剣の中の王者
「王よ、わざわざこちらに来られなくとも」
「成果は自分の眼で確かめなくてはな」
アーサーはパーシヴァルにそう返しながら、台座の上に置かれる聖杯を見つめた。周囲の床には魔法陣が刻まれ、四大属性の位置も最適な場所に記されている。浮き島内に意図した魔力流を構築し、聖杯への生贄が潤滑に注がれるよう考慮してある。
浮き島は住居であり要塞であると同時に、儀式用の魔術装置でもあるのだ。
「あなた様の設計通り、魂の回収は順調です。邪神の出現もあり、時期に準備は整うかと」
「……お前は敵の狙いをどう思う?」
アーサーは脈略もなく問いかける。パーシヴァルは眉一つ動かさず即答した。
「敵が狙うのはあなた様やヴィンセント様……ではなく、この聖杯でしょう。フレイヤは聖杯を奪取しようと試みるはずです。部下には色々と嘘を吹き込みながら、独自に浮き島内部に潜入し聖杯を奪う機会を窺っているかと。聖杯は奴らにとっても有意義な代物です。やろうと思えば、死んだ者を生き返らせることもできる」
「そう考えるか。……私はそうは思わない」
アーサーは聖杯に近づき、中身を覗き込んだ。憎悪や怨嗟が渦巻いている。
この器に魂を込めるためだけに、殺された者たちが復讐を望んでいる。
いや、殺しに正当性があろうと、殺された者は恨みを抱く。他者を恨まず死ねる者などそう多くはない。
レクイエムフォームは強力であるが、実際にはディースシステムの方が戦闘力は高い。もしヴァルキリーの中で最も適合率の高い青木ソラがディースの力に目覚めていれば、世界は一瞬で破滅に至ったことだろう。
ソラの人格は異常である。あるいは、英雄の格を持つ者。自然から創られた者ではなく、人工的に創られた光と闇を併せ持つ危険な存在だ。
フレイヤはその危険性に気付いている。ゆえに、全てが終わった後、彼女を始末する手筈なのかもしれない。
もしくは、本当に彼女を信頼しているか。
ヴァルキリーシステムこそ破滅装置の具現であることを彼女は知りながら無垢な少女に手渡した。あれこそがヴィンセントの破滅を望む欲求そのものだ。死者は基本的に生者のことなどどうでもいい。己の快楽的欲求の赴くまま自分のしたいことをすれば満足なのだ。
ヴァルキリーシステムは、その快楽的欲求の中の救済欲に目をつけ、多くの英雄たちの力をたったひとりの人間に注ぎ込むシステム。ある種、青木ソラは二番目の聖杯と言っても過言ではない。
こちらの計画を阻止してもソラを殺せば、原初の本へ至る道は開かれる。恐らく、フレイヤはその事実を友軍に、当人にさえも公表していない。
(例え我々を殺しても、世界は戦争を起こす。人々は原初の本へ至るため、聖杯を取り合うのだ。……フレイヤ、何を考えている)
アーサーは思慮を続けながら、聖杯の魂渦巻く液体の中に手を入れた。脳裏に、様々なビジョンが映し出される。八年にも及ぶ戦争で死んだ者から、戦とは関係なしに殺された者。生きる希望を見失い自殺した者。性的暴行を受けた後、無残に殺された者。懇願する親の前で、射殺された者。死因は様々だが、他者を憎む気持ちは同一だ。
だが、全ての者がそうではない。中には恨みも憎しみも抱かず慈愛の心を持った者が混じっている。憎悪と怨嗟にまみれる魂の中で、そういった高潔な魂は輝いて見えるのだ。
「…………」
アーサーは少し驚いて、聖杯から手を引いた。王? とパーシヴァルが問いを投げる。
