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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第十章 鎮魂
78/85

ヴァルハラ軍対マーナガルム

 闇に吼えるものの出現は浮き島の制空権を確保しつつあったペガサスⅡからも見えた。

 相賀はVTOLモードでその異形に照準を向けつつ部隊に指示を出す。


「よし、グルファクシチームは周辺を警戒。俺たちスレイプニールは――待て! 回避しろ!」


 相賀は敵の気配を察知して部隊に回避命令を出す。だが、相賀の近くで警戒していた僚機が破壊された。

 すぐにVTOLを解除し、スレイプニールとグルファクシの両チームは回避運動を取る。


『隊長、ドラゴンです! ドラゴンが!』

「……そうみたいだな。赤い竜か」


 巨大な赤竜が大空を羽ばたいてこちらに近づきつつある。ファフニールとはまた別のドラゴン。

 一体どこの出自の竜だ。相賀が思案したその時、明確な答えが後方から現れた。赤竜に気を取られていた機体を難なく体当たりで破壊しながら、白竜がその巨体を晒す。


「赤い竜はブリテンの象徴で、白竜はサクソン人。アーサー王伝説か」


 予言者である大魔法使いマーリンがその戦いを見て涙したという二つの竜はファフニールのように名が通った竜ではないが、難敵であることに変わりはない。

 だが、ペガサスⅡの火力を持ってすれば、例え二体の竜が相手でも撃ち勝てる。そう判断したのは相賀だけではなかった。


『敵の増援を確認!』

「気を引き締めろ」


 相賀は友軍に喝を入れて、その飛行部隊を睨んだ。シャンタク鳥と戦闘機、戦闘ヘリに魔術師まで混ざった混成部隊。その中の中心人物は相賀が瞬時に正体を把握できる人物だった。


「ヘルヴァルド……」

「待っていたぞ」

「そうだな。俺も待っていた」


 深紅の魔剣の異名を持つ女剣士。血のように紅い鎧を身に纏う彼女へと相賀はペガサスⅡを奔らせる。科学と魔術の力で驚異的な加速力を可能にしたジェットエンジンを用い、アフターバーナーを唸らせた。


「奴には手を出すな。手を出せば殺す」


 ヘルヴァルドが部下に言い聞かせ、相賀も似たような命令を出す。


「殺しはしないが似たようなもんだ。奴は俺が倒す。お前らは周りの雑魚を掃討しろ」

『雑魚? これのどこが雑魚なんです!?』

「アイツに比べれば雑魚さ」


 惑う友軍の無線に応え、相賀とヘルヴァルドは因縁の戦いへ興じる。機銃が轟き、魔剣が天を斬り裂いた。



 ※※※



 ヴァルキリーがニャルラトテップと対峙し、相賀がヘルヴァルドと交戦を開始した頃、メローラたちはかつての原型をとどめていない殺風景な浮き島の内部へと侵攻を続けていた。

 自然と年代を感じる建築模式は崩れ去っている。辺りにあるのは、とりあえず設置されたと言わんばかりの白い建物だ。ところどころに魔術的紋様が刻まれている。召喚を行うための魔法陣だとメローラは一目でわかった。

 アテナがその壁に触りながら訊く。


「壊しとく?」

「壊したところで意味ないわ。もう使い終わった後。そうやって壊させて位置を特定する腹積もりなのかもしれないし」


 メローラは思索を続けて、無骨な街の中を進んでいく。どれも白、白、白。まるで自分たちの潔白を強調するような光景にメローラは吐き気を催す。父親が目指す世界もこんな街並みなのかもしれない。

 白は純潔さの象徴。だからこそメローラは不快感を拭えない。マーナガルムのどこが純潔なのか。奴らには赤い血こそふさわしい。


「落ち着け。いきり立つな」

「ご心配どうも、お兄様」


 兄に諭されて、メローラは若干不機嫌になる。地上部隊は当初の予定とは打って変わり、魔術剣士を中心とするフギンとケラフィスが指揮を執るムニン、リーンが隊を率いるミーミルの三チームに別れている。いずれもオーディンの眼と耳であり助言者であるコードネームだ。

