荒れ狂う者
相賀はヘルヴァルドと交戦している最中、その存在を知覚した。
「……冗談だろ?」
馬の顔をした巨大な鳥が、ノアの箱船へと一直線に飛行している。これ以上の厄介事に友軍を巻き込むまいと相賀は馬鳥へと方向転換し、
「――遅すぎるな、人間」
自機の上に漆黒の男が着地したことを知った。
「何ッ!?」
速い、なんてものではない。もはや最初からそこにあったかのように男はペガサスⅡの上に乗っている。優雅さすら感じさせる立ち振る舞いだが、その表情は窺えない。なぜなら、男には顔がないからだ。
杖を片手に、男は戦闘機を撃墜しようとする。魔術的カスタムを加えたペガサスⅡと言えども、自機の真上に張り付いた相手を迎撃する術はない。せめてもの抵抗として可動式レールガンを回転させたが間に合わない。
「滅ぶがいい」
「……くそッ!!」
男は躊躇いなく聖杖を振り下ろす――刹那、突如魔剣を振り抜いたヘルヴァルドに吹き飛ばされた。
「ふむ、外したな」
「――愚かしいな、人間。だからこそ、面白いのだが」
男は次の瞬間にはシャンタク鳥の上に戻っていた。そのままノアの箱船へと接近。ソラたちの元へと進んでいく。
「次は外さんぞ、相賀」
「……そりゃどうも」
相賀はヘルヴァルドに礼を言いながら、再び機銃を撃ち放つ。
※※※
「無事か、お前たち!!」
リーンは必死の形相で教室に流れ込んだ。少し離れた通路で混沌の従者を撃退していたのが少し前。異形がハルたちの教室に侵入したと聞いて、リーンは心ここにあらずの状態だった。
そんな小さき魔女が破壊されたドアを通り目にしたのは、少女たちの無残な死体――などではなく。
「よちよち、可愛いねー!」
「いいセンスよ。セバスといい勝負してる!」
「何なのじゃ? 一体……」
化け物と、少女たちが遊ぶ姿だった。
リーンは困惑しながらそれを見る。少女たちが異形と戯れる姿を。
そして、触手が無数に生えるおぞましい怪物が、少女たちとの交遊を受け入れている様を。
「お、おい……そいつは凶悪な……」
「うわっ、すごーい! お姉ちゃん、見て見て! この子、キャッチがすごい上手い!」
「ホントだね、ユリシア。お犬さんみたい」
「こ、これのどこが犬だと言う……。ほれ! お前たち、下がるのじゃ! こいつは危険な――」
「きゃあ!」
ミュラが悲鳴を上げる。咄嗟に聖人としての実力を発揮しようとしたリーンだが、すぐに拍子抜けすることになった。従者はミュラを触手で持ち上げて高い高いをしている。無邪気にミュラたちは笑い声を上げるばかりだ。
リーンは戸惑いながらも推察する。外なる神の総帥であるアザトースは意思を剥奪され、もはやその機能が存在しているだけだとされている。そしてそれはアザトースの従者であるこの異形たちも同様だ。
もし何の意思もなくここに存在しているだけならば、少女たちの無邪気さに感応されて新しい意思を獲得したとしても不思議ではない。魔術とは奇跡である。不可能すら可能にする。その無限の可能性を見てきた自分が、可能性を無闇に否定してしまうのはよくない。
そう思いながらもリーンは警戒心を捨てきれない。本当に悪意を喪失したとしても、殺意なく人が死んでしまう事故が起こる可能性はなくならない。
すると、リーンの心を読み取ったのか、その異形は新しい形へ変化する。少女のそれと変わらない姿に。
人ではあるが、人ではない。白すぎる、泥人形のような少女の姿へと変化を果たした。
「わぁ! 変身した!」
「すごいです! 本当にすごい!!」
パチパチと無邪気に拍手するハルとユーリット。リーンは頭を抱えながらも、生徒たちが無事なことを確認し安堵した。
「わらわも歳を取り過ぎたかの。これはちと精神的に辛いのう……」