何でもない、と答えながらもアーサーはそれに触れた手に目を落としていた。
(グヴィネヴィア……)
アーサーは右手を握りしめ、奇怪な念に囚われる。度し難いビジョンだった。
奇妙なものだ。あれほど世界を恨んでもおかしくない女が、聖母のような笑みを浮かべているとは。
「如何しましたか?」
「いや。ヴィンセントへの警戒は怠っていないな」
「無論です、王よ。裏切り者への対処も滞りなく。奴は未だ、自分が信頼されていると驕っています。当初から、王は奴を信用していなかったというのに」
「有用な者は有用である限り利用する。有害になれば切り捨てればよい」
既に計画は最終段階に入りつつある。アーサーはマントを翻した。
念入りに準備は整えている。反撃の算段も立てている。ヴィンセントとの同盟ももうしばらく経てば解消される。
「私を出し抜けると思ってはいまい。厄介な相手だ。だからこそ、利用するに限る」
「ヴィンセントの問題もさることながら、モルドレッドに関しても警戒なさった方がよろしいのでは? ご存じの通り、モルドレッドはあなた様の破滅の一端を担っています。もし奴が――」
「全てが伝説の通り再現されるとは思わん。モルドレッドに関しても警戒は続けるが、より厄介なのがメローラだ」
「……しかし、あのお方は」
パーシヴァルが表情を渋くする。アーサーは間髪入れずに喝を飛ばした。
「そうやって侮るから足を掬われる。気を引き締めろ」
「承知しました、王よ」
パーシヴァルは会釈し、聖杯の警護へ戻る。アーサーは歩を進め、執務室へ戻っていく。
その途中、死んだ妻からの言葉が思い出される。最初からアーサー王として生きることを運命づけられていた自分のために、自ら率先して名前を捨てた女だ。
――お願いします、アーサー。モルドレッドとメローラを……。
(解せんな)
アーサーは改めて理解する。死ぬ直前まで理解ができなかった女のことを。
モルドレッドはともかく、メローラを案じる必要はあの女にはない。忌み子と罵ってもおかしくなかった。なのに、あの女は最後まで二人の子どものことを案じていた。
そして、自分が二人を大切に育てると信じていた。当然ながら、あの女の予想は外れている。
(解せん女だ。理解に苦しむ)
アーサーは執務室のドアを開き、ヴァルハラ軍への対抗策を練り直し始めた。
※※※
ドアが開き、青い髪を持つ少女が室内を覗き込む。テーブルに敷かれた見取り図で作戦を練っていたメローラはソラに向かって問いを放った。
「何か聞きたいことがあるなら早く言いなさい。あたしは暇じゃないんだから」
「ごめんね? メローラさんなら何かわかるかと思って」
申し訳なさそうに部屋へ入ってきたソラを見つめて、メローラは嘆息する。テーブルを挟んで座っているホノカはいつも同じにこにこ顔で、こっちへおいでーなどと手招きしていた。
「何の用? 私は作戦の見直しで忙しいんだけど」
「原初の本について、なんだけど」
「却下」
「ええっ? 酷いよ……」
ソラは座りながら困り顔をみせる。再び盛大なため息をメローラが吐いてる間に、紅茶を入れたニケが
みんなの前にカップを置いた。
「おとぎ話で聞いたことあるでしょ? それでいいじゃん」
「もう少し詳しく知っておかなきゃって思って。もし発動しちゃった時のために……」
「ならフレイヤかノア、ミュラにでも聞きなさい。あのゾンビ連れはそこそこ博識だったはずよ」