 ケラフィスは聖杯の確保に向かい、メローラはモルドレッド、アテナ、ジャンヌを主とするメンバーと行動を共にしている。リーンは浮き島の制圧を目論んでいた。

 ブリトマートは付いてきたがったが、ケラフィスの護衛を言い渡している。自分の傍にいるよりも離れている方が真価を発揮できるという判断だ。


「にしても変じゃない? まだ敵に出くわさないなんて」


 ジャンヌが仲間と周辺を警戒しながら言う。それはメローラも不審に思っていたことだ。

 いや、当然と言えば当然かもしれない。アーサーが壊されて最も困るのが聖杯だ。ゆえに、聖杯への守りを固めていると推測しメローラは、


「――よく来たな」


 物陰から語りかけてきた父親の歓迎を受けた。


「来たわよ、お父様」


 メローラはゲイ・ボルグを構える。モルドレッドとアテナも抜剣。メローラが選抜した少数精鋭の仲間たちも剣や槍、杖や突撃銃を構えた。


「自信過剰ではないか? たったこれだけの戦力で私を殺す気だったのか?」

「それを言うならお父様もでしょう。護衛もなしにのこのこ一人で出てくるなんて」


 と言いつつ、メローラは心の中で悪態をついている。今、父親に出くわすとは考えてもみなかった。

 もちろん、メローラは父親を倒す気でいたし、それは仲間たちにも通達してあった。だが、不意を衝くつもりで計算していたのだ。なのに、見事先手を取られてしまった。

 アーサーは堂々とした立ち振る舞いで、娘から視線を移し、息子が腰に差す剣を見つめた。剣の中の王者の異名を持つクラレントを。


「ふむ。裏切り者からの贈り物か?」

「そうとも、父上。ランスロット卿だ」

「だろうな」


 アーサーは全てが予定調和というように相槌を打つ。裏切り者に興味がない様子だった。


「気付いていたの?」

「最初から裏切るつもりだと気付いていた。だが、有能だったのでな。使わない手はないだろう」

「流石、お父様。でもその傲慢が命取りとなるのよ」


 メローラが敵意をむき出しにするが、アーサーは冷酷な笑みを浮かべるだけに留まった。


「全く同じ言葉で忠告しよう、娘よ」

「ッ、攻撃開始!」


 メローラが命令を下す。指示に従い、アーサーを取り囲むようにして仲間たちが立ち位置を取った。だが、アーサーはまだ剣を抜かない。遠方の建物の陰に目を移し、興味深そうに見つめている。


「ふむ、傍観するつもりか」

「よそ見している暇がおありですか!」


 メローラが槍を突く。だが、アーサーは最低限の動作で避ける。

 そして、背後から斬りかかった魔術師に居合切りを見舞った。腕が飛び、悲鳴が叫ばれる。

 メローラたちが攻勢を止め、様子見を始めた。じりじりした緊張感が場に満たされる。下手に動けば殺される――。皆がそう考えている。

 アーサーだけが優雅に佇んでいた。装飾の施された勝利の剣を携え、ほくそ笑んだ。


「では、望み通り剣を執るとしよう。――覚悟しろ。肉親とは言え、容赦はせん」

「望むところよ!」


 メローラが再び攻撃命令。父と子の復讐劇が幕を開ける。



 ※※※



 他の部隊の例に漏れず、聖杯への道のりも何かしらの罠を臭わせる簡易なルートだった。目立った敵は現れず、支援部隊も砲撃準備を妨害されることなく続けている。

 しかし、ヤイトは慎重深く警戒しながら歩を進め、ケラフィスも同じように辺りへ目を光らせていた。


「聖杯は浮き島の中心部にあると俺は考えている。守りやすく、攻めにくい。キャメロット城の地下だな」

「メローラさんが構築した秘密の抜け穴を通るメンバーと、正規ルートを通るメンバーに分けた方が良さそうですね」

「部隊をさらに分けるのか」


 支援部隊に指示を出していたレオナルドが会話に入ってくる。ハルフィスが率いるドルイドたちは箱船の援護のため退却したので、前線にいるの錬金術師とナポレオン率いる砲兵たちだ。

 ケラフィスが彼に応じる。


「そうです。マスターレオナルド」

「敵の思惑通りに動いている予感がする。連中は各個撃破を目論んでいるのではないか?」

「だとしても、一網打尽にされるよりはマシです。僕たちには時間も戦力も余裕もない。誰か一人でも聖杯に辿りついて破壊できれば、勝利を掴めます」

「ヴィンセント。奴めどこにいる」


 レオナルドが空へ目を移す。しかし、そこには探す人物は見当たらない。代わりに飛んでいるのは浮き島から出撃した飛行ビークルの群体だ。相賀率いる航空部隊と交戦するつもりだろう。