「リーン先生、大丈夫?」
悩みの種たちに気遣われて、リーンとしては苦笑するしかない。しかし、同時に希望を抱く。彼女たちは異物というだけで敵意を向けたりはしない。それは、魔術という特殊な力を使えるから、という理由で戦争を仕掛けた人間や、自分たちよりも劣っているから、という理由で暴虐の限りを尽くす魔術師たちはと異なるものだ。
彼女たちのような世代が、世界をよりよくするのだろう。聖人リーンは新しき仲間へと目を向けた。
「さて、この者の名前はどうする?」
リーンが問うと、少女たちは揃って思索を始める。唸りながら最初に手を挙げたのは最年少であるユリシアだ。
「イソギンはどうかな?」
「イソギンじゃと? 一体どこから?」
「イソギンチャクから取ったの! 似てるし!」
無邪気に答えるユリシア。なるほど、混沌の従者たちは確かにイソギンチャクにそっくりだった。
だとしても、リーンからしてみれば苦りきった笑みが抜けきらない。宇宙の神秘に迫ろうととある作家と共に研究していたフィリックでさえ、恐ろしき怪物と形容した化け物がイソギンなどというふざけた名称をつけられるなどとは思っても見なかっただろう。
年老いた幼女の胸中など露知らず、少女たちからは賛成の声が放たれていた。どうやらこの従者の名前はイソギンというものに決まったようだ。リーンは周囲への警戒を強めながらも白い少女に歩み寄り、何となく手を翳してみる。にこり、とイソギンは笑い、何かの思念をリーンは感じ取った。
「む? これは……? ほう、なるほど。あやつの仕込みじゃったか」
「マスターリーン?」
ミュラが不思議そうに尋ねるが、リーンは何でもないぞと笑うだけ。
しかしその笑みからは苦い物が失せている。新しい希望を見出した顔だった。
※※※
ソラとホノカが回復に努めているすぐ近くで、マリとメグミは混沌の従者を無事撃退していた。不意さえ突かれなければ、倒せるのだ。強敵であることに変わりはないものの。
「大丈夫か? ソラ」
「メグミ……。うん、大丈夫だよ」
「ふふ、結局あなたもほだされたわね」
もはや普通にソラの身を案じたメグミにマリは笑いかける。そんなもんじゃねえ、とメグミが反抗しかつてのようなやり取りをソラの前で繰り広げた。発言こそ物騒であるが。
「私の獲物は五体満足の状態で私に狩られてもらわなきゃな。瀕死のこいつを殺したところで私の気持ちは晴れねえ。ほら、もう一戦いくぞ」
「とか言っちゃって、正直殺し合いに興じるタイミングを逃した、って思ってるでしょ? 口ではどうこう言ってるけど、おつむの足りない考えなしなところが昔のあなたのまんまよ」
「何言って……おいっ!?」
マリはおもむろにメグミに抱き着く。おかえりなさい、と言って背中を叩く。
「もういいのよ。ここにはあなたを否定する者はいない。確かに、あなたに怒りや不信感を感じる者はいるかもしれない。でも、それでいいじゃない。誤解を解いて、信頼を勝ち取れば。ここはあなたの帰る場所。そうでしょ?」
「くそ、そういうのはクサいだろ。ガキクサ過ぎる。気に入らねえ奴はぶっ殺す。それでいいじゃねえか……」
「昔のあなたはぶん殴りはしたかもしれないけど、殺したりはしなかったわ。そこら辺の話は、ソラたちの方が詳しいでしょう」
マリはメグミとの抱擁を解き、甲板上に寝るソラに目を落とす。ソラは身を起こしてぎこちない笑顔を浮かべる。まだ傷は完治していない。どうやら例のフルートの刺突には回復阻害効果があるらしく、ホノカもまだ動けずにいた。
「私はメグミのいいところ、いっぱい話せるよ。でもその前に……レクイエムフォームにならないと」
