動物らしく檻に入れるか、殺処分するべきだ。奴らは百害あって一利なしですぞ」
過激な内容を論するオドム。次にエデルカが口を開いた。
「殲滅の是非は後ほど問うとして、ハルフィスの案に乗ってみた場合の話をしましょう。暴力的な思想を持つ者たちが防衛軍に混じっていることは明白です。例え和平が成立したとしても、彼らは協定を破って攻撃を加えることでしょう。でしたら、彼らを話ができる者と話ができない者の二つに別れさせて、話ができない過激な連中をどこか別空間に閉じこめてしまえばいいのではないでしょうか。そして、彼らをどうしても復讐心を捨てきれない者たちへの生贄とすればいいのです。残念ながら、我らの中にも復讐心を持つ未熟な者たちが混ざっています。彼らが精神をコントロールできれば良いのですが、難しいでしょう。無論、彼らが私のように精神を隔離したいと申すなら、喜んで手を貸すのですが」
エデルカの話は合理的だ。彼女は魔導書や魔術書を書くために邪魔な感情を排斥している。そのため、なぜ人が復讐に奔るのかわからない。アレックも復讐に肯定的な立場ではないが、許容はできる。理解は示せる。だから、アレックはエデルカの案を否定した。
「そう単純な話ではないな、エデルカ。感情は伝播する。人とは共感する生物だ。復讐とは、当事者だけで行われるものではない。時として、第三者が復讐を成す場合がある。被害者に同情してな。復讐心を持つ者だけを隔離したところで解決にはならない」
「やはり殲滅だ! 皆殺しにすればよい。どうせ奴らは地球の資源を無意味に食いつぶす害虫だぞ!」
オドムが声を荒げたところで、題目の提示者ハルフィスが言葉を放つ。
「それを言うなら、なぜ北米と南米を潰したのか、アーサー。この二つが残っていれば、人間たちも議席についたはずじゃ。二つの大陸が滅んでしまったゆえに、奴らの交渉の余地を潰してしまった。人間はこれが人類の存亡をかけた防衛戦争だと認識し、儂らを侵略者扱いしておる。遥か昔から我々は共存を――」
「何が昔から、だ! 魔女狩りを忘れたとは言わせん! 愚かにも奴らは二度も魔女狩りを行ったのだ!」
「過去ばかりに囚われていますな、ミルドリア殿。やはり、そろそろ新しき世代に――」
「口を出すなガキめ!」
「くそっ、結局こうなるのか。落ち着け、皆の衆! これは議会だ、子どもの喧嘩の場ではない!」
「アレックに賛成です。――どうか、皆、落ち着きを取り戻し、冷静に話し合いましょう」
「このガキ共め! エデルカ! 貴様はアレックに惚れてるのだ! だからアレックの助太刀をする!」
「何をおっしゃるのですミルドリア。冷静になってください」
ミルドリアはエデルカを攻撃し始めた。おかげで、冷静だった者の一人が議論に応じられなくなった。このままいつもと変わらぬ結果が待ち受けているであろうことは明らかだった。
アーサーが口を開いて、全てを私に一任してくれればよい。そう述べて、評議会は閉廷するのだ。
案の定、アーサーがよく通る声で語り出した。アレックの予想と違ったのは、そこで議会が終わらなかったことだ。
「ハルフィス殿、自然を愛するドルイドよ。北米と南米を潰した理由は以前にも説明しただろう。我らが一線を越えぬようにと手段を選ぶ間、防衛軍は愚かにも核攻撃を実行した。我らは核ミサイルを米国本土へと跳ね返し、その後報復としてアメリカと北米大陸を壊滅させ、危機感からか苛烈な攻撃を加えてきた南米も討ち取った。それだけのことだ。我らは何度も降伏の機会を与えてきたが、奴らは銃弾で応答した。だから始末した。やり過ぎではあったと思う節もある。だが、奴らは耳を貸さなかったのだ」
「その結果が現在の鎮静化に繋がっている。防衛軍は攻撃が愚行であるとようやく気付いた。であるから鉄の箱の中に閉じこもって、攻撃されませんようにと祈りながらびくびく震えている。この現状に何が不満なのだ?」
オドムの問いにハルフィスは静かに応えた。その回答はこの場にいる全員が少なからず注目するものだった。
「ブリュンヒルデ。裏切り者の魔術師じゃ。不吉の予兆じゃよ。ラグナロクが起こるかもしれん」