 砲撃部隊が睨むように見上げたが、まだ撃たない。こちらの動きがあるまで下手な発砲を控えている。


「動きは迅速な方がいいでしょう。先述した通り……」

「わかってる。時間がない。俺たちは正規ルートを通る。ヤイトは抜け道を辿ってみてくれ。気を付けろよ。行くぞ」

「言われなくてもわかっている」


 ブリトマートが毅然とした態度で応え、ケラフィスたちが堂々と王城への道を進み始めた。それを見送った後、ヤイトも行動を開始する。主に隠密訓練を受けた兵士たちと共に、メローラが教えてくれた湖側の道を歩き出した。

 そこへレオナルドが指示を送る。手筈通りに、と。

 ヤイトは手でサインを返し、問題ないと応える。レオナルドと彼の弟子たちは遠隔錬金という特殊魔術を使うことができる。座標さえ送信できればこれ以上に強力な支援はない。問題は、その隙があるかということだけだ。

 例え地図には乗らない秘密のルートだとしても、ヤイトは警戒を怠らない。ウルフに教わったアメリカインディアンであるモホーク族のスカウト技術を駆使しながら索敵し、城の外壁、レンガをメローラに教えられた通り触れた。

 魔術装置が反応して、入り口が開く。ヤイトは仲間に目配せし、中へ入った。

 そして――自分が罠に嵌まったことを知る。


「ッ! 下がって!」


 ヤイトは仲間に指示を出し、どうにか部隊の安全を確保することができた。入り口の床に正体不明の魔法陣。幸いにも乗ってしまったのはヤイトだけ。

 光に包まれながら、ヤイトは次に起こるリアクションを考慮する。地雷の類であれば、思考する余裕があるのはおかしい。そう考えた次の瞬間には、別の部屋に転移していた。

 バトルフィールドにふさわしい開けた部屋だ。おあつらえ向きに、隠れられる障害物も設置してある。

 まるで――サバイバルゲームのフィールドのようだ。違うのは使用する弾薬がBB弾ではなく、殺傷力のある銃弾である部分だった。


「よぉ」

「……シャーク」


 声を聞いただけで、瞬時に何者か把握する。魔術的強化を施されたパワードスーツスワローに身を包んだシャークが、拳銃を構えて前方に立っていた。好戦的な笑みを浮かべている。


「覚えてくれて嬉しい限りだよ。ウルフはどうやら死んじまったようだし、誰を相手にするかすごい悩んだからなぁ。結果としてお前に白羽の矢が立ったわけだ。少々実力不足なのは否めないが、お前は敗北から学習できるタイプだろ? 俺の手口がどんなものか理解できてるはずだ。まぁ、仮にあっさりお前を殺したとしても、相手は山ほどいるからな。そこまで残念ってわけでもない」

「どうして戦うんだ。あなたに世界を滅ぼす理由はないはずだ」

「どうしてそんなこと訊くんだ。お前に俺を気遣う理由はないはずだ」


 ヤイトの口調を真似して、シャークはにっと笑う。拳銃を愛おしそうに見つめて、こう語った。


「理由は単純だ。わかっているだろ? 楽しいからよ。お前はつまらないことに努力するのか? 違うだろう? 必要なことと楽しいこと。人はそれに努力するのさ。まぁドMだっていうなら話は別だが、俺は戦いが好きだ。殺戮が大好きだ! 殺されるかもしれないという緊張感はゾクゾクするねぇ。一時は政府の狗になることも考えた。魔術師と人間がアーサーとヴィンセントの掌の上でころころ転がりながら道化戦争に興じる前だ。だが、奴らは正義だの安全だの……ダメダメだ。人が死なないよう鋭意努力して、作戦を立てやがる。それはダメだろ! 人が死ぬようにしなくちゃ楽しくない! 孤立無援の状況で、今ある僅かな装備でどう生き残るか……それが最高なんだ。奴らはそれを忘れてる。人間が戦争を行ったのは生活に必要だったからじゃない。それが楽しかったからだ」


 シャークは得意げに持論を述べ、ヤイトの反応を窺っている。ヤイトはその理論に反論することなく淡々と話すべき事柄だけを告げた。この男は曲がりなりにも信念を持っている。下手な説得をしたところで、応じるはずがないという判断からだ。