ソラは自分を戒めるように呟く。痛みに妨害され、レクイエムフォームになることができない。精神統一をしようと正座をし、ソラは周囲の魔力を吸収し始める。魔術剣士の技はいつ如何なる時もソラを支えてくれる。
例え敵が怖ろしい異形でもソラは引けを取らない。なぜならば、恐れを知らない者だから。
ゆえに、敵は真っ先にソラを狙ったのだ。ソラが無事だと敗北する可能性が高いから。
ならば、敵の予測を上回り、レクイエムを奏でるだけ。ソラは自然治癒力を早め、死者の声とシンクロを果たす。
そして、死をまき散らす者の声を聞く。
「――流石は北欧神話主神の子を真似るだけはある。しかし、総帥の息子である私に敵うのか? ブリュンヒルデ」
「……ッ!」
二度も同じ轍は踏まない。ソラは跳躍して背後からの一撃を避ける。
銀の剣を構え直して、自分を暗殺しようとした敵の姿を見、絶句する。
「顔が、ない?」
「千の顔を持つ男だ。ひとつの形にはこだわらない。なんならば、少女の姿にもなれるし、これよりもおぞましいものにもなれる。だが、それではつまらんだろう……?」
「黒き使者……。気を付けて、ソラちゃん。代行者の力は本質的に――」
「ふむ、既知か? 少女よ。では素敵な場所へ連れていってやろう」
助言を言うホノカを一瞥した顔のない男は、シャンタク鳥を彼女の元へ奔らせる。瞬間、何をさせようか理解したホノカが恐怖のあまりに悲鳴を漏らす。痛みや悲しみに声を出すことはあれど、彼女が恐怖して怯えることは滅多にない。余程の事態だと察したソラは、魔動波で彼女を空中に放り出しマリの手元に渡した。
「魔術剣士……知っているぞ」
「私はあなたを知らない……でも負けません!」
「勝ち負けではないのだ、ブリュンヒルデ。全ては運命づけられている」
「私はもう運命のくびきを脱しています!」
ソラが言い返すと男は笑った。ないはずの顔から嘲笑が漏れ出ている。
「愚かしい人間は何人も見てきたが……ここまでの愚者は初めてだ。なるほど、神に抗ったヴァルキリーだけはある。恐れを知らない者だと? ならば試してみるか? 総帥の御許に赴き、発狂してしまうかどうか」
「望むところ――」
「何言ってる! ダメに決まってんだろ!」
メグミはソラの恐れ知らずさを諫め、鉤爪を展開させた。代行者と戦うつもりなのだろう。無論、ソラの味方として。
「アザトースを見て正気を保てる人間はいない……。いくらブリュンヒルデの神話再現をしてるとは言え、所詮は人間だ。奴を見たら最後、発狂して終わりがオチだ」
「でも……!」
「ニャルラトテップは快楽主義者、言わばメフィストフェレスのような奴なんだよ。自分で手を下さず、他者が勝手に死んでいくのを愉しむくそったれだ。こいつはお前を挑発して、哀れにも発狂する姿を見たいと思ってるんだ。挑発に乗ったら最後、終わりなんだよ」
「流石、操り人形として使われていたことはある。よく、わかってるではないか」
ニャルラトテップはメグミを煽るが、メグミはその手には乗らねえ、と間髪入れずに返した。彼はつまらんな、と頭を掻きにんまりとした笑みを浮かべる――イメージが、ソラの頭の中に奔る。
「強者というのもいささか辛くてな。絶対に勝つという因果は、最初はいいが飽きが訪れる。ゆえに、私はどうやって人を破滅させるか頭を回すゲームをすることにした。破滅できれば、私の勝ち。無事生き残れば私の負け。時折、私を出し抜く者が現われて、私の心は躍るのだ。だが、滅多にいない。お前たちはどうだ? 私を愉しませてくれるか?」
「強者の余裕って奴か。気に食わねえ」
メグミがイライラした様子で言うが、彼女とて先程まで似た調子だったのだ。ソラはその矛盾を危険視する。メグミはかつての自分を取り戻しつつあるが、今のアンバランスな状態が一番危ない。