「ミュラは何か気合入れて作業してたからちょっと……。フレイヤさんとノアさんもずっと計画について話してたし」
「で? 邪魔しても良心が痛まないお手軽な相手だと認識して、あたしを指名してくれたわけね? わー最高ー涙が出ちゃうー」
「メローラ。あまりソラをいじめないの。私たちの後輩よ?」
「いつからアテナは後輩思いになったのかなぁ。あたしが入りたての時、散々いやがらせしてきたのは記憶違いだったかなー?」
ソラの助太刀に入ったアテナが、気まずそうに顔を背けた。まぁまぁ、となれっこのニケが宥める。
「昔のアテナは大事なセレネが取られちゃうと思ってつんつんしてたんですよ。気をよくしてください」
「ニケ、適当吹きこまないでよ! 別にそういうんじゃないから!」
アテナは顔を真っ赤にしてニケに言い返す。すると、ホノカが一言。
「それはそれで性格悪い気がするなー。ソラちゃんはどう思うー?」
「え? 私は何とも……。メローラさん、お願い!」
ソラは困惑した後、お願いのポーズを取った。その動作でカップに肘が当たって、紅茶がテーブルにぶち巻かれる――寸前に、メローラは魔動力で液体を空中に浮かせると、口を開けなさい、とソラに命じた。
「え……うん。むぐっ!!」
こぼれかけた紅茶を全てソラの口の中に押し込む。ごほっ、ごほっとソラは咳き込んだ。
「いいもの見れたし、いいわ。何が訊きたいの?」
「おとぎぃ、話の、ほんにつぃて」
「全く、ちゃんと喋りなさい」
「メローラさんのせいだよ……」
ソラの糾弾の瞳を軽く受け流しつつ、メローラはペンを取って空中に絵を書き始めた。昔話だとこんな感じ、と空中に描かれた本にソラは何度も頷く。
「クリスタルの家で見た絵とそっくり!」
「本っていう形はたぶんわかりやすかったからなのよね。魔術はイメージが大切だから。神が創った本とも言われてるし、古の魔術師が創った本だと言い張る伝承もある。最初からそこにあったとも言うし、そもそも未来から創生されたとかいうトンデモも。正解がどれかなんて知らないし、そこは重要じゃないんだけどね。重要なのは……」
メローラの言葉をアテナが引き継ぐ。
「中身ね。この本に書けば、文字通り世界の在り方が変わる。今の世界の在り方も、誰かが記したものだとされている。世界とは永久不滅の物語、だともね」
「いわゆる運命が記されてるってことなのかな」
ソラは考え込みながら呟く。あなたがそれを言うの? とメローラは呆れがちに言った。
「じゃあ運命のくびきから脱したあなたはもはや神ね。世界の在り方を決定づける神様」
「そんなんじゃないよ、私は。普通の女の子……」
「普通の女の子は数か月の訓練で何百年も生きてきた魔術師を撃退したり、戦争を止めようと世界中を駆け回ったりしないわよ。あなたは異常な女の子」
一重にヴァルキリーシステムの性能のおかげもあるかもしれないが、だからと言ってソラの異常性は否定できない。無論、異常なことが悪いことではないのだが、やはり正常よりは危険を伴う。
仮にこのまま世界が平和になっても、ソラの立場が危うくなるとメローラは危惧していた。しかし、当人は気にしていない。いや、気付いているかもしれないがそれでいいとして放置している。
まさに、恐れを知らない者。世界を救えるなら、自分がどうなったって構いやしないのだ。
しかし、忘れてはならない。魔術には常に代償が伴う。ソラが支払う代償は一体何だ?