「傭兵である以上、こちら側に付くチャンスはあったはずだ。でもあなたはそのチャンスを生かさなかった」

「人を殺さない戦いってのはつまらない。もしお前たちが殺戮大好きブラザーズだったら、そっちに付いたかもしれないがな。……常人だったらここでサイコパスだ、イカレ野郎だ、キチガイだ、と喚いてくれる。あれはとても気持ちいいんだがなぁ、お前は冷静かつ聡明なガキだ。悪口ではなく行動で示す。物足りないが良しとしよう」

「…………」


 シャークの言葉は事実だった。ヤイトにはこれ以上シャークと話を続ける気力がない。必要最低限の通告はした。後は、行動を伴って排除するのみ。

 ヤイトは背中のライフルを構え狙いをつける。シャークは拳銃を回転させながらホルスターに仕舞い、近くに置いてあったランチャーを取った。


「最高の花火を打ち上げようぜ! 世界の破滅という花火をなぁ!」

「……ッ」


 ヤイトが引き金を引く。シャークのランチャーが放たれる。

 穿たれたロケット弾が空中で炸裂し、開戦の合図を告げた。



 ※※※



「ヤイトが罠に嵌まったらしい」

「ではこっちは安全なのか?」


 無事だった別働隊であるムニンBチームからの報告でヤイトを案じるケラフィスに、ブリトマートは問いかける。

 だが、ケラフィスは難色を示した。既にチームは城内に侵入している。ここまでは安全だったが、これからはどうなのか。このまま何もないという迂闊な早合点を彼はしなかった。


「どうだろうな。何かがいる。それにパーシヴァルの件もある」

「そう簡単にはいかない、か。……な、何を!?」


 いきなりケラフィスに飛び掛かられて、ブリトマートが焦る。だが、ケラフィスは答えずに映画のアクションスターよろしい動きで拳銃を引き抜くと地面に向かって射撃した。

 それでブリトマートも理解する。混沌の従者。以前箱船を強襲したおぞましい異形の怪物たちが辺りに集いつつある。ケラフィスはブリトマートを下から抹殺しようとした従者を倒したのだ。


「す、すまない……」

「いいさ。こいつらは普通の魔術師じゃ感知できない。次はないぞ」


 ケラフィスが通路の壁や天井、床を見渡す。しかし、感知能力に長ける彼といえども、通常なら感じ取れない時空魔術を扱う従者が背後に出現したことは気付けなかった。

 ゆえに、いち早く察知したブリトマートが魔法の槍で突く。後ろを振り向いたケラフィスに、ブリトマートは微笑を浮かべながら言った。


「これで貸し借りはなしだ」

「いいだろう。行くぞ!」


 従者を撃退しながら部隊は進む。一度戦った相手なので、対応策は全軍に通達済み。従者の相手は複数人で行い、焦らず冷静に急所を穿つこと。急所は中心部分にある。弱点の解析は、ユーリットたちが仲間としたイソギンの愛称を持つ従者のおかげでできていた。

 彼女を助けて良かったとブリトマートは改めて思う。善行が報われるとは限らないが、報われた時の喜びは一入ひとしおだ。同時に主であるメローラの先見の明と、人助けが楽しいからやめられない、と豪語していたケラフィスの気持ちも。

 なるほど、確かにこれはやめられない。痛快であり爽快。勝利した時に味わうものを勝利の美酒というのなら、これは救済の美酒だ。あまり酒は得意ではないが、こんな感覚を味わうことができるなら、もう少し積極的に人を救ってもいいかもしれない。