「お言葉ですがハルフィス。歴史書を分析する上で、戦いは質対質へと移行したことを、浅いながらも存じております。しかし、ブリュンヒルデはあなたの弟子を逃している。なるほど確かに、最低限の強さを持った魔術師かもしれません。ですが、脅威であるかと言うと難しいところです」
「……油断大敵、とも言う。北欧神話におけるヴァルキリーは、ブリュンヒルデ一体ではない。裏切り者も一人ではない可能性がある。早い内に手を打つべきだ。今ならこちらが多少譲歩することで、連中も交渉に応じるかもしれない」
アレックが希望的観測を述べると、オドムが怒り口調で突っかかってくる。
「譲歩! 話にならんな、アレック! むしろブリュンヒルデは殺すべきだ。言わば奴は、防衛軍の反抗の象徴とも言うべき存在だろう? ならば、ブリュンヒルデを殺すことで敵は勢いを失う。譲歩などせずとも白旗を上げるだろうよ」
「しかしそれでは」
「それでは? アレック、お前、人間に同情しているのか? 奴らに同情する必要がどこにある。家畜を愛でるのは勝手だが、自分の価値観を我々に押し付けないでもらいたい!」
「それは過ぎた発言ですよ、オドム。あなたこそ、自分の価値観を私たちに押し付けている」
「エデルカの言う通りじゃな。家畜という表現はふさわしくない。彼らも寵愛すべき自然の一部。意志を持つ我々と同格の存在じゃ」
「殺すべきかは直接会った魔術師に確認するべきでは? 無理強いされている可能性も十分にある」
ハボックの提唱を一蹴したのもまたオドムだった。黄昏の召喚者は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「無理強い? ふん、ブリュンヒルデの奴めは欲に駆られて、ほだされているだけに決まっている。無名の魔術師が俗世に染まり、出世欲に呑み込まれた。ブリュンヒルデが神を裏切ったヴァルキリーであることを忘れたか?」
誰しも北欧神話は熟知している。ゆえに、ブリュンヒルデの末路も存じている。だが、神話再現は細部まで再現するものではない。都合の良い部分だけを再現し、圧倒的な強さを得るのだ。それほどの魔力量を秘匿していた無名の魔術師。そんなものが知覚されずに存在するとはとても思えなかった。ゆえに、皆、対応に困っている。
「どこも同じか……」
全員が押し黙って考えあぐねている時に、アーサーはか細く呟いた。呆れるように。気に掛かったアレックが訊き返す。
「今何と言った、アーサー?」
「いや」
アーサーはまた冷笑を浮かべた。
「敵も似たようなことを考えているのではと思ってね」
※※※
「――ということだ。これで、お前がどれほど浅はかな行動に手を染めたかわかったか?」
「はい、承知しております」
と素直に頷きながらも、相賀は別のことを考えている。日本からロシアの防衛軍本部へと呼び出されてみれば、相賀の責任問題を追及する茶番が始まったのだ。
正直、無視してさっさと手綱基地へ戻りたいところだが、耐える。ここで無視して後に妙なことをされては堪らない。この場にいても、彼らが相賀を罰せないことは明白なのだ。相賀は魔術師に対抗できる貴重な人材だ。彼の損失は防衛軍にとって大きな痛手となる。
しかし、この裁判でも受けているような議論場はあまりにも窮屈だった。相賀の対面席には防衛軍の将校クラスの軍人たちがずらりと並んでいる。相賀を庇う者はいない。以前はいたが、戦死してしまった。
「ヴァルキリーシステムは破棄する予定だった装備だ。それをお前が勝手に使用したことで、敵を刺激してしまった。一時停戦状態となっていた戦況が一気に動き出すぞ」
「と言われましたが……えーと、エレディン少将?」
この軍服姿の男の名前は一体誰だったか。敵と仲間の名前は忘れないがどうでもいい人間が相手だとどうしても記憶力が悪くなる。
「礼儀がなってないな、相賀大尉。しかし、許そう。発言を許諾する」
「ヴァルキリーシステムの使用なしには、この戦争の勝ち目はありません。防衛軍の全戦力を投入しても、敗北は時間の問題でしょう。これには、皆さんの同意が得られますよね?」