「……んー、私って変な子かな?」
「能天気な奴」
メローラが深刻に考えていると言うのに、ソラはどうでもいいことを気にしている。
セレネと同じ、という考えが頭を巡る。いや、セレネの方がマシだ。彼女は頭が良かった。
だが、こいつはただのバカである。こんなバカに、いや、バカだからこそ希望を託せるのかもしれないが。
「とにかく、原初の本に何か書かれたら、もう急いで消しゴムかなんかで消すしかないわね。この本に書かれた出来事を覆す方法はない。もしあなたの言う通り運命が記されていたとしたら、きっと本には運命から脱する方法も記されていた。あなたも私も、本の通りに動く人形ってことよ」
「そう考えるとなんかちょっとゾッとするね……」
ソラがぎこちない笑顔を浮かべる。その気持ちはメローラもわかる。
もし本に自分の名前や性格などの個人情報が記され、どういう生き方をしてどういう死に様を迎えるのかと書かれていたら。
だが、そこまで念密には書かれていないとメローラは予想を立てている。本に記されるのは世界の法則だ。宇宙とはどうできて、生命はこういう条件で発生し、物理法則と魔術法則がこの世に渦巻いているという具合に。
それをわかっていながらも、メローラはソラをからかった。全て見抜いているだろうホノカだけがにやにやしている。
「あなたの恥ずかしいことや隠したい秘密も全部書かれてるかもしれないわね。生涯独身、だとか」
「ええっ!? 私一生独り身なの!?」
「そういう魔術師は多いわ。だって不老の魔術を自分に掛ければこづくりする必要ないもの」
「こ、こづくり……」
ソラと近くで話を聞いていたニケが顔を真っ赤にする。ピュアな少女たち。腹違いの兄を持つメローラとしては実にからかいがいがある。
そもそも、自分は父親の神話再現のためだけに生まれた子どもだというのに。
「魔術に携わりながら、あなたたちは純粋過ぎるわ。この世には性愛魔術なんてものもあるし、中世から近世における魔女狩りでは、一部のくそったれ共が魔女審判と言いつつ無実の少女たちにみだらなことを――」
「わー、ストップ! 元の話に戻そうよ!」
「つまらないわね、全く。そう思わない、アテナ?」
「わ、私は別に……」
というアテナも若干顔が赤い。どいつもこいつも初心ねとメローラは肩をすくませた。元々アテナは処女神なので仕方ないかと思いつつ。
「……もう一度言うけど、原初の本に記されたら対処方法はない。さっきは消しゴムで消せば、なんて言ったけど、本当に消せるかどうかはわからない。世界に影響を与える強力な魔術をそう簡単に消せるとは思えないしね」
「じゃあ、どうすれば……」
「ヴィンセントに書かせない。それが最善かつ安全な方法よ。他の方法はちょっと考えつかないわね」
「私もメローラの意見に賛成。触れさせちゃダメよ。もし、原初の本へ至る道が開かれてもね」
もし、という部分を強調してアテナは告げる。これはあくまで仮定の話。ソラもそれは理解しているようで、それ以上何か言うことはなかった。ただし、普段とは似つかない真面目な顔で考え込む。
その姿に茶目っ気が湧いたメローラだが、それはソラの隣に座るホノカも同じだったらしい。ちょんちょん、とホノカはソラの脇腹を突く。くすぐられたソラの短い悲鳴。
「な、何するの! ホノカ!?」
「ソラちゃんにそういうの似合わないよー」
「ホノカの言う通りよ。あなたに頭脳戦は似合わない。考えるんじゃなくて感じるタイプでしょ」
人にはそれぞれタイプがある。そのタイプに合った方法を取らなければいくら先人の例が積み重なった事案でさえ、成功するとは限らない。人は長らくそのことに気付いていなかった。いや、気付いていても放置していた。個人に合わせて何かするということは酷く面倒なのだ。
だが、もし仮に個人に合った方法を実行できれば、才能というものはどこにでも転がっているのだと誤解してしまうほどに上手くいく。
だからメローラもホノカも、ソラに合わないことは求めない。死者と適合し魔術剣士の修行を経て多少は洞察力も身についたようだが、それでもバカであることには変わらない。