 一人では困難だろう。誰かパートナーが必要かもしれない。阿吽の呼吸で動ける、自分の弱点を補える正反対の相棒が。


「……余裕だな」

「どうした?」


 先を走るケラフィスがブリトマートを一瞥して呟く。その後に続いた彼の言葉に、彼女は白い肌を真っ赤に染め上げた。


「戦闘中ににやにやする余裕があるとは」

「にやにやなどしていないッ!」


 ブリトマートは手近な従者のコアを槍で突く。ケラフィスも飄々とした態度で天井に張り付いてアンブッシュしていた従者に銃弾を見舞った。

 怒るなって、と宥めるケラフィスの声を聞きながら、階段を下っていく。下りた先は魔術知識のある者ならすぐにでもわかる大量の術式が刻まれた通路だ。

 先には淡い光が見えて、その前に一人の騎士が仁王立ちしている。紫色の鎧。聖杯を守護する命令を王から承ったパーシヴァル。


「ここからは通さんぞ。私の命に代えてもな」

「なら俺たちの勝ちだな。命令されたんで、仕方なく命を投げ出しますなんて言う奴に負ける気はしない」

「そうだな。その考えには同意だ、ケラフィス」

「……それは短絡的な思考というものだ。裏切り者。ここで朽ち果ててもらう!」


 パーシヴァルは剣を引き抜いた。ケラフィスが号令を出し、部隊は油断することなく騎士へ距離を詰める。



 ※※※



 リーンが指揮するミーミルは森林地区の中を進んでいる。が、レミュも隣で並走するきらりも違和感を拭えなかった。

 意図的にこの森は残されている。それが部隊の共通認識だった。浮き島は要塞化され、わざわざ緑を残す理由はない。ここは魔術的に必要な森なのだ。それはつまり罠である、ということを暗に示している。


「ふむ。しかし静かじゃ。瞑想もできそうじゃの。これならジジイもこっちに連れてくるべきだったのう」


 リーンが木々を観察しながら独りごちる。ドルイドは自然の知識に長けている。リーンも何千年と生きてきた魔術師なので自然を用いた魔術に疎い訳ではないだろうが、やはり専門家がいた方が安全策も取りやすいのだろう。


「何かぞわぞわする……」

「まさか、トイレですか、きらり。このような時に」


 レミュがいつも通りに対応する。冷静さを失っていない証拠だ。

 しかし、きらりは頬を紅潮させて言い返した。違うよ! と大声で叫んで咄嗟にレミュが彼女の口を塞ぐ。


「いけません……!」

「あ、ご、ごめん。でも、ぞわぞわ……ざらざらする? 何かが茂みに潜んでいる気がする」

わたくしは何も感じませんが……」


 レミュは辺りに視線を奔らせた。だが、薄気味悪い森、という印象しか浮かばない。黒い森でもなければ、白い森でもない。見た目は何の変哲もない森でしかなかった。


「レミュが鈍感なだけだよ」

「そんなことはありません。わたくしは敏感ですよ」

「それは胸を張って言うことかな……」


 レミュとリラックスした会話を交わしながら、きらりは蹲って木の幹に触れた。そして、飛び上がる。勢い余ってレミュに激突し、彼女は小さな声で悪態をついた。


「一体何なのですか!」

「ごめん、ごめんってば。……鼓動があるよ、この森」

「鼓動じゃと? ふむ」


 リーンも注意深く目を凝らし、そして首を横に振った。彼女にも未知の魔術らしい。

 つまるところ、それは古くからある古代魔術ではない、ということだ。てっきりミルドリア辺りが仕掛けたものだとレミュは思ったが、聞こえてきた声で違う術者の代物だであることがはっきりとした。


「リーン……マスター、リーン……」

「フィリックか!?」


 リーンが声の主の位置を瞬時に特定。そこへ向かって走っていく。レミュたち後続の部隊も追いかけて、フィリックの元へ辿りついた。衰弱した男が、平石の前で蹲っている。非常に苦しみを感じているようだ。

 レミュは聖職者として胸を痛めたが、レミュ自身は治癒を使えない。ホノカ、ジャンヌ、ニケ、ナポレオンの四つの支援魔術を合わせた複合術式のパスを、リーンはフィリックに掛けようとしたが拒否された。


「なぜなのじゃ? これを使えば……」

「も……せ……早く……」

「何じゃと? よく聞こえない」


 フィリックは小刻みに震えながら何かを訴えている。だが、リーンもレミュたちも何を言っているかわからない。言葉が途切れ途切れで、彼が何をして欲しいのか誰も理解できなかった。


「やせ……せせ、せせっせッ!」

「フィリック! しっかりせい!」

「あ、お、ああああああおおおおおおッ!!」


 リーンがフィリックを案じた瞬間、彼は発狂した。奇声を発しながら、身体を躍らせる。地面を転がり、謎の液体を吐きだし、レミュたちを怯えさせた。

 リーンだけは怖じずにどうにか治療を施そうとするが、驚異的な怪力に吹き飛ばされる。その事実にレミュたちはもとより――他ならぬリーンが瞠目していた。リーンは幼女の姿をしているが、戦闘力はフィリックよりも上。これは自他ともに認める周知の事実である。