ゆえにソラはメグミを下がらせ、死者たちと同期した。オーロラが輝いて、ソラはレクイエムフォームへと変化を果たす。翼が生え、人類に天啓をもたらした天使のように。
「天使か。……人は様々な神話を語り継いできた。しかし、全ては総帥が創生したものだと理解するべきだ」
「誰が創ったのか、誰が最初に生まれたのかなんて、どうでもいいんです。大切なのは現在であり未来なんですから」
「そうか? 過去の男はお前に文句があるようだが」
ニャルラトテップは聖杖を振りかざす。すると、彼の影からあろうことか死者が現われた。見たことのない男だが、ソラは一目で同類だと見抜く。魔術剣士。それも、アーサーと同じ力のみを追求する流派だ。
「マスターオフィビム。お前の師の親友であり仇敵だ」
「ファナムの弟子か。我が思想を継ぐ者に助太刀するため、ここで始末するとしよう」
「……ッ、こんな!」
黒い鎧を身に纏う老人は漆黒の剣を振りかざす。強敵だと、ソラの勘が告げていた。ただでさえニャルラトテップの戦闘力は未知数なのに、平然と死者を召喚されてソラは一気に追い込まれる。
オフィビムの話を、ソラはファナムから聞いていた。ファナムと同期の魔術剣士であり、自分が導師に選ばれなかったことを知るや否や、導師を抹殺し世界を掌握しようと十字軍遠征を嗾けた過去の人物。
「死者を呼び出して利用するなんて……!」
「お前が言うセリフか? ブリュンヒルデ。私はお前よりも完璧に、死者を復活させることができる。幻影ではなく、肉体を伴ってな。お前は死者に願い事をして、その力を貸してもらっているようだが……私は違う。私はふさわしい死者を選定し、この世に召喚して争わせる。そこの少女は私とお前の力が似ていると言いかけたようだが……違う。私の方が優れているのだ」
「御託はもうよい。ファナム流はここで途絶えてもらおう」
オフィビムは剣を抜き、ソラへ肉薄。ソラは銀の剣で防いだが、オフィビムは笑みと共に苛烈な斬撃を加えてきた。その間にニャルラトテップはシャンタク鳥に指示を出す。主人の命を忠実に待ち望んでいた馬鳥は、水を得た魚のようにマリとホノカを急襲した。
しかし、ソラには援護する余力がない。オフィビム流の剣術は防御よりも攻撃に重点を置かれている。守りを優先するファナム流とはまた勝手が違った。
「あなたは故人です! なのになぜ、また争いを!」
「死んだら争いをしてはいかんのか? たわけ。人は死してなお、人を殺すのだ。私の遺志が、この世の人間に継がれた。アーサー王の再現をしているのだったか? あの男は。貴様ならよくわかっているだろう。人は死んでも、その思想は世界に残る。遺志が世界に拡散し、死者の野望を蘇らせる。死は終わりではない。新たな始まりなのだ」
剣と剣が唸りを上げて火花を散らす。いくらファナムに鍛えられたソラと言えども、技量はともかく経験が足りない。相手は故人とは言え、軽く千年は生きてきた英雄である。
さらにニャルラトテップの存在がソラの焦りを募らせる。隣ではメグミが代行者と一騎打ちを行っていた。オーロラフィールドが展開している以上、メグミに致死性ダメージは入らない。最悪、気絶するだけである。なのに、ソラの不安はぬぐえない。嫌なビジョンが脳内をよぎる。ちょうど、狂わされたクリスタルに彼女が撃ち殺された時のような――。
「よそ見している暇はあるのか? 愚か者め!」
「ッ! 死んでもなお、あなたは救われないんですか!」
ソラは銃槍を取り出したが、すぐに弾き飛ばされてしまう。槍など甘いわ! そう一喝し、オフィビムは猛烈に剣を鳴らす。
全てを防御しながら、ソラは純粋な剣技で勝つしかないことを悟った。左手で退魔剣を引き抜く。
「二刀流か? 愚策だな」
「どうでしょうか!」