そして、改めて思う。世界を救うのは賢い天才ではない。底抜けのバカなのだ。恐れを知らない無鉄砲な愚者なのだ。
「ひ、人をおバカさんみたいに」
「そうだったわね。あなたはアホでマヌケでどうしようもないレベルのバカ者よ。頭の中の花畑にひよこを飼ってるおバカさん。ピヨピヨって鳴き声が今にも聞こえてくるわ」
「ひ、ひよこ……」
愕然とするソラの傍でニケが何かを思い出した。あ、そうでした、と彼女は声を上げてお茶菓子を持ってくる。ひよこの形を象ったまんじゅうだった。共食いね、とメローラが呟きその笑い声が部屋中に伝播する。
「面白い? え? これ面白いの!?」
「面白い、面白いわよ、ソラ! ひよこがひよこを食すのよ!」
ソラは戸惑っているが、全員が笑っている。正直、メローラ自身でさえなぜ笑っているのかわからない。
とはいえ、ソラには意味もなく人を笑顔にする特別な才能を秘めているのは確かだ。そういう意味では間違いなく天才。人を殺す天才よりも、人を笑顔にする天才の方が素晴らしい。この認識は、憎悪や復讐、怒りに憑りつかれていない人には共通のものだろう。
「もうわかんないよ。みんながわからない」
ソラが頭を抱えた。その姿を見てメローラはますます不思議を感じる。
ここで怒り出さないのだ。プライドが無駄に高い人間には耐えられない仕打ちだろう。恐らく、自分が逆の立場なら間違いなく文句を垂れる自信があった。それで、一瞬で場を凍らせてしまうのだ。
セレネもソラも、その名前が意味するものの通り、心が大きく、とてつもなく広い。
キャメロット城の無骨で厳格な、冷えた空気を知るメローラにとっては二人とも未知なる存在だった。
(……そういえば、あれは――)
昔と現在のギャップを感じたメローラは、ふと奇妙なことを思い返す。一体いつの頃だったか。とても小さい、記憶がおぼろげな時間軸のこと。誰かと誰かの会話が、脳裏の片隅に沈んでいる。その内容が唐突に蘇ってきた。
『この子は必要あるまい。あの伝承は後から創作された物語だ。なくとも伝説は完成する。神話再現は十分だ。既にマーリンとモルガンは粛清した』
『どうか傍に置いてあげてください……この子を』
『意味があることとは思えんが』
『ですが、あの男は裏切りにこの子を利用するかもしれません』
『……私がその程度の脅しに屈するとお前は考えるのか?』
『いえ。だからこそ、この子のために。どうか……』
あれは一体誰と誰の話だったのか。文脈から察するに父と母の会話とも考えられるが……。
(まさか。あの男は私を産むために母親を強姦した男よ)
それに関しての確証は取れている。父親が気付いてるかいないかはさておき、メローラはセレネが死んだ後城中を必死に探し回った。セレネ謀殺の証拠を得るために。
その時に場の記憶を魔力計が読み取ったのだ。詳細はわからなかったが、そういう男だ。怒りも侮蔑もなくすんなり受け入れられた。
元より、セレネ殺害に手を貸したのは確実。メローラに父親を殺さない理由は残っていない。
「メローラさん?」
「……何」
メローラが考え事に耽っていると、ソラが心配そうに覗き込んでくる。
不意に、その姿がセレネと被った。
メローラは手元のひよこを魔動力で浮かせ、ソラの口にダイブさせる。ふぐもっ! という奇天烈な叫びを聞きながら立ち上がると、ドアに向かって歩き出した。
「もぐーぐさぬはごこにゆくお?」
「メローラちゃんはどこに行くのー? ってソラちゃんが訊いてるよー?」
「散歩よ、散歩」
ひよこ菓子を丸呑みしようと奮戦しているソラのセリフをホノカが解説。それに対して取って付けた理由を述べながら、メローラは歩いていく。
そこへようやく呑み込んだソラが言い放った。顔には訝しさがくっついている。
「んぐっ……。でも、忙しかったんじゃあ」
「これも仕事の内だから」
そうやって適当にあしらってメローラは廊下へと出る。三度目のため息を吐きながら独りごちた。
「被せるのは止めて欲しいな。まるで、糾弾されてる気持ちになるからさ」