「何事じゃ。何事、なのじゃ」

「大丈夫ですか、マスターリーン!」

「クトゥルフか。まずいのう。わらわはあまり詳しくないのじゃ。誰か詳しい者はおらぬか?」


 しかしレミュも同様に、リーンと同じ程度の知識しか持ち合わせていない。最低限度、注意すべき事柄についてはあげられるのだが、浅学であることは否めない。きらりも首をふるふると振る。


「わからないよ、私も」

「でも魔法少女きらりではクトゥルフを参考にしたと思しき単語も見受けられましたが!」

「レミュ、アニメと現実は違うよ?」


 あなたがそれを言いますか、と突っ込んでいる暇もない。リーンは部隊を下がらせて、再び治癒を施そうとしたが効果がない。さらに最悪なことに、様子見をしている余裕すら喪失させられる。

 フィリックがまさに変身しようとしていた。狼人間が人型から狼に代わるように、獣型の怪物へと姿を変えようとしている。


「異形化! これもクトゥルフ神話を用いる魔術なのですか!?」

「私にもわかんないよ! ホノカちゃんに連絡した方がいいよ!」

「そのようです……! クリスタルにも応援を!」


 きらりの提案を受けてレミュは通信端末を操作する。使う機会が滅多になかった携帯型の端末に悪戦苦闘しながら応援要請を送信。

 そのすぐ後に、画面にはエラーメッセージが表示された。――妨害を受けています。


「妨害ですか!?」

「えい、下がれ! 誰か伝令を出すのじゃ! 恐らく、この森自体に結界が張ってあるのじゃろう!」

「例の防御装置、やっぱり破壊した方が良かったんじゃ」


 きらりが後悔するように言う。浮き島に障壁を張っていた防御装置は、拠点である箱船が強制的に浮き島内部に囚われたことで優先順位が下がっていた。

 ミーミルが混乱する合間に、フィリックは異形化を成し遂げていた。完全なる獣。狼に似ているが、人型でもある。まさに狼男と形容してもよさそうなその男に聖人の異名を持つリーンと光属性の魔術に長けるレミュは心当たりがあった。


「まさか、食屍鬼グール!?」

「ミュラを呼ぶべきだったかの」


 リーンが歯ぎしりしながら拳に光を纏わせる。レミュも聖エンチャント済みのモーニングスターを取り出し、きらりもロッドを手にする。きらりが最終形態であるレジェンドきらりへと変化する傍ら、フィリックは舌なめずりをした。


「肉、ニク、にくぅ!!」

「よもや生者の肉を喰らう訳にもいくまい?」


 リーンは忌憚ない視線を食屍鬼へと成り果てたフィリックに向ける。彼女の視線には闘争心が渦巻いていた。死体がないのなら、自分で創り出せばいい。そんな思考をフィリックがすると予期している。

 いくら異形化したとはいえ、フィリック一体ならば勝機はある――。リーンはそう考えていたに違いない。

 少なくとも、レミュはそう思っていた。ゆえに、掛け声と共に現れた敵の増援に動揺を禁じえない。


「ここで増援ですか!?」

「怯むな。予定通りだ。恐れることはないぞ」


 発破をかけるリーンだが、額には冷や汗がにじんでいる。

 レミュは息を呑んで、鈍器を柄を握りしめる右手に力を込めた。きらりも同じように、ロッドを力強く握りしめる。



 ※※※



「――ッ、嫌な予感がする!」


 ソラは仲間たちの危機を感じ取っていた。だが、全てを説明する時間がない。ニャルラトテップと闇に吼えるものの猛攻は凄まじいの一言だった。魔術剣士としての修行を終え、レクイエムフォームへと進化を遂げたソラの実力を持ってしても、苦戦を強いられている。


「察知能力が高いのはアドバンテージだが……同時に弱点にもなり得るぞ!」


 ソラと斬り合っていたニャルラトテップが、当惑したソラに聖杖を振り上げる。ソラはオーロラを纏わせた剣で防御し、再び剣と杖の攻防へ戻った。

 すぐ近くでは、ヴァルキリーチームが闇に吼えるものと交戦している。クリスタルが肩部レーザーキャノンと腰部小型レールガン、脚部拡散ミサイルの照準を定め、レギンレイヴの一斉射撃を行った。


