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戦乙女の鎮魂歌  作者: 白銀悠一
第九章 反抗
73/85

宴を終えて

 ウルフは風切り音を伴う斬撃を回避して、腰のホルスターからピストルを引き抜いた。

 早撃ちで牽制するが、やはり大した効果はない。ウルフは特に動じることなく次の行動へと踏み切った。

 引き金を引きながら、スモークグレネードを投擲。煙幕を張り、その隙に座標情報を箱船へと送信する。

 が、再び鋭い異音が放たれ、ウルフは自分の腕時計型端末ごと左腕が切り取られたことを知る。


「……」

「悲鳴の一つもあげないとは。面白いぞ、人間。こういう男が相手だと、私の心は高鳴るのだ。……試したくなってしまうではないか」


 ウルフは銃を構えながら、敵の分析を進める。ニャルラトテップは数多の異名と化身を持つ男。スモークグレネードに対しての反応を鑑みるに、視覚妨害は無意味。加えて、銃撃への対抗策も備わっている。

 となれば、行うべき攻撃は決まっていた。ウルフは拳銃をホルスターに仕舞うとナイフを引き抜いて格闘戦を挑んだ。

 さしもの混沌もこれは予想していなかったらしい。嬉々とした音声を吐き出しながら、ウルフと聖杖での斬り合いに興じた。しかし、やはりウルフの方が分が悪い。片腕での戦闘に加え、対ニャルラトテップ用の装備ではなかった。

 だが、それでもウルフは怖じることなく戦闘を続行する。単純に、やらなければならないことだからだ。

 しばらく剣戟は鳴り響いたが、ナイフが煌めくことにより中断される。

 ウルフのナイフが弾き飛ばされた。ウルフは再び拳銃を引き抜くがニャルラトテップの杖に制される。


「無粋ではないか、人間。これでは面白くない」

「戦に面白さは関係ない」

「どうかな。私はそうは思わない」


 顔のない男は音声だけで笑う。そもそも、と高説を続ける。


「私と人間では、戦力差があり過ぎる。なるほど、お前は勇敢な男だ。あらかじめ私に邪魔立てされることを予想していれば、ここまで押されることもなく逃げ果せていたであろう。だが、実際は違った。お前は私がわざわざ現れるとは想定せずに、浮き島を見つけ出した。嘆かわしい。そうは思わないか」

「死ぬのならそれでもいい。例え俺が死んだとしても、目的は果たされる」

「生体反応と連動した発信機か。素晴らしい。だが、それではやはりつまらないな。知っての通り私は直接的な殺しを好まない。好むのは、間接的な殺しだ。……ゆえに、総帥の御許へ招待しようと思う」

「……」

「博識なお前なら、どうなるかわかるだろう。対処方法も知り得るはずだ。……どうなるか見物だな、高潔なる狼よ」


 ニャルラトテップはウルフの同意なく転移を開始する。ウルフは抗う術もなく、ただ邪神を見据えながら、混沌の玉座へと強制転移された。

 野生の狼が放つ遠吠えが、嘆く様に響いた。



 ※※※



 椅子の上でぐったりしていたソラは、突然ハッとして身を起こした。


「……変な感覚が」

「私も頭が、へん」

「クリスタルも?」


 奇妙な感覚が奔ったソラに同意したクリスタルへ、ソラは視線を奔らせる。だが、すぐに彼女の異変が自分とは違うことに気付いた。

 クリスタルの症状は、会場で雑魚寝していたほとんどの子どもたちに共通している。この症状は簡潔に言うと二日酔いだ。


「ハチミツ酒を飲んだ辺りから記憶がない……」

「……そうなんだ。誰も私にした仕打ちを覚えてないんだ。いいね……」


 ソラは昏い表情で呟くが、クリスタルと対面席に座っているリュースは首を横に捻るばかり。

 あの後、ソラは散々な目に遭っていた。事あるごとにソラを標的にして彼女たちはゲームに興じていた。魔術剣士として鍛えられたため、ソラには身体的外傷はない。それでも、ソラの心にダメージは入りっぱなしだった。