一昔の軍隊なら相賀は殴られたかもしれない。しかし、今相賀を殴れば、相賀は魔術師に操られている可能性があるとして、拳銃を突き返すことができる。相賀の常套手段だ。それを知っているからこそ、お偉方は説教だけで事態を済ます。
「だからこそ、新兵器の開発に時間を有していたのだ。だが、お前のせいで全て台無しだ。しかも、お前はあれを軍人ですらない民間人に手渡してしまった」
「仕方ないでしょう。あれを使用できるのは一握りの人間だけ。一定の心理状態を維持する者だけです」
「それが青木空であるとお前が言うが。彼女は魔術師の疑いが掛けられていなかったか?」
「それが誤解であることは既に調査済みです。俺たち――いや失礼、私の部隊が送った調査書に目を通していただければわかるはずですよ」
もういっそのことぶちキレてしまえ。そうすれば、お前たちを黙らせることができるのに――。相賀は半ば本気で願っていた。
彼らが相賀を殺そうとした瞬間、近くに待機する相賀の仲間たちが部屋へと流れ込み、敵の諜報員である嫌疑がかかったお偉方を一斉に始末する。そうすれば、和平交渉の道が開けるのだ。魔術教会の中にも戦争を快く思っていない勢力は存在する。
「ふむ、なるほど。確かにその通りのようだな」
防衛軍の最重要人物、或いは目の上のたんこぶであるディアゴ元帥が重々しく肯定した。
「だがしかし、美木多天音大尉のことを忘れたわけではあるまい?」
「……ええ、もちろん」
その名前はあまりにも苦すぎる。思わず感情を表出していないか心配になったほどだ。ディアゴはその女性が相賀にとってどれほど重要なのかを把握している。ゆえに、口に出し、相賀のペースを掻き乱した。
「彼女の犠牲を元にして、ブリュンヒルデは今も青木空特務兵の元にある。不穏な事態が起こらなければいいが」
「それはどういう意味でしょう」
「言葉通りの意味だ、大尉。これ以上話しても無駄だろう。遠路遥々ご苦労だった。もう下がってよいぞ」
思いのほか、ディアゴ元帥は物わかりが良かった。将校たちの中で一番油断ならないのがこの老人だ。相賀は去っていく彼の背中に鋭い視線を送る。
ディアゴは、その視線を受け流し、議場を立ち去る。
(俺が帰るまで、何も起こるなよ……)
相賀が心の中で、ソラたちに想いを馳せながら念じる。だが、残念なことに経験上、彼の思い通りに事態が進むことはあまりない。
※※※
「下手過ぎ! ちゃんと狙って!」
マリの罵声を浴びせられ、ソラは気落ちしながらもそれを構えた。
ソラが右手に持つのは槍――先端部分に銃口のついた銃槍だ。
さっきから的に向けて撃っているが、見事に全弾を打ち損じ、弾外しの天才などと揶揄された。
「剣もまともに使えないのに、銃なんてちゃんと使えないよ! せめて拳銃とかに……」
「拳銃もヴァルキリーの追加装備に含まれてるけど、あれは最後の自衛手段よ? 長物が弾切れになった時に使う非常手段! へたくそなんだから、拳銃なんて後回しに決まっているでしょう!」
使い手によって驚異的な強さを発揮するピストルも、あくまで副武装に分類される銃器だ。主武装を先に扱えるようにしておくのは当たり前、らしいのだが、ソラには拳銃の方が使いやすく見える。
「あなたは何でもできなくちゃならない――。人を殺さないのは、人を殺すことよりも遥かに難しいからね。信念があるのなら、貫き通しなさい」
「はぁい……」
嫌々ながらも、ソラは教官モードのスイッチが入ったマリへ返事をした。言いだしっぺはソラなのだ。訓練に付き合ってくれるマリをないがしろにするのは自分勝手だ。これは彼女の好意なのだ。例え、心の奥底でお節介過ぎると思っても。
「嫌な予感がするの。私は嫌な予感がした場合、例え無駄になると思ってもそれに備えてきた。無駄になるくらいでちょうどいいのよ。むしろ、あらゆる訓練を無駄にするつもりで動きなさい。生き残って訓練は無意味だったと愚痴をこぼすだけでいいの。自分の気持ちだけじゃなくて、遺された者の気持ちを考えながら――」
ソラは詳細を知らないが、マリは姉を戦場で亡くしているらしい。そのためか、マリの言葉はよく響いた。
ソラは全力で訓練を行う。心なしか、ゆっくりとだが、実力が向上している気がしていた。