「効きはする。効果はあるわ。確かに」


 射撃の成果を確かめて、クリスタルが呟く。その口調は苦々しい。

 レギンレイヴの攻撃力と、闇に吼えるものの防御力ではレギンレイヴが勝っている。闇に吼えるものは軟体状の身体であり、堅牢な防御を保持してはいないのだ。

 しかし、いくらダメージを与えられても直後に再生されては意味がない。闇に吼えるものは、無限に近しい再生能力を持っていた。


「とは言え、ただの的じゃねーか!」

「メグミさん!」


 メグミがナックルダスターで殴りにかかる。闇に吼えるものは方向を上げながら両腕での叩きつけを行うが、俊敏なカーラを捉えられない。下半身へと思いっきり拳をぶつけようとしたメグミは、何の前触れもなく胴体から放たれた触手に腕を掴まれた。


「くそッ! 卑猥な奴め! これだからクトゥルフは嫌いなんだよ!」

「メグミちゃん!」


 ホノカが可変杖を剣モードにして、触手を切り取る。二人揃って離脱したところを、マリがワイヤーを飛ばして電撃を与えた。しばらく沈黙し、闇に吼えるものはまた大地を揺るがす叫びを上げる。


「どうするのよ。ソラの援護もしないといけないのに」


 マリが皆に問いを投げる。視界の端では、ソラがニャルラトテップと武器を唸らせている。

 ソラは大丈夫だよ、と返答したかったが、その余裕はなかった。ニャルラトテップは強い。加えて、時空魔術でいつでも背後を取ってくる。脳裏に浮かぶのはグングニールだが、最悪のビジョンも同時に思い当たったため使用を控える。

 ニャルラトテップは人の精神を砕く戦法を好む。直接的ではなく間接的。グングニールは例え時空に逃げたとしても追尾するが、その間の障害物を避けてはくれない。ソラがかの神具を使用した瞬間、強壮なる使者は時空を跳び、ソラの仲間の後ろに出現するだろう。そして、ソラの心は砕けるのだ。


「お前の仲間は手助けをしてくれないのか? 奴らは体よくお前を利用しているだけではないのか?」

「そんなことない、です!」


 ソラは魔動波でニャルラトテップの動きを止める。動きを封じられたニャルラトテップだが、どこか余裕のようなものが感じられた。ソラは接近を躊躇してそのまま発火させたが、ニャルラトテップは火を時空に飛ばしてソラにぶつけてきた。一瞬炎に包まれたソラはすぐに水を放出して鎮火させるが、その隙に這い寄る混沌はクリスタルの背後へ移動する。


「クリスタル!!」

「大丈夫よ、ソラ」

「――ほう? やるな、人間」


 ニャルラトテップが感心した。クリスタルに致命の一撃を加えようとするニャルラトテップの影に、マリが回り込んでナイフを突き立てている。


「あなたの考えることはわかるのよ」

「そうか。では、これではどうかな」

「――ッ!?」


 ニャルラトテップは自分の身体に杖を突きたてた。切腹する武士のように。

 彼の腹から出た杖は、緊急回避を行ったフリョーズの装甲を貫通。マリはわき腹から血を散らし、苦悶の表情で距離を取る。そこへ触手が追い打ちを掛けた。


「私の親友に手ぇ出すなよ!」


 メグミが割って入る。触手に腕を巻き取らせないよう注意を払いながら殴打で迎撃。だが、それで終わる闇に吼えるものではない。特徴的なだらりとする腕をメグミに叩きつけた。それを腕をクロスして防ぐメグミだが、防いだ腕から触手が伸びて戦慄する。


「――何だとッ!?」

「メグミ!」


 ソラは咄嗟に銀の剣を投げた。魔動力で剣を捉えて遠隔操作する。ブーメランのように自由自在な軌道を描いて剣が闇に吼えるものの腕を斬り落とした。メグミが触手から逃れる。

 しかし、ニャルラトテップの狙いはメグミではなかった。


「油断は禁物だ、ブリュンヒルデ!」

「しまっ――!!」


 再びソラの目前にニャルラトテップは瞬間移動した。聖杖をソラへ叩きつける。咄嗟に退魔剣を引き抜いて合わせたが、このままでは相討ちとなる。そう思ったソラの予測を、彼女の親友たちは覆して見せた。