ソラは二振りの剣を巧みに操り、オフィビムの剣に合わせていく。例え彼ほどの魔術剣士だとしても、二刀流との場数はそう多くない。そう予測を立てたのが功を奏した。退魔剣を防御に回し、銀の剣で攻撃を加える。単調な戦い方だけではなく、魔術剣士流の躍動感を含んだ剣戟。ソラはオフィビムの真上を跳躍しながら斬りつけを行い、彼の背後に回り込む。
続けざまに銀の剣を投擲すると、風を放って剣に意志を与えた。剣がひとりでに斬撃を放ち、ソラも自身の持つ実力を発揮していく。
「小手先の技で勝てると思ったのか?」
「……ッ」
しかし、やはりオフィビムには届かない。ソラの攻撃を防ぎながら彼の剣がソラの左手首を捉えてくる。
瞬間、ソラは瞠目し守りが疎かになった。追撃で右肩を浅く斬られる。だが、動揺は抑えきれない。
「血!? 何で!?」
「気付くのが遅かったな、人間」
横でメグミに圧倒されているはずのニャルラトテップが話しかける。表情こそ窺えないが嗤っているとは感じられた。彼がメグミと遊んでいることも。
わざわざ待っていたのだ。ソラが誰も死なないはずの戦場で、血が噴き出る瞬間を目の当たりにする時を。
この戦場では死がある。不死の戦場ではないということを、他ならぬ術者が理解するまで待機していたのだ。
「では、さっそく披露しよう。お前の心が折れる瞬間を、私は楽しみにしていた」
「メグミ!! 逃げ……ッ!」
「貴様の相手は儂のはずだ!」
ソラはオフィビムに蹴飛ばされる。瞬間、ソラはファナムに教えてもらった技の一つを使い、彼の背後に回り込んだ。銀の剣の柄にはマーキングが施してある。そこへ転移する。
師は滅多に使うことがない技だ、とソラに言っていた。もしやオフィビムほどの手練れも知らないのではないかというソラの見立ては的中する。
オフィビムは一瞬、訝しんで止まった。その隙を逃さずソラは背中に一太刀与える。
「ぬおッ!? よもや――! ぬぅ、奴め、いい弟子を取った!」
オフィビムがファナムを褒め称えながら消失する。死者を殺すことはできない。死人はただ消えゆくのみ。
邪魔者は排除できた。ソラはすぐに剣を構え直し、隣で戦う親友へと向き直る。
「メグミ! 今――!!」
「一歩遅かったな、ブリュンヒルデ!!」
ソラにはその動きがスローモーションに見えた。時がゆったりと流れ、もどかしさや恐怖だけが身体の中を駆け巡っていく。
同じ感覚をまたもや味わう。自分の無力さに打ちひしがれる。
「メグミ!!」
ニャルラトテップは聖杖を器用に扱い、難なくメグミの打撃を弾いて彼女の身体を貫いた。そして、何の感慨もなく投げ捨てる。メグミは血を吐き、瀕死の重傷に陥った。
自然と喉から叫びが放たれ、ソラはニャルラトテップへ駆けた。銀の剣にオーロラを纏わせて、強烈な一撃を放つ。ニャルラトテップは聖杖へ防いだが、杖は真っ二つに斬り折れた。
「やるな、人間。恐れを知らない者……シグルズ。例え友が死んだとしても、もはや心折れることなく怒りに支配されることもない。平静を保てている……。素晴らしい」
「何でこんなことを、するんです!!」
ソラは剣を振るいながら質問を投げた。ニャルラトテップは剣を紙一重で避けるが、纏うオーロラは避けられない。邪悪な者を打ち払うオーロラの輝きが、彼の存在に影響を及ぼしていく。
だが、ニャルラトテップは笑みを浮かべている――と直感的に理解する。彼には、危機がご褒美なのだ。
「私を追いつめられる人間は希少だ。ふむ、ここで無様に散ってもいいが……。もう少し、愉しむことにしよう」
「――ッ!? 逃げ……!」
ソラによる水平薙ぎを、ニャルラトテップは時空魔術で避けた。ソラには行き先が感知できない。しかし、まだ油断はできないはずだと頭で思いながらも、茫然自失の状態だった。