 しかも、彼女たちは覚えていないという。心底羨ましかった。私も飲めば良かったかな、とソラは後悔する。


「最悪だった。最悪以外の何物でもなかった。そこの恋愛脳! てめえ、私のことをネコに変えやがって!」


 人間に戻ったメグミがカリカに突っ掛る。が、カリカは宴会中のテンションはどこへやら、気が沈んで一言も発さない。

 ソラはリュースの言葉を思い出す。カリカはボーイフレンドであるケランと喧嘩中だ。お酒の力で忘れていた衝撃的事実を、理性を獲得したと同時に思い出したのだろう。


「私って最低な子なんでしょ。知ってる、知ってるわ。どうぞ、バカにしてくれて結構よ」

「お、おいおい、何もそこまで……」


 怒っていたメグミが困惑し、彼女を慰め出す。隣では、頭を擦るレミュをきらりが介抱していた。


「何があったのでしょう、きらり? 何か、とても面白いものを見たようなことだけは覚えています。痛快な出し物でもあったのでしょうか? こう、今まで鬱憤が晴れて、胸がスカッとするような」

「何もなかった。うん、何もなかったよ。……いつもごめんね?」

「なぜあなたが謝るのです? きらり。確かにいつも苦労させられてはいますが……」


 彼女たちのやり取りを目した後、ジャンヌの戸惑いの声が耳に入った。ナポレオンはなぜかずっとジャンヌに対して頭を下げ続け、どうしたのナポちゃん! と彼女に案じられている。昨日、自分が彼女に繰り広げた恐ろしい体験の数々を、ジャンヌはすっかり忘却しているようだ。

 黒歴史にならなくて良かった、とソラが安堵したのも束の間、どうやら昨日の痴態を覚えていたらしいメローラが大声を出した。


「あああああっ! あたしのバカ! なんてことをしてくれたのバカ兄貴! 恥ずかしくて死にそうよ!」

「酒に呑まれたのはお前だろう? 我が妹よ。オレはただ、宴会を盛り上げるために酒を入れただけだ。飲まない自由もお前には与え――。おっと」

「殺す! 殺してやる! あたしはブラコンなんかじゃない!」

「ふむ、昨日のお前はとても愛らしかったのだが――。致し方あるまいか」


 突然剣と槍の打ち合いが始まり、ソラとしては苦笑するしかない。モルドレッドには自業自得の節があるし、ある意味? 仲睦まじい兄妹喧嘩ではあるので仲裁するのも憚られた。というより、本音を言うとそこまでの気力が湧かない。

 近くに座るアテナは、ニケが昨夜の詳細を訊ねている。ニケは眼を泳がせながら回答していた。


「昨日何があったのか教えて、ニケ。……何で挙動不審なのよ」

「い、いえ、えっと、そうですね。アテナは一人で黙々とお酒を飲んでました。……ぶつぶつ独り言を言いながら。しかもなぜか服を脱ごうとしてましたが……」

「ん? 後ろの方、声が小さくてよく聞き取れないわ」


 錬金術師組も目を覚ましたようで、ミシュエルがむくりと起き上がり、なぜかミュラが自分に抱きついているのを不審そうに眺めている。そのミュラには、ユーリットがしがみ付いている。首を傾げて、ただぼーっとミシュエルは二人に目を落としていた。

 ツウリも大声を上げて起きて、なんじゃこりゃ! と叫ぶ。彼女の周りには意味不明なオブジェクトの数々が錬金されていた。無論、これもお酒のパワーで引き起こされた惨事だ。

 酒の被害を免れたヤイトとハル、ユリシアは、淡々と食べ残しを処理していた。魔術で保温された料理は、食べる時が食べ頃だ。ユリシアとハルは仲良く朝食を摂り、ヤイトに至ってはコーヒーを飲んで、朝のブレイクタイムを過ごしている。


「そういや手鞠野郎はどうした」

「あ、そうだ、マリ!」


 メグミの発言を受けたソラは目を凝らし、マリが席に座っていないことに気付いた。と、唐突にドアが開く。マリが珍しく慌てた様子でソラの方へ駆け寄った。


「気付いたらベッドに寝てたんだけど、どういうこと?」

「……私にはよく、わから、ないって!!」


 マリがソラの肩を掴んで揺さぶったため、ソラの言葉が乱れた。マリは焦りながら、誰か自分の行動を知り得る人を目で探す。だが、誰もいない。メグミが彼女の様子を見てからかった。