「させない!」


 ホノカが杖を散弾銃に変形させてニャルラトテップを引き剥がす。さらなる行動を起こそうとしたニャルラトテップは自分が複数のドローンに狙われていることを知った。


「――む?」

「終わりよッ!」


 クリスタルが掛け声と共にレーザードローンを撃つ。大量の光線で八つ裂きにされたニャルラトテップだが、何食わぬ顔で身体を再生した。


「それでは私を倒せんぞ、人間。死者の力を纏うオーロラでなければな」

「……くッ」


 クリスタルが歯噛みする。ソラも焦燥感に駆られながら銀の剣を引き戻した。

 このままではらちが明かない。それに、ニャルラトテップが存在する限り、レクイエムフォームの真骨頂である非殺傷概念が相殺されてしまう。

 早急に、彼を打ち倒す必要があった。ニャルラトテップが身に宿す無限の回復力。それをどうにかして打ち破らなければならない。


「何か方法はないの? ホノカ!」

「……ンガイの森を壊せば或いは」

「ンガイの森?」


 ソラの問いかけにホノカが説明しようとする。だが、飛び出してきたニャルラトテップと絶えず絶叫を放つ闇に吼えるものが時間を与えない。

 ソラは一か八か、賭けに出ることにした。右手をニャルラトテップに、左手を闇に吼えるものに翳す。

 そして、頭に念じた。普段魔動力を使うのと同じように。より強力な枷を相手に打ち込むイメージを。


「そうこなくてはな」


 ニャルラトテップが嬉しそうに言葉を漏らす。闇に吼えるものも哀愁漂う鳴き声を上げた。

 ソラによる拘束で二体は行動不能に陥った。だが、それもすぐに解除される。ソラは力みながら叫んだ。


「早く! 今のうちに!」

「わかった! ンガイの森はニャルラトテップの地球における棲み処だとされてる森なんだー。まさにそこにいる闇に吼えるものの住居。伝承では、クトゥグァを召喚して焼き尽くしたとされてるから、ンガイの森を燃やせば――」

「場所はどこなの!?」

「え、えーっと……北米大陸の……どこかー」


 位置をマリに問われたが、ホノカは曖昧に答える。流石に正確な場所までは記憶してなかったのだろう。

 どうするか仲間たちが目配せをする。が、ソラは会話に入れない。両腕が逆方向に引かれて千切れてしまうような気がしてきた。


「もうそろそろ、限界……!」

「急いで解決策を見出さねえと!」

「でも、場所が曖昧だし、防護フィールドも突破しないと……」


 ソラの苦悶の声に、メグミとクリスタルが焦る。ホノカは必死に頭を回し、マリも焦燥しながら対応策を思案していた。

 部隊が、仲間たちが苦悩している。そんな時、隊長である自分はどうすればいいか。

 ソラもまたニャルラトテップを押さえながら頭を回す。

 考えろ、考えろ。北米大陸は核攻撃で壊滅している。そんなところにわざわざ森を作るのか?


(外ではなく、中! 浮き島……誰か……森の中……見つけた! リーンさんたちのチーム!)


 感知能力が役に立った。世界の声と死者の力を用いて浮き島全体をスキャンしたソラは、森の中にいるミーミルチームを発見。大声を出して、クリスタルに対処を任せる。


「クリスタルはリーンさんたち……レミュさんときらりさんのところへ!」

「どうし――」

「わかったわ、ソラ」


 困惑するマリを差し置いて、クリスタルは即答する。信頼をのせた眼差しを送り、クリスタルは飛翔した。

 そのすぐ後に拘束が解除される。早速ソラを殺しにかかるニャルラトテップを、マリが投げナイフで迎撃した。


「全く、ちょっと妬けちゃうじゃない。私がソラを信じてないみたい」

「そんなことないよ。ふぅ」


 ソラは息を整えて、剣を構え直す。メグミ、ホノカ、マリも横に並んだ。


「この四人で戦うのがえらく久しぶりな気がするぜ」

「どっかの誰かさんが家出してたからね」


 マリがナイフを取り、メグミもナックルダスターの調子を確かめる。


「クリスタルちゃんも心強いけどー、私たちの連携も侮れないよねー」


 ホノカは杖をムチモードに変更。第七独立遊撃隊の時に培ったフォーメーションを実施する時が来た。


「戦力を減らして大丈夫か? 人間共よ」

「もちろんです! 行くよ!」


 ソラが指示を出し、全員がそれぞれの得意な位置取りをする。ヴァルキリーチーム対這い寄る混沌の第二ラウンドが始まろうとしていた。

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