「メグミ!!」
ソラはメグミの元へ駆け寄りながら、左手にパイルランサーを召喚。一撃で、空で暴れるシャンタク鳥を消滅させる。
メグミは大量の血を溢しながら、甲板の中に沈んでいる。まだ息はあったが、オーロラフィールド内に広がる治癒でも大した効果は得られていないらしい。
「ホノカ! 急いで!」
「無理だぞ……バカソラ」
メグミは苦しそうに笑みをみせる。笑っていた。自分の死を恨んでいた彼女はもうどこにもいない。
同じ痛みをまた経験するかもしれないと言うのに、それを恐れる様子は見られない。以前のメグミそのままだった。
「でも……! 大丈夫、オーロラフィールドなら治癒能力は――」
向上する、とまで言わせてもらえなかったた。メグミは鉤爪を収納し、こちらに手を伸ばしている。ソラは、その手を握って涙をこぼした。おいおい、とメグミが呆れる。死を目前にしてなお、呆れる余裕がある。
「泣き虫は止めたんじゃ、なかったのかよ」
「やっと取り戻せたと思ったのに……!」
近くに戻ったマリは無言で佇み、ホノカは治癒を掛けている。が、望み薄だということを彼女はわかっている。その表情はとても暗い。
ニャルラトテップは死をコントロールできる神なのだ。復活の神であると同時に破滅をもたらす神でもある。多くの矛盾点を孕む混沌を、一つの概念で縛ることはできない。ゆえに、ニャルラトテップは非殺傷概念が渦巻くオーロラの中で、殺傷攻撃を穿って見せた。
「死なないのは当たり前、なんじゃなかったの……」
「一度死んだ私だ、説得力ねえだろ……。それに、本当なら私は生きてない。これが正しいんだよ」
そう言ってメグミは血を吐き出した。もう長くはない。そう感じる。この時ばかりは、ソラも感知能力が恨めしかった。人の生死が感覚的にわかるこの能力は、希望を与えると同時に絶望もその心に降り注ぐ。
「お前は、死を、悲しみを……克服した。恐れを知らない者、いいや、恐れを知っているからこそ抗う者。お前が生きて戦争を止めようと頑張ってくれてるだけで、私は救われてる。多くの死者たちが報われてる。反対意見の奴もいるだろうが……そんな奴、ぶっ飛ばしちまえばいい。だろ?」
メグミは健やかな笑顔をみせている。しかし、ソラは笑う気にはなれない。
死は一度経験すれば慣れるものでもない。ソラが言葉に詰まり、涙ぐんでいる間にも時は無情に過ぎていく。
「じゃあ、しばしの間……お別れだ。また、な……」
「メグミ!!」
メグミは事切れた。あっさりとした幕切れだった。まともにお別れも言えずに、親友の最期を二度も看取ることになってしまった。
ソラは悔恨の念を抱き、その手を握り続けている。だが、すぐにそんな余裕はなくなる。
「ニャルラトテップ……!」
即座に、ニャルラトテップの波動を感じた。正確には、ノアの箱船内に不自然に魔力が喪失した空間が発生している。他の魔術師なら見抜けないだろうが、ソラにはわかる。泣いている暇などない。死者を悼む時間もありはしない。
「行かないと。後は頼むね」
非情とも言える選択。しかし、ソラを咎める者はここにはいない。
「行ってらっしゃい、ソラちゃん。メグミちゃんは私たちが見てるから……」
「うん。ノアさん、お願い」
ソラは該当区画に転移を要請した。ソラが移動する合間も、マリは一言も話さず俯いていた。
※※※
「さて、本命に取りかからねば。……捕虜を残しておく必要はない」
捕虜が収容される牢屋区画に移動したニャルラトテップは、手を翳して捕虜たちに救いを与えようとした。だが、銃撃を受けて回避行動をとる。
「神々の残された者。忘れ形見か」
「その人たちは殺させないわ」