メローラは自分が復讐に駆られる理由となった人物が復讐を望んでいないと知っている。これは非常に由々しき問題だ。もしセレネが復讐を望んでいたらメローラは何の憂いなく復讐に奔れる。だが、それはセレネを貶めることと同じことだ。彼女ほど高潔な人間が、復讐など望むはずがない。
(困るわね。あたしは自分を愚か者だって言ってるのに、彼女は違うと言い張るんだもの)
復讐者は基本的に愚者である。復讐に正当性など求めてはいけないし、当の復讐者はそれが正しいことだと思って実行していない。自己満足だと理解しながら復讐を行うのだ。
人殺しを死者のせいにするなど言語道断である。自分がしたいからする。死者には何の責任もない。
(だからいいでしょ、セレネ。あたしが復讐したって悲しむ必要はないわけよ)
そう思いながら、それでも悲しむセレネの顔が簡単に想像できる。改めてメローラは胸中に想いを巡らせる。セレネは美し過ぎるのだ。大きな月のように、闇に迷う人々に希望を与える。自分を呑み込んだ狼でさえ、セレネは案じてしまうのだ。
「敵わないな。あたしは小物だから」
メローラは歩を進め、自分の配下であるブリトマートを探しに向かった。
※※※
「何をしているんだ」
「手入れだ。新しい武器のな」
剣の整備をしながら、モルドレッドはヤイトに応じた。作業台の上には白銀の剣が置いてある。普段愛用しているファナムから貰った剣とはまた別の物だ。
「クラレント……」
「察しが良いな」
モルドレッドはキャメロット城から持ち出した聖剣を手に持つ。美しい装飾が施されたそれは剣の中の王者とも言われる名剣だ。アーサーが儀式用に所持されていたとされるかの剣はエクスカリバーにも引けを取らず、伝説の中でアーサー王を殺害するためにモルドレッドが使用された剣だとされている。
「父上を殺すのにこれ以上の武器はあるまい」
「……君が殺すのか。妹が手を汚す前に」
「本当に察しが良いな、ヤイト」
モルドレッドは剣を鞘に仕舞った。それを見て、ヤイトが訝しむ。
「鞘があるのか」
「そうとも。……これは強奪した剣ではないからな」
「誰かに横流しさせたのか」
「肯定しよう。しかし、詳細は話さん」
モルドレッドは有無を言わせぬ口調でヤイトの興味を止めさせる。無表情なヤイトはそれ以上何も言わず、魔術で強化されたオートマチックピストルの分解を続けている。
(メローラが知れば何を言うかはわからんが。人には知るべきことと知るべきでないことがある)
モルドレッドは帯剣し、もはや使わないであろうファナムから譲り受けた剣を台の上に置く。もう一つ、ガウェインが残した剣も取り出した。エクスカリバーの姉妹剣とされるガラティーン。これを妹に渡しておくべきか否か、思案する。
「ロンギヌスとゲイ・ボルグではいささか戦力不足だと思うか?」
「……どうだろう。使い方次第だと思うよ。でも、手段が大いに越したことはない」
「ふむ、なるほど」
重量制限という枷が存在しない魔術師にとって、持てる武器を持たぬ理由は存在し得ない。モルドレッドは妹に聖剣の一つを手渡すことにした。
剣を手に取り立ち上がる。そこにヤイトが声を掛けた。
「妹思いなのはいいけど、空回りしない方がいい」
「……お前に言われたくないな」
ヤイトの助言に苦笑しながら、モルドレッドは作業室を後にする。
「お兄様」
「メローラか。ちょうどいい」
剣を持ちながら廊下を進み、偶然メローラと鉢合わせた。モルドレッドは言うが速しとガラティーンを手渡すが、彼女の視線は彼の脇に差してある剣へ注がれている。
「クラレント? どうして持ってるのよ」
「むしろどうして手に入れないと思った? これこそが王殺しの剣ではないか」
「あたしが浮き島を離れている間に手に入れたの?」
「そうだとも。繊細な剣ゆえ、最終決戦まで出し惜しみをしていた」
モルドレッドが説明を口にする。が、メローラは納得しきっていないようだ。兄であるモルドレッドには、妹が何を考えているか手によるようにわかる。
「封印を解除できたの? 宝物庫には幾重にも渡る封印が施されていたはずよ」
「そうだとも。いざという時に備え、母上から解除方法は教わっていた」