「おいおい、何ビビッてやがるんだよ」

「ビビるわよ! だって、パジャマに着替えてたんだもの」

「……え?」


 ソラが問い直す。てっきり、酔った状態で眠気に襲われ部屋で眠ってしまったのかとも思ったが、パジャマに袖を通してたとなると事情が変わってくる。


「わからない。わからないわ。いつものパジャマじゃなくて、わざわざクローゼットの奥に仕舞ってた予備の奴を着てた。普段なら絶対に着ない奴! しかも、部屋には誰かが侵入した跡があったわ」

「それってまずくないか?」


 メグミが緊張の面持ちで問う。今のマリの言葉をそのまま鵜呑みにするならば、誰かがマリの部屋に侵入し、彼女をパジャマに着替えさせたことになる。

 ヤイトだけは冷静にコーヒーを飲み、モルドレッドは感心ありげに声を出した。妹に槍の柄で殴られながら。


「状況証拠は全て揃っている。賢しいお前なら自分の身に何があったか理解できて――おっと」


 皿が飛んできてモルドレッドは防御する。が、そのせいで妹の打撃をまともに喰らった。


「うるさい、変態は黙りなさい! ……きっと、たまたま、偶然よ。寝ぼけて間違えただけだわ。うん」

「マリさんがそんなに焦るなんて……」


 クリスタルも驚いている。先程まで親身になっていたメグミは、顔を真っ赤にして頭が沸騰しそうになっていた。何となく彼女の思考が読めたが、ソラはあえて口に出さずに苦笑するだけだ。

 すると、優雅に朝食を摂っていたホノカがはーい! と手を挙げる。彼女はスープを一口含んで、


「たぶんー。ヤイト君がー」

「ヤイト!? ヤイト、あなた私に何か――!」

「マリちゃんー、話、まだ終わっていないよー?」


 ホノカはあくまで余裕だ。昨日、みんなが怪我しないようにとエイルとを一晩中起動していたにもかかわらず、平気な顔をしている。みんなが疲れて寝静まった頃、今日のソラちゃんは活き活きとしていたねーと笑顔で言われたことを思い出し、ソラの身体は自分の意思とは無関係に身震いした。


「早く話しなさい!」

「ヤイト君ならー、何か知ってると思うんだけどー。事件の真相を悟った探偵の顔してるよー?」

「ヤイト! 答えなさい!」

「……君は興奮しすぎだ、マリ。……ヴァルハラ軍には性的暴行を働く不届き者は存在しない。たったひとりを除いては」


 コーヒーを飲み干したヤイトは淡々と解説を始める。せいてきぼうこう? と訊き返したハルの問いを微笑で彼が受け流した後、全員の視線がたったひとりに注がれる。


「まさかお兄様? 仲間に手を出すなんて!」

「ふむ、なるほど。確かに惹かれるシチュエーションではあるが――。おっ」

「死ね」


 マリが反射的に拳銃を引き抜いていた。それをソラに制されるが、マリはあくまでも引き金を引こうとする。


「退きなさいソラ! そのケダモノを殺すのよ!」

「だ、ダメだよ! ダメに決まってるよ、マリ!」

「そうだ。だって、彼は犯人ではないからだ。そもそも、今回の事件は事件じゃない。何せ、マリは暴行を受けていないはずだ。もし受けていたのなら、そこまで余裕でいられるわけがない」

「……でも、魔術があれば何でもできるでしょ!」

「だから興奮しすぎだよ、マリ。だとすれば、モルドレッドは大きなミスを犯したことになる。マリに見抜かれてるんだからね。彼はこういう手に関してはエキスパートだ。実際に女性を犯した後、何事もなかったように魔術で修復するはずだ」

「なるほど、オレならやりかね……」

「黙れ!」


 モルドレッドに発言権はない。妹が彼を拘束し、今にも殴りかかろうとしていた。


「それに、気になる点もある。パジャマだ。なぜ侵入者はわざわざマリにパジャマを着せたんだ。それだけじゃない。マリはあの後、すぐに部屋に戻ったのか? 僕は違うと思う。マリは寄り道したんだ」

「どこに?」


 メグミが訊く。気付くと、皆がヤイトの推理に耳を傾けていた。


「兵器格納庫。マリは相賀大尉に会いに行ったんだと僕は考えてる。そこでマリは眠ってしまい、大尉に部屋まで運ばれた。大尉はマリにとっての保護者だから、風を引かないように服を着替えさせたんだと思うよ」