従者に傷付けられた右眼は感知し、本調子を取り戻したクリスタルがパルスマシンピストルを構える。その両隣にはシスターの恰好をしたメイス使いレミュと、徐々に光を取り戻しつつある魔法少女きらりが装備を握り絞めている。
「三人だけか?」
「だと思うか?」
背後から声を掛けられてニャルラトテップが振り向くと、そこには自動拳銃で狙いをつける男と、魔法の槍を持った女騎士がいた。彼らだけではない。増援はさらに接近しつつある。扉を開けて侵入を果たしたのは古きドルイドの賢者とその弟子たちだ。
「名前を何と言ったか。スパイのケラフィス、ブリトマート、そこの賢者はハルフィスで、リュースとカリカ、か。これだけの戦力で私を止められると思っているのか?」
「思ってないわ。端から止める気だもの。止められるのではなく、止めるのよ」
クリスタルが一同の想いを代弁して告げる。顔のない男は音声だけで笑い、ハットに手を当てた。
「なるほど、それは恐ろしい。だが、お前たちは忘れていないか――?」
「む、いかん!!」
初めにハルフィスが気付いた。もう遅い、とニャルラトテップは笑声を漏らす。
「私は自らの手で人を破滅させることは好まない。先ほどの少女の件も、とても胸を痛めている。だから、彼らには自害してもらうつもりだった」
「やらせないッ!」
牢屋の中に直接転移を果たしたソラが、持てる力を全て使って捕虜たちの自殺を食い止めようとする。だが、手遅れだった。捕虜たちは何の躊躇いもなく自らを爆弾として転用した。人々が破裂し、大量の血と肉片が周囲にまき散らされ、ソラが赤色に染め上げられる。放心したソラを、強壮なる使者は嘲笑う。
「所詮はお前も人間だ。お前の師はこう言っていたはずだ。一度救った者を二度は救えない、と。師の言う通りではないか。お前は一度彼らを救い、彼らに裏切られたのだ。……人とは素晴らしい。これほど愚かな知的生命体は宇宙全土を探してもなかなか出会えない。私は君たちが大好きだよ」
「ほざけッ!」
クリスタルが引き金を引いたが、ニャルラトテップは高笑いだけを残して転移する。残されたのは大量の死と、どうしようもない無力感だけだった。
「せっかく力を手に入れても、私は何もできない……」
今度はソラが全員の胸中を代弁し、重い沈黙が場を包んだ。
※※※
ソラはクリスタルに体を清潔に戻してもらった後、彼女と共に甲板に寝かされたままのメグミの元へ赴いた。ヘルヴァルドは既に撤退し、相賀は相談事があるというリーンとフレイヤたちと共にデブリーフィングを行っている。箱船の外も中も、戦闘が嘘のように静かだった。
メグミは先程と変わらず眠るようにして死んでおり、ホノカとマリの位置もさっきと変化していない。
「メグミ……」
ソラは再び彼女の名を呼んで、その横に座り込む。友を救えなかったばかりか、多くの仲間と人々を犠牲にしてしまった。マーナガルムの野望を打ち砕く切り札を手にしたと思った直後にこの様である。やはり、付け焼刃の力では対抗できないのか。
「落ち込んでる暇はないって、思うんだけどさ……。やっぱり、自信なくなっちゃうよ」
「ソラ……」
クリスタルがソラを案じる。だが、その気遣いを嬉しく思いながらもソラの本心は違かった。
クリスタルの励ましは嬉しい。でも、一番聞きたかったのはメグミの激励だったのだ。メグミの応援は、ソラにとっての活力だった。それがもう二度と聞けない。一度死んだ親友に、二度目の死を与えてしまった。
「やっぱり、私はダメな子だったんだ。結局私には――何も成せやしないんだ……」
弱気な発言に喝を入れる者は存在しない。皆、ソラに同情しそれぞれの悲しみに打ちのめされ、弱音を吐く猶予を与えてくれているとばかり、ソラは思っていた。
ゆえに、突然殴られて動揺を禁じえない。直後に響いたバカ野郎! という怒鳴り声にもまともに応対できない。