「本当に?」
「父上と母上の不仲はお前も知っているだろう?」
幼い誤解しやすい記憶ながらに、とまでは言葉を続けない。
モルドレッドの話を聞き、メローラはしぶしぶガラティーンを受け取る。使いどころがあるかしら、とメローラは疑問を声に出し、
「私は槍の方が得意なんだけど」
「それでも魔術剣士か? 我が妹よ」
「あたしはどっちかっていうと魔術槍士よ。そのツッコミにはもう慣れたわ」
ファナムの元へ自分の後を追って現れた妹が、アテナによくそのことをいじられていたことを思い出す。そうして困り果てたところを、いつもセレネが仲裁していたのだ。あの魅惑の笑顔を持つ少女のことを、モルドレッドはよく覚えている。聖母のような顔。慈愛の心を持った最高の魔術剣士。
もしあのような笑顔を浮かべられる女を伴侶にできれば、と何度考えたことかわからない。不思議な魅力を持つ女だった。古い記憶をくすぐられる。懐かしい記憶が再生される。
(お前はセレネに亡き母を見出していたことに気付いていまい……)
「どうしたの、お兄様」
「いや、やはり我が妹は愛らしいと思ってな」
「やはりお兄様は気持ち悪いわね」
メローラは兄に平然と悪態をつき、モルドレッドは涼しい顔で受け流す。いつも通り。セレネとの邂逅を経て自我が芽生えた妹のまま、少し棘がある方向へ成長している。
その姿はまこと喜ばしい。兄としても、家族としても。
ゆえにモルドレットは、アーサーを始末するのは自分だと固く決意する。
「どうしてこんな男が兄なのかしら。全く理解できないわね。性欲の権化と言っても過言じゃないし」
「全くだ。もう少しマシな環境であれば酒池肉林を体感できたものを」
「それ、誤用よお兄様。女を侍らせるって意味じゃないわ」
「知ってるぞ、妹よ」
「……ふん」
メローラは不満げに顔を鳴らす。モルドレッドは歩き出したメローラに追従しながら、その頭に手を置いた。
「セクハラ? 近親相姦も狙ってるのかしら」
「ただのスキンシップではないか」
「ふん」
妹はまたそっぽを向きながらもその手を退かすことはない。
奇妙な兄妹は独特の絆で繋がりながら、同じ目的のため廊下を進んで行った。
※※※
『奴はふさわしい者が始末してくれます。私はあなた様に忠実です』
「それは良い知らせだ。私を狙う者は多い。奴は私を世界を破滅させる者だと言い振らし、臣下を騙している。その中で、一番位の高い貴君がついてくれることをありがたく思う」
『……新世界の統治、愉しみにしております』
笑みをこぼしながら、通信相手は会話を終えた。ヴィンセントはほくそ笑みながら下界を見下ろす。夕日が世界を彩っていた。
「愚かな男め。しかし、やはりアーサーを出し抜けはせんか。抜け目ない男だ」
下には荒れ地が広がっている。核攻撃を跳ね返され、その後報復として壊滅させられた北米大陸。この地だけではなく、世界の主だった主要都市はもれなく破壊されている。もはやその規模は世界大戦を越え、終末戦争とでも形容しようか。
「黄昏が世界を包む時、世界は終わりを告げる」
黄昏は光と闇が合わさった曖昧な状態。黄昏が世界を覆えば、破滅が訪れる。黄昏時とは破滅の刻なのだ。
「アーサー王伝説も破滅の物語だ。……この世には破滅を予期する神話が多い。なぜだか知っているか?」
「人々が破滅を望むから、とでも答えておこうか、人間」
ニャルラトテップが音もなく姿を現し、ヴィンセントの横に着いた。彼らが地上を見下ろす場所は、奇しくもクリスタルの空見スポットだった場所だ。ここからは下界がよく見える。世界が滅びる時の景色もさぞ美しいことだろう。
「青木ソラ。奮闘しているようだが、今度こそ奴も逃れられん。運命のくびきを脱することは、運命の加護と祝福すらも手放すということだ。ふさわしい最期が待っていよう」
「私が下すか、お前が下すか。実に愉しみだ、人間」
ニャルラトテップは表情の窺えない顔から笑い声を漏らし、何処かへと去った。
しかし、ヴィンセントは笑わない。杖に手を置きながら、黄昏に染まる世界を見下ろしていた。