「……だったら問題はない、のかな?」


 静まる場でソラがマリに問いかける。マリはしばらく黙っていたが、すぐに声を荒げた。


「大ありよ! 文句言ってくる!」


 マリが怒りを振りまいてドアに向かっていく。その後ろ姿は、まるで父親に洗濯物をいっしょに洗われた年頃の娘のようだった。

 ふと、異界に残してきた両親が気に掛かる。選定の時にソラの両親も保護されたようだが、ソラは会いに行っていない。そもそも、まともに話もできる状態ではなかった。

 魔術を使えば、すぐに治療可能だとは言われた。しかし、ソラは首を縦に振れなかった。

 自分のため、ではある。もし今の世界を目にしたら、両親はソラへの罪悪感でいっぱいになってしまうだろう。自分を救おうとして狂ってしまった両親だ。ソラには両親が苦しむ姿を二度も見る気はなかった。


(戦争が終わってから。平和になってから会えればいい……)

「ソラ?」


 ソラの変化に気付いたのか、クリスタルが訊いてくる。何でもないよ、とソラは笑顔で受け流し、ノアが目を擦りながら起きたのを確認する。


「有り得ません。ボクがアルコールに負けるなどと」

「勝ち負けの問題じゃないと思うけど……」


 寝起きと同時に呟かれた不服に、ソラは苦りきった笑みを浮かべる。ノアは腹を立てながら起き上がると、近くにあったパンを一つ掴んで咀嚼し始めた。そして、突然今後の方針を話し始める。


「ミスエデルカは敵拠点の解析を進めています。情報がなければ、次の作戦に支障が出ていたところでした。敵は浮き島をかつてとは別物と呼んでしまえるほどの改造を施し、要塞化しています。……ミスソラ、あなたには遊撃隊の指揮を執ってもらいましょう」

「指揮?」

「安心してください。あなたに、知略を伴う指揮を求めたりはしません。あなたは友達が多い。あなたがリーダーであるというだけで、味方の士気は向上します。ある意味、エンチャンターによる支援魔術よりもね」

「そうかな?」


 褒められているのか、貶されているのか。ソラは素直に喜べず、戸惑うように周囲を見回す。

 誰も異論も挟まなかった。ソラ……輝く戦いの意味を持つヴァルキリーに、皆一様の期待を注いでいる。


「以前と同じく、あなたはあなたができる戦いをすればいいんです。ボクたちにできることは、あなたの戦いを支えることだけ。……ブリュンヒルデは父の最高傑作です。そして、レギンレイヴはボクの最高傑作。この二機の力を合わせれば、ヴィンセントの野望も潰えることでしょう」

「は、はい!」


 ソラはクリスタルと目配せして、元気よく返事を返した。いい返事です、とノア。

 頭を痛そうに彼女は抑えて、ヤイトへと視線を移す。ヤイトは全てを理解しているように頷いて、応えた。


「まだウルフからの連絡はない。けど、もうそろそろ来ると思うよ」

「……ボクの計算では、ミスターウルフの生存確率はかなり低いと思われます。彼は、魔術を用いていない。持ち前のスキルだけです。流石に、敵を侮り過ぎるのでは」

「……いいや、違う。ウルフはあの状態がベストなんだ。下手に高性能な武器を使うよりもずっとね」


 ヤイトは確信の表情で告げる。ノアが納得しなさそうな顔をみせた。が、すぐにその表情に怪訝さが張り付く。

 ヤイトの端末が音を立てたからだ。相賀からの通信だった。


「今しがた、ウルフから報告が入った。……予備の通信機器からだ」

「保険の通信機、ですか」


 ヤイトが眉を顰めた。ホノカが訊ねると、ウルフは幾重にも保険を掛けて任務を遂行するんだ、と彼は説明。


「通常使用の端末、生体反応と連動して使われる端末、そして、時間差でこちらに座標を送信する端末だ。魔術を用いないため、敵に勘付かれにくいんだ」

「じゃあ、今回はその三つ目が使われたってことー?」

「そうだね。……ウルフから何か連絡は」


 ヤイトが問うと、相賀はしばらく間を開けて答えた。


「いいや、ない。……音信不通のままだ」

「そうですか。わかりました」

「そこにノアはいるか? いるならフレイヤが呼んでいたと伝えてくれ。君たちも、残念だがパーティは終わりだ。それぞれ持ち場に戻ってくれ。……ところで、一つだけ聞きたいんだが」