なぜならば、その拳は真下から放たれたからだ。何してやがるんだ、という一喝と共に。
「ここは私の死をきっかけにより強く成長するところだろうが! 何うじうじしてやがる! 私はな、お前のそういうところが嫌いなんだよ! お前にはいいところがたくさんあるが、弱気になるところがダメダメだ!」
「へ? え? 待って、理解が……」
ソラが困惑し、周囲の人間たちが当惑する中、ソレはむくりと起き上がり、ソラにお説教を始めた。
ソラが聞きたかった相手から、ソラが聞きたかった声で、ソラが聞きたかった話を饒舌に行っている。
「め、メグミ? どうして……? 何で? え?」
「細かいことはいいんだよ! 今はお前にイライラしてんだ! なんかよくわからんうちに復活してたけど、お前へのイラつき度が喜びよりも勝ってんだよ! って、おい! いきなり抱き着くな!」
「め、メグミ~! 生きてたぁ、良かったぁ!!」
ソラはメグミの言葉に耳を貸さず、親友が生きていた喜びをその身体でダイレクトに表した。顔がくしゃくしゃになったソラに困り果て、メグミはもうひとりの親友に助けを求めるが無意味だ。ホノカもすぐに彼女へと抱擁を交わす。
「メグミちゃーん!! どうしてえー!?」
「うわっ、だから、抱き着くなって! テメエら、三度も私を殺す気かよ!」
「……ふん、どうせそんなことだろうと思ってたわ」
マリが鼻を鳴らして、感動の抱擁的な何かを目視している。あくまでクールを装っているが、ソラの角度からはマリが涙を拭っているのが見えた。
「おい、手鞠野郎! 事情知ってるんだろ、説明しろ!」
「スヴァーヴァはシグルーンへと転生し、その後にもう一回転生するのよ。ヴァルキリーカーラ。それが今のあなた。ヤイトとは仮説を立ててたけど、確実とは言えなかったから説明してなかったのよ。二人には」
「二人には……!? クリスタル!!」
ソラは八年焦がれた親友に焦点を当てる。と、クリスタルは少し罪悪感を感じたように目を逸らした。
「まぁ、変に期待させちゃダメだから、ってことで口止めされてたのを認めるわ。別に騙すつもりはなかったのよ」
「ひ、酷いよぉ! さっき流した涙と後悔はなんだったの!?」
「い、いやそこは泣けよ悲しめよ! 私は二回も死んだんだぞ!?」
とメグミが突っ込むが、すぐに彼女はくぐもった声を放つことになる。もちろんだよ! とソラが力をたくさん込めて、彼女の身体を圧迫したからだ。
感激に身体は震え、喜びに打ちひしがれている。ハッピーエンドには程遠いが、バッドエンドだけは避けられた。
ソラはすぐに自信を取り戻す。これはソラの力のおかげではない。偶然から起きた奇跡だ。
だが、だからと言って自分が諦める理由にはならない。これ以上の奇跡を自分の力で起こすと信じて、束の間の幸せを噛み締めた。
「や、やっと解放されたぜ。む……」
ソラとホノカから離れたメグミは、マリへと目を合わせ、若干気まずそうな表情となった。
だが、マリはすぐに手を伸ばし握手を促してくる。迎え入れる挨拶と共に。
「おかえりなさい」
「おう、ただいま……って、痛え!? 何しやがる!!」
どうやらマリは思いっきりメグミの手を握り絞めたらしい。メグミも負けじと握り返し、二人は握力比べへと移行した。
その仲睦まじい姿を見て、ソラは心から笑顔になる。
ディースの誘惑に負けることなく、ソラはソラとしてマーナガルムへと戦える。ヴァルハラ軍はマーナガルムにまだ負けていない。そのことを強く実感した。
「メグミ! おかえり!」
ソラもマリに倣ってメグミに叫ぶ。メグミはマリと手を離し、照れくさそうな笑みをみせた。
「少しばかり寄り道しちまったが……。ただいまだ!」