「何でしょう?」


 皆に指示の出した相賀の声が打って変わり、ばつが悪そうなものになる。


「何でマリが俺に怒ってるのか、誰かわかる奴はいるか?」

「……僕にはわかりかねます。では、また」


 ヤイトは端末をポケットに仕舞うと、立ち上がった。ごちそうさま! と感謝の意を口に出したハルをエスコートし始める。みんなもあくびや目を擦りながら席を立ち、それぞれの持ち場へ移動していく。

 だが、ソラは引っ掛かる点があったので、ヤイトを呼び止める。大丈夫? と彼の身を案じながら。


「ウルフさんのこと……」

「大丈夫だよ、ソラさん。僕は彼を信頼しているからね」

「でも……」

「ソラさん。ヤイト君の言葉に間違いはないよ?」

「ハルさん……そうだね」


 ヤイトに絶大な信頼を置くハルの言葉に、ソラは微笑を浮かべて同意する。彼女の言う通り、今ソラがすべきことはウルフの心配ではなく信頼を向けることだ。そのためには、自分のできることを黙々とするしかない。


「行こうか。ヴァルキリーチームで作戦と連携を新たにしないと」

「そうだな、隊長」


 少し小馬鹿にした様子でメグミで言う。ええ、とソラは困ったように眉を曲げる。


「メグミ、ちょっと……」

「いこー? 隊長ー?」


 ホノカに背中を押される。ソラはますます困り果てる。

 そのやり取りを見て、クリスタルはくすくす笑っていた。きっと、その笑い声はマリが合流した途端大きくなるんだろうな、とソラは予感する。

 ただ、あまり悪い気はしていない。この光景はソラが望んでいたものだ。ソラの予想通り、クリスタルはメグミやホノカとも仲の良い友達になったし、ソラもクリスタルの友人たちと友達になれた。

 後は世界を平和にするだけだ。単純なようだが、とても難しい。


(でも、やらなくちゃね。そうしてみんなと遊ぶんだ)


 ソラは決意を新たにする。英雄でもなく女神でもない。ただのひとりの少女として。

 誰かのためではない。自分のために、世界を救うことを覚悟する。

 ヴィンセントが世界を殺すことを命題にしているのなら、世界を救うことこそがソラにとっての命題だ。

 恐れはない。歌だけが心を流れている。魂を鎮める優しい歌が。


「うん、行こう」


 ソラは友達を連れて、作戦室へ歩を進める。その足取りは軽いようでとても重い。信念を携える者の足取りだった。



 ※※※



「敵に居場所がばれたぞ、人間」

「……予定通りだ。むしろ遅かったぐらいだな」


 ヴィンセントはニャルラトテップと会話する。暗い部屋の中で。

 真ん中にはフィリックが震えている。自分の企てた作戦がばれたためだ。

 だが、ヴィンセントは笑みを浮かべるのみ。顔がないのでわからないが、ニャルラトテップも笑っているはずだ。


「愚かしいな、人間。ペンドラゴンと協力すれば確実性を高められたものを」

「お前にとっては好都合だろう。どのみち、奴と私の道は分かたれている」


 ヴィンセントは杖を弄んでいる。ニャルラトテップもまた聖杖を携えながら音を発した。


「この男の処分はどうする?」

「放っておけばいい。まだ利用価値はある。それに……自分が上手く出し抜いたとも思っているようだ」

「……当然だ! 僕は君たちを出し抜き、こちらの座標を敵に送信した。敵に情報は筒抜け――」


 フィリックが神経質な声で叫ぶが、ヴィンセントもニャルラトテップも嘲笑うだけだった。何がおかしい? とフィリックが問いかける。ヴィンセントはにべもなく答えた。


「好都合ではないか、友よ。敵が勝てると見越してわざわざ姿を晒してくれるのだ」

「嘆かわしいな、人間。実に、嘆かわしい」


 二人の嘲笑を聞くうちに、フィリックはどうやら自分の失策に気付いたようだ。薄暗い部屋の中でも、彼の表情がよくわかる。青ざめて、目を見開き、戦慄している。


「ま、まさか君たちは……! 僕にわざとこちらの位置を流出させた……!?」

「優れた方法だったぞ、フィリック。見事アーサーを出し抜いた。流石のアーサーも従者に情報を含ませているなどとは予想していなかっただろう。もっとも、奴の配下の裏切りもあってのことだが」

「しかし、私の従者に仕掛けがされていることを、主人たる私が気づかぬはずはないだろう? 思慮不足だったな、人間。褒めて遣わそう。私はこれから起きる戦いが楽しみでしょうがない。強者にとって戦いとは、娯楽でしかないのだ」


 フィリックはもはや声を発することもできない。項垂れて、押し黙るだけだ。ヴィンセントは流暢に言葉を並べていく。


「私はアーサーと一時的な協力関係を結んでいるが、突き詰めれば敵同士だ。わかっているはずだ、フィリック。私はどちらが滅んでも構わないのだ。世界を破滅させられればな」

「く……」

「破滅とは至上の愉悦だろう。なのに抗うとは、人間はつくづく度し難い。……しかし、だからこそ私は人が大好きなのだ」


 ニャルラトテップは高笑いを響かせながら部屋を出ていく。ヴィンセントもフィリックを一瞥した後、この場を立ち去ろうとした。そこへフィリックが叫ぶ。必死の眼で。心に訴えるように。


「君は! 君はここまでする必要があると本当に思っているのか!? 君の想い人も破滅を望んではいないはずだ! なのになぜ滅ぼすんだ? 恋人を復活させるというのなら、まだわかる! なのになぜ!?」

「……それが私の命題だからだ、フィリック」


 ヴィンセントはそれ以上何も言わず、去っていった。同意を得るつもりはない。ただ実行するのみだ。



 ※※※



「時が満ちる。長年待ち望んでいた時だ。もうすぐ解放できる……」


 フレイヤは何もない部屋の椅子に寄り掛かりながら、独りごちる。そして、誰かの声に応えるように話し続けた。


「……無論だ。真似など容易い。私たちは姉妹だ。偽ることなど造作もない。……哀れむな、姉妹よ。私を哀れむな。自らが招いた悲劇だ。私の手で終わらせる。それがお前のためにもなる……」


 ゆっくりと息を吐き出す。過去の光景が見える。多くの人間が、ひとりの魔術師に熱狂的な視線を注いでいる。棒に縛られた女性は、気丈に目を瞑りその時をじっと待ち続ける。しばらくして、火がつけられた。女性は抗う力を持ちながら、抵抗せずに燃やされていく。最後に、こちらをじっと見ていた。


「炎は怖い。人の愚かさも恐ろしい。だが、何よりも恐怖を感じるのは……復讐心だ」


 フレイヤは思い出す。立ち尽くしていたヴィンセントの顔を。

 無表情だった。抜け殻のように、処刑を見つめていた。その後彼が何をしたのかは、もはや思い返すまでもない。処刑場の人間を皆殺しにし、魔女狩り関係者を片っぱしから虐殺した。魔女狩りを理由に不当な暴行を働いていた者から、きちんと何が悪で何が善か分別を弁えていた高潔な騎士まで。

 それがヴィンセントとアレックの確執のはじまりだ。あげく、ヴィンセントは様々な魔術組織に働きかけ、大小さまざまな戦争を起こさせた。全て、原初の本へ達するまでの過程に過ぎない。

 本への道は、衰弱や病死ではなく、悪意を含んだ殺人によって積み上げられた屍でなければ到達できない。ゆえに、世界にはあらゆる災いや諍い、憎しみや恨みが充満している。ひとりの男の悪意に世界が染められた。人々はその憎悪がどこから来たものか知らずに、本能のまま戦い続けるのだ。

 かつて味方だった者に武器を向け、かつて敵ですらなかった者を虐殺する。


「だが、それももう少しで終わりだ。終わりだとも。お前の魂も鎮められる。鎮魂歌が世界を一つにする。だから哀れむな、姉妹よ。哀れむな……」


 フレイヤは呟く。何度も何度も繰り返し、同じ言葉を呟いていく。死者を慰めるように。死者に手向けるように。

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